2月24日(金)、初めて防衛省に行きました。
三島由紀夫が演説をした建物を見ました。
ここのバルコニーで三島が演説し、隣りに森田必勝が仁王立ちしていた。あの場面が甦るようだ。
それから、「東京裁判」の法廷も見ました。
テレビや映画などでは何度も何度も見ました。相当大きな法廷かと思ったら、小さいんですね。それに当時は、クーラーも暖房もない。大変だったと思います。
「三島」と「東京裁判」は、まさしく「歴史」です。歴史に対面し、驚いた一日でした。
防衛省は、以前は「防衛庁」だった。六本木にあった。
学生時代、私はこの近くに住んでいた。乃木坂にある「生長の家学生道場」だ。
防衛庁までは歩いて3分位だった。だから昼などはそこの食堂で食べた。安いし、うまい。それよりも自衛隊員の「体力」の維持を考えて食堂側は作っているのだろう。そのおかげで私らの体力も維持されたのだ。
でも、その後、左翼学生が丸太を持って突っ込んだり、あるいは反戦自衛官が押しかけて、声明を読んだりした。
それからはものすごく警備が厳しくなり、とても我々が入れませんでした。近所の住民も入れません。
それ以来、ずっと自衛隊には縁のないものと思ってました。
ところが三島は「楯の会」を創り、自衛隊に何度も体験入隊をし、信用を築いていたんですね。
さらに1970年11月25日。市ヶ谷自衛隊で、自衛隊員を集めて、演説し、その後、自決したのです。
その時の映像は、何十回と見ました。でも、その〈現場〉に行ったことはありませんでした。
とても入れないと、最初から思っていたのです。
ところが、たまに新聞や雑誌に出ています。「見学できますよ」と。
でも、俺たちでは無理だよな。「一般」の人だよな、と思ってました。
ところが、これは行けそうだ!と思ったんです。私が行っている予備校の河合塾で、「社会見学」として「防衛省に行こう」という案内が貼ってあったのです。
さっそく担当の先生に聞きました。「あのー、私でも入れるんでしょうか」「あっ、大丈夫でしょう。申し込んでおきますから、当日、身分を証明するものを持ってきて下さい」と言われました。
それで、行ったのだ。2月24日(金)の午前8時半に、市ヶ谷駅集合です。私は勇んで行きました。
この案内にはこう書いてました。
〈防衛省に行ってみよう! 防衛省・自衛隊の「市ヶ谷地区見学」に参加して、旧日本陸軍中枢部、東京裁判法廷、そして自衛隊の今を見て、過去と現在を考えてみよう〉
何でも、見学は毎日、やってるんだそうです。
午前と午後、1回ずつ。30人とか50人とか定員があって、定員になるまでは入れます。だから、数日前に申し込めば、午前中なら入れます。
2月24日、市ヶ谷駅に集合し、そこから防衛省まで歩きます。
もう入口前には、他の見学者も待ってます。一人一人、身分証明書を見せて、確認します。それから中に入ります。
さらに待って、グループ毎に案内の自衛官と女性の方が付きます。
中はだだっ広いです。こうした官公庁の中では一番広いそうです。まるで、市か町ぐらいあります。
六本木の防衛庁にあったものや、ここの隣りにあった建物なども移築してまとめたそうです。
だから、あの三島が演説した建物のバルコニーもあります。「東京裁判」が開かれた法廷跡の建物もあります。
〈歴史〉です。リアルな〈歴史〉です。
自衛隊の方が説明してくれます。又、防衛省が作った映画も見ました。自衛隊の歴史です。
どうやって自衛隊が出来、今、どうなっているのか。これからどこへ行くのか、が語られます。
だけど昭和45年の「三島事件」は全く出てきません。自衛隊の歴史の中でも触れたくないものなのか。「タブー」なのかもしれません。
では、建物を案内しているうちに、(広報の)自衛官が、「そのドアに刀傷が付いてるでしょう。それは三島たちが乱入して、刀を振った時に付けたんですよ」と説明してくれた。
本当は言っちゃいけないのに、つい言っちゃったという感じでした。
三島が演説した建物の高さは、下から見ると案外、低いんですね。
でも、ここのバルコニーって、何のためにあるんだろう。と考え込みました。別に幹部が号令をかけるためでもないだろうし…。
三島由紀夫はそこに目を付けた。ここなら本当に絵になる。そして声も届く。外からは、実によく見える。
もし、撃とうと思ったら、確実に撃てた。でも自衛隊はやらなかった。三島は、それも予測したのだろうう。それ位の覇気が自衛隊にあれば、むしろ嬉しいと思ったのではないか。
しかし、やらなかった。三島は演説し、そして、部屋に入って自決した。
ここは実にいい場所だ。三島は何度も来ている。
そして、こうして見当をつけていたのだ。
余りに有名な場所だが、自衛隊は、一般には公開したが、取材や、ニュースや映画などには使わせない。
若松孝二の「十一・二五 自決の日 三島由紀夫と若者たち」でも、ここは使えなかった。
それで、静岡県の市役所を借りて撮った。そこは、今も市役所としての仕事はあるのに、貸してくれた。
ただ、下を電車が通り、かなりうるさい。ここの中で、井浦新さん(三島役)は、大声をあげて演説した。
市ヶ谷のこの場所が借りられたら、こんないいことはないのに。
又、ポール・シュレイダーの「MISHIMA」では、やはり、ここが借りられなくて、福島県郡山市の郡山市役所を使った。
皆、苦労して、「似た建物」を探して撮ったのだ。
「これがあのバルコニーか」と、じーっと見ていた。
三島、森田が現われて出るような気がした。
でも、そんな思いで見てたのは私くらいだろう。
河合塾の人もそうだが、合流したほかのグループでも、会社員の集まりなどが多かった。そんなに三島には関心はないようだ。
又、一切、三島の話はしないから、ちょっと分からない。
それから、「東京裁判」の法廷跡に行った。
エッ?これがそうか、と驚いた。だって、映画やテレビで見ると、かなり広い。
東條以下、日本の「戦犯」。弁護人。検事。裁判官。そして、世界中の報道陣がいる。又、被告人の家族たちもいる。すごい人数がいる。
でも、ここだって、撮影、取材では使わせない。だから映画で使う時は、どこかほかの場所を借りてやっている。
又、法廷の後ろの方には「展示コーナー」がある。
軍服がある。軍の腕章がある。手紙や武器もある。
硫黄島の守備隊長の手紙がいい。自分の子供に宛てたのだが、読みやすい。
手紙、マンガが入っている。絵の才能もあったのだ。
他の人でも、そんな、ユーモアが入っているハガキや手紙が多い。
ともかく、いい機会だった。こんな機会でもないと、行けなかった。三島、森田の両氏に「再会」したような感動を覚えた。
又、「東京裁判」の現場を見れたなんて。全く予測しなかったので、嬉しい。ありがとうございました。
2月24日(金)は防衛省に行って、その3日後、驚きの体験をして、2月27日(月)だ。「テレビ朝日」に出たのだ。
そして、地上波でも衛星でもなく、何と、ネットや携帯でしか見れないらしい。
前に、去年の年末かな、出たことがある。
新宿の居酒屋の四畳半くらいの部屋で撮った。堀潤さん、村本大輔さん、原田曜平さんなどと出た。酒を飲みながらの「居酒屋トーク」だった。
じゃ、「今日もそうか」と思ったが、場所は「テレビ朝日」だ。
そこに行くと、やたらと大きく、きれいなスタジオに案内された。
「8時半に集合」で9時から11時まで、2時間やるという。
その後半で、「第一回 保守派サミット」をやるという。
そんなサミットあるんかいな。と思ったが、とにかく行った。
そして、参加しましたよ。保守とは何か。右翼、左翼は今、どう思っているのか。憲法はどうするのか。アメリカにどう向き合っていくのか。そして、天皇の退位について…などが議題に上る。
この日は、考えのかなり違う人もいたが、喧嘩にはならなかった。笑顔のうちに、熱い議論を展開した。
若い人は、結構見てました。
〈テレビ朝日とサイバーエージェントの共同企画で始まった。スマホで楽しみ、スマホで取材するというコンセプトを用いたスマートフォン向けの日本初の本格動画番組です〉と言う。
そして、この「Abema Prime」は2度目の出演だ。
又、今日は大スタジオでの本番だ。
又、後半は〈第一回 保守派サミット〉と銘打ってあった。
ヤダな。俺らは「保守派」じゃないよ。革新派だ。いや、革命派かな。と思っていたけど。
2月24日と27日、どちらも驚きの連続だった。とても勉強になった2日間だった。