何とも衝撃的な本だ。本の題名が、ショッキングだ。
エッ!何だこれは!と思う。ビビる。手に取るのもためらわれる。
だって、『第一番に捕虜になれ』だ。何とも自虐的な本だ。
男なら、たとえどんな状況でも勇ましく戦い、最後までやり遂げるべきだろう。つい、「男なら」と言ってしまったが、女だって同じだ。
それなのに、初めから戦いから逃げ、手を上げて、敵に降伏するなんて。
情けない。下らねえ。誰がこんな本を読むかよ、と思うだろう。多分、圧倒的に多くの人がそう思うはずだ。
この本のサブタイトルはこうだ。「帝国日本と『めめしさ』」。
帝国日本では、「めめしさ」は徹底的に排撃されたんだろう。軍隊だから当然だ。
〈敵が攻めてきたら、逃げます〉
〈島は相手にあげます〉
〈白旗を掲げて降伏します〉なんて言ってたら、軍隊にならない。この日本も守れない。
この本を出した出版社は青灯社。知らない。でも左翼的な出版社なのだろう。
書いた人は、清永孝。巻末の著者紹介を見てみる。「1929年 熊本県生まれ」。
すると80代後半じゃないか。戦争中のこと、戦前のことも知ってるんだろう。それで、最近の風潮に苛立って、この本を書いたのか。
九大を卒業後に九州朝日放送に入社し、退職後は日本近代史の研究を開始する、とある。その研究の成果がこの本か。
著書は他にこんなのがある。『裁かれる大正の女たち』(中公新書)。
あれっ、これは読んだぞ。いい本だった。思想を持って活動する女性たちのことを書いてたと思う。
他に『良妻賢母の誕生』(ちくま新書)。これは読んでない。買って読んでみよう。
この本は、一言で言えば、「めめしさ」の復権を訴える本だ。
そんなものは「復権」する必要なんてないよ。と思うだろうが、「いや違う」と筆者は言う。
もしかしたら、こういうことか。大言壮語する、勇ましい掛け声だけでなく、内に持った「やさしさ」も必要だ。昔の日本人はそれを持っていた。
それを言おうとしているのか。そう思って読んでみた。
しかし、そんな私の「やさしい」配慮などは一気に吹っ飛ばす。
「はじめに」の中で、こう言う。
〈帝国日本は右舷の「雄々しさ」と左舷の「めめしさ」とを持って、世界の荒波をかろうじてバランス良く航海していた。だが、『戦友』の封印以来、帝国は本来のバランスを失くし右舷に傾き始め、やがて悲惨な終焉を迎えるのだ。このように曲折した「めめしさ」の足跡は何を物語っているのだろう(中略)。そんな彼らの懸命な生死を、本書は「めめしさ」にまつわる挿話を通して振り返っている。「めめしさ」が帝国に不可欠な存在から、反国家的として排除されていった足跡の痛ましさ。それは己を制御する手綱を失くしていった「雄々しさ」の悲惨さであり帝国の悲劇とも言えるのであった〉
私は、「雄々しさ」「男らしさ」は闘いの中で、一瞬にしてわかる。
でも、あの戦争中だって、「雄々しさ」だけで成り立っていたのではない。
軍歌「戦友」は、色々と批判された歌だ。これは大体、勢いがない。さらに、覇気がない。軍隊も歌いたがらない。
私らは戦争に行ってないから分からないが、皆から圧倒的に批判された歌なのに、何故か軍隊内では好かれ、愛唱された。
筆者はこう言う。
〈ところが、多くの国民が例え呟くようなか細い声であったとしても、帝国の最後の日まで『戦友』を歌い続け、懸命に「めめしさ」を抱き続けていた事実を否定はできまい。「雄々しさ」独善の戦時中であっても、一日でも一瞬でも、皆で仲良く暮らしたいという「めめしさ」を手放すことがどうしても出来なかったのだ。もしかしたら、対立する「雄々しさ」と「めめしさ」は長い日本の歴史の流れに揉まれながら、何時からともなく自然に生まれ育ってきた「日本人らしさ」の表と裏と言えるのかもしれない〉
そうか。「雄々しさ」だけが「日本人らしさ」ではない。「めめしさ」と相まって、セットになって、初めて「日本人らしさ」が生まれたという。
ハッと目が覚めた。もうなんか、これは衝撃の〈日本人論〉だ。
そして、こう言っている。
〈だからこそ、「めめしさ」は、ややもすれば独善、傲慢、粗暴になりがちだ。その「雄々しさ」の醜い部分を映し出し、彼を諌(いさ)め、窘(たしな)める姿見の役を果たすことも出来ていた。つまり、それまでの帝国日本丸は右舷の「雄々しさ」、左舷の「めめしさ」とを持って世界の荒海をかろうじてバランス良く航海していた。だが、『戦友』の封印以来、帝国日本丸はバランスを失くし、右舷に傾き始め、やがて悲惨な終焉を迎えるのだ〉
そうか。「めめしさ」は消すべきものではなく、必要だったんだ。
そして、この本の凄いところは、その主張を裏付ける「証拠」を厖大に出していることだ。
私らは全く知らなかった。軍隊の中で、家庭で、学校で、大らかに「めめしさ」は語られ、歌われていた。
私は『戦友』封印しか知らなかった。全国に蔓延していたのだ。
その「めめしさ」を拾い集め、この本で紹介している。
でもそれで、「帝国の栄光」と殊更にあげつらうためではない、と言う。
〈激変した時代、無理に無理を重ね我慢辛抱を繰り返していたものの、遂に時代に押し潰されてしまった先人たちの無念さに、少しでも近づきたいためだ。「めめしさ」が帝国に不可欠な存在から、反国家的として排除されていった足跡の痛ましさ。それは己を制御する手綱を失くしていった「雄々しさ」の悲惨さであり、帝国日本の悲劇とも言えるはずだ。それを学び、後世に伝えることが、我々に与えられた歴史的課題ではあるまいか〉
又、『東京行進曲』も、国民を軟弱、卑怯者にさせる「めめしい」嘆かわしい歌であると批判された。亡国的とも言われた。
「シネマ見ましょうか お茶のみましょうか
いっそ小田急で 逃げましょうか
変る新宿 あの武蔵野の
月もデパートの 屋根に出る」
凄い歌だ! でも、戦時だ。こんな時代、こんな歌をうたってちゃいかんと言われるのは当然だろう。と我々も、つい思ってしまう。
でも今は、何でも歌える。外国の歌だって、外国語のままに歌っている。「時代が悪かったのさ」で終わりにしている。
でも果たしてそうなのか。これが筆者の疑問であり、この本を書いた第一の理由なんだろう。
戦後、生活環境は激変した。どんな歌も、言葉も、「卑怯未練」「軟弱」「役立たず」と罵倒されることはない。また、「恋」の歌ばかりだ。
〈だが、お上、お役所、お役人と、官尊民卑を思わせる言葉はまだ健在だ。もしかしたら、生活環境が変わったほどには、我々の心は変わらず依然として、戦陣訓に牛耳られた頃と同様に、「めめしさ」に対して薄汚れた評価しかしてないのかも知れない。「めめしさ」を社会の脚を引っ張る、軟弱で役立たずの厄介者と考え、疎外しがちではなかろうか。そしてまた、滅私奉公という「雄々しい」場面に格別の光を当て、きらきらと輝くその姿に、陶酔しているのではなかろうか。それはつまり、いたましく夫と妻を引き裂いた「戦ふ国」を、心底で憧れていることと変わらないであろう〉
ウーン、凄いことを言う。こんなことは、とても考えつかなかった。
筆者は言う。この本で帝国日本の「めめしい」挿話を取り上げたのは単なる懐古趣味からではない。「めめしさ」を振り返ることで、歴史を織りなして行く苦悩と悦び、責任と栄誉を学びたいためだ、と。
その手掛かりの一つ一つが、講和条約反対の騒乱での声「第一番に捕虜になれ」だ。
これを要約すれば、やっと戦場から生還できた男の懸命で「めめしい」叫び「死ぬな、生きろ」になるだろう。
〈切腹に始まり切腹で終わった帝国日本77年の歴史。その間、時の権力者が己の名誉と権威のため、都合の良い情勢だけを公開し、そうでない部分を封印した所が幾つもある。その傾向は現在も続いているのではなかろうか。ともかく、かつての時代を振り返り、私たちが帝国日本の先人たちとどれだけ違っているのか検証しなくてはならない〉
まさに、血を吐くような叫びだ。驚きの本だ。衝撃が余りに強くて、しばらく立ち上がれなかった。
この本の帯にも大きく〈「めめしさ」を排除、帝国終焉へ〉と書かれている。
「めめしさ」は、実は〈日本〉そのものだった。それを忘れて、暴走、独走したのがあの戦争だ。そして、それは今も続いている。
この文の下には、こんな言葉も書かれている。
〈「長い間、愛国運動をやってきたつもりだ。でも知らなかった。僕達の「愛し方」が間違っていたのか。「雄々しさ」だけを追い求め、「めめしさ」なんか忘れていた。でも昔はあったんだ。弱者へのいたわり、自分と自国への謙虚な反省。それがなかったら「愛」ではない。もっと早く教えてほしかった!〉
これも血を吐くような叫びだ。誰が書いてるんだろう、と思って見たら、何と私だった。いかんなー。忘れちゃ。
それほどに、我を忘れ、全てを忘れさすような衝撃的な本なんですよ。
「来年は韓国に応援に行きます」と言いました。
午後7時、六本木で「平家物語」を聞く。千賀さん、あべあゆみさんが出ていた。とてもよかった。
⑳「ハチ公と上野博士の像」もありました。この上野先生をずっと待ってたんですね、渋谷でハチ公は。上野先生は亡くなり、駅を通って帰ることはなくなりました。でも、ハチ公はそれを知らずに、毎日、出迎えてたのです。そして、亡くなります。かわいそうです。上野先生は東大の先生です。そこで、ここで会わせてくれたんですね。ハチ公と上野先生を。「ここ」とは東大です。いや、天国ですかね。