今年も7月30日(土)に、行われました。「鈴木邦男生誕100年祭」です。
もう6年くらいやってますが、ずっと100年祭です。毎年やってるのに。これ以上は年を取らないんですね。
本当は8月2日が誕生日なんですが、その近くの土曜か日曜にやってます。
初めは単なる「誕生日会」だったんですが、今では、思想的、文化的な 趣も加わり、楽しい、ドキドキするものになってます。
今回は3部構成で、その一つ一つを、女性が司会し、リードします。全体のプロデュースは椎野礼仁さんです。
午後1時に始まり、各部は1時間ほど。4時過ぎに終わる。全体のトーク、サイン会などがあり、5時から阿佐ヶ谷の白木屋で二次会でした。
今、二次会の時の写真を見てますが、60人ほどがいます。第1部で帰った人も多かったのですから、かなりの人が残って二次会に参加してくれました。
「生誕祭」の第1部は、「鈴木兄弟がガチの初対談。『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』(彩流社)を書いた私の弟が出てきました。
司会は、滝澤蛇子さん。三島作品は膨大な量を読んでます。
第2部は、最近、『原発プロパガンタ』(岩波新書)を書いた本間龍さん。それに、元拉致被害者家族会事務局長の蓮池透さん。
蓮池さんは元福島第1原発に勤めていました。司会は晴山生菜さん。
第3部は、「鈴木邦男とガールフレンズ」。司会は、松本麗華さん(アーチャリー)です。
PANTAさん、飛松さん、八幡さんは、ここで登場。
この三つの構成で一番楽しみ、勉強になったのは私でした。
昔は、こういうものを書いていた。昔は、こんなことをしていました。
第1部では、最近の「日本会議ブーム」にちょっと触れました。
これは40年ほど昔の学生運動の仲間たちの物語です。
一緒に運動をした人です。
その後も残り、運動を続け、日本会議として成功したのです。
心理学では、自分の歴史の中で、一番厳し鍛えられたものを、何とか、「忘れたい。無視したい」という気持ちはあります。
午後5時からの二次会の時には、随分と集まりました。生誕祭が終わって考えてみたのですが、今年は、「生長の家」の話が多かったと思いました。
大学時代は「生長の家学生道場」にいたし。全国から35名の大学生が集まってました。
勉強、修行の場であると同時に、運動の中心地でもありました。
生長の家の谷口雅春先生にも月に一度、ご自宅で、お話を聞く会がありました。
これは学生道場生にだけ認められた特権でした。
又、大学生の組織(=生学連)に入り、そこの書記長になり、全国を飛び回りました。
さらに、生学連を中心にして、全国の民族派学生をまとめる組織(=全国学協)が作られ、私は初代の委員長になりました。
でも、それから1ヶ月で、私は「無能」であることが分かり、追放されました。
そして、一旦は、故郷の仙台に帰り、本屋の店員をしていた。
70年に縁があって産経新聞に入社。もうそれからは「運動の世界」に戻ることはない、と思っていたのに、その年、11月に三島事件が起こる。
昔の仲間たちと会い、72年に一水会を作る。
そして再び、「運動の世界」に戻されました。
一度は、運動の世界から追放され、自分でも、もう戻ることはないと思って産経新聞に入ったはずなのに、とても奇妙な話でした。
自分では、嫌なことは避けよう、忘れようと思っていたのに、あの事件がずっと尾を引いていたのでしょう。
悔しさもあったし、このまま終わったらいけないという思いもあった。
又、事件からしばらく経って、谷口雅春先生が〈内ゲバ〉を悲しみ、「やまと新聞」に書かれていました。
この中で、私のことを「日本の国士と言われる人になるでしょう」書いておられました。
涙がこぼれました。無能で、ダメなリーダーだったので、追放されただけなのに、そんな思いを持っていて下さったのか…と。
そういえば、今でも、谷口先生のおかげで生かされていると思います。
「生命の実相」の40巻は、10年に1度ずつ読み直しています。
又、キツイ時や、大変な時があると、いつも「生長の家」の教えが私を救ってくれました。
それなのに、何もしていない。感謝の気持ちも伝えてない、と思いました。
7月30日(土)の生誕祭で、あっ、谷口先生の教えが基になって生きてこれたんだ、と思いました。
そして、何故か、急に「生長の家」の世界へと引き戻されたのです。
翌、7月31日(日)は、新日本美術展に絵を見に行きました。元衆議院議員の井脇ノブ子さんが絵を出展していたからです。
久しぶりに会って話をしていたら、「今、日本会議がヤケに取り上げられてるね」という話になりました。
あれっ? 井脇さんは日本会議に入ってたんだよね、と聞きました。
国会議員として、日本会議の先頭を走っていたのです。
「でも、ある事件があって、やめたんや」と言ってました。
その前には、生長の家です。元々、生学連の運動をしてたのです。
そうか。私が全国をオルグして、井脇さんを大学の「自治会選挙に出ろ!」と言ったのだ。
そして当選。1969年の全国学協結成大会の時は、副委員長だった。
「鈴木さんは委員長だったんやね」と井脇さん。
でもすぐ、クビになってしまった。
書記長は安東氏。執行委員には椛島氏、高橋氏、衛藤氏(現・国会議員)。
今は、議員、大学教授になった人が沢山います。優秀な人たちが集まっていたんです。
「そうだ、明日、長崎の生長の家総本山に行って、谷口雅春先生のお墓にお参りに行くんですよ」と言いました。
昔の生長の家の仲間が、誘ってくれました。
「鈴木さんは、谷口先生に一番お世話になり、信じてもらったんでしょう。ちゃんとお墓参りに行って感謝しないと」と言われたのです。
その通りだなと思って、8月1日、長崎に行きました。
生長の家総本山はもの凄く広いのです。そこに、錬成道場や神社などがあります。
後に谷口先生のお墓も造られました。
広い、大きな山一帯が全部「生長の家」です。
学生時代、私は何度も来ました。
「献労錬成」と言って、道場を造るために働くのです。土を運んだり、木材を運んだりして、一日中、働くのです。そして夜は講義です。それが「献労錬成」です。
お金を払って、働かせてもらうのです。これは宗教でなくては味わえません。
その献労の甲斐あって、壮大な建物ができ、それを見たのは、今回が初めてです。本当に感動でした。
「生長の家」が直に私の体の中に住みつき、いかに影響を与えていたか、を実感しました。
翌、8月2日は、長崎に来たついでですので、軍艦島を見ました。
九州では今、一番の人気ツアーです。
軍艦に似た島です。昔は石炭が採れて、日本の産業を支えたものでした。
ところが今は廃坑になり、島全体も廃墟になっています。
学校も全ては朽ち果てています。どんどん崩壊が進んでいます。
でも、世界遺産になりましたし、岸壁を補強し、道路にしたり、見学できる道だけは、しっかりと造ったのです。
それで「軍艦島ツアー」ができることになりました。
私は、軍艦島のDVDも持ってますし、ぜひ一度、行ってみたいと思ってました。
でも見物客が殺到しています。船の会社は5つくらいあり、各々、募集しています。全国から予約を入れて、来てるんです。
地元の人が予約して、特別に取ってくれました。感動です。日本の産業革命の歴史を見ました。
このまま崩壊が進むと、島に上陸することもできなくなるでしょう。それは、今年かもしれませんと、案内の人は言います。いい時に来ました。
それから、何と、この日、長崎大学を案内してもらいました。
生長の家の学生たちが左翼学生と闘い、自治会を奪還した大学です。
毎日毎日、過酷な闘いが繰り返され、私もオルグとして10回近くも来ています。
でも運動から追放されてからは来たのは初めてです。とても懐かしかったです。
昔の殺伐とした雰囲気は全くありません。自由に中に入れました。
立て看板も、ビラもありません。マイクでアジっている学生もいません。
ここが教養学部か、ここが学生会館か、ここで、左翼の学生と殴り合いをしたな。…と思い出しました。
長崎大学の学生たちは、本当に命がけで闘ってました。
その時の闘いの体験、そして、ノウハウがあったので、生学連、全国学協ができ、さらに、日本会議まで進んで行ったのです。
必死に闘った学生たちの努力の賜物です。
さらに、平和公園、浦上天主堂、出島跡…などを見ました。
とても感動的な旅でした。
「日本会議」ができた頃は、私はもう追放されていたので、そこには参加していません。
でも「生長の家」の信仰、教えは持っいてるつもりです。
生長の家の昔の仲間や右派学生出身者からは、私は「裏切り者」であり、「脱落者」なんでしょう。そう思ってました。
ところが、青木理さんの『日本会議の正体』(平凡社新書)を読むと、昔の仲間の伊藤邦典氏が証言してました。
「鈴木さんと一緒に新潟に行って伊藤哲夫さんをオルグした」と。
哲夫氏は今、日本会議で一番の政策通です。その人を私が目をつけ、オルグしたのか。
他にも、生学連、全国学協を作りますが、かなり頑張ったことが知られると、「あれれ、ただの落ちこぼれで、無能なリーダーだったから、組織を追放されたと思ってたのiに」。
いえいえ、そんなことはありません、と邦典氏は言います。
私が追われた時は、全国学協の大会でもめて、乱闘になる。
止めに入った邦典氏を怒りに駆られて、壇上から突き落としたこともありました。
これを思い出し、「あの時はゴメン」と謝りました。
井脇ノブ子さんは副委員長だ。でも、争いの時は随分と心配してくれました。
でも、私が無能だったために、皆の期待に応えられなかったのです。
でも谷口先生は、「国士になる」と言って下さいました。
又、「ただの裏切り者」と皆は思ってるだろうと言ったら、石川県の布君は、「いや、左翼や、オウムと付き合って、必死で対話を探している姿勢こそ、万教帰一ですよ」と言ってくれました。
生長の家では、全ての宗教を認め、正しい宗教は皆、頂上(目指すもの)は同じだ。ただ登る道が違うだけだ、と言っていた。
そういう寛容な気持ちがるので、今、日本会議の人たちも巨大な宗教をまとめて、一つの方向に持っていくことができるのでしょう。
その「万教帰一」は、宗教だけでなく、左翼や、他の政治党派にも言える。石川県の布氏は言うのです。
これには感動しました。いつかは、これらについて、まとめて書いてみたいと思います。
石川県には、生長の家学生道場の時に、お世話になった。大森道場長ご夫妻のお墓があります。亡くなってから一時も行ってません。本当に、恩知らずの私です。人間としての基本的な感情がないのでしょう。
その反省も込めて、ぜひ、行きたいと思います。
長崎に行って谷口先生のお墓にお参りをし、復元された家や記念館も見ました。
「温故資料館」でも、ゆっくりといろんな資料を見ることができました。
私を見捨てずに、迎え入れてくれた昔の仲間の人たちにも感謝したいです。
ありがとうございました。
③第1部は〈『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』を巡って。鈴木兄弟がガチの初対決〉。弟の宏三氏(山形大学名誉教授。『三島由紀夫 「幻の皇居突入計画」』(彩流社)著者)と私が対決しました。司会は瀧沢蛇子さんです。
④第2部は、原発と拉致です。『原発プロバガンダ』(岩波書店)の著者・本間龍氏(作家・元博報堂社員)。それに、蓮池透さん(元拉致被害者家族会事務局長。元東京電力福島第1原発に関係)。司会は晴山生菜さん(皓星社・『放射線像』を編集)。
⑧第3部。鈴木邦男とガールフレンズ。大活躍している女性たちを紹介します。松本麗華さん。あべあゆみさんがいます。なぜか、PANTAさんもいます。司会は「週刊金曜日」の赤岩友香さんです。1〜3部の司会は全て、知性的で美しい女性です。瀧沢さん。晴山さん。赤岩さんと。凄いですね。
⑳翌、7月31日(日)新日本美術展に行ってきました。浅草でやっました。元衆議院議員の井脇ノブ子さんも絵を出品してました。後ろのペン画がそうです。なかなかのものです。井脇さんは、以前と同じく、ピンクのスーツでした。
㉑翌、8月1日(月)は、早朝の飛行機で長崎に行きました。「生長の家総本山」に行ったのです。壮大なところです。もう町でしょう。神社、錬成道場、記念館などがあります。お宮には、「宇宙浄化」と書かれてました。壮大です。
㉚「龍馬の顔が浮かぶコーヒーがある」とネットで見て、訪ねました。ラテ・アートというんだそうです。コーヒーの上に、ミルクやチョコレートで絵を描くんです。これは龍馬ですね。龍馬は長崎にはよく来てたんです。亀山社中もあったし。その写真は、次週に。銅像もあるんですよ。