忙しい。いろんな集会に出てるし、テレビにもここ2ヶ月で3回ほど出た。
テレビ局の内の勉強会でも喋った。それに新聞、週刊誌の取材もある。
外に出る忙しさだけなら、まだいいが、家に帰ってからの「原稿」もある。レギュラーの連載の〆切もあるし、単行本も抱えている。白井聡さんとの対談本『憂国論』(祥伝社)は7月1日に出る。
その他、今、天皇論の書き下ろしを書いている。これは夏か秋になるだろう。必死で書いている。
それに、「読書ノルマ」もあるし。今までは「30冊」だったが、今年から、「40冊」にした。
年が上がるとノルマも上がる。それだけ仕事もなくなるから、ヒマになって本を読めるだろう。と思ったのだが、違うようだ。
でも、何とか、月に40冊はクリアーしている。
「世の中のことを知るには、人と会うことと、本を読むことだ」と吉田松陰は言っている。
私も本は(乱読に近いが)読んでいる。
又、いろんな対談や集会を通して、今、頑張っている人、旬な人に会える。これは嬉しいことだ。
「朝まで生テレビ」や「たかじんのそこまで言って委員会」などは、厳しい番組だ。私など、ほとんど喋れない。
でも、そこで、いろんな人たちに会った。あとで、ゆっくり質問も出来る。宮台真司さん、宮崎学さん、飛松五男さんなどとは、そこで会った。これは嬉しかったし、自分の宝になっている。
又、ロフトや、いろんな集まりで会った人も多い。
6月9日(金)は、大阪・摂津市で上西小百合さん(衆議院議員)に会った。とっても美しい人だ。モデルか女優になったらいいのに。
なぜ、大変な仕事の国会議員になったのだろう。と疑問に思っていた。
ところが、会って話していて、私の勘違いが分かった。
この国のことを真剣に考えている。その上、とても勉強家だし勇気がある。
普通のOLをしてたのに、政治に関心を持ち、「維新」の公募に応募した。
そして当選し、やってきたが、今はフリーの無所属だ。その間の苦悩などについても話してくれる。
この日のテーマは「森友問題」だったが、そこにとどまらず、日本の政治、世界の政治。そして、我々の生き方の問題にまで進む。
実に真剣に、真面目に考えている。感動しました。
又、この問題に火をつけた地元の市会議員・木村真さんの報告も聞く。
その報告を受けて、この問題の隠された本質についても話し合う。
東京で聞く話と、地元で聞く話ではかなり違う。
終わって、打ち上げの時も、いろいろと聞き、とても勉強になりました。
政治家だと、自分の「政策講演会」が多いし、他の政治家を呼んでの講演会も多い。
でも上西さんは、政治以外のことも話せる人だ。
他のジャンルの人も呼んで、話してほしい。芸能界、作家、マンガ家などの付き合いも多いし、そういう人たちとの対談を通じて、国民眼線の政治を考えることが出来るんだと思う。
それに、我々はテレビを通じてしか知らない。いいニュースもあるが、ちょっと失敗すると、すぐにスキャンダルだといっては騒いで報じる。すぐに「こいつはだめだ」と決めつける。それはダメだろうと思う。
こうして、森友の地元、上西さんの地元に来て話を聞くことが大事だと思った。
私なんかを呼んで、森友問題で講演会をやる。こんなんじゃ、人も集まらないだろうと心配した。
実際、開始時間が近づいても人はあまり来ない。椅子は500くらい用意してるのに、全く集まらない。心配になった。
楽屋で控えていたが、ちょくちょく覗いていた。こんな大きな会場を借りて、とても無理だよな。と思った。
そして開演時間になった。渋々、出た。
舞台に上がって驚いた。満員だ。全部の椅子が埋まっている。
後ろの方は、椅子がなくて、立っている。すごい。さすが上西さん。地元の力が強いのだ。
すっかりいい気分になって、「森友問題」「愛国心」「政治は何ができるか」などについて討論しました。
司会は、上西さんの秘書の笹原さんだ。
そして、この問題に火をつけた地元の市会議員の木村真さんも話してくれる。
詳しい。東京にいては分からない話だ。
さらに、そのレポートを受けて、木村さん、上西さんが話をする。
ここ摂津市の隣りは高槻市だ。「そうか、去年、高槻に来たよな」と思い出した。民進党の辻元清美さんの選挙区だ。
「鈴木さん、応援演説に来て下さいよ」と頼まれて行ったのだ。
普通なら断るところだ。「私なんかが行ったら、“右翼が来た”といって、かえって逆効果になる」。
ところが、この時、彼女はネトウヨに執拗に攻撃されていた。ネットで嘘八百を書かれ、「辻元は反日だ!売国奴だ!」と書かれた。
又、街頭演説時も、いきなり襲われたり、怖い目にも会ってるという。
「じゃ、行きましょう。私で役に立つかどうか知りませんが」…と。
高槻のスーパーの前で演説してるとのことで、駅から車で、そこに直行する。
彼女は演説していた。「私は決して反日ではありません。売国奴でもありません。その証拠に右翼の鈴木邦男さんとも友達です。あっ、その鈴木さんが今、来てくれました!」と言って、マイクを私に渡す。
うまいねー。それで私が話す。考えが違う点はあっても辻元さんはこの日本のことを真剣に考えています。売国奴ではありません!」と。
そんなことを思い出しながら、摂津市での上西さん講演会は終わりました。
翌日6月10日(土)は、早く起きて、東京に帰る。
昼前に東京に着き、高円寺に向かう。午後1時から、高円寺パンディッドで「元楯の会・阿部勉氏を語る会」に出る。とてもよかった。
阿部氏は「楯の会」一期生だったが、三島事件以降、一緒に、一水会を作ったメンバーだ。又、「一水会」「野分祭」の名付け親だ。
とても才能のあった人だ。よく勉強していた。
外で会う人は、飲み屋で会うから、「彼はいつも酔っ払っていた」という印象しかないようだ。それは残念だ。
私も、いつか阿部勉論を書いてみたい。
この日、集まった人たちは、山平重樹氏の『阿部勉伝』を読んだ人が多い。とてもいい本だ。その本を書いた山平氏も来ていた。
又、「楯の会」の人たちも。さらに、この店宛に手紙をくれた人もいた。本当にありがたい。
阿部氏はとても優秀な男だった。
秋田県の角館出身だが、子供の時から神童と呼ばれ、中学、高校ではずっと一番だったという。そうでなければ早大には入れなかった。と言う人もいる。
彼は、一水会を作る時の世話人だった。
自分の住んでいる下北沢のアパートを「一水会」の事務局として発表した。一水会の名付け親でもあるし、一水会綱領なども彼が作った。
ロッキード事件が起きて右翼フィクサーの児玉誉士夫氏の存在が急浮上してきた。アメリカの代理人になってたのではないか、と。
「愛国者」を自任してきたのに、なぜ、反日的行動をするのか、と騒がれた。
そして、児玉邸に抗議に行く人もいた。赤尾敏さんなんかは抗議に行っていた。
そして、セスナ機を操った青年による「特攻攻撃」が児玉邸にやられた。
やったのは前野光保という俳優だった。裸で女優と絡む映画に出て、「ポルノ男優」と言われていた。
阿部氏は前野氏と付き合いはない。しかし、その行動については衝撃を受けた。
それで彼の「愛国の情」に火がついたのだろう。
そして一水会の機関紙「レコンキスタ」の一面に書いた。全面的に彼を評価して書いたのだ。
いい文章だった。実にいい文章だった。
だが、右翼の人たちからは、ものすごい反撥を受けた。バッシングを受けた。
「いくら特攻隊の格好をしてたからと言っても、この男はポルノ俳優じゃないのか!」「こんな男を評価するとは何事か!」と。
阿部氏の文章は全く評価されなかった。それで阿部氏は激怒して、一つの行動をとる。
「ポルノ俳優が右翼の真似をして批判された。じゃ右翼がポルノ俳優の真似をしてやる!」と。
いささか分かりづらい理屈だが、彼はそう思って、そして知り合いの監督に話をした。「面白い!やろう」と乗ってくれた監督がいた。
そして、映画は出来た。共演は日野繭子さんだ。
昔、私もちょっと見たが、「阿部氏の遊び」だと思っていた。反逆ゆえの「遊び」か。そして映画のことは忘れていた。
それから30年近くが経ち、山平氏の本を読んだ瀧沢さん、高木さんが、阿部氏のその後を調べ、穂高の福田俊作氏のことを探し当て、さらに、この「幻の映画」を発見してくれた。瀧沢さんが親しくしている俳優の飯島洋一さんが持っていたらしい。
私も、もう一度、見てみたいと思った。「だったら、他の人にも見せましょうよ」と言う。そして、高円寺のパンディッドを借りてくれた。
でも、そんな個人的な動機でやる上映、トークに人が来るかな。と思って心配だった。
「来なくていいでしょう。我々、4人だけで見てもいい」と言う。そうだよね、と思った。
ただ、この映画で共演した日野さん、それに「楯の会」の一期生の人たちには知らせようと思った。
でも、「こんな会には行きたくない。阿部勉の映画なんて見たくもない」と言われるかもしれない、と不安だった。
でも当日、会場に行って驚いた。超満員だった。入り切れない。
映画も、なかなかすごい作品だった。思想性がある。それに阿部氏が実に堂々としている。これには驚いた。
「楯の会」の伊藤邦典氏、本多清氏も、「すごい映画だね」と言っていた。阿部氏の別な面を見たと思ったのだろう。
映画が終わってから、彼らにも発言してもらった。
又、映画史研究家の小川晋氏が実に詳しい。又、日野さんも、阿部氏の思い出を詳しく語ってくれた。
いいですね。こういうふうにして、昔の優秀だった人について皆で語り合うなんて。
阿部氏については、山平氏の書いた本くらいしかない。阿部氏の原稿や喋ったものを集めて、本を作りたい。
又、私も、彼にはとてもお世話になったし、その天才ぶりを知っている。そうした〈阿部勉伝〉を書かなくてはならないだろうと思ってる。
前にも書いたけど、私は阿部氏の下宿に転がり込んで、しばらく居候していた。福田俊作氏もいたし、3人で生活していた。
部屋代は一切払ってないし、食事もよくご馳走になってたのに。申し訳ない。居心地がよくて、随分長くいた。
でも、あの1970年11月25日の三島事件があって、阿部氏の下宿も急に騒々しくなった。「楯の会」の溜まり場になっていた。
毎日、人が来る。マスコミも来る。警察も来る。私がいてはマズイと思い、急遽引っ越した。
福田氏にはそれ以来、ずっと会ってなかったが、この前、長野まで行って会ってきた。
阿部氏は「楯の会」の解散後、一水会設立に尽力してくれた。一水会という名前をつけたのも、野分祭の命名者も彼だ。本当にお世話になった。
一水会の歴史と共に、阿部氏の活躍も書いておかなくてはと思っている。高円寺では、そんな話をした。
そうだ。この次の日、6月11日(日)も〈歴史〉を感じる日だった。
加藤登紀子さんのコンサートに行った。感動的な歌だった。
終わって、会いに行ったら、いろんな人たちに会った。
加藤さんと会うと、つい旦那さんだった藤本敏夫氏のことを思い出す。
全学連の委員長だった。でも亡くなった。とても懐の深い人だった。一緒に勉強会をやったし、いろんな話もした。今でも藤本さんを慕っている人が多い。
昔、一緒に学生運動をやった人。その後の無農薬野菜作りを一緒にしてた人などだ。
そんな人たちが、加藤さんのコンサートには集まってくる。柴俊夫さんもいた。又、「菊とギロチン」で大杉栄の役をやった役者さんにも会った。
昔の人だけでなく、今、活躍してる人。これから頭角を現す人も来ている。不思議な雰囲気があった。
6月13日(火)は一水会フォーラムにシリアの大使が来てくれた。すごい人たちに会った一週間だった。又、6月17日(土)は麻布高校で講演をした。
もっともっと勉強し、私も力をつけなくては。
そして皆と話をし、貪欲に吸収していかなくては。と思いました。
藤本さんは亡くなられたが、加藤さんはコンサートや著書の中でも思い出を語っている。
この日は、「美空ひばりを歌う」。「星の流れに」「悲しき酒」「東京キッド」「柔」などを歌う。
第2部は、「エディット・ピアフを歌う」。「愛の讃歌」「私の神様」「私は後悔しない」など。とてもよかった。
終わって、加藤さんと会いました。久しぶりでいろいろ話しました。
どうして自衛隊に入ったのか。「愛国」を考えるようになった原因などについても話してくれた。
背も高いし、大きい。「運動をやってるんですか」と聞いたら、「ボディビルをやってます」。自衛隊で銃を持つので、力をつけたいと思って始めたという。
「愛国女子」「国防女子」だ。素晴らしい。
ただ、途中で中座した。7時から一水会フォーラムが始まっている。
こっちもすごい。講師は何と、駐日シリア代理大使のワリフ・ハラビさんだ。女性だ。女性の大使というのも珍しい。
演題は、「真のシリア情勢を語る」。アメリカを中心としたニュースばかりが流れているが、実態はかなり違う。〈真実〉について、語ってくれた。
こんな話はなかなか、聞けない。多くの人が聞きに来てました。大阪や岡山から来た人もいたし、台湾から来た人もいました。
17世紀、新教徒中心の共和国は、世界でも最有力の国家となった。だが四次にわたる英蘭戦争、フランス革命の余波により没落。ナポレオン失脚後は王国として復活し、20世紀以降、寛容を貴ぶ先進国として異彩を放つ。
日本が学ぶべき点は多い。そんな話をしました。
⑫日野さんと。阿部、日野さんの出演した映画のタイトルが「異常性変態」。すさまじいタイトルですが、当時のロマンポルノ映画です。それに阿部氏は出たのです。喜んで。でも、実に堂々として、演技してました。ポスターを持っているのは飯島洋一さん(俳優)です。
⑲俳優の柴俊夫さんにも会いました。加藤さんの旦那さんは、藤本敏夫さんで、元全学連委員長です。その藤本さんを柴さんが司会をしているテレビに呼んで、大いに語ってもらったことがあったと言ってました。革命運動の話もしたのでしょう。
⑳ここで、小木戸利光さんに会いました。「鈴木さんには前々から会いたいと思ってたんです」と言う。若松監督の連合赤軍の映画で、小木戸さんは「加藤倫教」役をやったそうです。倫教さんはよく知ってるし、何度も会ってます。小木戸さんは今、瀬々敬久監督の「菊とギロチン」に出演したそうです。何と、大杉栄の役だそうです。ぜひ見なくっちゃ。
㉜打ち上げの席で。立って話してるのは、60年安保の時に全学連で闘った篠田浩一郎さん。あれ?左端の人は、元女優の桜マミさんですね。随分と久しぶりです。阿部勉氏とは親しくて、妹のように可愛がられていました。マミさんも、「お兄ちゃん」と言って慕っていました。「あれれっ、3日前に阿部氏を語る会があったんですよ」と言いました。阿部氏の導きかもしれないですね。それに昔、一水会で運動していた有山氏もこの日、来てました。やはり阿部氏が呼んでくれたのでしょう。