本屋でたまたま三遊亭円丈の『落語家の通信簿』(祥伝社新書)を見つけて買った。面白かった。
円丈さんはよく聴いていた。それに、祥伝社新書だ。私もここから本を出してるし、家族の一員のような感じになって買ってしまった。
11年前に佐藤由樹さんとの共著で『天皇家の掟』(祥伝社新書)を書いた。
それが今頃になって、急に話題になり、じゃ、もう一度出そうかとなって、『皇室典範を読む』(祥伝社文庫)になって、今週出た。
11年前と違い、表紙も中の写真も多いし、レイアウトもかなり大胆だ。祥伝社の「やる気」を感じさせる。発行部数もかなり多いようだ。
そうだ。円丈さんの本だ。落語家が自分の交友関係を語ったり、仲のいい人、尊敬する人を語る本は沢山ある。
でもこれは違う。彼ら落語家に「通信簿」をつけるのだ。多くの同業者を敵に回すことになる。普通なら、絶対にやらない。
本の帯にはこう書かれている。
〈芸歴49年の三遊亭円丈が「芸」の神髄から裏話まで語る、おすすめの演目つき!〉
そうか。もう49年も落語家をやってるのか。人生のほとんどじゃないか。
さらに、本の帯には、もっと大きな文字で、こう書かれている。
〈この落語家を聴け!
この落語家は聴くな!〉
ウワー! ここまで言うか。友達をなくすどころではない。落語家としての「全て」を失うかもしれない。まるで「自爆テロ」だ。
かなり前からこの人の落語は聴いている。CDも持っている。
でも、ネットを見ていたら、気になることを書いてた人がいた。
円丈さんは、実にダイナミックな舞台だ。大声を出し、時には立ち上がり、アクションも派手だ。喋ることも勿論、過激だ。その芸風に魅せられたファンも多い。
でも最近、ちょっとした事件が起きた。
ネットに書き込んでた人は、東京に住んでるが、わざわざ地方の独演会まで聴きに行ったという。
円丈さんは最近、ちょっと調子が悪い。
調子がいい時は、「さすがは…」と思わせる舞台だが、調子が悪い時は、ちょっと聴くに堪えない。
声は弱々しいし、話の流れを完全に忘れてしまい、あるいは、こんがらがる。時にはカンニングペーパーを出してチラチラ見ながらやる。
地方でやった時は、話の流れを忘れてしまい、話がまとまらなくなった。そして途中でやめた。
「今日は、まとまりませんで、すみませんでした。だから皆さん、名前と住所を書いて下さい。お詫びの印に手拭いを送ります」と言う。後日、手拭いが本当に送られてきたそうだ。
体の調子が悪くて、落語をきちんとやれなかった。そのお詫びなのだ。
それで、ずっと心配していた。私が心配したからといって、どうなるものでもないが。
この人は天才だ。落語界の革命家だと思っている。
実は何度か一緒にお酒を飲んだこともある。昇太さんに紹介されたんだ。
あの時は、昇太さんのお師匠さんの柳昇さんも出てたと思う。
円丈さんはパワーがあった。よく喋る。ダイナミックだ。面白い。客をワーッと熱狂させるコツを心得ている。
昇太さんも、円丈さんを参考にしてるんだろう。そう思った。
円丈さんは大事な舞台を失敗して、それから、もう出てないのか。かなり落ち込んでいるだろうと思っていた。
ネットを見ていたら、あれっ、国立演芸場で出ている。それもトリだ。
ともかく見に行ってみよう。聴きに行ってみよう。
もしかしたら、これが最後かもしれない。「もう引退します」と舞台で言うのかもしれない。
元気な時に聴いておかなくちゃと思って、行った。
9月12日(月)だ。昼から、国立演芸場だ。
昔はよく来たなと思った。その表にある国立劇場は歌舞伎をやっている。国立小劇場はよく文楽をやっている。昔はよく見に来た。一日中、見ていた。
「これは勉強だ」と思いながらも、たっぷり時間があったので、楽しんでみていた。
さて、円丈さんの落語だ。
何と、出てくるなり、大きなカンニングペーパーを出して、台の上に置く。
そうか。講談師と違い、落語家は台を置くことはない。特別だ。
「年のせいか、物忘れがひどくて、話がまとまらなくて、途中でやめたこともあったんです」と過去の失敗の話をする。
だから今日は、「忘れた時のために、カンニングペーパーを用意しました」と言う。
だから、話をしていても、ペーパーに目を落とす。「えーと、これは喋った。これも喋った。じゃ、次はこれか」と目で追っている。さらに、ページをめくる。何か、大学の先生が講義をしているようだ。
それに、声も小さい。張りがない。
しかし、面白い。新作ネタで、「埼玉のひと」に関する話だった。
埼玉から東京に働きに来てる人もいる。でも、こんな人は皆、バカにされている。『埼玉人には草を食わせておけ』なんて本も出ている。
埼玉に引っ越した娘は、母親に言われる。「私は埼玉に住むような娘を生んだおぼえはありません!」。
埼玉に住むことは恥ずかしいだけでなく、何やら、「犯罪的」でもあるんだ。でも、面白かった。
埼玉の人には悪いが、面白かった。
円丈さんはトリだ。だからそれで終わり。皆、ゾロゾロと出口に向かって歩く。
ロビーに出て驚いた。何と円丈さんがいる。出たばかりの本にサインをしている。
『円丈落語全集・1』だ。2000円で、発行は「円丈全集委員会」になっている。
あれれ、出してくれる出版社もないのか。私も買った。
そして、おずおずと声をかけた。名刺を出して、「多分、覚えてないでしょうが、昔、一緒にお酒を飲んだことがあるんですが。昇太さんに紹介されて」。と言った。
知らなくて当然だ。いや、落語のネタだって、よく忘れるし、一度か二度、昔、会った私のことなんて覚えているはずがない。確信をもってそう思った。
ところがだ、即座に答えが返ってきた。
「あっ、鈴木さん! よく覚えてますよ。30年前ですよね。上品な人だと思って、覚えてますよ」と言う。
エッ? 私が上品? そうか。右翼の人だと誰かが言ったんだろう。
右翼の人の割には、怒鳴らないし、暴れない。だから「上品」な右翼と、思ったのかもしれない。
「えっ! 覚えてるんですか」と驚いた。
「勿論、覚えてますよ。あの時は…」と30年前の話をする。
認知症じゃない。ボケてない。もの凄く記憶力がいい人じゃないか。
嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。
「おっ、大丈夫じゃないですか。いろいろ聞いていたので心配してたんです。でも、安心しました」と正直に言いました。
それで安心して、帰りました。
帰りの電車の中で、『円丈落語全集・1』をパラパラめくって読んでいた。
普通、落語全集といったらCDやDVDで出す。ところがこれは全部活字だ。「読め!」と言うのだ。
本の帯にはこう書かれている。
〈新作落語に革命を起こした男。三遊亭円丈自選作品全集。全5巻で遂に刊行開始!〉
どんな演目が載ってるのだろう。
新作だから、全部オリジナルだ。「グリコ少年」「前座生中継」「冷血」「遥かなるポルノ自販機」…と、面白そうな演目が並んでいる。
あれっ! と思ったのがあった。「悲しみは埼玉に向けて」。もしかして、今日やった落語じゃないか。
さっそく読んでみた。そうだ。「1980年初演」と書かれている。33年前に作られた落語なのか。
でも今日、聴いていて、全く分からなかった。新しい。「円丈最盛期の爆笑作品」と書かれている。
史上初、サイタマをネタにした落語だという。この落語の後、ダサイタマという言葉が流行したという。
「この落語が元になったかどうかは定かでない」というが、きっと、それが元になったんでしょう。
最後に円丈さんの略歴を紹介をしておこう。と思ったが、この本では書かれてない。『落語家の通信簿』の方には出てたので、それを紹介しよう。落語界の革命家ぶりが分かるだろう。
〈三遊亭円丈 さんゆうてい・えんじょう。落語家。一般社団法人・落語協会理事。1944年、愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科中退〉。
私よりも1才若いんだ。それに明大か。インテリだ。続ける。
〈1964年、六代目三遊亭圓生に入門。ぬう生となる。1978年、6人抜きで真打昇進。円丈に改名。実験的・前衛的な作風で新作落語の旗手となる。その創作数は300本を超え、「円丈チルドレン」と呼ばれる春風亭昇太、柳家喬太郎、三遊亭白鳥らに大きな影響を与えた〉。
ほら、やっぱりそうだ。昇太さんは大きな影響を受けたんだ。
今は「笑点」の司会で、大御所のようになったが、「円丈チルドレン」だったんだ。さらに続ける。
〈また1996年に日本参道狛犬研究会を設立するなど、狛犬研究家としても知られる。著作に『ご乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち』『ろんだいえん―21世紀落語論』などがある〉。
じゃ、これらの本も買ってみよう。それと、円丈全集全5巻は、買って読もう。と決意しました。
そうだ。今、思い出した。30年前といえば、月刊『ガロ』に私は連載をしていた。
「鈴木邦男の文化サーフィン」だ。映画、落語、芝居などを毎日のように見て歩き、それを書いたのだ。
左右の運動の話なんて全くない。実に文化的な生活だった。
時間があったからなのか、のんびりと、一日中、歌舞伎を見たり、落語家とお酒を飲んだりしていた。
その中で、生まれ、考えたことは多い。
でも、本は30冊は読んでいたようだ。
中野図書館では月に30冊、借りられる。大活字コーナーは500冊くらい読んだ。
又、作家だと、テーマごとにその棚を一つずつ制覇している。
新書の棚なんか、「歴史」「芸術」「生活」…と、まとめて15冊ずつ読んでいる。
「じゃ、ここから15冊だ」となると、思いもかけない本も入っている。でも仕方なく読む。
今週は港千尋『芸術回帰論』、大場秀章『バラの誕生』、安藤優一郎『大名庭園を楽しむ』なんて読んだな。
『結び方、しばり方の早引き便利帳』なんて本も読んだな。ひもの結び方の本だ。紙飛行機の本も読んだ。
「棚のはじから15冊」という感じで読んでるから、全く意外なものも入る。
いいだろう。河口鴻三『和製英語が役に立つ』は面白かった。どの本だったか忘れたが、「もの忘れ」の本にあった。
「固有名詞は忘れても、抽象名詞は忘れない」と書いていた。
人の名前、土地の名前などはどんどん忘れるが、〈愛〉、〈平和〉、〈戦争〉などの抽象名詞は忘れない。そっちの方が大切だからだ、という意味らしい。
だから円丈さんも、その辺の人の名前や、土地の名前なんか忘れていいんだ。
どうせ、自分より劣った人間どもだ。覚えてなくても…。
むしろ、〈戦争〉とか〈平和〉について、思いつくままに、筋書きもなく、喋ったらいい。
どこで終わってもいい。毎回、違ってもいい。円丈さんのその時の思い、怒り、憂い…だけを喋ったらいい。そしたら、カンペなんかいらないよ。
今度会ったら、そう言ってみよう。
⑦前に講道館で一緒に柔道を習っていた五味田君もフォーラムに来てくれました。「今、これを読んでるんです」と1冊の本を取り出しました。谷口雅春先生の『人生を支配する先祖供養』です。生長の家や大本教に関心があるそうです。久しぶりに会ったら、私を見て、「大本教の出口王仁三郎に似てきましたね」と不思議なことを言ってました。