2016/08/08 鈴木邦男

生誕100年祭。そして長崎へ

①3部構成で盛大に

「鈴木邦男生誕100年祭」7/30(土)
「鈴木邦男生誕100年祭」7/30(土)
第1部「鈴木兄弟のガチ対決」
第1部「鈴木兄弟のガチ対決」
第2部「原発と拉致」
第2部「原発と拉致」
司会の晴山生菜さん
司会の晴山生菜さん
阿佐ヶ谷ロフトでは、こんな看板が 阿佐ヶ谷ロフトでは、こんな看板が

今年も7月30日(土)に、行われました。「鈴木邦男生誕100年祭」です。

もう6年くらいやってますが、ずっと100年祭です。毎年やってるのに。これ以上は年を取らないんですね。

本当は8月2日が誕生日なんですが、その近くの土曜か日曜にやってます。

初めは単なる「誕生日会」だったんですが、今では、思想的、文化的な 趣も加わり、楽しい、ドキドキするものになってます。

今回は3部構成で、その一つ一つを、女性が司会し、リードします。全体のプロデュースは椎野礼仁さんです。

午後1時に始まり、各部は1時間ほど。4時過ぎに終わる。全体のトーク、サイン会などがあり、5時から阿佐ヶ谷の白木屋で二次会でした。

本間龍さん 本間龍さん

今、二次会の時の写真を見てますが、60人ほどがいます。第1部で帰った人も多かったのですから、かなりの人が残って二次会に参加してくれました。

「生誕祭」の第1部は、「鈴木兄弟がガチの初対談。『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』(彩流社)を書いた私の弟が出てきました。

司会は、滝澤蛇子さん。三島作品は膨大な量を読んでます。

第2部は、最近、『原発プロパガンタ』(岩波新書)を書いた本間龍さん。それに、元拉致被害者家族会事務局長の蓮池透さん。

蓮池さんは元福島第1原発に勤めていました。司会は晴山生菜さん。

蓮池透さん 蓮池透さん

第3部は、「鈴木邦男とガールフレンズ」。司会は、松本麗華さん(アーチャリー)です。

PANTAさん、飛松さん、八幡さんは、ここで登場。

この三つの構成で一番楽しみ、勉強になったのは私でした。

昔は、こういうものを書いていた。昔は、こんなことをしていました。

第1部では、最近の「日本会議ブーム」にちょっと触れました。

これは40年ほど昔の学生運動の仲間たちの物語です。

一緒に運動をした人です。

その後も残り、運動を続け、日本会議として成功したのです。

第3部「鈴木とガールフレンズ」 第3部「鈴木とガールフレンズ」

心理学では、自分の歴史の中で、一番厳し鍛えられたものを、何とか、「忘れたい。無視したい」という気持ちはあります。

午後5時からの二次会の時には、随分と集まりました。生誕祭が終わって考えてみたのですが、今年は、「生長の家」の話が多かったと思いました。

大学時代は「生長の家学生道場」にいたし。全国から35名の大学生が集まってました。

勉強、修行の場であると同時に、運動の中心地でもありました。

生長の家の谷口雅春先生にも月に一度、ご自宅で、お話を聞く会がありました。

松本麗華さん 松本麗華さん

これは学生道場生にだけ認められた特権でした。

又、大学生の組織(=生学連)に入り、そこの書記長になり、全国を飛び回りました。

さらに、生学連を中心にして、全国の民族派学生をまとめる組織(=全国学協)が作られ、私は初代の委員長になりました。

でも、それから1ヶ月で、私は「無能」であることが分かり、追放されました。

そして、一旦は、故郷の仙台に帰り、本屋の店員をしていた。

70年に縁があって産経新聞に入社。もうそれからは「運動の世界」に戻ることはない、と思っていたのに、その年、11月に三島事件が起こる。

昔の仲間たちと会い、72年に一水会を作る。

そして再び、「運動の世界」に戻されました。

②翌日は、昔の同志・井脇さんに会いました

あべあゆみさん あべあゆみさん

一度は、運動の世界から追放され、自分でも、もう戻ることはないと思って産経新聞に入ったはずなのに、とても奇妙な話でした。

自分では、嫌なことは避けよう、忘れようと思っていたのに、あの事件がずっと尾を引いていたのでしょう。

悔しさもあったし、このまま終わったらいけないという思いもあった。

又、事件からしばらく経って、谷口雅春先生が〈内ゲバ〉を悲しみ、「やまと新聞」に書かれていました。

この中で、私のことを「日本の国士と言われる人になるでしょう」書いておられました。

涙がこぼれました。無能で、ダメなリーダーだったので、追放されただけなのに、そんな思いを持っていて下さったのか…と。

飛松さんと愛ちゃんも特別参加 飛松さんと愛ちゃんも特別参加

そういえば、今でも、谷口先生のおかげで生かされていると思います。

「生命の実相」の40巻は、10年に1度ずつ読み直しています。

又、キツイ時や、大変な時があると、いつも「生長の家」の教えが私を救ってくれました。

それなのに、何もしていない。感謝の気持ちも伝えてない、と思いました。

7月30日(土)の生誕祭で、あっ、谷口先生の教えが基になって生きてこれたんだ、と思いました。

そして、何故か、急に「生長の家」の世界へと引き戻されたのです。

PANTAさん(左)も参加して PANTAさん(左)も参加して

翌、7月31日(日)は、新日本美術展に絵を見に行きました。元衆議院議員の井脇ノブ子さんが絵を出展していたからです。

久しぶりに会って話をしていたら、「今、日本会議がヤケに取り上げられてるね」という話になりました。

あれっ? 井脇さんは日本会議に入ってたんだよね、と聞きました。

国会議員として、日本会議の先頭を走っていたのです。

「でも、ある事件があって、やめたんや」と言ってました。

その前には、生長の家です。元々、生学連の運動をしてたのです。

ケーキもローソクを吹き消してます ケーキもローソクを吹き消してます

そうか。私が全国をオルグして、井脇さんを大学の「自治会選挙に出ろ!」と言ったのだ。

そして当選。1969年の全国学協結成大会の時は、副委員長だった。

「鈴木さんは委員長だったんやね」と井脇さん。

でもすぐ、クビになってしまった。

書記長は安東氏。執行委員には椛島氏、高橋氏、衛藤氏(現・国会議員)。

今は、議員、大学教授になった人が沢山います。優秀な人たちが集まっていたんです。

皆さんにご挨拶 皆さんにご挨拶

「そうだ、明日、長崎の生長の家総本山に行って、谷口雅春先生のお墓にお参りに行くんですよ」と言いました。

昔の生長の家の仲間が、誘ってくれました。

「鈴木さんは、谷口先生に一番お世話になり、信じてもらったんでしょう。ちゃんとお墓参りに行って感謝しないと」と言われたのです。

その通りだなと思って、8月1日、長崎に行きました。

生長の家総本山はもの凄く広いのです。そこに、錬成道場や神社などがあります。

後に谷口先生のお墓も造られました。

広い、大きな山一帯が全部「生長の家」です。

学生時代、私は何度も来ました。

美女軍団と 美女軍団と

「献労錬成」と言って、道場を造るために働くのです。土を運んだり、木材を運んだりして、一日中、働くのです。そして夜は講義です。それが「献労錬成」です。

お金を払って、働かせてもらうのです。これは宗教でなくては味わえません。

その献労の甲斐あって、壮大な建物ができ、それを見たのは、今回が初めてです。本当に感動でした。

「生長の家」が直に私の体の中に住みつき、いかに影響を与えていたか、を実感しました。

③そして、〈聖地〉長崎へ帰りました

これは二次会です これは二次会です

翌、8月2日は、長崎に来たついでですので、軍艦島を見ました。

九州では今、一番の人気ツアーです。

軍艦に似た島です。昔は石炭が採れて、日本の産業を支えたものでした。

ところが今は廃坑になり、島全体も廃墟になっています。

学校も全ては朽ち果てています。どんどん崩壊が進んでいます。

でも、世界遺産になりましたし、岸壁を補強し、道路にしたり、見学できる道だけは、しっかりと造ったのです。

やはり二次会で やはり二次会で

それで「軍艦島ツアー」ができることになりました。

私は、軍艦島のDVDも持ってますし、ぜひ一度、行ってみたいと思ってました。

でも見物客が殺到しています。船の会社は5つくらいあり、各々、募集しています。全国から予約を入れて、来てるんです。

地元の人が予約して、特別に取ってくれました。感動です。日本の産業革命の歴史を見ました。

このまま崩壊が進むと、島に上陸することもできなくなるでしょう。それは、今年かもしれませんと、案内の人は言います。いい時に来ました。

二次会が終わって、店の前で 二次会が終わって、店の前で

それから、何と、この日、長崎大学を案内してもらいました。

生長の家の学生たちが左翼学生と闘い、自治会を奪還した大学です。

毎日毎日、過酷な闘いが繰り返され、私もオルグとして10回近くも来ています。

でも運動から追放されてからは来たのは初めてです。とても懐かしかったです。

昔の殺伐とした雰囲気は全くありません。自由に中に入れました。

立て看板も、ビラもありません。マイクでアジっている学生もいません。

ここが教養学部か、ここが学生会館か、ここで、左翼の学生と殴り合いをしたな。…と思い出しました。

長崎大学の学生たちは、本当に命がけで闘ってました。

同じ時計を持ってる人が… 同じ時計を持ってる人が…

その時の闘いの体験、そして、ノウハウがあったので、生学連、全国学協ができ、さらに、日本会議まで進んで行ったのです。

必死に闘った学生たちの努力の賜物です。

さらに、平和公園、浦上天主堂、出島跡…などを見ました。

とても感動的な旅でした。

「日本会議」ができた頃は、私はもう追放されていたので、そこには参加していません。

でも「生長の家」の信仰、教えは持っいてるつもりです。

生長の家の昔の仲間や右派学生出身者からは、私は「裏切り者」であり、「脱落者」なんでしょう。そう思ってました。

④幸せな聖地巡りでした

井脇ノブ子さんと。7/31(日) 井脇ノブ子さんと。7/31(日)

ところが、青木理さんの『日本会議の正体』(平凡社新書)を読むと、昔の仲間の伊藤邦典氏が証言してました。

「鈴木さんと一緒に新潟に行って伊藤哲夫さんをオルグした」と。

哲夫氏は今、日本会議で一番の政策通です。その人を私が目をつけ、オルグしたのか。

他にも、生学連、全国学協を作りますが、かなり頑張ったことが知られると、「あれれ、ただの落ちこぼれで、無能なリーダーだったから、組織を追放されたと思ってたのiに」。

いえいえ、そんなことはありません、と邦典氏は言います。

私が追われた時は、全国学協の大会でもめて、乱闘になる。

長崎の「生長の家総本山」で 長崎の「生長の家総本山」で

止めに入った邦典氏を怒りに駆られて、壇上から突き落としたこともありました。

これを思い出し、「あの時はゴメン」と謝りました。

井脇ノブ子さんは副委員長だ。でも、争いの時は随分と心配してくれました。

でも、私が無能だったために、皆の期待に応えられなかったのです。

でも谷口先生は、「国士になる」と言って下さいました。

又、「ただの裏切り者」と皆は思ってるだろうと言ったら、石川県の布君は、「いや、左翼や、オウムと付き合って、必死で対話を探している姿勢こそ、万教帰一ですよ」と言ってくれました。

谷口雅春先生のお墓で 谷口雅春先生のお墓で

生長の家では、全ての宗教を認め、正しい宗教は皆、頂上(目指すもの)は同じだ。ただ登る道が違うだけだ、と言っていた。

そういう寛容な気持ちがるので、今、日本会議の人たちも巨大な宗教をまとめて、一つの方向に持っていくことができるのでしょう。

その「万教帰一」は、宗教だけでなく、左翼や、他の政治党派にも言える。石川県の布氏は言うのです。

これには感動しました。いつかは、これらについて、まとめて書いてみたいと思います。

石川県には、生長の家学生道場の時に、お世話になった。大森道場長ご夫妻のお墓があります。亡くなってから一時も行ってません。本当に、恩知らずの私です。人間としての基本的な感情がないのでしょう。

その反省も込めて、ぜひ、行きたいと思います。

長崎に行って谷口先生のお墓にお参りをし、復元された家や記念館も見ました。

「温故資料館」でも、ゆっくりといろんな資料を見ることができました。

私を見捨てずに、迎え入れてくれた昔の仲間の人たちにも感謝したいです。

ありがとうございました。

先生が若い頃、住んでいた家が復元されて
先生が若い頃、住んでいた家が復元されて
軍艦島です
軍艦島です
上陸すると廃墟でした
上陸すると廃墟でした

【だいありー】

「出島」跡です
「出島」跡です
平和公園で
平和公園で
長崎大学で 長崎大学で
  1. 8月1日(月)朝、11時15分羽田発の飛行機で長崎へ。13時05分、長崎着。
     それから、レンタカーを借りて、私が運転して、生長の家総本山に。
     学生時代には何度も来たが、あれから、40年以上だ。懐かしい。
     とても壮大な聖地が出現していた。ただただ感動した。
     谷口先生のお墓にお参り。山の頂上で。実に見晴らしがいい。長崎だけでなく、日本全国が見渡せるような感じだ。ここから、日本を見ておられるのだろう。
     そのあと、長崎大学に行く。懐かしい。
     そして、平和公園に行く。
  2. 8月2日(火)朝の便で、軍艦島へ。
     全国から、見物客が大勢来ていた。これも感動的なツアーだ。
     炭鉱から毎日質のいい石炭が採れていた。その時は、この小さな島に6千人が住んでいた。人口密度は東京の9倍だったという。
     近代的な工場、学校、そして病院。住宅はテレビ、洗濯機などがあり、最先端の生活だったという。
     でも命がけの生活だ。今は廃墟だ。日本の産業革命を支えた島だったのに。
     そのあと、出島を見たり。
     夜は、稲佐山にロープウェイで登り、「世界三大夜景」の一つ、長崎の夜景を見て、圧倒された。
  3. 8月3日(水)昼の飛行機で羽田に戻る。
     家に帰って、少し寝て、夜は仕事。
     仕事が随分と溜まっていた。でも実に充実した長崎旅行だった。
     学生時代は、鹿児島、佐賀、宮崎、福岡…もよく行った。大学のあるとこは、どこでも行った。今度は、そこも周ってみたい。
  4. 8月4日(木)午前9時半、新宿のネイキッドロフトに行く。
     午前中、そこを借り切って映画の撮影。昼間君から連絡が来て、私も出演する。
     長崎から帰ってきて、疲れているが、面白そうなので参加した。日本の闇組織を撮った映画だ。私は、それと対決する刑事だ。
     「いいねー。正義の味方は」と言いながら、ヤクザと対決し、乱闘になる。
     疲れたが、楽しかった。9月末、渋谷のロフト9で特別試写会をするらしい。楽しみだ。
     このあと、昼食。そして河合塾コスモに行って、自習室で勉強する。
     喫茶店と違い、誰も喋ってないし、皆、勉強してるので、雰囲気はいい。
     勉強したり、原稿を書いたりして、夜までいた。  夜、時間があったので、「シン・ゴジラ」を見る。面白か
    った。やけに政治的な背景の映画だった。
  5. 8月5日(金)午前中10時半、ミヤマの会議室。福岡から来た新聞社の取材を受ける。
     午後1時半、現代書館。保阪正康さんと対談。3度目だ。
     先週は、熱中症で保阪さんが倒れて中止になったのだ。大変だ。大丈夫ですかと思わず聞きました。大丈夫だと言ってました。
     この間、保阪さんの本は随分と読んだ。
     どれも、考えさせられる。昭和史については一番詳しいし、又、「人間」を知っている。
     東條首相の奥さんにも会ってるし、5.15事件に参加した橘孝三郎にも何度も会っている。「楯の会」のメンバーにも会っている。
     それで〈人間〉を通しての現代史が書けるのだ。私も、思い切って、いろいろ聞いて教えてもらった。
     この日は、5時まで対談。
  6. 8月6日(土)午前中、原稿。
     午後、図書館。
  7. 8月7日(日)午前中、原稿。
     午後、打ち合わせ。
     そして、家で仕事。
学生会館で
学生会館で
コーヒーに龍馬の顔が
コーヒーに龍馬の顔が
長崎の夜景です
長崎の夜景です
「アエラ」(8/8号)
「アエラ」(8/8号)

【写真説明】

「鈴木邦男生誕100年祭」7/30(土)

①7月30日(土)、午後1時より、「鈴木邦男生誕100年祭」が開かれました。阿佐ヶ谷ロフトです。全国から多くの人たちが駆けつけてくれました。

阿佐ヶ谷ロフトでは、こんな看板が

②ロフトの看板にも「100年祭」と、ちゃんと書かれてます。

第1部「鈴木兄弟のガチ対決」

③第1部は〈『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』を巡って。鈴木兄弟がガチの初対決〉。弟の宏三氏(山形大学名誉教授。『三島由紀夫 「幻の皇居突入計画」』(彩流社)著者)と私が対決しました。司会は瀧沢蛇子さんです。

第2部「原発と拉致」

④第2部は、原発と拉致です。『原発プロバガンダ』(岩波書店)の著者・本間龍氏(作家・元博報堂社員)。それに、蓮池透さん(元拉致被害者家族会事務局長。元東京電力福島第1原発に関係)。司会は晴山生菜さん(皓星社・『放射線像』を編集)。

司会の晴山生菜さん

⑤司会の晴山さんは自らが編集した『放射線像』を紹介しています。

本間龍さん

⑥本間龍さん。

蓮池透さん

⑦蓮池透さん。

第3部「鈴木とガールフレンズ」

⑧第3部。鈴木邦男とガールフレンズ。大活躍している女性たちを紹介します。松本麗華さん。あべあゆみさんがいます。なぜか、PANTAさんもいます。司会は「週刊金曜日」の赤岩友香さんです。1〜3部の司会は全て、知性的で美しい女性です。瀧沢さん。晴山さん。赤岩さんと。凄いですね。

松本麗華さん

⑨松本麗華さん。アーチャリーと呼ばれてました。

あべあゆみさん

⑩あべあゆみさんの妖艶なヌードです。刺青(唐獅子牡丹)を披露してくれました。

飛松さんと愛ちゃんも特別参加

⑪姫路から駆けつけてくれた飛松五男さんです。右は姫路出身のアイドル八幡愛さんです。

PANTAさん(左)も参加して

⑫美女の中に、PANTAさんと飛松さんが入ってます。

ケーキもローソクを吹き消してます

⑬「バースディ・ケーキ」をもらいました。阿佐ヶ谷ロフトから。必死でローソクを吹き消してます。そんなことあまりしたことがないので、手間がかかりました。「そんなに時間がかかるのか!」と皆が呆れてました。

皆さんにご挨拶

⑭「今年もありがとうございました」と感謝の言葉を述べました。

美女軍団と

⑮美女軍団と。

これは二次会です

⑯6時から、白木屋を借り切っての二次会です。左に立って、仕切っているのが(総合プロデューサーの)椎野礼仁さんです。お世話になりました。

やはり二次会で

⑰これも二次会ですね。本間さん、蓮池さん、アーチャリー、PANTAさんがいます。酔って膝の上に乗ってる人もいます。

二次会が終わって、店の前で

⑱二次会が終わって、白木屋の前で。まだ随分といますね。このあと、さらに三次会に行く人もいました。

同じ時計を持ってる人が…

⑲あれっ! 同じ時計をしてる人が何人もいました。「キャン・ドゥ」で買った「100円時計」のようです。最近流行ってるんですかね。

井脇ノブ子さんと。7/31(日)

⑳翌、7月31日(日)新日本美術展に行ってきました。浅草でやっました。元衆議院議員の井脇ノブ子さんも絵を出品してました。後ろのペン画がそうです。なかなかのものです。井脇さんは、以前と同じく、ピンクのスーツでした。

長崎の「生長の家総本山」で

㉑翌、8月1日(月)は、早朝の飛行機で長崎に行きました。「生長の家総本山」に行ったのです。壮大なところです。もう町でしょう。神社、錬成道場、記念館などがあります。お宮には、「宇宙浄化」と書かれてました。壮大です。

谷口雅春先生のお墓で

㉒奥には谷口雅春先生のお墓がありました。「興津城」と呼ばれてます。まず、そこに行ってお参りしました。

先生が若い頃、住んでいた家が復元されて

㉓「温故資料館」があった。雅春先生の歴史が分かります。その隣には「藤棚の家」があります。先生が若い時に住んでられた所を復元したものです。ここで、「生長の家」が生まれました。

軍艦島です

㉔翌8月2日。これは軍艦島です。本当の軍艦のようですね。

上陸すると廃墟でした

㉕上陸すると、全ては廃墟です。くずれおちるので、離れた所からしか見られません。案内の人が説明してくれます。

「出島」跡です

㉖これは「出島」の跡です。オランダの人はここに住まわされていました。鎖国日本にあって、唯一の光だったのです。

平和公園で

㉗平和公園で。実は長崎大学の近くなんですね。長崎大学には10回以上来ましたが、ここは初めてでした。

長崎大学で

㉘懐かしの長崎大学で。今は自由に入れます。凶暴な左翼もいません。右派学生もいません。立て看板もないし、アジ演説をしてる人もいません。

学生会館で

㉙ここでよく、激論、乱闘してました。長崎大学学生会館です。

コーヒーに龍馬の顔が

㉚「龍馬の顔が浮かぶコーヒーがある」とネットで見て、訪ねました。ラテ・アートというんだそうです。コーヒーの上に、ミルクやチョコレートで絵を描くんです。これは龍馬ですね。龍馬は長崎にはよく来てたんです。亀山社中もあったし。その写真は、次週に。銅像もあるんですよ。

長崎の夜景です

㉛きれいですね。長崎の夜景です。「世界三大夜景」と言われてるそうです。香港、マカオ、長崎だそうです。

「アエラ」(8/8号)

㉜「アエラ」(8月8日号)。青木理さんの『日本会議の正体』(平凡社新書)の書評を書いてます。

【お知らせ】

  1. 8月10日(水)一水会フォーラム。午後7時。ホテルサンルート高田馬場。講師は長谷川熙さん(評論家・元朝日新聞)。「朝日新聞のここが問題なんだ」。
  2. 8月27日(土)円より子さんの「女性のための政治スクール」で講演します。星陵会館1FのE会議室です。
  3. 8月28日(日)「喜多見と狛江の映画祭」。朝から、「さようならCP」「ゆきゆきて神軍」。そして5時から「靖国・霊・天皇」。この上映後のトークに出ます。
  4. 9月11日(日)渋谷のアップリンクで、映画「望むのは死刑ですか」の特別上映が決まりました。2回です。そのあと、長塚洋監督と私のトークがあります。
  5. 9月17日(土)午後1時より、新発田市生涯学習センター。「大杉栄メモリアル」。ゲスト・福島泰樹(絶叫歌人。僧侶)。私も参加します。
  6. 10月15日(土)13:00〜。〈没後25年。竹中労追悼会。「戒厳令の夜」特別試写会と竹中労を偲ぶトークのつどい〉。
    会場・甲府市中央1-1-7 桜座。
    主催・竹中英太郎記念館。
    第1部は「戒厳令の夜」特別上映会。
    第2部は「労を偲ぶトークのつどい」
    ゲスト:樹木希林(女優)
    鈴木邦男
    小沢司(沖縄音楽プロデューサー)
    小泉信一(朝日新聞社 編集委員)
    竹中紫(竹中英太郎記念館館長)
    司会:金子望(竹中英太郎記念館主宰)