人間は、いくつになっても変われる。成長できるんだ。そんなことを痛感した。
前にも紹介したが、インドのガンジーはこんなことを言っている。
「明日死ぬ覚悟で一生懸命、生きなさい」。
これは他にも多くの人が言っている。大事なのは次だ。
「永遠に生きるつもりで勉強しなさい」。
これは凄い。たとえば、40才か50才で、「これは人生の真理だ」と知ったとする。じゃ、人にも教えるか、となる。
それはダメだとガンジーは言う。60になり、70になっても、「まだまだ勉強はこれからだ。私はまだ小学校の1年生だ。これから勉強だ」と思え。そう言うのだ。
これは奥が深い。
70才になり、80才になっても、「これからが勉強だ」と思う。そう思うから、向上があるし、自分も変われる。又、そうしようと努力している人がいる。
これは素晴らしいと思う。
これは自分の反省でもある。いや、右翼、左翼、宗教を含め、他人に「真理」を広めようとする人々皆に言える。
たかだか20才くらいで、「これが人類を解放する真理だ」「救済の哲学だ」「これこそが真理だ」と思い、あとは、これをどう人民に教え、広めるかだ。と考える。
はじめは、合法的に広めようと努力する。
でも、成果は上がらない。時間もない。焦る。
少し強引な方法をとっても広めよう。教えようと思う。
時には、暴力を使ってもいい。その時は驚き、恨むだろう。しかし、後で必ず感謝するはずだ。〈真理〉を教えられたのだから。〈解放〉されたのだから。
そういう信念に導かれて運動をやる。布教をやる。
私も若い時は、そうやった。突っ走った。20才ぐらいで、未熟で、何も知らなかったくせに…。傲慢な話だ。
20才でもう「思考停止」してしまい、自分の努力をやめてしまった。成長も止まってしまった。止まった時計だ。
20才くらいで、「これが素晴らしい」「これこそが真理だ」と思い、その関係の人ばかりと会い、その関係の本ばかり読む。
気分はいい。幸せだ。でも、それは、停止であり、退歩なのだ。
そのことが最近、よく分かってきた。違う考えの人と会い、違う考えの本を読む。そこの世界で闘い、あるいは負けるかもしれない。
それでもいいのだ。それで成長できるのだ。
ガンジーが言うように、我々は何才になっても、「小学1年生」だ。これからが勉強なのだ。
5月17日、札幌に行った。時計台での講演会だ。
今回は第19回で、ゲストは麻原彰晃三女の松本麗華さんだ。昔は、教団内でアーチャリーと呼ばれていた。
去年、本を出した。『止まった時計』(講談社)だ。それからは勇気をもって、いろんな場に出ている。
自分の考える麻原、オウム真理教について話している。
肉親でなければ知らないことも多く、我々が今、聞いてもとても勉強になる。
もしかしたら、麻原について、オウムについて我々は大きな誤解をしてるのかもしれない。そう思う時がある。
サリン事件は麻原の命令ではないと麗華さんは言う。
部下が勝手に暴走したのか。でも、それを止められなかった責任はあるのではないか。
いや、もし、オウムがマスコミで言われるように「麻原独裁」であったら、あの事件は起こらなかったと言う。「省庁制」をとったのが一番の原因だという。
つまり、防衛庁、文部省とか…を作った。「シャドウ・キャビネット」のようだ。
この日本の体制を打倒したら、我々が天下を取る。その日のために、文部省、防衛庁…などを作っておく。
オウムでは、その一見「民主制」のもとに、各人が勝手に麻原に「都合のいい情報」を入れる。
あとには、そういう事情、事件を作って、それを報告する。
そのエスカレートと、内部の争いの中で、あの事件が暴発したという。
「まさか」と思う人は多いだろうが、ありうることではある。
又、警察の対応も不可解だ。
全面的に逮捕し、潰そうとしない。大きくなるのを待っている。大きなことをやる。それを待つ。
ただ待つだけでなく、時には、その方向にリードしてやる。大きくなって、大きなことをやる日まで待つ。
その方が、国民に与えるショックも大きいし、「治安」は必要だと分かる。警察はそう思っているのだ。だから、小さな芽を摘んだりはしない。
サリン事件の時は、幹部たちは、皆、尾行が付いていた。
尾行を連れたまま、地下鉄に乗って、そしてサリンを撒いた。そして逃げた。
現認した公安もいたはずだ。現場に立ち合って、「ヤバイ」と思ったのか、ここまでやるとは思わなかったのか。
私の知る他の事件でも、公安(警察)が煽動してやらせた事件は多いのだ。左翼の内ゲバや右翼の事件にもある。
札幌で時計台シンポに出た時、「だいありー」にも書いたけど、松本麗華さんは初め、とても不安だったという。
トークとか座談会、インタビューは受けたことがあるが、今回は1人でまず1時間、講演する。それから、2人でトークをする。
「とても喋れない」と言う。「喋れなかったら、自己紹介だけでもいいですよ。10分くらいでも。あとは、私とのトークにしましょう」。そう言った。
しかし、話が始まると、ビックリした。うまい。正面を向いて、まるで「青年の主張」だ。
でも、内容は凄い。スライドを映していたお姉さんも驚いていた。「私も初めて聞きました。凄いですね。できるんですね」。
じゃ、密かに練習していたのか。あるいは、100人の聴衆を前にして、決意も固まり、喋れたのか。
実に堂々としているし、人々の心をがっちりとつかむ。
どんどん成長しているんだ。無限に伸びているんだ。
「今、バレーを習っているんです」と言う。砂浜でやるママさんバレーか。「違いますよ。失礼な」と言う。クラシック・バレエらしい。
じゃ、今度、ここで披露してもらおう。そして、踊りながら講演をしてもらう。
それは無理かな。じゃ、踊ったあとで講演だ。ここは舞台があるから、それがいい。もう一度、札幌時計台でやってほしい。
そして、人間は、無限の可能性がある。いくつになっても、〈成長〉していく、ということを教えてもらいたい。
とても勉強になった札幌時計台でした。
私も「小学1年生」だということを思い知りました。いい話を聞かせてもらった。
今まで「アーチャリー」なんて呼んで申し訳ない。「これからは、先生と呼びます」。「やめて下さいよ」と即座に言われちゃった。
これからさらに成長する麗華さんを楽しみにしつつ、おわり。
そうだ。シューラーさんの講演の前、一水会の若者が「キューバに行ってきた」と報告してました。いいですね。私も行きたいです。
麗華さんと打ち合わせなのに、彼女はいない。「変ですね。昨日から着いて準備してるはずなのに」と可知さん。携帯にかけたら、「すみません。講演の準備で大変で、打ち合わせに行けません」と言う。準備をし、練習をしているようだ。
トークや質問に答える…などはやったことがあるが、100人以上を前に話すなんて、生まれて初めてだ。緊張するし、とてもできません、と言う。「1時間は無理なら、5分でも10分でもいいですよ。自己紹介だけでも。あとは、2人でトークしましょう」と言った。それで少しは落ち着いたようだ。
午後6時、講演が始まる。驚いた。とてもうまい。堂々としている。聴く人の心をしっかりつかんで、離さない。この時計台では今回が19回目。その中でも、トップクラスだろう。
講演が終わり、10分休憩。そのあと、2人でトーク。
普通は、この休憩の時に帰る人がいる。「もう聞いたからいいや」と思って。ところが、今日は1人もいない。「これは驚異です」と、柏艪舎の山本社長が言っていた。トークも盛り上がり、楽しかったです。
その後、場所を移して食事。この時も、話は、やはり「麗華さんの話はよかった」「感動した」…という話ばかり。本当によかったです。
エッ!と思い、羽田に着いて、探した。いた。「僕は時計台トークでしたが、鳥越さんは?」。「昨日、小樽で講演会ですよ」。いろんなお寺の人が集まって、そこで話してきたという。
家に帰って、仕事がたまっていたので、夜中までやる。
①「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。5月17日(火)午後6時から始まりました。今回は第19回で、ゲストは松本麗華(りか)さん。麻原彰晃三女です。アーチャリーと呼ばれてました。テーマは「止まった時計--父・麻原彰晃と私」。2人でトークし、会場からの質問に答えました。
②2人のトークの前に、麗華さんが1時間、講演しました。「大勢の前で話すのは初めて。緊張してます」と言いながら、実に堂々と話します。一人一人の心に響き、訴えました。とてもよかったです。素晴らしかったです。
⑦5月15日(日)。岐阜市の護国神社で、大夢館創立50周年大会。5.15事件の三上卓さんの遺志を継いで花房東洋氏が、ここ岐阜に「大夢館」を創立して50年になります。花房氏が大夢館を創立する前から私は花房氏を知ってます。共に、「生長の家」の活動家でしたから。
⑩映画監督の須藤久さんにお会いしました。野村秋介さん原作の「斬殺せよ!」を撮りました。2.26事件を撮った監督です。又、狭山事件や、学生運動を撮った映画もあります。80才を過ぎてるそうですが、元気です。
⑮全国から100人以上が来てました。大いに語り、飲み、食べました。枝豆があり、その左にはプチトマトが。そして赤いベーコンが。ベーコンを食べようとしましたが、とれません。「おかしいな」と思ってたら、隣りの人が、「鈴木さん、酔ってんじゃないの。それは皿に描かれた模様ですよ」。エッ、そうなのか。でも、マジシャンのセロなら、取り出して食べるんだろうな。
⑯護国神社の大夢祭が終わり、直会も終わり。さて東京に帰ろうかと思ったら、まだ、4時だ。その時、はるか山の上に建つ岐阜城が目についた。「よし、登ろう!」と決意。大阪から来た岩井さんも、煽られて、「じゃ、行きましょう」と同行してくれました。
⑳ヒーヒー言って登ってると、こんな看板が。「イノシシにご注意ください」。ゲッ! イノシシに襲われたらどうすりゃいいんだ。近くに棒はないし、武器はない。柔道や合気道では闘えないよ。そういえば、おととし、青森に行った時は、「熊に注意」と書かれてて、あわてて帰ってきたことがあった。イノシシなら、まだ闘えるかな。
㉓そこでしばらく休む。「あっ、鈴木さん!」と若い女性に声をかけられました。「たかじん、見てます!」と。ありがたいですね。そのあと、信長の甲冑などを見て、再びロープウェイに乗って、下界へ。下は公園になっていて、信長公の館もありました。毎日、金華山の上まで登るのは大変なんで、下に館を作って、そこで寝てたようです。さらに、その近くには、板垣退助の巨大な像も。
㉔板垣退助は確か四国の土佐の人じゃないのかな、と思ってたら、「板垣退助遭難の地」と書かれてました。ここにあった中教院で演説を行って、帰る時に、「国賊!」と叫ぶ暴漢に襲われ、胸を刺されたんです。この時、「板垣死すとも自由は死せず」と有名な言葉を残したのです。
㉖5月14日(土)「増山れな応援団集会」が行われました。午後6時半から、増山さんは夏の参院選に出ます。東京から、社民党で。それを応援する人々が沢山集まりました。文京区民センターで行われました。でも正面には「文京シビックセンター」になってます。初めはその予定だったんでしょうか。面白いですね。
㉗元気一杯に挨拶する増山れなさん。増山さんは芸大出のアーチストです。画家です。さらに、映画監督でもあります。「サダコの鶴 〜地球をつなぐ〜」、「ママますやまれな。ますます元気!」のDVDを買いました。
㉙アーチスト・秋山祐徳太子さんに紹介されたんですね。20年前、当時、増山さんは芸大生で、絵を描き、よく個展を開いてました。学生なのに。そして、次々と絵が売れてました。そのあと、政治、社会問題に関心を持ち、脱原発やいろんな運動に関わります。そして、今回は社民党から参院選に出ます。大変な決断です。偉いです。