2017/06/05 鈴木邦男

47年ぶりに「楯の会」福田氏に会った!

①北アルプスの麓にあった

元「楯の会」福田俊作氏と。5/27(土) 元「楯の会」福田俊作氏と。5/27(土)

元「楯の会」一期生の福田俊作氏に会った。

あの事件で別れてから初めてだ。1970年11月25日、三島事件の日だ。

それまで私は福田俊作・阿部勉両氏が住む高田馬場のアパートに居候していた。学生運動から追放され、1970年4月からは産経新聞社に勤めていた。

この二人のアパートは住み心地がよかった。

そこは、「楯の会」のメンバーが集まり、毎日のように議論をし、酒を飲んでいた。昔の学生運動の雰囲気を思い出し、楽しかった。

ところが半年後、11月25日、三島事件が起きる。事態はがらりと変わる。

相撲を取りましたが… 相撲を取りましたが…

部屋に祭壇が置かれ、三島、森田氏の遺影が置かれる。楯の会の人たちが集まってヒソヒソと話し合っている。

外にはマスコミの人が大勢いる。警察も来る。

こりゃー、いられないな、と思った。急遽、アパートを探して、翌日に、そこを出た。福田氏、阿部氏にはとてもお世話になった。

阿部氏にはその後も会っている。彼が一水会を作ったようなものだ。

「第一水曜日に集まりましょう。とりあえず一水会という名にしましょう」と言う。彼が綱領などを書いてくれた。

三人が住んでいた高田馬場のアパートから一人、下北沢に移った。そこのアパートを「一水会事務局」にした。彼にはお世話になりっ放しだった。

福田俊作氏の方は、日本を脱出し、世界を回ったようだ。

有明山神社で 有明山神社で

三島事件以来、会ってない。そして、今年の5月27日(土)。その福田俊作氏と会ったのだ。

何と47年ぶりだ! 変わってない。相変わらずデカイ。

学生時代からデカかった。武道の達人だった。182センチ、90キロだ。高校時代から柔道と空手をやっていた。

どんな闘いの場でも、彼といれば大丈夫だと思っていた。弁慶のような男だった。

彼は今、長野にいる。「穂高養生園」をやっている。

病院」なのかな。「整体」か、「治療院」なのかな、と思っていたが違う。

〈ようこそ、穂高養生園へ〉と書かれたパンフレットがあるので、そこから紹介しよう。

北アルプスの山がきれいです 北アルプスの山がきれいです
〈ここは北アルプスの麓。安曇野の森の中にある宿泊施設。マクロビオティックをベースにしたやさしい食事、ヨーガや原生林の散歩、心身の深いリラックスによって本来、誰にでもそなわっている自然治癒力を高めることを目的としています。日常生活から少しだけ離れて穂高の豊かな自然に身をゆだね、心身の声に耳を傾けてみませんか〉

壮大な空間だった。特に、長い時間をかけて丁寧に作り上げた自然の家「新棟」がある。きれいな個室が沢山ある。集会室、セミナー室もある。いろいろなワークショップも行われている。温泉もある。

老人のための治療院かと思ったが違う。若い人たちの方が圧倒的に多いという。

ここが「穂高養生園」です ここが「穂高養生園」です

芸能人も多い。ニューヨーク在住の歌手・宇多田ヒカルさんも来ていた。

実は彼女は福田俊作氏の息子と付き合っていた。このことは週刊誌やテレビでも大きく報じられていた。「天才画家で、父は楯の会」と報じられていた。

それで息子も、又この養生園も一気に有名になってしまった。

「あの時は大変だった。マスコミの人間ばかりがドッと取材に来て。どこに行ってもマスコミがいた」と俊作氏は当時を振り返る。

でも今は、静かに、自分を見つめる場所だ。

先月だったかな。美輪明宏さんのライブを聴きに行き、終わって楽屋に訪ねたら、「福田俊作さんは元気ですか?」と聞かれた。

山小屋風の建物があります 山小屋風の建物があります

福田氏はあまりマスコミの取材に応じない。あるいは、「宇多田ヒカル」さんのことでテレビを見て思い出したのかもしれない。「長野で治療院をやってるらしいですね」と答えた。

でも、どうして福田氏を知っているのだろう。「楯の会」の中の班長でもないし、派手な活動をしたわけでもない。

「三島さんと一緒に家に来てくれたのよ」と美輪さんは言う。三島と一緒に来た「大男」というので覚えているのだろう。

「今度、会ったらよろしく言っておきます」と言った。

福田氏にそのことを伝えたら、懐かしがっていた。

②瀧沢さんたちがセッティングしてくれた

中はとてもきれいです
中はとてもきれいです
これは露天風呂です
これは露天風呂です
各部屋に温泉が 各部屋に温泉が

「小さな治療院」を想像していた私だったが、全く違っていた。

壮大な空間だ。山一つある。そこに宿泊施設、集会、セミナーの施設、温泉などがある。

周りは雪を頂いた山々だ。川が流れ、滝もある。昔ながらの大きな釜があり、ご飯を炊いている。何か、別の世界に来たようだ。

「武道場を作ったらいいのに」と思った。

昭和21年生まれというから私の3才下だ。今年70才か。

ちょっと組んでみたが、体が頑丈で、とても投げられない。柔道3段というから私と同じだ。

でも、全然違う。「最強の70才」だろう。

ミーティングルーム ミーティングルーム

山を歩いて、説明してくれる。三島事件以降の人生も話してくれる。

「電話した時、鈴木さんと声が似ていて、ビックリしました」とあさ子さんが言う。

「やはり東北ですか?」「いえ、大阪です」。

そうか、そんなことも知らなかった。

学生時代は、全共闘と闘う「今」しか考えてない。それに「これから」だ。

皆、「過去」は語らない。どこ出身で、高校時代は何をしたかなんて、全く話さなかった。聞きもしなかった。

食堂 食堂

福田氏の過去は、ここで初めて聞いた。そして、三島事件以降の話も。

自転車で世界を回り、日本に帰って来て、会社に入り、マクロビオティックに出会い、目覚める。

だからこの養生園の食事は、野菜を中心とした玄米菜食のマクロビオティックの食事だ。

全国から多くの人が来る。お世話をするスタッフは30人もいる。その人たちと共にこの養生園をやっているのだ。

すごいね。大企業の経営者だね、と言った。

そして、学生時代の話をした。47年ぶりとは思えない。次々と人の名前が出る。事件の話題が出る。

実は、福田氏との再会のセッティングは瀧沢さんやあさ子さんが全てやってくれた。私は何もタッチしてない。

入口(案内パンフから) 入口(案内パンフから)

瀧沢さんは三島由紀夫研究家としても有名だ。若松監督が三島を描いた映画は30回も見たという。三島についての勉強会もやっている。

7月10日には高円寺で元「楯の会」一期生・阿部勉氏についての集まりをやる。阿部氏が出演した映画も紹介するという。

阿部氏についての伝記も全て読んだ。山平重樹氏などが書いている。

その中で、阿部氏の親友・福田俊作氏がよく出てくる。

興味を持って調べたら、長野で養生園という施設をやっているという。どうも鈴木とも知り合いのようだ。

行ってみようと思い、調べて電話した。

「いいですよ。ぜひ来て下さい。鈴木さんと会えるのは楽しみです」と福田氏は言ってくれた。

それだけの段取りをした上で、「だから行きましょう」と言われた。ありがたい。

③高田馬場で居候してたのだ

山歩きをしました
山歩きをしました
急な流れの川もあります
急な流れの川もあります
ゲストを案内する福田氏 ゲストを案内する福田氏

こっちは何もしないのに、昔の仲間と再会出来るのだ。

午前8時に落合に迎えに来てくれた。高木あさ子さん、塩田祐子さんも一緒だ。

瀧沢さん運転の車で一路、長野に向かう。

安曇野、穂高はとてもきれいだった。山が美しい。空気もきれいだ。外の景色を見ながら、ウトウトと眠ってしまった。

「さぁ、着きましたよ」と言われて目を覚ました。

福田氏が出迎えていた。やはりデカイ。全く変わらない。感動した。

47年ぶりか。そんなに昔か。

「久しぶり。あの時は本当にお世話になったのに何も出来なくて…」と言った。半年以上も居候してたのに、下宿代も払ってない。

クマ予防の「クマ鈴」をつけて クマ予防の「クマ鈴」をつけて

そうか、なぜ福田氏、阿部氏と一緒に生活したのか。それも書いておこう。

私は、大学に入り、「生長の家学生道場」に入って、学生運動をした。一生懸命やった。

「生長の家」の学生組織である「生学連」を中心にして全共闘と闘った。

又、生学連を中心にして全国の民族派組織をまとめる「全国学協」を作った。1969年だ。その初代の委員長に私はなった。

だが、人望がなく、ただの暴力学生だった私は、すぐに追放されてしまう。

一時は郷里の仙台に帰ったが、縁があって産経新聞社に入れてもらった。

ここで、ご飯をいただいてます ここで、ご飯をいただいてます

1970年4月からの入社だ。じゃ又、東京での生活が始まるんだ。アパートを探さなくては、と思い、上京した。

アパートを探す前に都内をうろついた。渋谷を歩いていた。そこで何と、阿部勉氏にバッタリと会ったのだ。

「先輩、お久しぶり。どうしてたんですか」と言う。近くの喫茶店に入って話をする。

彼は生学連、全国学協とは違う。日学同にいた。そこから「楯の会」に入った。でも出身は秋田県角館だ。だから「同じ東北人」ということで仲がよかった。

全国学協を追い出され、仙台に帰り、縁があって産経に入った。だから今、アパートを探しに上京したんだ。という話をした。

「じゃ、アパートが見つかるまで僕の家にいて下さいよ」と言う。

高田馬場に福田俊作と二人で六畳二間のアパートを借りてるという。広いし、先輩も寝れますよ、と言う。

コンロで火をおこしてます コンロで火をおこしてます

「じゃ、頼むよ」と即答し、その日から、居候した。そこから産経新聞に通った。

昼は、サラリーマン。夜帰ってくると、学生が集まっていて、討論している。酒も入る。その雰囲気が嬉しかった。

全国学協を追放され、もう二度と学生運動の世界には戻れないと思っていたので、運動の雰囲気は楽しかったのだ。

それに皆、勉強家だった。よく本を読んでいた。阿部氏も吉田松陰全集をそろえて、原文で読んでいた。彼は、旧漢字、旧仮名で日記もつけていた。

又、字がうまい。休みの日には、近くのスナックのお姉ちゃんたちを集めて習字を教えていた。

和服を愛し、正座し、背筋を伸ばして、教えている。凛々しいと思った。

そして、お茶をいただきました そして、お茶をいただきました

ここにはちょっといて、アパートを探すつもりだったのに、居心地がいいので、つい延び延びになった。

食事も二人が作ってくれる。私は宿代も払わずにずっと居候していた。

楯の会の学生が毎日のように来ていた。楯の会のたまり場になっていた。

歌手になった三上寛さんも来ていた。最近、テレビの仕事でバッタリ会った。

「あの時は、ご馳走になりました」と言う。「鈴木さんがいると今日はご馳走だ」と思ったと言う。

サラリーマンは私だけだから、私がいると、皆におごってやったらしい。「そうだっけ?」と聞き直した。

大した金ではないが、彼らは覚えている。

④翌日は、札幌に。姉の見舞いに

「OBASUTE」で 「OBASUTE」で

こうした話をしてるとキリがないな。あとは、7月10日の高円寺で話そう。

あの半年間の生活があったので私は「再生」出来たのだと思う。

私にとっては、あの場所が「養生園」だった。あれがなかったら、たとえ産経に行っても、「落伍者」の意識のままだったろう。

昼は会社で仕事をし、夜帰ってきて「楯の会」の学生たちと討論し、酒を飲む。そこで皆、雑魚寝(ざこね)だ。朝、

私だけが一人、起きて、背広を着て、会社に行く。「楯の会」の人たちは皆、寝ている。

目を覚ました学生が言う。「ほう、鈴木さんも今じゃ、サラリーマンですか。学生の時はあんなに暴れてたのに」。

ムッとした。「じゃ今、暴れてみようか」とも思った。

翌日は、札幌で。甥の康二君と 翌日は、札幌で。甥の康二君と

いやいや、その時代は終わったのだ。〈次〉のことを考えなくちゃと思った。

福田氏は〈次〉のことを考えていたのだろう。そして日本を脱出して、世界を回った。

その頃の気持ち、そして三島事件で感じたことなどを書いたらいい。椎野礼仁さんに頼んで、本を作ってもらおうか、と言った。

その前に、〈対談〉をしよう。そんなことを考えながら、「穂高養生園」を後にした。ありがとうございました。

夜、遅く帰ってきて、家で仕事。

次の日、5月28日(日)は朝8時に家を出る。羽田発10時の飛行機で札幌へ。

姉が病気で入院している。その見舞いだ。息子の康二君と一緒に行く。

姉は口も利けない。食事も喉を通らない。点滴だけだ。

「俺のこと、分かるかな」と心配だったが、分かって笑顔でうなづいていた。「とても喜んでましたよ」と康二君は言う。

長野で福田氏に47年ぶりに会い、翌日は札幌で姉と会った。又もや、慌ただしい週末だった。

【だいありー】

「朝日新聞」に出ました 「朝日新聞」に出ました
  1. 5月29日(月)千歳発12時20分の飛行機で羽田に帰る。14時羽田着。
     家に帰ってから、図書館に行く。本を返して、新たに15冊、借りる。
     最近は、地方に行ってばかりいるので仕事がたまっている。焦って、朝までやる。
  2. 5月30日(火)午前中、原稿。
     午後2時、取材。
     夕方、早く帰って仕事をする。
立川談慶さんと。5/31(水) 立川談慶さんと。5/31(水)
  1. 5月31日(水)午前中、原稿。
     午後3時、打ち合わせ。
     午後6時、新宿紀伊国屋で待ち合わせ。
     落語家の立川談慶さんが新しい本を出した。『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか=落語に学ぶ「弱くても勝てる」人生の作法=』(日本実業出版社)。刊行記念の落語、そしてサイン会があった。紀伊国屋書店、8階イベントスペース。面白かった。彼の本は皆、面白い。
     終わって、談慶さんたちと飲んだ。
「週刊女性」(6/6日号) 「週刊女性」(6/6日号)
  1. 6月1日(木)午前10時半。「みやま」会議室。新聞社の取材。
     それから学校。自習室で勉強。
     3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。今日は、この本を皆で読む。ピーコ、谷口真由美、佐高信の『お笑い自民党改憲案』(金曜日)。
     〈笑った後で恐くなる。異色トリオが放つ護憲爆弾〉と本の帯には書かれていた。その通りだった。〈不愉快な世はゴメンだ〉と3人は言う。
  2. 6月2日(金)午前中、原稿。
     午後1時、「みやま」会議室。新聞社の取材。二日続いて「みやま」だ。
     4時、打ち合わせ。
     その後、講道館へ。柔道の稽古で汗を流す。
  3. 6月3日(土)午前中、原稿。
     午後2時、「のりこえねっと」に出る。ものすごい人だった。熱気がある。
  4. 6月4日(日)午前11時、テレビ朝日。火曜放送の「アメーバテレビ」に出る。2時、渋谷で打ち合わせ。ついでに映画を2本見る。三島由紀夫原作の「美しい星」と、大川宏洋プロデュースの「君のまなざし」。2本とも内容の濃い映画だった。考えさせられた。
    本屋に行く。ついでに映画を見る。
打ち上げで
打ち上げで

【写真説明】

元「楯の会」福田俊作氏と。5/27(土)

①5月27日(土)。元「楯の会」一期生・福田俊作氏と再会しました。何と47年ぶりです。長野県の「穂高養生園」に行ったのです。

相撲を取りましたが…

②昔からデカかったです。182センチ、90キロ。ちょっと相撲を取ってみましたが、全く動きません。学生時代から武道の達人でした。柔道3段、合気道3段の私でも全く歯が立ちません。

有明山神社で

③近くの有明山神社で。

北アルプスの山がきれいです

④行く途中の山がきれいでした。北アルプスの麓です。空気もおいしいです。

ここが「穂高養生園」です

⑤ここが福田氏がやっている「穂高養生園」です。壮大です。広い敷地に宿泊施設、セミナールームなど沢山あります。温泉も引いてます。

山小屋風の建物があります

⑥山小屋風の建物が沢山あります。

中はとてもきれいです

⑦外見はラフですが、中はとてもきれいです。全国から宿泊する人が来ます。

各部屋に温泉が

⑧各部屋に温泉が引かれてます。

これは露天風呂です

⑨これは露天風呂です。

ミーティングルーム

⑩ミーティング・ルーム。

食堂

⑪食堂。

入口(案内パンフから)

⑫入口(案内パンフから)。

ゲストを案内する福田氏

⑬ゲストを案内して山歩きする福田俊作氏。

山歩きをしました

⑭山を歩くのはとても気持ちがいいです。

急な流れの川もあります

⑮下には川が流れています。

クマ予防の「クマ鈴」をつけて

⑯クマと出会った時、困らないように、「クマ鈴」を付けて歩きます。鈴の音でクマは近づきません。

ここで、ご飯をいただいてます

⑰ここでご飯を炊いてます。昔の家では皆、こういう風にして炊いてましたね。

コンロで火をおこしてます

⑱福田氏がコンロを出して、火をつけてます。新聞紙に火をつけ、それから、小さな小枝を入れ、そして、中くらいの木を入れます。

そして、お茶をいただきました

⑲そこで沸かした湯でお茶を入れてくれました。とてもおいしかったです。

「OBASUTE」で

⑳穂高に行く途中の自動車道で。「OBASUTE」S.Aです。昔は実際に捨てたんでしょうね。その地名が残っているだけでもすごいです。

翌日は、札幌で。甥の康二君と

㉑5月27日(土)は夜、家に帰り、翌28日(日)は朝早く起きて、羽田から札幌へ。甥の康二君を訪ね、姉の病気見舞いに行きました。「よく来てくれた」と喜んでくれました。

「朝日新聞」に出ました

㉒次の日、札幌で「朝日新聞」を買って読んでたら、札幌時計台ホールの講演会の案内がデカデカと出てました。驚きました。

立川談慶さんと。5/31(水)

㉓5月31日(水)は午後7時から、紀伊国屋書店で、立川談慶さんの新しい本『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか=落語に学ぶ「弱くても勝てる」人生の作法=』(日本実業出版社)の刊行記念の落語、トーク、サイン会。我々もたっぷり楽しみました。
 談慶さんの本は今まで全部読んでるが、面白いし、人生の知恵が溢れている。慶応を出たインテリだし、とても勉強家だ。頭もいい。

「週刊女性」(6/6日号)

㉔打ち上げに誘われて、池近くの焼き鳥屋に行きました。偏狭な政治、排外主義の日本をどう救うか。どう変えるか。という大問題について、熱く語り合いました。

打ち上げで

㉕「週刊女性」(6月6日号)に載りました。女性週刊誌に載るなんて、初めてじゃないのかな。〈愛国心〉について語りました。〈“愛国”なのに愛がない〉と。

【【お知らせ】

  1. 6月9日(金)18時30分から20時。大阪府・摂津市立コミュニティプラザ。講師は、上西小百合さん(衆議院議員)。そして鈴木邦男です。テーマは「森友問題」。
  2. 6月10日(土)高円寺パンディッド。(高円寺北3-8-12フデノビル2F)。13時スタート。元「楯の会」阿部勉氏を語る会。又、阿部氏が主演した映画も紹介する予定です。(出演者)日野繭子さん(女優)。小川晋さん(映画史研究家)。鈴木邦男、他。料金2500円(1ドリンク付)。
  3. 6月13日(火)午後6時30分。一水会フォーラム。ホテルサンルート高田馬場。
     講師・ワリフ・ハラビ先生(駐日シリア代理大使)。演題「真のシリア情勢を語る」。参加申し込みは一水会事務局へ。Tel 03(3364)2015。
6/20(火)時計台シンポ 6/20(火)時計台シンポ
  1. 6月20日(火)午後6時、札幌時計台ホール。〈第23回鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台〉。ゲスト、小林節氏(憲法学者)。テーマ「憲法改正は必要か?」。参加費2000円。お問い合わせ・申し込みは、柏艪舎(はくろしゃ)可知(かち)へ。tel011(219)1211。
  2. 6月24日(土)劇団「再生」。『二十歳の原点』公演前に高木尋士氏と鈴木のトーク。
  3. 6月30日(金)午後7時。新宿二丁目の道楽亭で、快楽亭ブラックさんの独演会。落語の前に、ブラックさんと鈴木のトークがあります。
  4. 7月1日(土)。白井聡さんと鈴木邦男の対談本『憂国論=戦後日本の欺瞞を撃つ』(祥伝社新書)が発売です。800円です。
  5. 7月7日(金)7時、一水会フォーラム。講師・鈴木琢磨氏(毎日新聞社編集委員)。「最新の朝鮮半島情勢」。
  6. 7月15日(土)12時30分。渋谷ロフト9。
    〈連合赤軍事件45年。トークイベント〉
    第1部 戦後史の中で連合赤軍事件が与えた影響
        白井聡、青木理、鈴木邦男
    第2部 映像制作者がとらえた連赤
        足立正生、高橋伴明、原渕勝仁、馬込進吾。
    第3部 表現者はどう描いたか。
    桐野夏生、山本直樹、金井広秋。
  7. 7月21日(金)渋谷アップリンク。午後7時から始まる、映画「ベースメント」の終了後に、舞台挨拶があります。
  8. 7月22日(土)午後2時から、大阪市・龍谷大学梅田キャンパス(ヒルトンプラザウエストオフィスタワー14階)。「和歌山カレー事件から19年」。 講師:笹倉香奈「科学鑑定とえん罪」。弁護団報告。挨拶(鈴木邦男)。解説(河合潤)他。
  9. 7月29日(土)午後1時から阿佐ヶ谷ロフト。例年のように、「鈴木邦男生誕祭」です。ゲストは寺脇研さん。岡大介さん。
  10. 8月8日(火)一水会フォーラム。講師・新垣毅氏(琉球新報社報道部記者)。「沖縄の現状を考える」。
  11. 8月19日(土)「ベースメント」。シネマスコーレ(名古屋)で。6時からの回の終了後、舞台トーク。
     主演の増田俊樹さんと鈴木邦男、瀧沢さんのトークがあります。
  12. 8月27日(日)8月に狛江映画祭があり、その中で「天皇と軍隊」を上映し、この日はトークも行います。主催者と、ゲストの鈴木邦男です。
  13. 9月2日(土)午後3時より、盛岡で佐高塾。私も講演します。
  14. 9月7日(木)9月8日(金)劇団「再生」。見沢知廉十三周忌追悼公演でプレトーク。高木尋士氏と鈴木。
  15. 9月15日(金)青森県弘前市で講演です。