2016/11/28 鈴木邦男

森田必勝氏のお墓参りに行き、考えました

①11月は三重県に3回も行った

森田必勝氏のお墓参り。11/19
森田必勝氏のお墓参り。11/19
必勝氏のお墓の前で
必勝氏のお墓の前で
俗名 森田必勝 二十五才
俗名 森田必勝 二十五才
必勝氏のお墓です
必勝氏のお墓です
必勝氏の本です 必勝氏の本です

11月19日(土)、三重県四日市市に行く。森田必勝氏のお墓参りだ。

そのあと実家を訪ね、お兄さんの治さんにお会いする。

祭壇があって必勝氏と三島さんの写真がある。お庭には必勝氏の胸像があリ、辞世の歌を刻んだ碑がある。

東京、関西から7人ほどで行った。元「楯の会」の勝又武校氏も来ていた。本当に久しぶりに会う。

それから、必勝氏の出身校を訪ねた。

不思議なことに、11月は三重県に3回も来た。

11月6日(日)は名張市に来た。50年前、「名張毒ぶどう酒事件」の起きた所だ。奥西さんが犯人として逮捕されたが、動機はないし、物証もない。

必勝氏のお兄さんと 必勝氏のお兄さんと

それでも死刑が確定し、ずっと刑務所暮らしで、今年亡くなった。理不尽だ。その現場を見、地元の人に話を聞こうと思っていたのだ。

第2回目の三重行きは、11月14日(月)〜17日(木)だ。14日(月)は伊勢神宮。そして鳥羽水族館に行き、「漁(すなど)り猫」を見る。

15日(火)は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になった神島に行く。さらに答志島に行く。

16日(水)は、松阪の本居宣長記念館。本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」に行く。

さらに「北海道」の名付け親の「松浦武四郎記念館」に行き、館長とも話をした。

必勝氏の写真の前で 必勝氏の写真の前で

松阪牛の焼き肉、すき焼きを食べた。

勉強三昧の三重旅行だった。そして3回目は森田必勝氏のお墓参りだ。

「月に3回も来るんなら、三重に住んだらいいのに」と下中さんには言われた。

でも、みやま荘は落ち着くし、勉強出来る。

長岡に行った時、山本五十六の家を見たが、「二畳の書斎」があって驚いた。本を読む以外、何も出来ない。これはいい。

本居宣長の「鈴屋」は四畳半だ。そこで閉じこもって書を読み、書いた。

どうしても用事がある時は、横にある鈴の付いたひもを引く。

カラカラと軽い音を立てる。それでも回りは静かだから、家人には分かる。

正面から見ると、こっちを見てます 正面から見ると、こっちを見てます

あるいは1回鳴らしたらお茶、2回鳴らしたら食事…と、サインが決まっていたのかもしれない。

本居宣長の旧宅には、他に「一畳の書斎」があった。山本五十六より、もっと狭い。本を読むしか使いようがない。

そうか、私も家を建てたら(そんなことは永遠にないが)、「一畳の読書部屋」「二畳の執筆部屋」なんて、作ってみたい。夢があっていいじゃないか。

我々が学生の頃は、アパートといったら三畳か四畳半だった。六畳に住んでる奴は「贅沢だ!」と言われた。

私は生長の家学生道場にいた。個室ではない。九畳に3人だ。あるいは六畳に2人だ。

あれはキツかった。プライバシーなんて何もない。

右横から見ても、こっちを見てます 右横から見ても、こっちを見てます

他の部屋にもよく遊びに行ったが、皆、勉強している。

徳富蘇峰の『近世日本国民史』100巻を全巻そろえて読んでる人間もいた。「敵を知るのだ」と言って、マルクス・レーニン全集を読んでる先輩もいた。

毎日、知的刺激を感じていた。

森田必勝氏は僕より2才下だ。二浪して早稲田に入る。

初めは全共闘に憧れていたが、現実の姿を見て失望した。

学生のことを全く考えない、思い上がった運動だったからだ。

それに反対していた右翼学生に関心を持つ。

毎日のようにキャンパスでは左翼(全共闘)と右翼学生が論争している。それを一般学生が囲んで聞いている。

必勝氏の像の前で 必勝氏の像の前で

「そうだ!」「頑張れ!」とお互いに声援を送る。

自分たちに声援を送る人は覚えていて、論争が終わると喫茶店に誘ってオルグした。

いつもニコニコして聞いていたのが必勝氏だ。体はガッチリしてるし、姿勢もいい。てっきり体育会の人かと思ったら、違う。

初め、日学同(日本学生同盟)に入り、後に「楯の会」に移り、学生長になる。

1970年11月25日、自衛隊の市谷駐屯地で三島と共に自決した。

だから、25日前後には、全国で追悼、顕彰の集まりが開かれている。


辞世の碑の前で
辞世の碑の前で

②右翼が嫌いだった必勝氏

「今日にかけて かねて…」
「今日にかけて かねて…」
海星高校の入り口で
海星高校の入り口で
勝又氏。森田治さん。鈴木 勝又氏。森田治さん。鈴木

11月は「三島事件」の月であり、「慰霊」の月でもある。

今、手元にこの本がある。森田必勝『遺稿集 わが思想と行動』(日新報道)だ。

これは実にいい本だ。大変な苦労をして作った本だ。

基本的には、必勝氏の日記を中心にしてまとめた。

特に中学、高校時代の日記は貴重だ。

これは日学同の宮崎氏たちが森田宅に行き、泊まり込んで日記を読み、これはと思ったところを全て書き写し、本にしたものだ。

当時は、コピーが普及してなかった。大企業にはあったかもしれないが、町のコンビニにコピー機がある時代でもない。大体、コンビニもなかった。

四日市駅で集合 四日市駅で集合

だから、ひたすら書き写したという、気の遠くなるような作業だ。だからこの本は貴重だ。

必勝氏は、元々が右派的な人ではない。中学、高校時代は、むしろ左派なのだ。

そこは、1960年の右翼による浅沼委員長刺殺、風流夢譚事件でも、その傾向は示されている。

だから、この日記は貴重なのだ。早大に入りたくて、二浪する。早大は浅沼稲次郎さん、河野一郎さんが出た大学だ。だから入りたいといって、強烈に願った。

又、早大を出た後、どうやってこの日本を変えてゆくか。そのプランも書いている。

民進党の近藤昭一さんと 民進党の近藤昭一さんと

実際は25才以後の人生はなかった。だからこそ、痛切な気持ちで僕らは読む。

この本(=日記)は今まで何度も読んだ。又、時々、パラパラとページをめくって、気になったところを読んでいる。

だから少し、抜き書きしてみよう。

〈昭和35年(1960年)10月12日(水)晴 (この時、中学3年生だ)
今日、僕が政治家で一番好きであったところの社会党の浅沼委員長が、十七歳の山口二矢という暴漢に刺殺された。本当に可哀想だ。日比谷公会堂での出来ごとー〉
近藤さん。岩本さん夫妻。岩井さん 近藤さん。岩本さん夫妻。岩井さん
〈同 12月2日(金)晴
 ……。ぼくもあと十年たったら、四日市市議になり、四日市の発展と国民生活の向上、すみよい町にするために立候補しようと思う。〉
〈昭和36年(1961年)(高校1年)2月2日(晴)
 嶋中事件の犯人小森一孝捕まる。中央公論が天皇の悪口を書いたので、(社長宅で)留守をしていた女中の丸山かねさんと、奥さんが刺され、女中さん即死、奥さん重体、なお小森は右翼である。ぼくは左翼だから小森がにくい〉
鹿島茂さんと対談。11/21 鹿島茂さんと対談。11/21
〈同 3月22日(木)晴
 肇と宣治とおれの三人で、四日市の三重劇へヒットラーの「わが闘争」を見に行った。残忍そのもので、なぜあんな人間が地球上にすんでいたのかと思うと恥ずかしくなる〉
〈昭和40年(1965年)二浪。1月6日。
 大隈重信ー河野一郎ー森田必勝。この三人は日本近代史上に残る人物になると確信する。いずれも早稲田大学出身だから俺もなんとかして通らなければならない。この日本が俺をほおっておいたらかわいそうだ。日本のために俺を通せ〉

③25才以降の夢が語られていた

対談が終わって 対談が終わって
〈同 5月30日(火)雨
(全略)俺としては25歳で卒業して、3年間新聞記者をやり、三年間誰かの秘書をやる。そして市長になり、二期務めて、こんどは39歳で衆議院に立つ。そして三期務めて外務大臣になる。50歳だ。15年間、日本のために、そして、あとに続く日本民族のために、ゆるぎのない日本の地位をつくってやる。70歳以後は完全に引退だ。そのときは女房と二人きりで、静かな生活を送りたい。まあこれが俺の設計図だ。勿論、こんなにうまくいかないことは百も承知だ。でも俺がやらなくて誰がやる。持つべき当然の夢だ。夢に終わるか否かは、俺の努力にかかっている。今は静かにしっかり学問的な基礎を身につけよう〉
「土風炉」で 「土風炉」で

大学に入ってからは日学同(日本学生同盟)に入って活動する。

三島との出会いはこうだ。

 
〈昭和42年(1967年)4月 大学二年
 M氏から三島由紀夫さんが、民兵組織を作るので日学同、とくに早大国防部から選抜して協力してもらいたいと言ったという。民間防衛隊は大いに結構だし、俺はいつでもやる覚悟はあるけれど、あのキザな三島さんが、それをやるというのは何かチグハグな感じだ〉
〈同 5月6日(土)晴 (前略)夜、矢野先輩と人生の話をする。その中で徳富蘇峰の歌 俺の恋人、誰かと思う。神のつくりし日本国。これがたいへん気に入ったので、すぐ覚えた〉
デモクラTVのスタジオで。11/22
デモクラTVのスタジオで。11/22

④教育大、殴り込み事件の暴漢は

「朝日」に昔の写真が 「朝日」に昔の写真が
〈同 5月19日 晴
茗荷谷の教育大学への結集、家永三郎弾劾のビラまきと集会。参加人員23名。
 戦果報告。午前11時頃から、ゲリラ戦法が功を奏す。民青の足並みが乱れ、屋上から「早大の暴力学生云々」のスピーカーだけが教育大生を煽ったようだが、それもSさんやMなどが屋上へかけあがって粉砕〉
 

Mは日学同の人間だから、呼び捨て。Sは一応、他団体の人なので「さん」を付けている。実は、私だ。

この日は、初めから殴り込みのつもりだった。

どうせ静かに情宣なんかやらせてはくれない。乱闘になる。そう思って、時計や学生証などは家に置いて、身軽な格好で出かけた。

スピーカーを取り付けてある屋上へ、一気に駆け登り、スピーカーを叩き壊し、そこにいた人間を殴り飛ばした。完全な暴力学生だった。

この日の日記はさらに続く。

 
〈結局、教育大学では午後の授業は中止された。わずか23名の同志は、正門前で記念撮影に肩をならべるゆとりすらあったのに!〉
12/18(日)「愛の処刑」上映 12/18(日)「愛の処刑」上映

この写真はほしい。でも、ないのかな。あるいは、殴り込みをかけた暴力学生の「証拠写真」でもある。

でもいいね。〈勝利〉の写真なんて、なかなかない。探してほしいね。

あっ、大変だ。今週は、本の紹介だけで終わっちゃうよ。

11月19日(土)は、森田必勝氏のお墓参りをして、実家に寄り、お兄さんにお会いして、お話をしました。

庭には必勝氏の胸像があり、辞世の歌碑がありました。

そして、必勝氏の出た海星高校を見て帰ったのです。

1年に1度はお墓参りに来ています。

46年前のことが、つい昨日のように思い起こされます。〈これでいいのか〉という気持ちにさせられます。「どこへ行くのか」と自問自答しています。

11月24日(木)は「三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭」に出ました。翌、25日は「憂国忌」に出ました。厳粛な中にもこみ上げてくるものがあり、感動的で、考えさせられる集まりでした。

そのことは又、来週に報告しましょう。

【だいありー】

「三島由紀夫生誕祭」1/14
「三島由紀夫生誕祭」1/14
三島・森田両烈士追悼顕彰祭。11/24
三島・森田両烈士追悼顕彰祭。11/24
厳粛に顕彰祭が…
厳粛に顕彰祭が…
講演する保阪正康さん
講演する保阪正康さん
保阪正康さんと 保阪正康さんと
  1. 11月21日(月)午前中、原稿。
    午後2時、取材。
    5時、渋谷東口「ミヤマ」。仏文学者の鹿島茂さんと対談。『紙の爆弾』で。前から会いたいと思っていた。
    フランス革命、その後の議会で生まれた「右翼」と「左翼」という言葉。我々のルーツはフランスにある。その点を詳しく聞いた。又、現在のフランスの状況なども。来年の選挙でルペンさんが大統領になるのではないかと言われている。アメリカのトランプ効果で。その辺のことを詳しく聞いた。
    終わって、近くの居酒屋で飲む。鹿島さんは何でも知ってるし、いろんな「歴史的現場」にも立ち会っている。
保阪さん。鈴木。山口敏夫さん 保阪さん。鈴木。山口敏夫さん

「三島vs東大全共闘」の時も、その場にいて聞いていたという。うらやましい。

「著書は200冊位ですか?」と聞いたら、「その近くですね」という。凄い。皆、分かりやすいし、面白い。とても勉強になりました。

  1. 11月22日(火)午前中、原稿。
     3時、打ち合わせ。
      7時、お茶の水の「デモクラTV」のスタジオに行く。打ち合わせの後、8時から「のりこえねっと」の生放送。8時から10時まで、沖縄の闘いを特集。今回のテーマは、
    「とことん ノーヘイト!」
     出演者は、辛淑玉、宇都宮健児、前田朗、鈴木邦男他。
元「楯の会」の伊藤邦典氏 元「楯の会」の伊藤邦典氏
  1. 11月23日(水)仕事が遅れている。一日、家に閉じこもって、必死でやる。
  2. 11月24日(木)河合塾コスモ。
     3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。今週読んだ本は、内田樹さんの『武道的思考』(筑摩選書)。〈武道の極意は他者との共生にあり〉と言ってます。なかなか、考えさせられる本でした。
     終わって、急いで高田馬場へ。ホテルサンルートでもう始まっていた。
私も挨拶しました 私も挨拶しました
 

〈三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼顕彰祭〉

第1部 顕彰祭。斎主・島田康夫(譲葉神社禰宜)

第2部 追悼記念講演。講師・保阪正康(作家)

    演題「昭和史と三島事件=歴史的視点からの考察=」

第3部 直会(なおらい)会場・祭ばやし

全国から多くの人たちが集まりました。保阪さんは「楯の会」の阿部勉氏をはじめ多くの人たちとも知り合いでしたし、楯の会事件や又、昭和維新運動についても詳しいです。とてもいいお話でした。

直会も、全国から来た人々の活発な意見発表がありました。

寅さん。鈴木。番家誠さん 寅さん。鈴木。番家誠さん
  1. 11月25日(金)午前中、原稿。
     午後2時、取材。
     6時、憂国忌。星陵会館大ホール。満員でした。シンポジウム「三島由紀夫 最後の檄文と改憲」は熱い討論でした。
     多くの人たちと久しぶりに会い、話しました。
  2. 11月26日(土)午前10時、「ルノワール」新宿区役所通り店。三島研究家の岡山典弘さんと対談。『紙の爆弾』で。
     岡山さんは、『三島由紀夫外伝』『三島由紀夫が愛した美女たち』『三島由紀夫の源流』など著書多数。実によく調べているし、新たな発見もある。話していて教えられる。
     終わって、飲みました。
  3. 11月27日(日)午前中、原稿。
     夕方4時、錦糸町で打ち合わせのあと、会場へ。すみだトリフォニーホール。合唱オペラ「中也!」。素晴らしかった。
      ユージンプロの坂元さん、田中さんと会う。音楽監督の栗山文昭さんに挨拶しました。
鈴木。寅さん。花ちゃん。平田君
鈴木。寅さん。花ちゃん。平田君

【写真説明】

森田必勝氏のお墓参り。11/19

①11月19日(土)、森田必勝氏のお墓参りに行って来ました。三重県四日市市です。

必勝氏のお墓の前で

②東京、大阪から来たメンバーと共に。

俗名 森田必勝 二十五歳

③必勝氏のお墓に書かれてます。
〈慈照院釈真徹必勝居士位 俗名 森田必勝 二十五才〉

必勝氏のお墓です

④必勝氏のお墓です。

必勝氏の本です

⑤必勝氏の『わが思想と行動』(日新報道)。とてもいい本です。

必勝氏のお兄さんと

⑥必勝氏の実家で。お兄さんの治さんと。

必勝氏の写真の前で

⑦必勝氏の写真の前で

正面から見ると、こっちを見てます

⑧この写真、正面から見ると、こっちを見ています。

右横から見ても、こっちを見てます

⑨右に寄ってから見ても、左から見ても、必勝氏はこっちを見ています。不思議です。

必勝氏の像の前で

⑩実家のお庭には、必勝氏の像が。

辞世の碑の前で

⑪その隣りには必勝氏の辞世の歌が書かれた碑が。

「今日にかけて かねて…」

⑫「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」

海星高校の入り口で

⑬必勝氏が出た海星中学、高校に行って来ました。カソリックの学校です。

勝又氏。森田治さん。鈴木

⑭(元「楯の会」の)勝又武校氏。森田治さん。鈴木。勝又氏は今は「植木屋をやってます」と言ってました。元気です。久しぶりに会いました。

四日市駅で集合

⑮四日市駅で集合した時です。

民進党の近藤昭一さんと

⑯19日(土)、四日市からの帰り、名古屋で民進党の近藤昭一さん(衆議院議員)に会いました。

近藤さん。岩本さん夫妻。岩井さん

⑰近藤さん。右は、キリスト教の牧師さんの岩本和則さんご夫妻。以前、私を教会に呼んでくれて、講演をさせてくれました。後ろは岩井さん、瀧沢さん。

鹿島茂さんと対談。11/21

⑱11月21日(月)、『紙の爆弾』で、フランス文学者の鹿島茂さんと対談しました。

対談が終わって

⑲対談が終わって、後ろは、白井さん、塩田さん、椎野さんと。

「土風炉」で

⑳そのあと「土風炉」で飲みました。

デモクラTVのスタジオで。11/22

㉑11月22日(火)「のりこえねっとテレビ」の生放送に出ました。午後8時〜10時。「とことん ノーヘイト! 高江特派員報告」です。沖縄では機動隊が「土人」発言をし、高江での不当逮捕も続いてます。これらを徹底的に糾弾し、「反レイシズム」の叫びをあげる。
 場所はお茶の水のデモクラTVスタジオでした。放送が終了した後に写真を撮りました。出演中の辛淑玉、宇都宮健児、前田朗、中沢けい、鈴木…などです。

「朝日」に昔の写真が

㉒「朝日新聞」では「日本会議をたどって」という連載が載ってます。詳しいです。1976年の私の写真が載ってました。一水会代表の時ですね。若いですね。これは私も持ってない写真です。ほしいですね。右は全国学協の事務所ですね。原宿にありました。

12/18(日)「愛の処刑」上映

㉓12月18日(日)、「愛の処刑」の上映とトークがあります。三島由紀夫の幻の作品と噂された原作の映画化です。上映後、伊藤文學さんと私のトークがあります。

「三島由紀夫生誕祭」1/14

㉔これは来年ですが、1月14日(土)、「三島由紀夫生誕祭」です。銀座タクトで。椎根和さんと横山郁代さん、そして私のトークもあります。〈深読み座談会。予言小説? 『美しい星』をめぐって〉

三島・森田両烈士追悼顕彰祭。11/24

㉕11月24日(木)午後6時半より、「三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭」が、高田馬場で行われました。

厳粛に顕彰祭が…

㉖全国から大勢の人が参列しました。厳粛に顕彰祭が行われました。

講演する保阪正康さん

㉗第2部は追悼記念講演。保阪正康さん(作家)により「昭和史と三島事件=歴史的視点からの考察」。とてもいいお話でした。

保阪正康さんと

㉘終わって、保阪正康さんと。

保阪さん。鈴木。山口敏夫さん

㉙山口敏夫さんも来てました。左は保阪さん。

元「楯の会」の伊藤邦典氏

㉚元「楯の会」一期生の伊藤邦典氏が挨拶しています。第3部の直会(なおらい)で。

私も挨拶しました

㉛私も挨拶しました。

寅さん。鈴木。番家誠さん

㉜寅次郎さん。鈴木。番家誠さん(岡山一水会の代表)です。

鈴木。寅さん。花ちゃん。平田君

㉝鈴木。寅次郎さん。花ちゃん(髪を短くして宝塚のようですね)。長野の平田君。

【【お知らせ】

  1. 12月18日(日)三島由紀夫作品と噂された幻の小説の完全映画化。〈「愛の処刑」上映と禁断のトークイベント!〉。14:30開場。15:00〜17:00 映画上映とトークイベント。会場は、本屋B&B(下北沢)。トークゲスト。伊藤文學(雑誌「薔薇族」初代編集長。「愛の処刑」プロデューサー)。鈴木邦男。
     これは噂では聞いていたが、見る機会はなかった。1960年に榊山保名義で地下出版された「愛の処刑」は、後の「憂国」や三島の最期を連想させる。映画化されたが、専門館での上映が中心で、一般の映画ファンには鑑賞の機会がなかった。今回はプロデューサーの伊藤文學氏が特別に上映。映画制作の過程の三島由紀夫の知られざる一面を探っていきます。
    予約方法 本屋B&Bホームページ「EVENT」よりお申し込み下さい。
    http://bookandbeer.com/event/20161218_ainoshokei/
    料金1500円+1ドリンクオーダー(500円)
  2. 2017年1月14日(土)。三島由紀夫生誕祭。
    場所:東京・銀座タクト。18:00〜Open 18:30〜Start。
    会費:男性6000円。女性5500円。
    予約:電話03(3571)3939(銀座TACT)
    祝・『美しい星』映画化。生誕92年! 年に1度のお祝いパーティ。
    第1部 18:30〜 深読み座談会。〜予言小説!?『美しい星』をめぐって〜
        椎根和(『平凡パンチの三島由紀夫』著)
        鈴木邦男(『遺魂 三島由紀夫と野村秋介の軌跡』著)
        横山郁代(『三島由紀夫の来た夏』著)
    第2部 20:30〜 ジャズ&ポップスライブ
        横山郁代(vo)&志村孝雄(p)
  1. 「循環する読書会」名古屋会。
    日時:2017年2月5日(日)13:30〜16:30
    参加費:3,000円 終了後に懇親会があります(希望者のみ。参加費は別途)
    場所:ウィルあいち 名古屋市東区上竪杉町1番地
    http://www.will.pref.aichi.jp/will.html
    テーマ本:「これからどこへ向かうのか」
    問い合わせ・申し込み:atsuko.ushijima@gmail.com(牛嶋)
  2. 「循環する読書会」東京会。
    日時:2017年3月4日(土)14:00〜16:30(予定)
    会場は高田馬場周辺を予定。
    テーマ本:「これからどこへ向かうのか」
    問い合わせ・申し込み:jyunkandokusho@gmail.com