12月18日(日)は、衝撃的な映画とトークの集いに出ました。
三島由紀夫が1960年に書いたと噂される「愛の処刑」。
それが映画化されたのは、それから20年近く経ってだ。三島が亡くなった後だ。
その映画が今、やっと見れたのだ。
映画のあと日本初のゲイの雑誌だった「薔薇族」の編集長の伊藤文學さんとトーク。
実はこの映画のプロデューサーをやったのが伊藤さんだった。
三島の謎に迫る。日本文学史の謎に迫る。実にスリリングな集いでした。
そして、翌、12月19日(月)は、「アエラ」の忘年会。こちらも私にとっては記念すべき集まりになりました。
では、この忘年会の話からしましょう。
12月19日(月)の夜7時から始まりました。
いつもは、シャレたお店を探して、そこで忘年会をやる。毎年、違う店なので探すのが大変だ。
今年は、朝日新聞社の中にある「アラスカ」でやった。だから、分かりやすくて助かった。
私はちょっと遅れて7時半に着いた。
もう記者や編集長の挨拶は終わって、皆はひたすら飲み、食べていた。
「お久しぶり、一年ぶりですね」と挨拶してる人が多い。
そうか、普段はメールでしか連絡しない。電話の声も聞いていない。
だから実際、会って顔を見るのは、この忘年会しかないのだ。
「アエラ」の編集者やカメラマン、デザイナーにしてもそうだ。
その意味で、この忘年会は大事なのだ。
編集者も、「普段はメールのやり取りだけで、会うこともないので、とても楽しみな忘年会です」とメールをくれた。
私は「アエラ」に書評を書いてるが、書評をする人は10人ほどで、だから、2ヶ月に一度、回ってくる。
この「アエラ」の書評は、かなり注目されている。信用度も高いのだ。
今は、どこの新聞、どこの週刊誌、月刊誌にも「書評」のコーナーがある。その数は膨大だ。何十とあるだろう。
でも、その中でも、「アエラ」は抜群に信用があるし、評価されている。
それは(私以外の)書評者の優秀さにある。そして何よりも編集者の力による。
書いてる人は佐藤優、吉田剛、森永卓郎さんたちだ。日本でもトップの書き手だ。
その人たちが今、日本で話題になり、問題を投げかけている本を取り上げて書評する。
私もつい、読みふけってしまう。「アエラ」が送られてきたら、真っ先に読む。
この「アエラ」の書評が信用性があり、評価が高いのには理由がある。
書評する本を評者に選ばせないのだ。編集者が決める。
「これをやってください」。あるいは、2、3冊の候補を出して、「このどれかを書評して下さい」と言う。これはいい。
他の雑誌、週刊誌の書評は、ほとんどが、ライター(評者)が、書評する本を決める。
「よし、今度はこの本をやろう」と。そのライターの思いが入ってるから良さそうだが、でもこれは本当は危険だ。
ついつい、自分の書きやすい本を取り上げる。
自分の考えに似てる人。知ってる人。前から知っていて、期待をかけている人。…などの本を取り上げがちだ。
自分と考えの違う人、全く知らないジャンル。…そんな本は取り上げない。
その点、編集者の方から、「これをやって下さい」と言われると、それしか書けない。
又、「選択の自由」がないと、私などは助かる。
偉い作家や大学教授などから、「お前、書評やってんだろう。俺の本を取り上げて紹介してくれよ」と言われることがある。
他のライターもそういう依頼は多いだろう。
「この前、メシをおごったじゃないか」と言われる。又、「前に、君の本を紹介してやったよな」と言われると、断れない。
あるいは、初めから、バーターで書評をやってるケースもある。「俺の本を取り上げてくれよ。その代わり、君の本を紹介するから」…となる。
だから「書評」のコーナーは、そうした情実、慣れ合い、取り引き…の場になりやすい。
大体、本を書いてる人が評者だから、起きる問題だ。
自分も本を出してるから、自分の本も紹介してほしい。だから、バーターになりやすい。
それを避けるために、「本を書いてる人」をやめて、書店員さんか、出版社の社員に書かせるケースもある。この方が公平だ。
しかし、自分でも本を書いてる人の書評の方が面白い、と思う人もいる。
それで今でも、作家、ライターが書いてる方が圧倒的に多い。
でも、談合になりやすい。「何とか、この弊害をやめよう。そして、公平・中立な書評欄を作りたい」と考えたのが「アエラ」だ。
そのために、ライターには選ばせない。「この2冊から、どちらか選んで下さい」という方針を出す。
「じゃ、こっちの方が面白そうですから」と、ライターは手に取る。そして読み、書評を書く。
他にライバルが多くいるから、必死だ。
そうか。これも大きいなと今、気がついた。
他の「書評」だと、1人の書評になりがちだ。
1人のライターが毎週書く。あるいは毎月書く。そのライターの個性が出て、面白いことはある。
でも、皆、忙しい人だ。だから、いつも読んでる人の新刊や、そんなに厚くない本を取り上げる。
そして、自分の好きな傾向の本しか選ばない。そうなる。
でも、「アエラ」方式は違う。ライターに選ばせない。「だから、先生の本は取り上げられないのです」と言うこともできる。
「この前、メシを食わせたじゃないか」と言われても、「私に本を選ぶ権限はないので」と言える。
又、10人近く評者がいるから、「生き残り」をかけて、必死だ。
又、取り上げる本の著者と知り合いという人は、ほとんどない。これもいい。
客観的に本を取り上げて書く。他の評者に負けないように、いい原稿を書かなくちゃと、努力する。
又、自分の知り合いや、前から注目してる人の本は取り上げない。
これもいい。書評の「独立性」が保たれる。
そうか、いつか、「書評論」を書いてみてもいいな。本の「書評」でなくて、「書評論」だ。考えてみよう。
それに「アエラ」は女性が一番頑張っている雑誌だ。優秀な人が多いし、全体の6割以上が女性だという。最も進んだ雑誌だ。
では、この前日の集会だ。
12月18日(日)、下北沢の書店「B&B」で行われた。
午後3時から、映画が始まる。「薔薇族」の編集長だった伊藤文學さんがプロデュースして作られた映画だ。
1983年に上映された。上映時間は1時間。そのあと伊藤さんとトークがある。
私は文學さんと会うのは2度目だ。こんな所で話をするのは初めてだ。
三島が「愛の処刑」を書いたのは1960年だ。ペンネームでゲイ雑誌に書いた。まだ「薔薇族」は発行されてない。
「薔薇族」は、三島事件の翌年、1971年に創刊された。その時の編集長が伊藤文學さんだ。
ちなみにこの「文學」という名前は本名だ。
こんな変わった名前、本名のはずがないと思っていた。
ところが本名だと知って驚いた。
じゃ、お父さんが「文学者になれ!」と付けたのか。それは、なぜなのか。今度会ったら聞いてみよう。
それに、子供たちは何という名前なんだろう。「伊藤英文学」とか「伊藤露文学」…と続くのだろうか。
この「愛の処刑」は1960年に書かれた。
三島と思う人もいるが、いや、絶対に違う、と言う人もいる。まだ判定は下ってない。
私は、三島は違うだろう。『仮面の告白』で書いてることが全てだろう。それ以上のことはない。ゲイポルノなのか小説なのか書いてない、と思っていた。
伊藤文學さんは、「これは三島の作品に違いない」と思い、自分で金の工面をして、映画を作った。
ただし、いろんなことがあって、映画を作ったのは、三島さんが亡くなってから10年以上が経ってるが、この映画については「マガ9」のブログにも書いた。
「ゲイポルノ」として作られ、その筋の専門館でしか上映できなかったという。その手の人が集まる「ゲイポルノ」館だ。
上映した映画館は今もあるらしいが、ちょっと変わった雰囲気だ。
男同士のカップルで入り、映画そっちのけで抱き合い、愛し合っている。又、そこでパートナーを探す。そしていろんな「愛」の場面が行われている。
今から考えても不思議だ。「60年安保」「70年安保」と言われ、「革命」の恐怖が言われてた時代だ。〈私は何か〉を問う本になった。引け目を覚えることなく、堂々と生きてほしい〉という伊藤編集長の主旨通り、本は売れた。文化人、ライターも協力してくれた。
次に三島の側から見る。
1960年に「愛の処刑」を書く。多分これは三島の原作だろう。これを映画化しようという話は出たようだが、とてもできなかった。(この時から30年あまり後になって作られたのかな)
三島は「愛の処刑」を書きながら、あとで何度か直した。
そして直すうちに段々と欲が出た。これだけ命がけで書いた小説だ。日本だけでなく、世界にも出してやろうと。
それで、「個人的動機」ではなく、背景を「2.26事件」にした。
そして世界中の人が見ても納得できる背景にした。
それが「憂国」だ。三島の生きてるうちに、映画化され、世界中で反響を呼んだ。
一方「愛の処刑」は三島が死んで10年経って、やっと映画化された。
しかし、ゲイ専門館でしか上映されない。残念だ。私らも見たことがなかった。ずっと「伝説」であり、「謎」だった。
そして、伊藤文學さんと知り合い、やっと見ることができた。詳しいことは「マガジン9」にも書いた。
文學さんは、「もし三島が見たら、何と言うでしょうか」と気にしていた。
そりゃー喜びますよ。「よくやってくれた」と言いますよ。映画としても、完成していたし、素晴らしかった。
文學さんはゲイではない。でも、長い間、ゲイの雑誌をやっていて、ゲイの気持ちはわかるようになる。
「三島さんは幸せでしたね」と言う。映画の後のトークの時だ。
「どうしてですか?」と聞いたら、「100人からのいい男たちの中で、自分の一番好きな森田と一緒に死ねて」と言う。
ウーン、そう思う人はいるだろうが、それはちょっと違う、と言いました。
確かに三島は小説家として、いろんな趣味は持っていた。
でも、それを「楯の会」の中には絶対に持ち込まなかった。これは、「楯の会」の人たちにも聞いている。
今のようにネットや携帯があって、人間の感覚が鈍磨してる時代ではない。偏見がない分、感覚は研ぎ澄まされている。
もし、「楯の会」の中にそんな生々しい雰囲気が入ったら、すぐに感づかれてしまう。
又、少しでもそんなものが噂になったりすると、100人の「楯の会」は一瞬にして崩れてしまう。それは三島もよく分かっていた。
だから、そんな感情は持ち込まない。「楯の会」には、三島の「文学ファン」も取らないと言ってたほどだ。これは間違い無いと思う。
文學さんとは又、ゆっくりと話を聞きたい。
今、文學さんの本を2冊読んでいる。〈『薔薇族』編集長による極私的ゲイ文化史編〉と銘打った。『やらないか!』(彩流社)と、『裸の女房』(彩流社)だ。
後の本は、自らの奥さんについて書いた本だ。ちゃんと奥さんがいたんだ。
だからこそ、ゲイの本は出しながらも、〈同好の士〉にはならなかったのだ。前の本には、例の「福島次郎」のことも出ている。
その話は又、次週にでもしよう。では又、来週。
1月には、生誕祭でのトークもあるし、この『美しい星』の舞台には、ぜひ行ってみたいと思ったのだ。UFOの来た山の方にも行ってみた。