「保守」「保守主義」の暴走が止まらない。
日本の歴史についても、「間違いはない」「全て正しかった」と言って、検証を拒む。歴史に直面する勇気がないだけだ、と思うが、頑固に日本の正義だけを主張する。
本来は日本のいい所を「保守」し、間違いは改める。という、極めて寛容な見方だったはずなのに。
日本の歴史をそのまま絶対化する。日本は正しい、周りの国々が悪いのだ、となる。
ヘイトスピーチのデモをする人々も、「我々は右翼ではない。保守だ!」と叫ぶ。憲法改正を叫ぶ人々も、「保守」だと言う。
日本に生まれたんだから、日本を愛するのは当然だ! それができない人間は非国民だ、売国奴だと言う。「保守」は過激だ。そして、偏狭だ。
でも、過激、偏狭に傾く世の中に対し「待てよ」と言い、寛容になろうよ、と言うのが「保守」だったはずだと中島岳志さんは言う。
6月16日(木)、「BS朝日」の「激論! クロスファイア」で話していた。田原総一朗さん、私の3人で話した時だ。「だから自分は保守のつもりです」と中島さんは言う。
でも、「週刊金曜日」の編集委員になってるし、リベラルでもある。
「過激な進歩主義に対し、反省し、寛容さを取り戻すのですから、保守とリベラルは相容れないものではない」と言う。
そうなのか。じゃ、「話し合える人」と「話し合えない人」がいるということなのか。
そんなことを感じた。「保守」「保守主義」の名の下に、偏狭な愛国主義がまかり通っている。
「保守」とは、元々は「寛容」だったはずなのに。と中島さんは言う。
じや、保守、保守主義の元祖、福田恆存はどう考えているのだろうか。
今の「保守」「保守主義」のブームを喜んでいるのか。どうも違うような気がする。昔の本を少しずつ読んでいるが、分からない。
そんな時、この本が出たのだ。今の時代に、直接、ものを言っている。
驚いた。『滅びゆく日本へ=福田恆存の言葉』(河出書房新社)だ。
これはいい。テーマ毎に、福田はどう言ってるのか。それが書かれている。一番知りたかったことはこれだ。
「保守主義」について、こう書いている。
〈私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考えない。革新派が革新主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。私の言ひたいことはそれに尽きる〉
「保守主義者」ではないという。食べものや、生き方の点で保守的ではあっても、それは、〈思想〉ではない。保守主義者という頑固な主義をもって、それで判断することはない、ということだろう。
そのことを、もっとはっきり、こう言っている。
〈保守的な態度といふものはあっても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によって人を納得させるべきであって、イデオロギーによって承服させるべきではないし、また、そんなことは出来ぬはずである。保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分化したとき、それは反動になる。大義名分は改革主義のものだ〉
そうなのか。「保守」は生き方の問題であって、「主義」「イデオロギー」ではない。
それが「保守主義」をふりかざして一つのイデオロギーになると、それはもう「反動」でしかない。はっきりと断言している。これは、はっきりしている。
さらに、こう言う。
〈“進歩”もいいことなのですが、“進歩主義者”といふと、進歩を第一の価値とするといふことで、私は反対するのであります。ですから、“保守”はいいことですが、“保守主義”といふことになると、保守を第一の価値とする。それに把(とら)はれるといふことで、私は、すべて“主義”がつくものに、眉に唾をつけてみるといふ習慣があります〉
そうか。これは、はっきりしている。
じゃ、今の「保守主義」の下での暴走は間違っているんだ。
保守主義というイデオロギーで、歴史や時局を斬る。それでわかったような気になっている。
世の保守主義者を怒鳴っているのだ。
では、「愛国心」についてはどう思っているのか。
〈私達が自分の国に愛情を持つためには、自国が世界で最も美しく最も善い国であり、一度も間違ひを犯した事が無い国である必要が何処にあるか。自分の国だから愛する、それ以外に何の必要もありますまい。早い話が、子は親を、親は子を、夫は妻を、それが世界で最も立派であり、最も優秀であり、最も美しいから愛するのか。そんな事はありますまい〉
これも凄い。日本の優れた点、美点を言い立て、だから愛する価値のある国だ。
これに比べて、周りの国々はどうだと非を鳴らす。
それは排外主義ではあっても愛国ではない。その事をズバリと言っている。
〈日本はなぜ西洋と優劣を競はねばならないのか。明治以来、日本近代化百歳を迎へようとしてゐる今日、吾々はさういふ子供っぽい迷夢や劣等感からそろそろ目覚めるべきではないか。日本人が日本を愛するのは、日本が他国より秀れてをり正しい道を歩んで来たからではない。それは日本の歴史やその民族性が日本人にとつて宿命であるからである〉
これは気がつかなかった。「競べる」必要はないんだ。そんな事は「子供っぽい迷夢や劣等感」だという。
ウーン、福田恆存は違う。今、こんなことを言える人はいない。
〈もし人々が愛国心の復活を願ふならば、その基は宿命感に求めるべきであつて、優劣を問題にすべきではない。あれこれの点において日本は西洋より優れてゐると説く愛国的哲蒙家は、その逆を説いてきた売国的哲蒙家と少しも変わりはしない。その根底には西洋に対する劣等感がある。といふのは、両者ともに西洋といふ物差しによつて日本を評価しようとしてゐるのであり、西洋を物差しにする事によつて西洋を絶対化してゐるからである〉
これも驚きだ。「愛国的哲蒙家」と「売国的哲蒙家」は同じだと言っている。どちらも西洋を絶対視し、西洋を基準にしているからだ、と。
こんなことは考えてもみなかった。そうだったのか。福田恆存に再び、叱られているようだ。それも、心地よい。これだけの知性はいない。知の巨人だ。
「保守主義」のあとには、「真理と学問」というコーナーがあった。こんな文章が目についた。
〈日本でも西洋でも嘗(かつ)て学問と名の附くものには志といふものがあった。知識の優越だけでは学者になれなかったものです〉
そうか。これが違うのか。
我々が学生の時は、志のある人々がいた。
学問の世界にも、作家、文化人の世界にも。福田恆存であり、三島由紀夫であり、高橋和巳であり、村松剛、林房雄、林健太郎であり…と、いい時代だった。
そうした志のある人々に接し、教えられた。これは幸せだったと思う。
今はいない。「保守主義者」を自称し、テレビで怒鳴りつけている人々しかいない。
よし、福田恆存の本も全部読んでみよう。一生かかるかもしれないが、それだけの価値はある。
その「全集」を読もうという気にさせる本だ。この『滅びゆく日本へ=福田恆存の言葉』は。
しかし、よくまとめたものだ。福田恆存の膨大な本の中から、これらの言葉を探し出す。そして、整理し、章立てにする。その「言葉」のあとには、それがどこに書かれているかもきちんと書いている。
今、「保守主義」「愛国心」について引用したが、その全体は、ここにある、と書かれている。それを読めばいい。
読者にとっては、ありがたいが、これを整理した人にとっては地獄だったろう。大変だ。苦労を察する。
しかし、そんな大変なことを誰がやったのだろうか。出版社の人か。
いやいや、できる人はいない。表紙には、「佐藤松男編」と書かれていた。
そうか。この人しかいないよな。日本中探しても…。本当にありがたい。
この佐藤松男氏は、学生時代からよく知っている。私より4才若い。もの凄い勉強家で、秀才だった。福田恆存を顧問に、勉強会を開いていた。
本の最後に、編者紹介が載ってるので、紹介しよう。
〈佐藤松男(さとう・まつお)。昭和22年(1947年)東京生まれ。昭和45年福田恆存を顧問とする日本学生文化会議を結成(後、現代文化会議と改称)。「福田恆存全集」刊行に際し、福田の依頼により、年譜等の資料作成や収録作品の整理や配列を担当。共著に『証言 三島由紀夫 福田恆存 たった一度の対決』がある〉
最後に紹介されている共著だが、これは「楯の会」の初代学生長だった持丸博氏と佐藤松男氏の対談だ。
三島をよく知る持丸氏と、福田をよく知る佐藤松男氏の対談だ。持丸氏はもう亡くなったが、最後の本になった。
持丸氏を通して、三島の思想が伝わってくる。私は2人ともよく知っているので、ありがたかった。
では、この『滅びゆく日本』だ。実によくできた本だ。今、ここに書いているように、「保守主義」「愛国心」について、どう書いてるのか。すぐに探せる。さらに詳しく読みたいなら、これを読みなさいと紹介している。読む我々は、とても便利だ。
しかし、何度も言うように、これを編集、整理した佐藤氏は本当に大変だったと思う。
気が狂わんばかりの時もあっただろう。何度も、もうやめようと思った時もあっただろう。その努力の成果を我々は読むのだ。感謝したい。
目次だけを紹介しよう。
『滅びゆく日本へ=福田恆存の言葉』
Ⅰ 人間・この劇的なるもの
Ⅱ 文学とは何か
Ⅲ 伝統と近代化を問ふ
Ⅳ 平和と民主主義を疑ふ
「保守主義」はⅢに、「愛国心」はⅣに書かれている。
さらに各章の終わりには、「よく深く考えるために」が書かれている。
又、憲法や日米関係についてはどう思っていたのか。そんな原稿もついている。
又、「編者解説」が書かれている。涙ぐましい努力をしてるのだ。
ちょっと話は変わる。菅野完さんの『日本会議の研究』が売れに売れている。
日本会議の人たちは、学生時代は私の仲間だった、生学連、全国学協と一緒に運動をやった仲間なのだ。
それが今、安倍政権を支え、憲法改正に進んでいる。
この『日本会議の研究』には、後半に私のことも出ている。
生学連が中心になって、日本の右派学生をまとめるべく「全国学協」を作った。その初代委員長が私だった。
しかし、1ヶ月で解任される。無能だったし、運動が伸びなかったからだ。
でも、この全国学協の結成大会の記念講演をしてくれたのが、福田恆存さんと会田雄次さんだった。
福田さんに頼みに行くと、承知してくれた。
しかし、「我々は民族派運動をしてます」「日本を守るために左翼と闘ってます」と言うと、「偉いですね」と普通なら言う。同じ考えの人だと思ったから。
ところが、「でも、畳に座るより、イスに座る方がカンファタブルだと感ずるでしょう」と言う。便利なものを快適と感じてるはずだ。それなのに…と言う。勿論、答えられない。学生を馬鹿にするなんて…と思ったが、「一人前の大人」として見てくれたのだろう。でも、とても答えられないし、「大人」としての対応もできなかった。
そんな凄い人が書いたんだ。
今、保守、保守主義、そして、全国学協、日本会議…と、いろんな本が出ている。
岩波が出した『〈愛国心〉に気をつけろ!』の表紙も全国学協委員長の時の私の演説の写真だ。ドッと、〈学生時代〉が襲ってくる。そんな感じだ。
6月23日(木)は、宮台真司さん、青木理さんと「激論!ドットコム」のテレビに出た。そこでも「日本会議」がテーマだった。
学生時代の話を、つい昨日のことのように話す。いい時代だったと思う。
「三島由紀夫全集」は読んだ。次は「福田恆存全集」に挑戦してみよう。
本当に、知の巨人たちがいた時代だ。幸せだった。
その頃、私は取材された。右翼学生の頃だ。全国学協をやっていた頃だ。随分と昔だ。その時は、普通の、新聞記者だと思っていた。後にあんなに大きな存在になるとは思ってもみなかった。大変な苦労があり、怒り、憂いがあったのだろう。
この日は、一度、家に帰って、6時に、ユージンプランニングに行く。天木直人さんと寺嶋陸也さん(作曲家)の講演会。天木さんは元外交官で、イラク戦争に反対して、辞めた。選挙にも出たが、落ちた。
今度は、ネットで政治を盛り上げると言っていた。
終わって、一緒に話をした。
5時、「読書ゼミ」。今日は、岡田尊司さんの『マインド・コントロール』(文春新書)を読む。これは売れてるし、凄い本だ。
終わって、すぐ、目黒へ。『マル激トーク。オンデマンド』に出る。7時半から。青木理さん、宮台真司さん。
テーマは「日本会議は、日本をどうしたいのか」。
2人ともよく調べている。特に青木さんは7月上旬に『日本会議の正体』という本を出すそうだ。だから詳しい。取材も徹底している。むしろ、私の方が聞く立場になった。なかなか、興味深い話も聞いた。
夕方6時、新宿三丁目の「梟門」に行く。劇団再生が「二十歳の原点」を上演する。
その前に、高木尋士さんと2人でトークをする。当時の学生運動について、又、若者たちの真面目さについて話す。
それから芝居を見る。よかった。
終わって、皆で飲み、話す。
②6月21日(火)。経営塾で櫻井よしこさんの講演を聞きました。私は右翼学生をやってた頃、取材されたことがあります。その時、櫻井さんは、「クリスチャン・サイエンス・モニター」の記者でした。「随分、昔ですよね。あの時、私、月給は1万円だったのよ」と言ってました。
⑰6月23日(木)。三浦綾子の『銃口』展をやってました。青山学院大学で。これを見に行きました。三浦さんの最高傑作でしょう。何度も読み、前進座の芝居も見ました。旭川にある三浦綾子文学館にも3回、行きました。