2016/07/18 鈴木邦男

参院選。日本会議。そして『天皇家の掟』

①「楯の会」邦典氏の証言

産経新聞7/11(月)付
産経新聞7/11(月)付
大杉栄他の住居跡を訪ねて 大杉栄他の住居跡を訪ねて

参院選、自民党が圧勝でしたね。安倍自民の「一強多弱」傾向がさらに強まりました。

民進党は圧倒的劣勢の中、それでも頑張ったんですが、やはりダメでした。

他の野党は、もう完全にダメです。社民は党首までが落選。福島さんだけになりました。小さな野党は次々と生まれますが、大きくはならない。

流れは自民で、「改憲」なんでしょう。

ただ、今すぐはやらない。それに自分たちは「発議」するだけだ。決めるのは国民だ。と言ってます。

でも熱狂と喧騒の中で、改憲が発議されたら、投票する国民は冷静ではいられない。

都庁展望台から眺めて説明する 都庁展望台から眺めて説明する

トランプ現象で沸くアメリカ。一気にEU離脱を決めたイギリス。その例を見るまでもなく、「ナショナリズム」「国益」という言葉の前には、皆、ムードに呑まれてしまいます。

「これではダメだ。興奮状態の中で改憲されてしまっては大変だ」と、鳥越俊太郎さんは都知事選に急遽立候補しました。

70代後半、ガンの手術、というハンディにも負けず、立候補しました。これは立派です。

今年の5月に、札幌から帰る飛行機の中で、鳥越さんにバッタリ会いました。

その時、カバンの中から取り出したのが菅野完さんの『日本会議の研究』(扶桑社新書)でした。

あとは、ひたすら歩く。7/9(土) あとは、ひたすら歩く。7/9(土)

「これはもの凄く売れてますね。どこにもなくて。やっとのことで手に入れました。鈴木さんのことも出てましたね」と言う。

このままでは、改憲がやられる。何か分からないが、この不安・不明な状況を打破してくれるものとして、「改憲」が考えられている。

そんな、危険性を察知したのだと思います。

そして、しばらく、日本会議や改憲の話をしました。

昔、私は「生長の家」の学生運動をやっており、その頃の仲間たちが、ずっと運動を続けていて、今、日本会議を作っています。

「じゃ、皆、鈴木さんの後輩たちですか」。

「いや、でも私は、だらしがなく、無能だったんで、学生運動から追い出されたんですよ」という話になりました。

成子天神社を通って 成子天神社を通って

それは、菅野さんの本にも書かれています。又、最近出た青木理さんの『日本会議の正体』(平凡社新書)にも書かれています。

両方とも、もの凄く詳しいです。もう忘れていた学生時代のことも実にリアルに書かれています。

特に青木さんの本で驚いたんですが、「楯の会」一期生の伊藤邦典氏の証言でした。

今、日本会議の政策面での責任者となっている伊藤哲夫氏のことです。

彼が新潟大学の学生だった頃、「鈴木さんと私が2人で、哲夫氏のオルグに行った」という証言でした。

内村鑑三の今井館跡 内村鑑三の今井館跡

ウーン、忘れていた。新潟には、こんな優秀な学生がいるんだから、オルグして東京で活躍させよう、と私が思い、邦典氏と一緒に新潟まで行ったんだそうです。

そうだったのか。じゃ、日本会議の基礎作りにも貢献してたのか。

さらに、邦典氏を「楯の会」に入れたのも私です。

他にも、何人も入れてます。

三島の「楯の会」は、初めは、生学連や日学同の活動家からピックアップして入れてました。

そのうち『平凡パンチ』などのグラビアに取り上げられて、希望者が殺到し、何百人も申し込みがあって、面接試験をしてました。

でも、初期の一期生、二期生の頃は、生学連や日学同の中から見繕ってオルグしたのです。

大杉、最後の住居跡 大杉、最後の住居跡

私も、後々、「楯の会」がああいう組織になるとは思わず、気軽に紹介したのです。

きっと三島さんのファンクラブのようなもんだろう。あるいは勉強会かな。と思って、紹介しました。

生学連(生長の家の学生組織)に入ったまま、「楯の会」にも入ってたのです。

伊藤邦典氏は私と同じ生長の家学生道場に入っており、そこに「楯の会」初代学生長の持丸博氏が良く遊びに来てました。

ある日、伊藤邦典氏を紹介したら、あとで、「あの学生の眼がいい。『楯の会』にほしい」と言うのです。

鈴木宏三氏と伊藤邦典氏。7/8(金) 鈴木宏三氏と伊藤邦典氏。7/8(金)

それで、「じゃ、あげるよ」と言って、話はまとまりました。

邦典氏は神奈川大学の学生でした。そこは生学連の拠点校で、古賀、小賀…といった生学連の活動家が沢山いました。邦典氏はそれらの人も「楯の会」に誘います。

そして、この古賀、小賀両氏は、あの三島事件の時、三島、森田氏と共に防衛庁に行った2人です。

その意味では、邦典氏は三島事件のキーマンです。

この邦典氏を「楯の会」に入れ、さらに2人で新潟に行って、伊藤哲夫氏をオルグし、活動の中央に連れてきた。その人が、今、日本会議の政策の中心になっている。

遠い遠い昔の思い出のようですが、今も生きてるんですね。

菅野、青木両氏の本を読んでそう感じました。〈学生時代〉のことが再び甦ってきました。

②「天皇陛下の生前退位のご意向」

対談が終わって 対談が終わって

「天皇陛下生前退位のご意向」のニュースには驚きました。

山内昌之氏(東大名誉教授)は、「使命感へのこだわり」と言っていました。

大変責任感と義務感の強い方であり、それで老いにより、課せられた職務を全うできず、不十分な結果になることを何よりも恐れられたのだろうと言います。(産経新聞7月15日)。

ご公務が多く、それを全うできないことへのこだわりもあるのでしょう。

ただ、山内氏は、こうも言ってます。

「ご自分の課題への達成感や満足感による生前退位のご意向ではないか」と。

その後、「土風炉」で その後、「土風炉」で

これは、陛下は、我が国にとって大事な日を四つあげておられた。

広島・長崎への原爆投下、沖縄戦終結、そして終戦の日だ。

〈陛下は長年、先の大戦で犠牲になった人々を悼む慰霊の旅を続け、昨年はパラオ、今年はフィリピンを訪問された。戦後の歩みのなかで、海外で慰霊の旅を実現された達成感による退位のご意向であり、むしろ前向きにとらえるべきだ〉。

うーん、そうなのか。そこにメールだ。

宏三。邦男。邦典(60年前) 宏三。邦男。邦典(60年前)
〈そういえば、今回の天皇陛下のご意向のニュースを見て、久々に『天皇家の掟』を引っ張り出して再読してます。最後の章で、陛下ご自身による生前退位の可能性も想像しなければ、という話が出てきますが、やはりそうなりましたね〉

あれっ? 聞いたことのある本だ。あっ、私の本じゃないか。正確には佐藤由樹氏と私の共著だ。

『天皇家の掟=「皇室典範」を読む=』(祥伝社新書)だ。

本の帯にはこう書かれている。

〈人権のない御一家を弄んでいるのは国民だ!〉
「笑の内閣」でトーク。7/13(水) 「笑の内閣」でトーク。7/13(水)
〈「お世継ぎ問題」の核心となる法律(典範)を誰が、どう変えるつもりなのか!〉。

発行は2005年8月10日だ。もう11年前じゃないか。

これは、かなり勉強して、2人で書いた本だ。

「〈第8章〉日本国憲法と象徴天皇制」。ここで佐藤氏はこう書く。

〈また、皇族の方々を不自由にしているのは誰か、という問題を考えなければならない。戦後、象徴天皇制という制度で日本はなんとか機能してきたが、それは「象徴」というあいまいなものを国民が天皇に負わせている側面があるのではなかろうか。
 そして、象徴天皇制について議論する上で、「天皇がいなくなる日」を想像すべきではないだろうか。それは国民の側から天皇制をなくすということではなく、天皇が自らの意志でいなくなってしまう時のことである。もちろん現行の制度ではそんなことはありえないだろう。しかし、退位の自由がない天皇陛下の存在によって、象徴天皇制が成り立っている事実を意識すべきだろう〉。

③11年前は、こんな凄い本を書いていたのか!

アーチャリー。高間響さんと アーチャリー。高間響さんと

これは凄い。11年前に、今日あることを予言していたのだ。

佐藤氏はそれについて書き、私は、「あとがき」でこう述べている。

〈「天皇がいなくなる日」を想像すべきではないかと、佐藤氏は8章の最後で書いている。それは国民の側から天皇制をなくすということではなく、天皇が自らの意志でいなくなってしまう時のことだ、という。皇室のことを調べれば調べるほど、そのお仕事は大変であり、それを痛感したからこそ、佐藤氏はこうした結論というか不安を感じたのだろう。実は僕も同じことを考えていたので驚いた。
 「天皇制擁護」や「天皇制打倒」といったふうな論争が、かつてはあった。今は、「打倒論」はない。どうやったら続けられるか。何とか護っていこう。そのためには女帝を認めるか、旧宮家を皇族に戻すか。どちらにしても『皇室典範』を改正しなくてはならない。つまり、われわれが主体になっている話だ。われわれが傲慢にも天皇を守り、皇室の将来を考えていることになる。しかし、実は、天皇によって守られているのはわれわれのほうだ。このままでは、天皇のほうから愛想尽かしをされるかもしれない〉。
寅さん。高間さんと 寅さん。高間さんと

さらに、こうも書いた。

〈この本を読んでもらえばわかるが、僕らはあまりに多くのことを天皇に期待し、無理強いをしてきた。そのことを痛感する。今こそ、皇室と国民のよりよい関係を必死で考えるべきだろう。この本は、そのためのいい叩き台になると思う。僕にとってはハードな仕事だったが、知的冒険心に満ちた楽しい仕事になった〉。

目次を見て、本当にハードだったと思う。

世界の王室、日本の皇室の歴史。そして、今まで起こっている問題。あらゆることについて考えた。

たとえば、目次だ。

岡本太郎の傑作です 岡本太郎の傑作です
第1章 現代の皇室問題と『皇室典範』
第2章 『皇室典範』を読む
第3章 明治以前の皇位継承と八人十代の女帝
第4章 旧『皇室典範』の成立過程
第5章 現『皇室典範』の成立過程
第6章 海外の皇位継承
第7章 新『皇室典範』と皇位継承のゆくえ
第8章 日本国憲法と象徴天皇制

よく書いたもんだ。11年前は気力が充実してたんだろう。

それに佐藤由樹氏の問題提起がいい。

本の扉にはこう書かれている。

「言論テレビ」で花田紀凱さんと。7/14(木) 「言論テレビ」で花田紀凱さんと。7/14(木)
〈「女帝を認めるべきだ」「否、天皇は男系男子でなくてはならない」。皇位継承をめぐって百出する議論を眺めて著者・鈴木邦男は思う。それが善意や好意から出た愛国者による提言であっても、この過熱ぶりは当事者(天皇家)にとって、もはや〈脅迫〉ではないかと。〈日本人の生活感、家族観からかけ離れた旧態依然とした価値観を皇室だけには押しつけている〉(本文より)。そして、どの意見を採ろうと天皇・皇室を規定する法律『皇室典範』を改変しない限り、遠からず「天皇」は絶える。ならば、その『典範』とは何なのか。何が書かれているのか。いつ、どのように作られたのか…。本書は『皇室典範』とその歴史的背景を著者とともに読み解き、「天皇」の将来をさぐる。はたして、鈴木邦男氏の結論は?〉。

なかなか刺激的で、挑発的なメッセージだ。

又、私にも大いなる決意と覚悟が要求されたと思う。

【だいありー】

渡部恒雄さん。7/11(月)
渡部恒雄さん。7/11(月)
本間さん、渡部さん、鈴木 本間さん、渡部さん、鈴木
  1. 7月11日(月)椎野礼仁さんたちは今日から北朝鮮です。新しい情報が得られるでしょう。私も、しばらく行ってないので、行きたいですね。
     今日の新聞は、どこも「自民圧勝」の記事ばかりです。
     夜7時、一水会フォーラム。講師は渡部恒雄さん(東京財団政策研究ディレクター)。演題「トランプ現象のアメリカの深層を考える」。
     よくテレビで見る人だ。木村代表は顔が広い。どこで知り合ったのだろう。「初めまして」と名刺を出したら、「田原さんのパーティで会ってますよ」と言う。
質問する篠原さん 質問する篠原さん

お父さんが政治家の渡部恒三さんだ。「鈴木さんも会津出身でしょう。私もそうです。だから今日も会津のつながりで、ぜひ行かなくちゃと思ったんです」と言う。ありがたい話です。「この前も会津若松で講演してきたばかりです」と言いました。

二次会でも、ずっと会津の話をしてました。

  1. 7月12日(火)午前中、原稿。
     午後、取材。
     7時、「ザ・ニュースペーパー」を見る。面白かった。神谷明さんにも久しぶりに会った。
二次会で 二次会で
  1. 7月13日(水)午前中、原稿。
     午後、図書館。
     7時、駒場東大前のアゴラ劇場。「笑の内閣」の芝居を見る。「ただしヤクザを除く」。差別、人権、暴力…をめぐっての強烈な風刺劇だった。面白かった。
     終わって、高間響さん、私。それから松本麗華さん(=アーチャリー)の3人でトーク。
     そのあと、打ち上げにも参加する。
「ザ・ニュースペーパー」を見た。7/12(火) 「ザ・ニュースペーパー」を見た。7/12(火)
  1. 7月14日(木)午前11時、打ち合わせ。
     午後から河合塾コスモ。夏休みで授業はないが、自習室で勉強。
     午後5時、青山。「言論テレビ」に出る。「月刊Hanada」の花田紀凱さんと対談。「日本会議について」。
  2. 7月15日(金)午前中、原稿。
     午後1時半、現代書館。保阪正康さんと対談。とても勉強になります。戦争のこと、三島由紀夫のこと、運動のことを話す。
     夜、家に帰って仕事。
声優の神谷明さんと 声優の神谷明さんと
     
  1. 7月16日(土)午前中、原稿。
     午後2時、新宿。打ち合わせ。
     午後6時、三軒茶屋。「せたがやボロじゆうくⅡ」で、講演とシンポジウム。テーマは「鈴木邦男さん、あなたは右ですか、左ですか」。
     講演のあと、シンポジウム。場所は世田谷ボランティアセンター。なかなか、楽しかったです。
  2. 7月17日(日)朝7時の新幹線で姫路へ。午前10時50分、姫路着。飛松さんと岩井さんたちが出迎えてくれる。それから食事。
     午後2時「飛松塾」。テーマは「国政を斬る!」。参院選が終わったばかりの日本をどう見るか。飛松五男さん、私が話し、八幡愛さんが話す。姫路じばさんビル4F。
     終わって、近くの居酒屋で打ち上げ会。
     最終の新幹線で帰りました。
八景島シーパラダイス。7/10(日)
八景島シーパラダイス。7/10(日)
ペンギンです
ペンギンです
クラゲです
クラゲです
魚と映像のコラボです
魚と映像のコラボです
氷川丸を見ました
氷川丸を見ました

【写真説明】

産経新聞7/11(月)付

①参院選の翌日の産経新聞です。7月11日(月)付です。全紙、安倍さんの笑ってる写真が一面です。でも産経だけは笑顔がちょっと不気味です。

大杉栄他の住居跡を訪ねて

②投票の前日、7月9日(土)。「初期社会主義研究会・7月例会」。「大杉栄ほかの住居跡を訪ねて」に参加しました。新宿・大久保地区をひたすら歩き回ります。ここは昔は、「豊多摩郡淀橋町角筈・柏木/大久保村(町)、大久保百人町です。昔の地図と今の地図を持って、歩きます。

都庁展望台から眺めて説明する

③初めに都庁展望台に昇り、そこから、大まかな説明を受けます。案内し、解説してくれるのは手塚登士雄さん(エスペランティスト)です。私の近くの新宿に、こんなに多くの社会主義者、アナキストが住んでいたとは驚きです。

あとは、ひたすら歩く。7/9(土)

④あとは、ひたすら歩き、地図を見、説明を聞きます。

成子天神社を通って

⑤成子天神社を通りました。

内村鑑三の今井館跡

⑥内村鑑三が聖書講義をした今井館跡です。無教会主義なので教会は持ちませんでしたが、場所を借りて、聖書講義はしてました。

大杉、最後の住居跡

⑦大杉は50回も転居してたそうです。新宿だけでも、10回以上、引っ越してます。町を歩いていて、少しでも安いとこがあると、その日のうちに大八車に荷物を積んで、引っ越したそうです。ここは、最後の住居跡です。今の北新宿1の16です。ここに住んでた時に逮捕され、二度と戻ることはありませんでした。家の塀には、幸福実現党、公明党、日本共産党、社民党などの選挙ポスターが所狭しと貼られてました。ここの元住人を知ってるんでしょうかね。

鈴木宏三氏と伊藤邦典氏。7/8(金)

⑧伊藤邦典氏(「楯の会」一期生)と対談しました。『紙の爆弾』で。そこに私の弟の宏三氏も参加しました。宏三氏の『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』(彩流社)を読んで、邦典氏が、「ぜひ話しをしたい。実は…」と言ったのです。どうだったのか。そんな計画もあったのかと、驚きました。
 邦典氏は青木理さんの『日本会議の正体』(平凡社新書)の中でも取材を受けてました。日本会議の政策責任者の伊藤哲夫氏を、「鈴木さんと二人で新潟まで行ってオルグした」と言ってます。私なんて全く忘れてました。全国学協を追われた時は、私は暴れて、邦典氏を壇上から突き落としたことがあります。「あの時は、ゴメン」と謝りました。こんな貴重な証言をしてくれたんです。

伊藤邦典氏(「楯の会」一期生)

⑨伊藤邦典氏は「楯の会」一期生です。実は、「生長の家学生道場」にいた邦典氏を「楯の会」に紹介したのは私です。私は、ボーッとしていて無能で、やる気がない、リーダーだったので、全国学協の委員長をすぐクビになったと思ってました。ところが、邦典氏の話によると、哲夫氏のオルグだけでなく、全国をオルグし、優秀な人材をピックアップし、いろいろ考えていたんじゃなですか。

対談が終わって

⑩7月8日(金)の対談が終わって。ギャラリーが多いですね。邦典氏を見たい。弟も見たい。という人が、この対談を見たかったのでしょう。

その後、「土風炉」で

⑪その後、「土風炉」に行き、飲みました。

宏三。邦男。邦典(60年前)

⑫実は、伊藤邦典氏とは60年以上前からの知り合いです。邦典氏のお父さんは「生長の家」の地方講師で、私の母が病を治してもらい、私もとてもお世話になりました。もう60年以上、昔ですね。その頃の写真です。
 右の父母が邦典氏のお父さんお母さんです。写真前列。左は弟。私。邦典氏です。私はクマか猫のお面をかぶってます。後列、左は私の姉です。そして邦典氏の父母です。お母さんが抱いているのは、邦典氏の弟で邦明氏です。それにしても、私は何を食べてるんでしょう。リンゴかな。

渡部恒雄さん。7/11(月)

⑬7月11日(月)一水会フォーラムに講師として来てくれた渡部恒雄さんです。

本間さん、渡部さん、鈴木

⑭福島市で病院をやっている本間さん。会津出身の渡部さん。母が会津の鈴木。福島の3人です。

質問する篠原さん

⑮元全学連の篠原さんが発言してました。60年安保の全学連委員長・唐牛健太郎は、田中清玄から金をもらって岸を倒そうとした。田中は会津だし、その力を借りて長州の岸を討とうとしたんだ、と。

二次会で

⑯二次会で。渡部さんと。

八景島シーパラダイス。7/10(日)

⑰7月10日(日)、朝、投票に行き、仕事で横浜へ。そのあと、時間があったので、八景島シーパラダイスに行きました。巨大な水槽があり、魚がリアルに見えます。

ペンギンです

⑱ペンギンが泳いでます。下から見えます。

クラゲです

⑲いろんなクラゲがいました。これは、タコクラゲです。

魚と映像のコラボです

⑳光の映像や、いろんなものとのコラボで魅せます。

氷川丸を見ました

㉑そのあと、山下公園に行き、港に行きました。氷川丸が繋がれています。中に入って見ることができます。ここで昔、野村秋介さんの講演会をやったことがありました。懐かしく思い出しました。

「ザ・ニュースペーパー」を見た。7/12(火)

㉒7月12日(火)「ザ・ニュースペーパー」の公演を見ました。銀座博品館で。そのあと、渡部又兵衛さんたちに挨拶しました。

声優の神谷明さんと

㉓声優の神谷明さんにも会いました。文化放送に私が出てた時は、よく会ってましたが…。久しぶりに会い、嬉しかったです。

「笑の内閣」でトーク。7/13(水)

㉔7月13日(水)。「笑の内閣」のお芝居を見ました。駒場東大前のアゴラ劇場で。高間響作・演出の「ただしヤクザを除く」。暴対法、暴排条例などを皮肉った芝居です。日本国憲法では、第14条に「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と書かれている。
 しかし、暗に、「ただしヤクザを除く」と書かれているのではないか。そう告発しています。とても面白いし、思想的な演劇でした。終わって、高間響さんと私のトークがありました。そこにアーチャリーも特別参加して、体験を語ってくれました。

アーチャリー。高間響さんと

㉕アーチャリー、高間響さんと。

寅さん。高間さんと

㉖杉山寅次郎さん、高間響さんと。

岡本太郎の傑作です

㉗アゴラ劇場は、井の頭線の駒場東大前にあります。渋谷から井の頭線に乗り換える通路の壁には大きな絵が描かれています。岡本太郎です。

「言論テレビ」で花田紀凱さんと。7/14(木)

㉘7月14日(木)午後5時から、「言論テレビ」に出ました。「月刊Hanada」の花田紀凱さんと一緒に。「日本会議」について話をしました。

【お知らせ】

  1. 7月23日(土)午後2時、エル大阪。「和歌山カレー事件を考える集会」。
  2. 7月27日(水)午後7時。学び舎遊人。「対論!考・安保法制」。〈日本は今、全体主義へと向かっているのか?〉「明治維新、敗戦のパースペクティブから考える」。登壇者、作曲家の新実徳英さん。ゲストは宗教学者の島薗進さん。予約・お問い合わせは、ユージンプランニング。03(3239)1906。
  3. 7月30日(土)午後1時より、阿佐ヶ谷ロフト。「鈴木邦男生誕祭」です。
  4. 8月10日(水)一水会フォーラム。午後7時。ホテルサンルート高田馬場。講師は長谷川熙さん(評論家・元朝日新聞)。「朝日新聞のここが問題なんだ」。
  5. 8月27日(土)円より子さんの「女性のための政治スクール」で講演します。星陵会館1FのE会議室です。
  6. 9月11日(日)渋谷のアップリンクで、映画「望むのは死刑ですか」の特別上映が決まりました。2回です。そのあと、長塚洋監督と私のトークがあります。
  7. 9月17日(土)午後1時より、新発田市生涯学習センター。「大杉栄メモリアル」。ゲスト・福島泰樹(絶叫歌人。僧侶)。私も参加します。
  8. 10月15日(土)13:00〜。〈没後25年。竹中労追悼会。「戒厳令の夜」特別試写会と竹中労を偲ぶトークのつどい〉。
    会場・甲府市中央1-1-7 桜座。
    主催・竹中英太郎記念館。
    (第2部のトークには私も出る予定です。他に豪華ゲストも内定しています)