「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」は、今回で20回目だ。
2ヶ月に1度、札幌時計台でやっているから、もう3年半になる。
政治家や学者、評論家、左右の活動家など多彩な人々が来てくれた。こういう場でないと会えない人もいる。
第20回の記念になった、この回は、まさに「会いたい人」「話を聞いてみたい人」だった。
なんせ、元ヤクザで暴れていた人だ。
その人が一転、キリスト教に入信し、牧師になった。
著書の『親分はイエス様』は映画にもなったし、〈社会現象〉にもなった。
今は、千葉県柏市に「シロアム・クリスト・チャーチ」を開き、そして札幌にも教会を持ち、週のうち半分ずつを過ごしている。
全国を回り、講演活動も行なっている。
さらに、他にもヤクザから転身して、入信し、牧師になった人が10人以上もいる。
アメリカ、ドイツなどでは、十字型を背負って行進し、世界的話題にもなった。
〈極悪〉から、人を救う牧師へ。どうしてそんな回心ができたのか。
本は随分と読んでいたし、映画も見ていた。
しかし、それでもまだ信じられない。実際に、この眼で見てみたい。話を聞いてみたい。そう思った。
それが実現した。奇跡の第20回シンポジウムだった。
元ヤクザにして牧師の鈴木啓之さんがゲスト。
それに、この日は、タイトルがいい。「悪にも強く、善にも強く」。
これは凄い。極悪の生活をし、そこに命をかけた男だからこそ、善にも命をかけられたのかもしれない。
7月5日(火)、午後6時に始まり、司会の中尾則幸氏がゲストを紹介。
それから僕が10分ほど挨拶。
そしてメインの鈴木啓之さんが60分、話す。
特異な体験だし、凄い話が聞けるだろうと期待した。
話は、期待した以上だった。
話の内容もそうだが、講演が実にうまい。声はよく通るし、一人一人の胸にズバリと入り込む。説得力がある。
牧師として教会で今も説教をしているからなのか。牧師になるための「説教」の訓練もあるというが、それにしても、うまい。雄弁だ。
元ヤクザの人が、「神の愛」を説く。絶望的な状況から脱したからこそ、説得力がある。
映像も使いながら、60分を一気に話し終えた。
そして10分の休憩。7時15分から、2人でトーク。
そして質疑応答。9時まで熱く、話し合った。
鈴木啓之さんの名刺には、二つの教会の横に、「駆け込み寺」と書かれている。元ヤクザでも、何でも、ここに飛び込んで来なさいと言うのだ。
でも、キリスト教の教会で「寺」はおかしいだろう、と批判もされた。迷ったが、これでいった。
「駆け込み教会」では、ちょっと意味が通じない。「駆け込み寺」の方が一般にも通じる。
昔は、お寺が、「駆け込む」所になっていた。
しかし今は、むしろ、こうした教会の方が、それを実行している。
別に、昔、キリスト教の信者だったわけじゃない。高校の時、ミッションスクールにいた人もいない。
でも、全国を逃げて歩きながら、ふと目に飛び込んできた〈教会〉。そこに、飛び込んだ。
なぜなのか。それは、奥さんが信者だったり、人それぞれ、いろんな理由がある。これも聞いた。
啓之さんは、ヤクザで不義理をし、追われる。十億近い借金をしている。
奥さんや可愛い子供を捨てて、愛人と逃げる。普通なら、そこで家庭は破綻だ。でも、奥さんはじっと待っている。
借金だって、100万か、1000万ぐらいなら、一生働いて、返せない金でもない。
でも億だ。もう死ぬしかない。誰でもそう思う。
でも、あきらめない。自分を変え、チャンスをものにする。凄まじい執念だ。〈悪にも強かった〉からなのか。
それを聞いたら、「いや、とことん、追い込まれて、他に全く選択肢がなかったんです」という。
一般の人なら、まだ弁護士に相談して…、話し合いで…、となる。
でも、啓之さんは、それがなかった。他に選択肢はない。ここで目に付いたキリスト教の教会に飛び込んだ。
しかし、教会も、よく受け入れたもんだ。「うちではダメです」「他の真面目な信者さんの迷惑になりますから、お断りします」という教会もあるという。
だから、いい教会に出会った。
又、教会に入り、回心し、〈真人間〉になった人をどうする。
普通なら、一般信徒として、「体験談」をさせる。「皆さん、聞いて下さい。こんな最悪の生活をしてた人でも、イエス様の言葉を聞いて、回心したのです」と牧師さんが紹介する。皆は拍手喝采だ。
つまり、そういう風な存在として「活用」される。これが普通だ。
でも、キリスト教会では、この人たちを何と、牧師にしたのだ。
啓之さんが二つの教会を持ち、説教をしている。
皆の前で、「元ヤクザ」が話しているのだ。これには驚く。
なぜそんなことができたのか。お寺でも神社でも、そこの責任者になるためには、何年間か厳しい修行をしなくてはならない。
今なら、仏教の、あるいは神道の大学に行って、学習し、さらに修行しなくてはならない。
お寺のお坊さん、神社の神主さんになるには、相当の時間がかかるし、覚悟がいる。
では、キリスト教は? 神学部を出て、何年か修行をやって、厳しい条件があるはずだ。
「実際、大学を出てないとダメ」と言ってる教会もあります。しかし、私らのとこは、それがなかった、という。
そして、牧師さんになった人が10人以上もいる。
でも、ヤクザで不義理をして逃げている人だ。ヤクザも追ってくる。金を取り立てる人も追ってくる。
「そんな人は、出て行ってほしい」と、普通なら思う。
でも教会は庇った。
ビクトル・ユーゴの『レ・ミゼラブル』を思い出した。ジャンバルジャンをどこまでも信じ、銀の燭台が盗まれても、「それはあげたものです。なぜ、それだけにしたのですか。もっと持っていけばよかったのに」と庇う牧師さん。
これと同じことが、この日本でもあったのだ。
でも、でも。ついこの間まで、暴れていた人々だ。
それが教会に飛び込んで、回心した人はいても、それで皆が皆、「真人間」になったわけではないだろう。
まだ欲もあるし、金に執着もあるだろう。
何か言われて、カッとなって殴り返すことにもなりかねない。
それを聞いたら、「確かにその危険性もありました。しかし、奇跡的にそれはなかったんです」と言う。
それに、ヤクザの人は、キリスト教を受け入れやすいのだという。どうして? と思わず聞いた。
ヤクザでは、親分に「白を黒と言われても、黒と言う」。絶対的な服従だ。
キリスト教も絶対的な信頼、服従だ。「私についてきなさい」。それだけだ。理屈は言わない。
それが、同じだという。ウーン、そういうものなのか。
そして具体的な話をしてくれる。この人は本当の信仰者だと思った。本当に宗教を実践している。
僕らは、ただ知識として、少しはかじっているだけだ。甘い。とても啓之さんの心境にはなれない。
この日、時計台に来た多くの人々も、そう思ったはずだ。シーンとして、話を聞いていた。
終わって、質問がドッと来た。「争ってはいけません」「敵を作ってはなりません」…と口で言う人は沢山いる。しかし、それをこうして実行している人はなかなかいない。
それに、「依存」が悪いとは言えない。
タバコ、酒、ギャンブルに依存している人に、ただ「やめろ」と言ってもやめない。
それ以上の魅力のあるものに依存すれはいいのだ。と言う。それが私らには〈神様〉でした、と言う。
それも凄いな。そんな風には考えなかった。高校では、ミッションスクールなのに、そんなことは考えない。ただ教科書を読んで、上っ面だけを理解していたのだ。
啓之さんのように全身全霊を尽くし、命をかけて、信じていた人とは違う。命がけの〈依存〉をしてみろ。そう言うのだろう。
それがなくて、ただ、「誰かがしてくれる」「政府がしてくれる」「政治がよくなれば」と、漠然と思ってる人もいる。
しかし、それでは何も変わらない。「チャンス、チャレンジだ」と言う。自分も変わる。自分を変えて、それで、チャンスもできる。
書きたいことは沢山ある。ともかく、心にグサッ、グサッと入る言葉ばかりだった。
今も、ボーッとしている。とてもいい話を聞いた、と思った。
とても感動的な話だった。
二次会でも、ずっと啓之さんに質問していた。次はぜひ、千葉か札幌の教会で話を聞きたいと思った。
それから一度家に帰ってから、南北線の洗足駅へ。目黒のそばだ。そこの小洒落たお店で、佐藤松男氏と会う。
6時に。福田恆存の一番弟子だ。『滅びゆく日本へ=福田恆存の言葉』を編集した人だ。恆存のことなら何でも知っている。実にいい本だったし、教えられた。
さらにこの日は「個人教授」をしてもらう。こちらは教えてもらってるのだから、払わなくてはならなかったのに、おごってもらった。申し訳ないです。
どうやって本を読むか、どうやって考えるか、いろいろと教えてもらった。
終わって、土風炉で飲む。
⑩15年ほど前、日本アナキスト連盟の機関紙「自由意志」で取材されました。その時の記者です。その後、新左翼に入ったり、いろいろあった。今は外国人労働者のための労働組合をやってます。山口さんです。私もアナキストの新聞に出たなんて、初めてですが、山口さんも批判されたそうです。「何で右翼なんかを出すんだ!」と。
⑪7月2日(土)。明治大学でシンポジウムに参加し、そのあとパーティ。7時頃終わり、それから渋谷へ。渋谷にできた「ロフト9」に出ました。参院選をどう考えるか、が中心でした。弁護士さん、香山リカさん、宮台真司さん、山本太郎さん、アーチャリー、私です。
⑮7月3日(日)江ノ島に行きました。完全に夏の海でした。本当に久しぶりでした。昔、「ここで泳いだな」「ここでサーフィンをした」と懐かしく思い出しました。新江ノ島水族館に入りました。とても大きく、立派になってました。
⑳「児玉神社」がありました。これは知りませんでした。乃木神社は赤坂にありますが、児玉神社はここにあるんですね。「日露戦争で日本を勝利に導いた救国の英雄・児玉源太郎(1852〜1906)をお祀りし、明治45年の創建以来、勝運の神として崇められてきました」と書かれています。
㉑7月6日(水)午後6時、洗足で佐藤松男さんと会いました。『滅びゆく日本へ=福田恆存の言葉』(河出書房新社)を編集した人です。これは大変な苦労だったと思います。おかげで、保守、保守主義のことがよく分かりました。福田恆存の理解が少し進みました。全集を読まなくちゃと思いました。とても勉強になりました。
㉒日本会議の田久保忠衛会長が〈日本会議への誹謗・曲解を正す〉と題した寄稿を「月刊Hanada」8月号に掲載。名指しで批判された『日本会議の研究』著者・菅野完氏がそれに反撃した『週刊朝日』7月15日号です。