芝居が終わって、20分の休憩の後、トークが始まった。
我々3人が登場すると、「ウォー!!」という歓声に包まれた。
「おう、すごい!」「これは何だ!」と言う人もいる。
そりや、そうだろう。我々3人は皆、思い思いの和服を着て登場したからだ。
特に私なんて、全く着付けないのに、何と、去年買った「芝崎ブランド」の「三島柄」着物を着て登場したのだ。
先に登場した高木尋士さん(劇団「再生」代表)が紹介する。創作着物を作っている芝崎さんに作ってもらった「三島由紀夫柄」の着物です、と。
私は両手を広げ、さらに後ろを向いて、そのデザインを見せる。「ウォー」と、さらに歓声が上がる。
「三島柄」といっても、三島の顔が描かれてるわけじゃない。市ヶ谷の決起を絵にしたわけでもない。
三島文学を読んでる愛読者じゃないと分からない。三島作品から「黒蜥蜴」などをデザインして描かれている。相当の知性がないと分からない。さらに「セバスチャンの殉教」に出てくる無数の矢もデザインされている。
この時のトークは、高木尋士さんと、有末剛さん、私の3人。
4月8日(土)、阿佐ヶ谷の「ザムザ阿佐ヶ谷」だ。
午後2時から、有末剛さんの「緊縛夜話」がある。江戸川乱歩の「盲獣」を基にした緊縛芝居だ。サブタイトルとして、「あなたの世間に唾を吐く」と出ている。
これも知的で、高尚な芝居だった。
だって、幕は上がらない。俳優は出ない。幕の後ろで動く「影」だけが客には見える。
エッ、影絵芝居なのかと思っていたら、それがどんどん進む。
女性のヌードも出る。縛る。吊るす。そして、何やら思想的な対談も進む。
人間は目で見ることを主にして、それで他の感覚を失った。いや、「見る」ことも忘れた。見てるつもりでも、本当は見ていないのだと、疑問を呈す。
又、見えてると思い込むことによって、「触る」「聞く」といったほかの感覚は全てダメになった。
ちょうど、文字が発明されて、記憶力が衰えたようなものだ。
昔、記録の方法がない時は、平家物語でも、人は長いものを完全に記憶し、語ってきた。
琵琶法師もそうだ。大体、字が読めない。だからこそ、聞くことで記憶する能力は格段に発達した。
格闘技でも言える。目で見て、それだけに頼っていると、うまく投げられない。
むしろ、体全体の動き、記憶に従った方が、うまく体が動き、相手を投げられる。
特に寝技の時はそうだ。だから、寝技の強い柔道校では、わざと、目にはちまきをして、目に頼らないで寝技をする稽古をする。
それによって、体の体重のかけ方、関節のとり方などを無意識のうちに出来るようにする。
オウム真理教の麻原は、目が悪かった。でも柔道をやってたし、強かった。目の見える人よりも強かったのだろう。一度、練習してみたかった。
影絵芝居「盲獣」では、幕の向こうで芝居が行われる。それを我々は影絵として見るだけだ。
格闘技も、愛の秘技も、エロスも、この方が能力がアップする。直接、女の裸を見るよりも、こうして、シルエットで見、影絵で迫る方が、欲情する。そんなことを感じた。
2時間も、そうした〈想像力による芝居〉を見て、一旦、休憩。
20分の休憩のあと、有末、高木、鈴木の3人が出て、「エロスとタナトス」について話したわけだ。
どうせなら、面白い趣向をしようということで、3人は着物で登場したわけだ。
有末、高木の2人はよく着てるらしいが、私なんて、これで2回目だ。自分では着れない。スタッフの人に着せてもらい、あわてて、登場した。
でも、「ウワー!」という大歓声で、迎えられた。嬉しい。
その嵐のような歓声の中でトークは始まった。
「生のエロス」。そして「死を前提としたタナトス」。
実は二つは似たものだ。平和な時は、なかなか、エロスは生まれない。いや、本物のエロスは生まれない。
たとえば、兵隊にとられ、明日は戦地に行く。その前に奥さんと愛し合う。あるいは、決起の前夜に交わる。
そんな時は、「これでもう死ぬのか」ということで、生命のパワーが生まれ、「次の世代に続けよう」という思いが募り、子供が生まれることが多い。
さらに今ならば、選挙の時だ。これも〈戦争〉だ。だから、ケネディも、日本の歴代首相たちも、ほとんどが選挙中に仕込まれている。
嘘だと思ったら調べてみたらいい。これは自民党の議員に聞いた話だから本当だ。永年、調査して確信したという。
だから、本当のエロスとは「タナトス」なのだ。死ぬかもしれないという思いが結実して、タナトスとなる。それは究極のエロスなんだ。…という話をした。
又、「緊縛」というのは日本にしかないと有末さんは言う。
相手にも確かめて、「痛くないか?」「気持ちいいか?」と聞きながら縛るのだ。こんなことは外国ではない。
外国では、逆さ吊りとか、監禁するとか。その目的に合った合理的な「緊縛道具」を使う。皮の拘束具、あるいは銀の手錠とか。そしてカギをかける。
勿論、そんなものに「愛」はない。「愛の緊縛」という日本文化とは違う。
縄を使うことで、美しい人はより美しく。そうでない人も、美しく見せることが出来るという。
そうか、じゃ、「制服」のようなものか。皆、それなりに美しく見える。で
も、デブなどはどうなんだ。それでも「醜くさ」を隠し、「美」を際立たせることが出来ますと有末さんは言う。
この縛り、初めは、神社の「しめなわ」から来てるという。うわー、これは「神事」なのか。単なるエロ・グロではない。
だから、これこそが「日本文化」ではないか。森友学園でも教えなくっちゃ。
そうだ。「影絵芝居」は2時から4時。20分の休憩の後、我々3人のトークだ。
1時間が過ぎた時、「あっ、大変だ。5時になる!」。5時からTBSの「報道特集」に出るんだ。行かなくちゃ、と叫んだ。
「えっ? もう収録したんでしょう。哲学堂公園の桜の下で話をしたって言ってたでしょう」と高木さん。
あっ、そうだっけ。忘れてた。3日前に、もう収録してたんだ。
じゃ、安心だ。だから、ゆっくりトークをし、そのあと、礼仁さんたちとゆっくり食事をして、帰った。
高木さんたちと一緒に行こうとしたら、「夜、もう1回、ありますから」という。
すごいねー。影絵芝居を2回もやるのか。大変だ。
それで、礼仁さんたちと食事をした。何を食べたかは忘れた。
最近はすぐ忘れる。それに手帳を見ても、字が汚いから、分からない。読めない。いかんなー。
この前なんて、かすかに待ち合わせ場所だけが読める。しかし、誰と会うのか分からない。
仕方なく、行って待っていると、「原稿出来た?」。
ゲッ! 今日が〆切だったのか。「今日中に書きます」と言って、焦って帰ってきた。
この日は、家に帰ってからTBSの「報道特集」を見た。録画してたのだ。「戦前回帰? 教育を考える」。
大阪の森友学園の話が中心だ。幼稚園児に「教育勅語」を暗誦させて、さらに、「安倍首相頑張れ!」なんて言わせている。犬の訓練じゃないんだから、やめろよ。「児童虐待」じゃないか。逮捕しろよ。
この3日前に喋ったことだ。それを収録して話していた。
はじめ、「TBSに行きますよ」と言ってたんだが、局の人は「いや、外でやりましょう」と言う。「じゃ、ミヤマの会議室?」と言ったら、「どこか公園を探します」と言う。
それで、新井薬師にある哲学堂公園になったわけだ。初めて行ったが、やたらと広大だ。
東洋大学を創った井上円了さんが作ったという。池や橋にも一つ一つ、哲学的な名前がついている。
許可を得て、大きな桜の木の下でイスを置き、そこに座る。満開の桜の下で、「愛国心」について語る。
公園にいる人々が、「何事か」と思って寄ってくる。スターの撮影かと思ったようだ。残念でした。
そのあと、「教育勅語」はもう終わったものだ。文科省だって、無効宣言を出している。これを基にした教育が行わないと決めた。当然だ。
それなのに、今頃、これを持ち出して、園児に暗誦させている。これを聞いたら、首相は、「やめろ!」と叫ぶべきだ。
それなのに感動し、偉いと思う。おかしいよ。そして、「愛国心」を持ってる人に悪い人はいない、と思ったのだろう。考えが足りなかった。
…と、そんな話を、桜の下で話したわけですよ。
それが、8日(土)の夜に流された。反論、批判が殺到すると思ったが、こなかったね。
山本太郎さんはじめ見た人は皆、「よかった」と言ってた。「たまにはいいことを言う」と言う人もいた。
4月11日(火)の「朝生」の「30周年記念パーティ」に行った時も、見た人が沢山いて、誉められた。
ただ、当たり前のことを言っただけなのに、誉められ、「勇気があるよね」と言われた。そんなこともないのに。特に覚悟を持って言ったわけじゃないし。
それにしても「ミヤマ」は朝9時からもう、やってるんだ。驚いた。9時から昼まで、ビッチリと話をした。
それから家に帰って、仕事をやる。かなりたまっている。
さらに夜9時に、参議院会館に行く。福島みずほさん、佐高信さんと「森友、愛国心、教育勅語」について話し合う。
地下鉄の最終の前に終わって帰る。玄関のとこで、山本太郎さんにバッタリ会う。
「あれっ、遅くまで仕事ですか」とお互いに…。山本さんは、「報道特集見ましたよ。よかったですね」と言っていた。「教育勅語を復活させるなら、切腹もチョンマゲも復活させるべきじゃないか。と言ってたの、いいですね。使わせてもらいますよ」と。
家に帰って、コンビニ弁当を食べて、寝る。
それに、私が入った時は、産経は学生運動をやってた人でもどんどん採った。逮捕者も採った。
他の新聞では採らなかった。中に入って、直してやる、と鹿内社長は言ってた。
大学の時に対決した左翼もけっこういた。そして、直っていった。これは不思議だった。そんな〈言論〉の力を感じた。そんな話をした。
終わって、急いで中野へ。中野サンプラザで「ザ・ニュース・ペーパー」の「30周年記念パーティ」。
本当は来年で30周年だが、少し早目にやったようだ。コントあり、挨拶ありで、楽しかった。
長い間、ご苦労様でした。この歴史を書いた田原さんの本『暴走司会者』も、とても面白かったし、よかった。懐かしい人たちに大勢、会いました。
夜は、一水会フォーラム。ジャーナリストの石高健次さん。テーマは、「拉致事件が明白となって20年」。
日本で一番早くこの問題を報道したが、その時は信じる人も少なくて、苦労したという。大阪の朝日放送に勤めていたが、「サンプロ」で初めて放送した。その苦労話をする。そして、どうやったら解放出来るかについて語る。
二次会の席でも、ずっと熱く語り合った。一水会の講師で来るのは、何と三度目だという。
話にも迫力があるし、ジャーナリストとしての「覚悟」を感じた。
⑮「桜並木を守りましょう」という看板。でも、〈「老木」を「若木」に植え替えて、桜並木の存続を中野区とJRに訴えています〉と書かれてました。これを見ていたおばあちゃんたちが、「失礼ね!」と怒ってました。樹齢、100年、300年という桜でも、花を咲かせてます。それなのに…。
⑳「朝まで生テレビ」が始まって30年。それを記念した集まりが4月13日(木)午後1時より、ANAホテルで。司会の田原さんが挨拶。でも、「あさっては私の誕生日です。金日成さんと同じです」と言って、田原総一朗さんがケーキカット。