〈横浜開港158周年。没後20年、司馬遼太郎展〉が横浜のデパートで開かれた。これはぜひ見なくてはと思っていた。
それに、「産経新聞」(6月30日)の記事を読んで、さらに、「行かなくては」と思った。
新聞にはこう書かれていた。
〈『竜馬がゆく』幻の自筆原稿。「没後20年。司馬遼太郎展」で初公開。横浜そごう美術館。あすから〉。
横浜そごう美術館は横浜そごうの6階にある。そこで6月2日から「司馬遼太郎展」をやっていた。
司馬の自筆原稿は、その会期中の後半、7月1日から8月31日まで特別展示されるという。
それで、7月2日(日)に行ってきたのだ。
「竜馬がゆく」は産経新聞夕刊に昭和37〜41年に掲載された。原稿は新聞製作の過程で全て失われたと思われていたが、回顧展準備中の先月下旬、東京の古書店から司馬遼太郎記念財団に連絡があり、今月初めに買い取ったという。
いくらで買い取ったのかは書かれてないが、かなり高額だったのだろう。
〈発見された「竜馬がゆく」の原稿は、連載終盤の5回分23枚。最終回の原稿や同時に購入した「坂の上の雲」の初回原稿などは大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館で、7月1日から8月31日まで特別展示される〉
こちらも見てみたい。この司馬遼太郎記念館は、東大阪市にあり、とても立派で、岩井さんが数年前に、案内してくれた。
司馬が住んでいた書斎、本棚などが再現されている。作品の製作現場もわかる。新聞の記事を続ける。
〈司馬さんの義弟で司馬遼太郎記念財団の上村洋行理事長は、「『竜馬がゆく』の原稿は散逸したものだと思っていた。特に今回発見されたのは最終回を含む象徴的な部分で、大変貴重。横浜回顧展の開幕時に入手できたことは、運命を感じる」と話している〉
しかし、どうして「散逸」するのだろう。
毎日毎日、原稿が新聞に載る。活字で組み、さらに校正があるし、原稿は最後まで保存される。さらに貴重な品だから、ずっと大事に取っておかれる。
それなのに誰かが持ち出して、古書店に売ったのか。分からない。
ともかく、見つかってよかった。
『竜馬がゆく』は、今手に入りやすいのは文春文庫だ。全8巻だ。
本屋で買ってきたら、「2016年9月5日 第28刷」と出ていた。すごい。
この「朱欒(ざぼん)の月」の最終話の冒頭部分だという。
さらに、「あとがき」がいい。それに何度も何度も、「あとがき」を加え、「あとがき五」まである。そこも小説以上に感動的なのだ。
最終章は、暗殺数ヶ月前の長崎滞在中の坂本竜馬について書かれている。
倒幕の手はずを打ち合わせる書簡を桂小五郎らに送る場面などが描かれており、推敲(すいこう)の後が伺える。
家に帰ってきて、その部分を読み直した。
今まで何度も読み直したはずなのに、読むたびに新鮮だ。
「朱欒の月」から読み始め、「浦戸」「草雲雀」「近江路」と読み、「あとがき集」(一)〜(五)まで読んでしまった。
この最後の部分は、この小説の中でも竜馬への愛が凝縮している。
「近江路」は、竜馬が暗殺される場面だ。中岡慎太郎に語りかける。
〈「慎ノ字。おれは脳をやられている。もう、いかぬ」。それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天に向かって駆けのぼった〉
それからの文章が、又、いい。
〈天に意志がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉(とびら)をその手で押し、そして未来へ押しあけた。(完)〉
龍馬の死をただ嘆くのではない。「天」の意志として描いている。すごい描写だ。一緒に襲われた中岡の言葉もすごい。これは、「あとがき五」に書かれている。
実は、これは昔読んだが、忘れていた。格闘家の須藤元気さんと前に対談した時、「中岡の言葉はすごい」と言われたのだ。
〈中岡は、卓越した評論家である。かれは難に遭い、死に瀕(ひん)しつつも、駆けつけた同志の連中にさまざまなことを言った。
「卑怯憎むべし。剛胆愛すべし」
と、自分たち二人を討った刺客の引きあげの見事さをほめている。刺客が二階座敷から引きあげるとき、「一人の男は、謡曲を謡ってやがった」と中岡が医師に介抱されながらいった〉
こんなことは、なかなか言えない。
「卑怯憎むべし」は言える。しかし、自分を殺しにきた刺客に対し、「剛胆愛すべし」と言ったのだ。すごい話だ。
「竜馬がゆく」は多くの人が読み、感動している。
須藤元気さんも全8巻を何度も読んだと言っていた。
格闘家であり、今はAOKIのCMに出て、ダンスを披露している。
内田樹さんとの対談本では「推薦の言葉」を書いてくれた。
又、会いたい。そして竜馬の話、中岡の話をしたい。
やはり格闘家の東孝さんにも、雑誌で対談した時、「竜馬がゆく」が好きだと言っていた。
今まで何と、5回も読んだという。これもすごい。
東さんは極真空手をやっていて、チャンピオンになった。
その後、大道塾を作り、全世界に支部を持って闘っている。
高校の時、三島由紀夫の「楯の会」を知り、「入りたい」と三島に手紙を出した。
「高校生はダメだ、大学になったら来なさい」と返事をもらった。
しかし、大学になった時は、もう「楯の会」はなかった。
三島の自決後、解散したからだ。
そんな激情を秘めていたのだ、当時の青年たちは。「竜馬がゆく」を読んでたからだろう。
今、私も何度か目で読み返している。この「竜馬がゆく」8巻(文春文庫)の表紙カバーにドキッとした。「総発行部数2500万部の国民的名作」と書かれている。
そして、和田竜さんの、こんな言葉が書かれている。
〈非常に危険な本。
竜馬のごとく破天荒になってやると思ってしまうので高校生は特に注意!〉
すごいね。「取扱い注意」なのだ。安易にすり寄ったりはしない。これはいい。
「国民文学」だというが、違う。「本当は危険な本」なのだと言っている。正直だ。
それにしても、「竜馬がゆく」は総発行部数2500万部だという。
でも全8巻でありながら、(皆が全巻読んだとして)350万人が読んだことになる。でも、この数字は正確ではない。1、2部で挫折した人もいただろう。各巻ごとの売れた数も発表してほしい。
それに、途中でやめた人はいても、全8巻を何度も読んでる人もいた。
東孝さんは5回以上読んだ。須藤元気さんもそのくらい読んでいる。
困ったこと、悩みごとがあり、飛行機で高知に飛ぶと言っていた。そして、桂浜の竜馬に会う。(桂浜に銅像がある)。そして竜馬に話す。話し合う。そして、すぐに飛行機で帰ってくるという。
すごい。私もやってみたい。竜馬なら答えてくれるだろう。
そうだ。もし、「愛国者検定」をやるんなら、この「竜馬がゆく」を2回以上読んでること。これなども条件になる。それと、「俺は愛国者だ!」などと公言しないことだ。
もうスペースがないので詳しく書けないが、7月6日に入江杏さんに会った。
2000年の大晦日にあった「世田谷事件」の遺族の姉だ。殺された泰子さんのお姉さんだ。
大変な事件に遭い、悲しみ、悩み、絶望した。
でも、その後2冊の本を出している。
『この悲しみの意味を知ることができるなら=世田谷事件・喪失と再生の物語』(春秋社)。
もう一冊は『悲しみを生きる力に=被害者遺族からあなたへ 』(岩波書店)だ。
驚いた。こんな人がいたのかと感動した。
悲しみ、恨み、絶望の中にあって、必死になって立ち直り、他の被害者遺族の方々の力になり、話している。とても出来ることではない。
会ってみたい。と思っても、私なんかには会ってくれないだろう。そう思っていた。
ところが、人を介し、杏さんから、「会いたい」と話があった。嬉しかった。
マガ9で対談した。ここでは「鈴木邦男の愛国問答」をやっていて、そのコーナーでやった。
「じゃ、私も愛国者ですかね」と杏さんは言う。
「愛国者と言われたければ、自分で公言してはダメだ」と私は思います。
自分で公言する人はニセモノが多い。公言せず、世のため、人のために努力している人こそ、本当の愛国者だ。入江杏さんのような人だ。「こんな素晴らしい人はいない」と世界の人々も認めている。そんな話をしました。とても感動的な話でした。
この人の話はぜひ聞いてみたい、という人が何人もいて、沢山のギャラリーに取り巻かれての対談になりました。
その中で、どのようにして生きる意味をつかんだか。入江さんの著書、『悲しみを生きる力に』(岩波書店)、『この悲しみの意味を知ることができるなら』(春秋社)にはそれが書かれている。それを読んで対談をしました。
普通なら、とてもそんな気持ちにはなれません。すごい人だと思いました。
又、この事件について書いた一橋文哉の『世田谷一家殺人事件と10年目の新事実』(角川書店)も読んでいきました。とても深く、感動的な話でした。
①横浜そごうデパートで、「没後20年 司馬遼太郎展』をやってました。「21世紀“未来の街角で”」とサブタイトルがついてます。6月2日(金)から7月9日(日)までです。7月2日(日)に急いで見に行ってきました。入ってすぐ、「竜馬がゆく」の新聞連載のコピーが貼られてました。すごい数です。