高校の同窓会があって、仙台に行って来た。5月20日(土)だ。
最近は毎年のようにやっている。普通なら、5年に1回とか、10年に1回だろう。
でも、それでは、どんどんいなくなると不安なのか。あるいは愛校心が強いからなのか。毎年、5月にやっている。
さらに、東京にいる人だけで集まったりもしている。
人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」が大ヒットしている。荒木飛呂彦さんも同窓生だ。私は1回生だが、彼は15回生かな。若い。一度、この同窓会で会った。でも最近は忙しくて、来れない。
その他、映画監督になった人もいるし、会社の経営者もいる。元の高校に勤めた人もいる。校長先生になった人もいる。今の校長もそうだ。
東北学院榴ヶ岡高校だ。思い出のつまった高校だ。
私は3年の卒業間際に、事件を起こし、退学になった。でも半年間、教会に通い、懺悔の生活をし、復学を許され、たった一人で卒業式をした。
その後、東京に行き、早稲田予備校に通い、次の年に早大政経に合格した。「鈴木史」の中では一番の劇的な事件だ。
高校には迷惑のかけっ放しだ。初めは同窓会にも呼んでもらえなかったが、今はちゃんと呼んでもらえる。「一人で高校の名前を汚してしまいすみません」といつも謝罪している。
私らの頃は、男子校で、服装はうるさいし、やたらと厳格な高校だった。
でも今は、〈男女共学。服装は自由〉だ。ズルイ。「青春を返せ!」と叫びたい。
高校のダンス部は大活躍で日本はおろか、世界の大会でも大活躍をしている。同窓会でも、それを披露してくれた。素晴らしい。
今年は「14回生が還暦を迎えるし、そのお祝いもやります」と案内状には書かれていた。ヘエー、我々の頃はなかったよな、と思った。
出席者は名札を胸につけている。何回生かも書いている。「46回生」「47回生」なんて人もいる。
これは在校生かと思って聞いたら、「いえ、卒業生です」と言う。
じゃ、今の在校生は何回生だろう。高校1年生は「58回生です」という。
エッ! 私らは1回生だよ。そんなに違いがあるのか。50才以上も違うんだ。
皆、愛校心があるようで、自分の息子、娘も入れてる人が結構いる。孫を入れた人もいたという。すごい。
お父さんが教師で、娘も入学した、というケースもある。学校じゃ、きっと冷やかされたんだろう。
今回は、還暦を迎える14回生を中心に、その辺の人々が多い。
輝ける1回生は4人しかいない。入学した時は確か3クラスで、140人位いたのに、生き残ったのはたった4人か。と言ったら、「今日、出席してるのが45人で、他にまだいますよ」という。
いや、あまりいないだろう。2回生も3人位しかいなかった。
「邦男、この前、テレビで見たぞ」とか、「本屋にオメの本あったど」と声をかけてくれる。「んだっちゃ」…と、方言も出て、すぐに仙台弁に馴染む。いいことだ。
高校は途中から共学になり、同窓会にも女性が出席している。花がある。
「1回生の人なんているんですか?」と不思議な顔をしている。「前世紀の遺物」みたいだ。
「出席者は4人だよ。あとは死に絶えたんだ」と説明すると、「そうですか」と納得している。冗談が通じない。でも「絶滅危惧種」であることは確かだ。
今は高校も大学も生徒を集めるのに必死だ。男子校、女子校も、皆、共学になってる。
さらに、野球、スケート、駅伝などで有名になって、それで生徒を集めようとしている。
「でも、それだけでは集まらない。要は大学への進学率だ」と解説してくれた人がいる。
ラサール、PLなどといった宗教を基本にした学校でも、それだけでは生徒が集まらないから、学力アップを考える。「
ラ・サールに入ったら東大に入れる」と思って、優秀な人が集まる。
静かに、敬虔にキリスト教を学び、その雰囲気に包まれて学園生活を送りたい。…なんて、のどかなことを考えている人はいない。
必死に勉強し、「東大に何人入ったか」。それで結果が出る。「果実」で評価されるわけだ。
私の出た東北学院榴ヶ岡高校も、ミッションスクールだった。キリスト教の中で、静かに生活をしよう、なんてことはない。
あくまでも、勉学に頑張り、東北大に何人入れるか。東京の有名私立に何人入れるか。それが勝負なのだ。
仙台は男子が一高、二高とあり、女子は一女高、二女高、三女高とある。これが公立のいい高校だ。中学生は皆、ここを目指す。
あとは私立、それかミッションが多い。伊達政宗、支倉常長以来の伝統なのだろう。キリスト教の学校が多いのは。
その他、仏教系の学校もある。仙台は「学園都市」なのだ。
ただ、私立のいいところは中高一貫校が多い。高校からは入れない。
ただ、私らの頃は、子供が多く、公立校に入れない人が続出した。中学浪人が大量に出た。「15の春を泣かせるな!」ということで、中学浪人救済が叫ばれた。
でも、当時は、公立を落ちたら、行ける私立がない。あるのだが、余りに差が大きい。こんなとこに入るなら、浪人した方がいい。と思っちゃう。
そこで、中高一貫の東北学院が、「じゃ、高校から入れる学校を作ろう」と榴ヶ岡を作った。
1クラス50人で、3クラスだ。一高、二高を落ちた人はドッと来た。
それ以来、校長先生の挨拶は決まっていた。
「自分から好きでここに来た人は一人もいないだろう。一高、二高を落ちて来た人ばかりだろう。でも、その悔しさを3年後に晴らせ!」と復讐心に火をつける。
俺より出来ない奴が一高に入った。悔しい。じゃ、3年後に思い知らせてやればいい! そう言うのだ。
生徒はすぐに納得する。生徒も命がけだが先生も命がけだ。
勉強以外のことは全て禁止だ。退学、停学だ。
又、この厳しさを守るために教師は生徒を殴る。「神の愛だ」と言いながら、暴力を振るう。おかしい。
でも、大学に入りたいから、文句を言わない。理不尽な暴力、圧政に耐えていた。
高校2年の時は「60年安保」だ。
愛国党にいた17才の少年、山口二矢は社会党の浅沼委員長を刺殺した。日比谷公会堂でのことだ。テレビで放映された。
私もこの時、17才。感動はしなかったが、「何で17才で、こんなことができるのか」と驚いた。
国のために人を殺し、自分も死ぬ。俺たちなんて、皆、自分のためだけに生きている。大学に入りたいという個人的な欲得だ。
でも山口二矢は、自分を捨てて、国のために命をかけた。
「それで、3年の春休みの時に、愛国党を訪ねて、赤尾敏に会ったんだよね」と同級生が言う。
あの頃は、何を考えていたか分からない。
大学入試会場の下見に行った時、浅草に行って、愛国党に行ったのだ。
でも、今は大学入試だけが大事だ。仙台に帰って来て、必死で勉強する。
試験に関係ない授業では内職をしていた。聖書の時間にも隠れて英単語を覚えていた。
「赤尾の豆単」だ。赤尾敏とは関係がない。旺文社の社長の赤尾好夫だ。彼の作った「豆単語」だ。
それを必死で覚えていたら、教師に見つかり、怒鳴られ、その単語帳をストーブに投げ捨てられた。アッという間に燃えてしまった。
「あそこまでやられちゃ、黙ってられんだろう」と周りの生徒が囃し立てる。「皆で抗議に行こう!」と言ってくれる人もいる。私も、動かされた。
今から考えると、卒業まであとわずかだ。我慢してればいい。
でも出来なかったんだ。自分の中に、一匹のけだものがいる、と思った。
そして一人、職員室に行って、その教師を見つけ、いきなり殴りつけた。
バカなことをしたと思う。即刻私は退学だ。もう学校なんか行けない。
このまま高校中退で生きるしかない、と思った。
高校中退で不良の仲間に入る。暴走族に入る。そして、どっかの右翼に誘われる。今と同じじゃないか。
でも、スタートが違うし、そのあとは大きく違うような気がする。
どうなってもいいや、とやけっぱちになっていた時に、札幌にいた姉が来てくれて、ずっといてくれた。
「邦男、ヤケになっちゃダメだよ」「先生に謝り、懺悔しなさい」と言って、教会に通う。
屈辱の日々だった。カノッサの屈辱だと思った。
でも半年後、それが認められたのか、復学が許された。「奇蹟」だ。
3年の授業は全て終わっていたので、「一人だけの卒業式」だった。校長の言葉は、「ヤケになるなよ」。その一言だった。
そうだ。この時、姉は札幌じゃなくて、東京にいたんだ。
旦那は札幌にある会社に勤めていたが、その東京支店にいた。世田谷の用賀に住んでいた。
だから、高校を卒業した私は、姉の家に引き取られた。
そこから早稲田予備校に通った。早稲田予備校の中に、「政経ターミノロジー」という学科があって、早大政経を目指す人間だけしか採らない。
そこは、試験がある。優秀な生徒を集めて「政経の入学率」を上げたいからだ。私はそこに入った。
「こんなに出来るのに、どうして去年、落ちたんですか」と職員に聞かれた。
「落ちたんじゃない! 受けさせてくれなかったんだ!」と叫びたかった。
でも、それじゃ「問題児」として目をつけられる。「はい、体調が悪かったもので」とか色々とごまかした。
それから半年、必死で勉強した。そして早大政経に入った。
これで大学生だ。「末は博士か大臣か」という昔の言葉を思い出していた。
でも、それからが又、大変だった。生長の家に入り、全共闘と対決し…と、次なるステージが待っていた。
その原点になったのが、仙台の東北学院榴ヶ岡高校だ。
「あれはテロだよね」と同窓生が言う。私が教師を殴った事件だ。それしか私の思い出はないのかな。
「でもこの次の年の事件はクーデターだよな」と言う。
私の事件に刺激されたわけじゃないだろうが、翌年、又もや大きな事件が起こった。これは私も少し聞いている。
北海道に修学旅行に行って、教師の対応に激怒した生徒が、先生たちを大広間に集めて糾弾集会を開いたという。全共闘運動みたいじゃないか。
でも、それで怒った学校側が、大量処分をした。
初め聞いたのは、「40人か50人、まとめて退学にした」という話だった。
でも、1学年140人位だ。その三分の一を退学にしたら大変だ。授業料が入ってこないし、それはないだろうと思った。
でも、「何十人かの大量処分」は本当らしい。これは誰かが取材して書いたらいいのに。
今は絶対にそんなことはないし、自分を抑えられる。
でも、17才の私には抑えられなかった。〈17才〉が悪いんだ。愚かなことをしたと思う。
でも同窓会では皆、このことばかりを言う。
「テロリスト」鈴木だから。次の年は「クーデター」があって大処分された。
すみません。これも私のせいでしょう。きっと。
そんなことを思い出し、いつも謝ってばかりいます。未来永劫、ずっと謝罪し続けるでしょう。
でも、私のやったことだから仕方ないと思います。どこかの国のように、「いつまで謝るのか」「もういいだろう」なんてことは絶対に言いません。
「この前、憲法の話してたな」「桜の下で何か言ってたな。今でも現役なのか。偉いな」と皆に言われた。
現役ですよ。今だって、喧嘩も出来るぞ。と思ったけど、そんなことは言えない。
この日は仙台に泊まり、翌日は登米に行った。
前からぜひ行ってみたいと思っていたのだ。よく、ポスターが貼ってあるし、テレビなどでもやっている。
バルコニーのある小学校を見たい。明治からある、立派な小学校らしい。スマホで調べて、朝早くバスに乗って行った。
90分かかって登米に着く。あたり全体が「明治村」だ。「宮城の明治村」として宣伝している。これは写真を見てほしい。いいところだった。
一時は、仙台よりも大きく栄えていたらしい。その面影もあった。
この日、午後3時から7時半まで「いぬむこいり」の上映。その後、トークで私も出る。
映画は4時間だが途中、休憩が入り、始まる前は予告も入る。これで4時間半になっている。
7時半に終わって、すぐトークは始まる。片嶋監督と漫画家の内田春菊さん。そして私の3人だ。
内田さんとは初対面。楽しかった。「この映画はボーダレスですが、今日のゲストもボーダレスです。
内田さんは漫画家、ミュージシャン、女優、作家…と、いろんな仕事をされてます。ボーダーを軽々と乗り越えています。鈴木さんも右翼、左翼のボーダーを乗り越えてます。
この2人がこの映画をどう見たか、語ってもらいたいと思います」と言う。
あっそうか。そう言う見地から考えたことはなかった。愛、戦争と平和…という、壮大なテーマを担っている。学生運動、民族紛争もあるし、排外主義、民族浄化…もある。それらが、この映画の中に詰め込まれ、暴れている。
「でも、そこに優しさがある。愛、幸せがあるんです」と春菊さん。あっそうなのか。見方が深い。
初め見るときは、「4時間なんて長いな。耐えられるかな」と不安だったが、見たら、アッという間だった。それだけ人々を惹きつけるものがある。片嶋監督の力だ。
そこを中心に話をした。トークの30分もアッという間に終わった。
その後、皆で打ち上げ。お酒を飲みました。主演女優の有森也実さんも駆けつけ、挨拶をしてくれたので、一緒に行きました。
又、客として見ていた寅次郎君、レーニンさん、瀧沢さんたちも一緒に行って飲み、映画について大いに語りました。
そして、教会に通い、懺悔をして、奇跡的に復学は認められた。姉がいなかったら、私は高校中退のままだったろう。
その他、お世話になってばかりいる。病院に行ったら、私のことは分かるようだった。
ただ口がきけない。大変だ。最近書いた本を見せた。宝島社から出た『新宗教50』には生長の家の谷口雅春先生のことを書いたので、見せて説明した。分かってくれたようだった。
⑯この登米は明治維新後、ものすごく栄えてたんです。米を運ぶ川はあり、その中継地だったし、又「水沢県」の県庁がここにあったんです。「宮城県」には統合されてなかったんです。だから、県庁もあるし、小学校、警察署なども立派なものがあります。
⑰武家屋敷が沢山あり、藤沢周平原作の映画にもよく使われました。そこに喫茶店があり、詳しい話をしてくれました。
「登米(とめ)」と今は言ってますが、昔は「登米(とよま)」と言ってたそうです。町が大きくなり、大工さんや、県や、国の役人が沢山入ってきて、読めないから、「とめ」と言ったそうです。でも、地元では、今も「とよま」と言ってるそうです。ややこしい。
だから、「登米市登米町」は、「とめ市とよま町」と読みます。面倒ですね。とよまが正しいんだから、それに統一してほしいですね。
㉒5月23日(火)、新宿K's cinemaでトークをしました。毎日3時から7時半まで、「いぬむこいり」の上映。4時間の映画です。このあと、毎日トークをやってます。この日は7時半から片嶋監督と漫画家の内田春菊さん。そして私です。