2016/10/03 鈴木邦男

牧野先生を偲び語る会に出た

①「何でもあり」の予備校で

「牧野剛さんを語る会」9/25
「牧野剛さんを語る会」9/25
牧野剛さん
牧野剛さん
「朝日新聞」9/25付(名古屋版)
「朝日新聞」9/25付(名古屋版)
第2部の「牧野剛さんを偲ぶ会」
第2部の「牧野剛さんを偲ぶ会」
私も挨拶しました 私も挨拶しました

9月25日(日)、名古屋に行く。

午後1時から「牧野剛先生を偲び語る会」がある。

河合塾千種校の傍のホテル・メルパルク名古屋だ。

9月4日(日)は東京で「牧野先生を偲ぶ会」が行われた。多くの人々が集まり、牧野先生を偲んだ。

9月25日(日)、今度は、河合塾の本拠・名古屋で行われたのだ。

9月4日(日)は東京の河合塾コスモで行われたが、名古屋は千種校ではとても入りきれない。近くのホテルを借りて行われた。300人以上が集まった。

この日の「朝日新聞」には、この「偲ぶ会」が大きく取り上げられていた。

私も発起人として、挨拶をした。

福岡校の茅島洋一先生と 福岡校の茅島洋一先生と

牧野先生は河合塾のみならず、日本の予備校を代表する名物講師だった。

名古屋大学在学中に全共闘運動をやり、その後も、左翼運動、市民運動の先頭に立ってやってきた。

名古屋万博反対闘争などをやり、さらに知事選、市長選、衆院選などに立候補して闘った。

河合塾名古屋校に行って牧野先生の授業を見学したことがある。

大教室で教えていた。600人ほどの生徒を前にし、生徒をグッと惹きつける。一人も寝てない。皆、目を輝かせて聴き入っている。落語家でも、これだけの人を惹きつけることは難しい。

呉智英さんと 呉智英さんと

そして、授業が終わって「これから選挙運動に行く。行きたい人はついてこい!」と言う。教室の大半の生徒がゾロゾロと付いて行く。そして、選挙の演説だ。

今なら、こんなことをしたら大変だ。自分の政治運動に生徒を連れて行くんだから。

又、この先生は全てに型破りだった。

写真週刊誌に、何度もスクープされたが、「ビールを飲みながら授業をする」。それも、生徒がビールを献上するのだ。机の上にはズラリとビールが並んでいる。

大竹まことさん、辺見えみりさんと(文化放送) 大竹まことさん、辺見えみりさんと(文化放送)

又、誕生日には女子生徒からパンティを贈られ、それをかぶって授業する。

又、授業が終わると生徒を連れて、酒を飲みに行く。

今なら、そのどれだって出来ない。当時だって、高校、大学なら即、クビだ。

でも当時の予備校は大らかだった。生徒に人気があり、成績を上げれば何をやってもいい。

そういう「実力主義」があった。

型破りな先生たちが全国にいた。講師が黒板に字を書くが、(「板書」(ばんしょ)という)。自分で書かないで、水着の美女を連れてきて、板書をさせる、という人もいた。

「夕やけ寺ちゃん」の寺ちゃん 「夕やけ寺ちゃん」の寺ちゃん

又、自分が飼っていたハムスターを連れてきて、教壇の上で遊ばせながら授業をやる先生もいる。

又、講義もうまい。芸人などかなわない人が沢山いた。

その中でも、「河合塾の牧野」は有名だった。

私が、初めて牧野先生のことを知ったのは、『予備校に会う』という本だった。

西宮のエスエル出版会に行った時、そこで見つけた。

当時、『がんばれ新左翼』をエスエル出版会(鹿砦社)から出していた。

それで会社に行った時、奇妙な本を見つけた。

ダイエットした森永卓郎さん ダイエットした森永卓郎さん

これは、予備校「革命」だ。かつて全共闘が大学で暴れていたが、今は、予備校を拠点にして暴れている。そんな感じがした。

又、完全な〈実力主義〉で、実力さえあれば、何をやっても許される。

生徒を連れて登山をしたり、飲み屋に行ったり。生徒を連れて行っちゃいけないのに。

当時は、皆、寛容だったんだ。生徒をデモや政治集会にも連れて行っている。いいのかよ。そんなことをして…と思った。

「ヘエー、凄い先生がいるんだな。予備校には」と、その時は思った。

②「朝生」「講師」「左右激突」を経て

「大川興業」の人たちと。9/23 「大川興業」の人たちと。9/23

それからしばらくして、「朝まで生テレビ」で牧野先生とバッタリ会った。世紀末大討論会だったと思う。

そこでも元気に、変わったことを言っていて、すっかり意気投合した。左右の違いなんてない。

「じゃ、名古屋校で講演してよ」と言われて行った。

「世紀末世界を生きる」というタイトルだった。サブタイトルは、「右翼人としての立場から」。まだバリバリの右翼だったのだ。

その講演は河合ブックレットから本になった。「解説」を牧野先生が書いてくれた。世の中を変えるのに右も左もないよ。といったことを書いていた。憂国の情を感じた。

鈴木宗男さんと。9/27 鈴木宗男さんと。9/27

さらに大阪校でやっている「左右激突討論会」にも呼ばれた。4、5回出たと思う。

塩見孝也さんや、在日の人、解放同盟の人なども出て、凄い討論会だった。

よく、予備校でやれるもんだと思った。大学だって、こんな危ない討論会は出来ない。いや、予備校だからできるのかもしれない。

この討論会は大阪校の松原先生が司会をしていた。この人も元気な人で、学生運動で逮捕されて、何年も勾留されていたというのが自慢のタネだった。ともかく、元全共闘が多かった。

安倍首相も挨拶 安倍首相も挨拶

そのうち、私も河合塾の講師になった。牧野先生が、必死にやってくれたのだ。本当にありがたかった。

時代は世紀末。私の心の中も世紀末だった。そんな時に、救われたのだ。

牧野先生は体制に対しては牙をむき、徹底的に闘っていたが、仲間に対しては無限に優しい。

私のような、はぐれ右翼に対しても情けをかけて、「仲間」だと思って助けてくれたのだろう。

元左翼の人の中には、逮捕歴があって、どこにも勤められない、生活出来ない、といった人が多い。そういう人をどんどん救済していた。

演説する宗男さん 演説する宗男さん

予備校の講師にしたり、職員、フェローにしたり。あるいは小論文の採点者にしたり。予備校当局と交渉して、のませていたのだ。これは凄いことだ。

このことは、今週の「マガ9」でも書いたことだが、仙台にいる母親が特に喜んだ。

過激な運動をし、もう「向こうの世界」に行ってしまったと思ってた息子が、ちゃんと予備校の先生になって、「こちら側の世界」に戻ってきた。そう思ったようだ。

私の「落ち方」については、母親は〈責任〉を感じていたようだ。

生長の家の熱烈な信者だった母は、私を生長の家の高校生錬成に行かせた。

それから私は、生長の家の運動をやることになり、生長の家の学生道場に入り、早大で左翼と闘う。さらに〈右翼〉運動に入り、過激な運動をやる。

挨拶する森元首相 挨拶する森元首相

初めは生長の家で穏やかな宗教活動だったのに、今は手を付けられない過激な世界に走ってしまった。何度も捕まっている。

そのうち大事件を起こして刑務所にぶち込まれるか、あるいは自決するか、殺されるか。どちらにしろ、末路は知れている、と思ったに違いない。

そんな時、牧野先生に救われ、河合塾の先生になった。「やっと、こちら側の世界に戻ってきた!」と喜んでいた。

それを、ひしひしと感じた。荒れすさんだ私の生活も変わった。この頃から、ジャナ専(ジャーナリスト専門学校)の講師にもなった。

又、週刊「SPA!」に連載をさせてもらった。「夕刻のコペルニクス」だ。

おかげで、月の収入も安定し、アパート代が払えるようになった。食えるようになった。

③右も左も「なか翼(よく)」

赤尾由美さんと対談 赤尾由美さんと対談

河合塾は元全共闘の先生が多い。だからこそ私のような「右翼=異分子」が一人くらいいても、皆、ウエルカムだった。私も居心地がいい。

又、周りは、いろんな分野の先生がいる。教えてもらうのには便利だ。いろんな授業に出て、勉強した。私自身が予備校生のようだった。

たとえば、「玉砕」について調べていて、よく分からない。漢文の元の意味を探す。古い時代に、一つの物語があって、そこに出てくる。でも、日本語訳には出てない。漢文の先生に聞いたら、原文を探してきて、「個人授業」で教えてくれた。

それをもとに書いたのが、『愛国の昭和』(講談社)だ。この漢文の先生のおかげだ。他にも、いろんな先生に教わっている。

私は現代文、読書ゼミをやったが、この分野でも、牧野先生に一から教えてもらった。

赤尾さんと 赤尾さんと

これまで本はかなり読んでいると思ってたし、文章だって書いている。「著述業」だと思っていた。

ところが、本の読み方、文の書き方を、一から教えてくれた。

ゲッ、私は文章を全く書けなかったんだ。本の読み方も知らなかったんだ、と痛感した。そんなことが多かった。

「読書ゼミ」は、牧野先生と私が交代で本を持ってきて、それを生徒と共に読む。

私は時局的、思想的な本ばかり持ってきて読んでいた。

ここで牧野先生は、理科系、数学系の本を見つけて読む。又、とてつもなく難しい哲学の本を読んだりする。

凄いと思った。私は、自分の理解出来る範囲の本しか読んでなかった。その殻を破れと教えられた。

終わって、「土風炉」で 終わって、「土風炉」で

9月25日(日)の「牧野先生を偲び、語る会」では、私もそうした話をした。自分の中の〈牧野体験〉を話した。

牧野先生に教えられた生徒は、全国で何万、何十万人といて、さらに講師になった人も何百人、何千人といる。私もその一人だ。

9月25日(日)の「朝日新聞」(名古屋版)には、この「偲ぶ会」のことが、大々的に載っていた。

〈「予備校に文化」足跡残し〉〈5月に他界、河合塾名物講師・牧野剛さん〉と。トップ記事だ。

この中で、親交のあった最首悟さん(駿台予備学校講師)はこう語っている。

「牧野さんは予備校に文化を根付かせた」と。

恵観塾で。9/24(土) 恵観塾で。9/24(土)
〈名古屋駅付近は、河合塾を含めた予備校が多く、浪人生が集まったため、「親不孝通り」と言われたことがある。だが、日陰者として扱われた浪人生のイメージを変えた。「人生には回り道も、崖から落ちることもある。多様な人生を体験していく場としての予備校を、エネルギッシュに展開した」と振り返る〉

この「崖から落ちる」「回り道」は大人の我々にも言える。

そんな時、ただ、呆然として絶望するか。あるいは〈愛と夢〉をもって再起するか。後者の方法を教えてくれるのが予備校だ。どう生きたらいいかを教えてくれた。

講師でありながら、我々の方が教えられたと思う。

この「朝日」には、講義する牧野先生の写真。それに、河合塾コスモで「読書ゼミ」をする先生の写真が載っている。

パワーを注入してます パワーを注入してます

読書ゼミでは、畳を敷いて、そこに座り、横になって、本を読む。牧野先生は、ゴロリと寝ている。そこで皆で、本を読み、発表し、考える。大学のゼミでもやらないような高度なゼミだ。

名古屋の「偲び、語る会」では、多くの人に会った。世界史の青木先生、福岡の茅島先生…。そして、予備校以外でも、呉智英さんなどの友人たちにも会った。

又、一緒に行った岩井さんは、ずっと牧野先生に憧れていた人だ。さらに、東京からも随分と来ていた。

皆、心の中に牧野先生の思い出がある。心の中の〈牧野先生〉を大切にし、それを大きくしていこう、と思った。

【だいありー】

近田春夫さん。内田裕也さん。9/29 近田春夫さん。内田裕也さん。9/29
  1. 9月26日(月)午前中、原稿。
     午後2時、浜松町にある文化放送に行く。「大竹まことゴールデンラジオ」に出る。
     この中の「大竹メインディッシュ」のコーナー。私の本『どこに向かうのか』を読んで、「これは面白い。ぜひ話してみたい」と思ったという。
     大竹さんの他、もう一人、辺見えみりさんと3人で、この本について話す。「父親の思い出」「学生運動の思い出」、そして、「これからどこに行くのか」について話す。
     緊張したが、楽しかった。以前、私は「夕やけ寺ちゃん活動中」に出てた時に、毎週、この文化放送に来ていたな、と思ったら、寺ちゃんが待ってくれていて、話をした。
     又、森永卓郎さんにも会った。最近、ライザップで痩せた。そして調子がいいと、CMにもよく出ている。それで「糖尿病が治ったんです」。それは凄い。いろいろと話を聞きました。
内田裕也さんと 内田裕也さんと
  1. 9月27日(火)午前中、原稿。
     午後2時、取材。
     6時、ホテルニューオータニ。芙蓉の間。「鈴木宗男・鈴木貴子を叱咤激励する会」。一番広い部屋が満員だった。
     2人とも元気だ。司会の松山千春さんも元気一杯。
     「宗男さんは北方領土問題で突破口をあけました。さらに安倍首相が頑張っています」「あっ、その安倍さんがきてくれたんですよ」と突然のサプライズだ。「北方領土返還では宗男さんは力もあるし、必ず結果を残せるように頑張ってる」と安倍さん。凄い拍手だった。
近田春夫さんと 近田春夫さんと
  1. 9月28日(水)午前11時、新宿のK's cinemaで映画を見る。「サクラ花=桜花最期の特攻」を見る。
     松村克弥監督。よく撮ったと思う。力作だ。戦争の残酷さ愚かしさがビンビン伝わってくる。
     そのあと、取材。
     そして5時半から高田馬場の「ミヤマ」会議室。『紙の爆弾』の対談。
     赤尾アルミ社長の赤尾由美さんとの対談だ。一円玉を作っていて、他にもいろんなアルミ製品を作っている、大きな会社だ。
     それに、この人は大日本愛国党総裁・赤尾敏さんの姪なのだ。
     お父さんは赤尾アルミの社長で敏さんを経済的に支えてきた。ゴッホを支えた弟のテオのようだ。
あがた森魚さんと あがた森魚さんと

「有名なおじさん」の話を聞く。世間的には、いつも怒鳴っていて、怖いイメージがあるが、由美さんは「とても優しいおじさんだった」という。子供の時から、大好きだったという。

でも下の妹は、その風貌に、泣き出していた。敏さんは、それを気にして、バナナを持ってきて、妹の機嫌をとってたという。「唯一、機嫌をとった人」が妹だ、という。その光景が見えるようだ。

そして家庭での話、思想的な話、超有名人を親類に持った困惑、苦労などを話してもらった。

終わって、居酒屋「土風炉」で飲む。

学校で。牧野さんと一緒 学校で。牧野さんと一緒
  1. 9月29日(木)午前11時、「ミヤマ」会議室。
     昨日もここに来たな。でも今日は、新聞の取材だ。『どこへいくのか』を読んで、面白かったので、話を聞きたいという。
     文化放送でも聞かれたけど、この本、面白いのかな。自分のことだけを書いていて、私の個人的グチだ。これなど面白くないでしょう、と言ったが、「いや、時代の変化をよくあらわしています」と言う。そうかな。
     3時、河合塾コスモ。「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。今日はこの本を読んだ。柄谷行人の『憲法の無意識』(岩波新書)。
     終わって、急いで代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」に行く。内田裕也さんと近田春夫さんがトークをしている。それを聴きに行く。
実は大きな写真パネルです 実は大きな写真パネルです
  1. 9月30日(金)午前中、原稿。
     午後、図書館。打ち合わせ。
     7時、渋谷ロフト9に行く。私も出た映画「ベースメント」の試写会。そして出演者挨拶。
     映画の宣伝を見たが、「鈴木がピストルを持って喜んでいた」と言ってる人がいた。
     確かに「正義の刑事」役だったが、ピストルなんか使ったりしないで、素手で悪と闘った気がするが、私の出番はちょっとだ。今日は全体を見れた。面白かった。なかなかシリアスで、今の日本への問題提起になっている。ヒットするだろう。
     12時過ぎに帰る。
『憲法の無意識』を読みました 『憲法の無意識』を読みました
  1. 10月1日(土)午前10時20分、東京駅発の新幹線で大阪に。
     12時50分着。飛松五男さん、寅次郎さん、平田君などが出迎えてくれた。
     昼食をして、それから会場へ。「AP大阪駅前梅田1丁目」。2時半から開始。
     私の書いた『〈愛国心〉に気をつけろ』について皆で話す。又、『どこへ行くのか』を読んだ人も多く、この本についても話す。又、最近読んで感動した本についても発表する。
     終わって、近くの居酒屋で懇親会。明日は名古屋だから、今日は大阪に泊まる。
  2. 10月2日(日)朝、大阪から名古屋に移動。
     午後2時からウィルあいちセンタールーム。〈寺脇研トーク&シンポジウム=日本のこれからを考える〉。寺脇研さん、飛松五男さん、私。かなり突っ込んだ話になりました。
    終わって、近くの居酒屋で懇親会。
    最終の新幹線で帰りました。

【写真説明】

「牧野剛さんを語る会」9/25

①9月25日(日)。午後1時から、ホテル・メルパルク名古屋で、「牧野剛先生を語る会」が開かれました。

牧野剛さん

②牧野剛さん。授業の教壇の上にビールが並べられてます。

「朝日新聞」9/25付(名古屋版)

③「朝日新聞」9月25日(名古屋版)には、この日の「偲び語る会」のことが出てました。

第2部の「牧野剛さんを偲ぶ会」

④第2部の「牧野剛さんを偲ぶ会」。

私も挨拶しました

⑤私も挨拶しました。

福岡校の茅島洋一先生と

⑥河合塾福岡校の茅島(かやしま)洋一さんと。早大の雄弁会出身です。

呉智英さんと

⑦評論家の呉智英さんと。

大竹まことさん、辺見えみりさんと(文化放送)

⑧9月26日(月)、文化放送に出ました。左から、大竹まことさん。鈴木。辺見えみりさん。午後2時20分からの「大竹まこと ゴールデンラジオ」です。『これからどこへ行くのか』をテーマに、詳しく聞かれました。

「夕やけ寺ちゃん」の寺ちゃん

⑨「夕やけ寺ちゃん 活動中」をやっていた寺ちゃんです。 今は朝の番組をやってます。

ダイエットした森永卓郎さん

⑩森永卓郎さん。ダイエットに成功し、20キロ減量したそうです。

「大川興業」の人たちと。9/23

⑪9月23日(金)下北沢スズナリで、大川興業のライブを見ました。(左から)大川豊さん。週刊金曜日の赤岩さん。寺田体育の日さん。

鈴木宗男さんと。9/27

⑫9月27日(火)ホテルニューオータニ。「鈴木宗男、貴子を叱咤激励する会」。宗男さんと。

安倍首相も挨拶

⑬安倍首相も駆けつけて、挨拶しました。サプライズです。

演説する宗男さん

⑭宗男さんの演説です。

挨拶する森元首相

⑮森元首相も挨拶しました。

赤尾由美さんと対談

⑯9月28日(水)。午後5時半より、高田馬場「ミヤマ」会議室で、「赤尾アルミ」の赤尾由美さんと対談しました。

赤尾さんと

⑰対談が終わって。

終わって、「土風炉」で

⑱終わって、「土風炉」で。

恵観塾で。9/24(土)

⑲恵観塾。9月24日(土)。池口恵観さんの講演です。

パワーを注入してます

⑳終わって、参加者全員に、パワーを注入してくれました。

近田春夫さん。内田裕也さん。9/29

㉑9月29日(木)。代官山「晴れたら空に豆まいて」。近田春夫さんと内田裕也さんのトークがありました。聞きに行きました。

内田裕也さんと

㉒内田裕也さんと。

近田春夫さんと

㉓近田春夫さんと。

あがた森魚さんと

㉔あがた森魚さんと。「赤色エレジー」などを歌ってました。

学校で。牧野さんと一緒

㉕河合塾コスモで。あれ、亡くなった牧野先生も一緒にいます。

実は大きな写真パネルです

㉖実は大きな写真パネルです。こうしておくと、一緒に勉強してる気になります。

『憲法の無意識』を読みました

㉗9月29日(木)柄谷行人さんの『憲法の無意識』(岩波新書)を読みました。

【お知らせ】

  1. 10月11日(火)午後7時、一水会フォーラム。ホテルサンルート高田馬場。講師・東郷和彦さん(元外交官)。「現下の東アジア情勢と安保外交」。
     参加希望者は一水会事務局へお申し込みを。TEL 03(3364)2015
  2. 10月15日(土)13:00〜。〈没後25年。竹中労追悼会。「戒厳令の夜」特別試写会と竹中労を偲ぶトークのつどい〉。
    会場・甲府市中央1-1-7 桜座。
    主催・竹中英太郎記念館。
    第1部は「戒厳令の夜」特別上映会。
    第2部は「労を偲ぶトークのつどい」
    ゲスト:樹木希林(女優)
    鈴木邦男
    小沢司(沖縄音楽プロデューサー)
    小泉信一(朝日新聞社 編集委員)
    竹中紫(竹中英太郎記念館館長)
    司会:金子望(竹中英太郎記念館主宰)