これは多分、歴史的な大イベントだろう。
45年前は、ただ否定され、批判、罵倒される対象だった。しかし、その〈負の遺産〉も、きちんと見つめ、反省し、日本のことを考えよう。という集まりだ。
一つのテーマで、「そうだ!そうだ!」というものではない。又、「○○を打倒せよ!」といったものでもない。
日本の学生運動、いや「日本の歴史」の中で、たとえ失敗であろうとも、それを見つめ、反省し、何故、そんなことが起こったのかを真剣に考える集会なのだ。
こうした集まりは他にはちょっとない。マスコミだって、やらない。
だから、多くの人が集まった。渋谷ロフト9で行われたが、入りきれない。事前申し込みの人から入ってもらい、当日の人は、帰 ってもらったほどだ。すごい人だった。
〈連合赤軍事件45年。トークイベント〉だ。連赤事件の関係者もまだ生きている人が沢山いる。勇気を振り絞って参加してくれた。さらに、映画、小説、ルポ…などで連合赤軍を取り上げてる人も来てくれた。
その人たちが一堂に会したのだ。これはちょっとない。よく集めてくれたものだ。この企画を実行してくれた椎野礼仁さんたちに感謝したい。
さらに、3部に分けて、テーマ別に討論する。その間、事件関係者は壇上に残って、質問に丁寧に答えていた。これもすごいことだ。
まず、連合赤軍事件の関係者から紹介しよう。最後まで、行動を共にした人もいるし、途中で脱走した人もいる。しかし皆、捕まって長期の刑を受けて、出てきた人ばかりだ。
又、「連合赤軍」は赤軍派と革命左派(京浜安保)が合体して出来た組織だ。だから、その母体の組織名を( )の中に入れておこう。
以下の5人が出てくれた。植垣康弘(赤軍派)。青砥幹夫(赤軍派)。前澤虎義(革命左派)。岩田平治(革命左派)。雪野建作(革命左派)。
そして司会は金廣志と椎野礼仁だ。金は連合赤軍には参加しなかったが、赤軍派だった。いろんな活動をやり、全国指名手配になり、逃げた。そして何と15年間、逃げて、「時効」になった。そして無罪だ。その後、学習塾をやって大成功している。
もう一人の椎野は、学生時代、戦旗派になった。慶応大学を出て、今は編集プロダクションをやっている。
連赤の活動家は5人。そして司会の2人。計7人の元「活動家」は、ずっと正面の壇上にいる。そして、何かあると、質問に答える。
この7人を置いたままで、〈連合赤軍とは何だったのか〉という歴史的シンポジウムは進行する。
第1部は〈戦後史の中の連合赤軍〉だ。ライターが主で、連合赤軍についていろいろと書いてきた人々だ。
3人が出る。白井聡(京都精華大学講師)。鈴木邦男。青木理(ジャーナリスト)だ。この3人で1時間だ。
白井さんと私は、最近出た『憂国論』の中でも連赤や三島事件の話をしている。しかし、白井さんにとっては、生まれる前の事件だ。それなのに詳しいし、その分析、批判も当を得ている。
青木さんは、最近、BS朝日で、長時間、「連合赤軍」について語った。連赤の活動家たちに話を聞き、私る人にも取材している。だから、かなり、詳しい話になった。
又、この事件が起こる前の右派学生運動も、「内ゲバ的」状況があった。私も組織を追われており、内部抗争をやった。
でも、本格的な「内ゲバ」戦争にはならなかった。多分、1970年に三島事件があったからだと思う。それが重くのしかかっていた。
それがなかったら、あるいは、「連合赤軍事件」のようなことも、右派の内で起こっていたかもしれない。
実際、見沢知廉の「内部粛清」事件のようなものはあったのだし。これなどは他の右翼からは「右翼の連合赤軍事件だ」と言って批判された。そんな話もした。
連合赤軍事件は、だから、決して他人事ではないと思っていた。我々だって、山の中に入って、あんな形で総括を求められたら、ああいう事は起こったと思う。
革命党派の間では、かなりあった事だろう。でも、成功した革命、たとえばロシア革命、中国革命、キューバ革命などでは、たとえ連赤的なものがあったとしても、「そういえば、そんな不幸なこともあった」と言って、全体の成功の中では、少しの「不幸な出来事」として、追悼される。温かい目で見られる。
それに反して、日本の連合赤軍事件のように、革命に成功してない国では、「ほらみろ!革命は仲間殺しになるんだ!」「こんな連中は徹底的に取り締まらなくちゃ」となるのだ。
その点、日本は不幸だった。私も、そんな話をした。かなり連赤には同情的だったと思う。
続いて、第2部は、〈映画がとらえた連合赤軍〉だ。4人の映画の関係者が出る。
足立正生(「実録連合赤軍の最初のシナリオ執筆」)
掛川正幸(「実録連合赤軍」決定稿シナリオ」)
青島 武(シナリオライター。連合赤軍を描いた「光の雨」等多数)
原渕勝仁(フリーTV番組制作者)
若松孝二監督の映画「実録連合赤軍」に関わった2人。
足立さんと掛川さんから、その映画化の様子を詳しく聞く。
若松さんが自分の別荘を「あさま山荘」に見立てて撮影し、最後は粉々に壊してしまう。まさに戦場のような迫力だったという。
又、映画「光の雨」は立松和平の原作だが、やはり連合赤軍事件を描いている。映画でも、劇中劇の様子を呈し、なかなか、凝っていた。その撮影風景も流してくれる。映画になったことで、より「連赤」は分かったし、理解されたことも多い。より、憎しみを買ったこともあったろう。その点も話し合った。
第3部は、〈作家が描いた連合赤軍〉だ。二人の作家と一人の漫画家が出る。よく出てくれたものだと感心した。
作家の一人は、桐野夏生さん。最近、連合赤軍の女性兵士を描いた『夜の谷を行く』を書き、大評判になった。私も「アエラ」で書評をした。とてもいい本だった。
夏生さんの本は初めてだったし、感動したので、本屋で買ったり、図書館で借りたりして、せっせと読んだ。今まで25冊読んだ。皆すごい。こんな視点があったのかと驚いた。休み時間にはそんな話を当人とした。
もう一人の作家は金井広秋さんだ。連合赤軍をテーマにした『死者の軍隊』(彩流社)を出している。
又、漫画家の山本直樹さんだ。連合赤軍を詳細に追った『レッド』を連載中だ。好評を博している。
高名な小説家に漫画家などは、普通なら、こんな危ないテーマには迫らない。しかし、3人とも真正面から取り組む。これはすごく考えさせられた。多くの人たちにものの考え方を教えている。アピールするものも多かったと思う。
1〜3部が終わり、会場から質問を受ける。とても活発な質問が出た。これは、このままDVDにして売ったらいい。そんな気がした。
とても勉強になったし、活動家だけでなく、日本人として皆が考えなければならない問題だ。
そして、それから3日後。7月18日(火)、今度はロフトプラスワンで、やはり歴史的なイベントがあった。
ロフトが日本に生まれ、どれだけの騒ぎを起こしたのか。その20数年の歴史を書いた本が出版された。
そして、その出版記念イベントが行われたのだ。
午後7時半から、ロフトプラスワンだ。
席亭の平野悠さんの書いた『新宿ロフトプラスワン事件簿 Talk is Loft』刊行記念パーティだ。
この本に書かれた「ゆかりの人々」を壇上に上げて、平野さんが、ロフトの歴史を語る。
この本の帯には、いろんな人が「ロフトとはこういうところだ」というコメントがある。
例えば、中森明夫「新宿サブカル御殿」。唐沢俊一「オタクの聖地」。なかなかうまいことを言う。
リリー・フランキーは「文化のドブさらい」。
藤井良樹は「闘鶏場」。
そして、「乱闘、襲撃酒場」とひどいことを言ってる人もいた。あっ、これは私か。
確か、当時、連載していた『週刊SPA!』の「夕刻のコペルニクス」に、こう書いたのだ。
でも、これは誇張ではない。本当に襲撃事件は何回も何回も起こっているし、乱闘も起こった。私も何度も巻き込まれたから本当だ。
又、ロフトのビデオの中にもそうした暴力シーンが沢山、入っていて、それをお客に見せて煽っていた。
又、「強姦酒場」とか、「ほのぼのレイプ酒場」などと言ってた人もいた。
ここで書いた人だけは全員呼んで、ロフトで喋らせるべきだ。言い過ぎたら謝らせるべきだ。
でもここに書いた人は誰も来てない(私だけは例外だ)。皆、仕事があるから、こんなとこに来れないのだろう。
こんな激しい、キャッチコピーを紹介し、さらに帯にはこう書かれている。
〈世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」で巻き起こったスキャンダラスな事件の数々を創始者自ら語り尽くしたサブカル風雲録!〉
これは貴重な歴史だ。大変な本だと思う。よく覚えてる。いや、調べて書いたのだろう。
これを見ると、私は23年前のロフト開始早々から来ている。佐川一政さんから電話があり、「日本で初めてのトークバーが出来た。そこで話をするから聞きに来てくれ」と。別に佐川さんと対談するわけではない。私は一介の右翼人間だ。
そこで初めて、平野悠さんも紹介された。それが、その後過激でスリリングな20年以上の付き合いになるとは思ってもみなかった。
又、「週刊SPA!で連載を持ってたし、私自身も河合塾、ジャーナリスト専門学校でも講義をやり、「一般社会」に参入していった。
そんな不安定な時に、ロフトというやはり不安定な(そして危険な)ところを思いついて、よく出たりした。
そこで私も話すようになるには、相当の時間がかかった。
初めは、三浦和義、奥崎謙三、根本敬など、普通では見ることの出来ない人を見れたし、物珍しい気持ちで通っていた。
又、エスパー清田氏、前田日明氏、唐沢俊一氏…など、多くの人々に会い、話をして、自分の考えも変わったと思う。
ここで学んだことは多い。小、中、高、大学で習ったよりも多くのことを習ったような気がする。
それまでやって来た「右翼学生運動」のやり方も大きく変わったのもロフトの影響だと思う。
そして又、赤軍派、連合赤軍…などとも会ったし、よど号犯にも会った。左右を問わず過激で、思い切ったことをする人々に出会った。
そして教えられた。そこで考え直し、教えられたことは多い。
今まで「敵」だと思っていた「左翼」の人と論争し、その中で「友情」が生まれることもあった。
又、逆に、今まで「味方」だと思っていた右翼の人などから、総攻撃を受けることもあった。映画「靖国」や「ザ・コーヴ」などの時だ。
私の中の右傾度、左傾度が逆転したのもロフトのせいかもしれない。
そんな多くのことを学んだ。いつか、私も、平野さんのように『Talk is Loft』を書いてみたい。
少なくとも、私が関係した事件だけでも書いたみたい。その中で、自分の考えがどう変わってきたか、分かると思う。
そんなことを考えてたら、ここで訃報だ。
105歳の日野原重明さんが亡くなった。私は2度会ってるし、一度は月刊『創』で対談をしている。とても多くのことを教わった。
「よど号」に偶然乗り合わせたら、ハイジャックに遭った話も聞いた。
これは又、次の機会に書いてみようと思っている。
この本に書かれた「ゆかりの人々」も出演。私もその一人として出演した。
ロフトは色々言われたが、私は、「流血酒場」「暴力酒場」として「SPA!」などに書いた。それで、呼ばれた。なかなか面白かった。
ともかく、活気があったし、思いがけないことが起きる場だった。見沢知廉、佐川一政、三浦和義、塩見孝也など、話題になった人は多い。
私も右翼に攻撃されたり、連合赤軍に糾弾されたり…いろいろあった。今は、懐かしい。
すごい歴史だ。それをまとめて書いた本だ。これは貴重だ。
私も、壇上に上がって、当時の話をしました。
「この前、Uインターの鈴木健さんに会いました」と。そこの試合に菊田さんも出ていたんだ。柔道出身で、「寝技世界一」と言われ、PRIDEなどでも活躍していた。
「僕も講道館に行って練習してます。今、3段です」と言ったら、「僕と同じですね」と言われた。同じ3段でも天と地だ。それに、「お父さんにこの前、会いました」と言った。
菊田幸一さんは、明大の名誉教授だ。死刑反対の運動をしている。「でも、僕は親父とは思想が違うし、あまり会ってません」。死刑のことを言っている。
でも、息子の試合には、お父さんもよく応援に来ているようだ。
〈3億円脱税AV女優全告白。里美ゆりあ著最新刊!『女はそれを我慢できない! マネー&セックス」(モッツ・コーポレーション&展望社刊)出版イベント〉。
18日は、ロフトで高須さんに会って、「来てくれよ」と言われたので、行く。
知らない世界だし、どうして3億も脱税出来たのか、興味もあった。
聞くと、悲惨な話だ。映画やビデオを撮ったら、その会社が源泉を取った上で、出演料を基に、税務署に申告するはずだ。それなのに、どうして女優に「脱税」が出来るのか。
そう思ったが、会社は、何もやってなかったようだ。税金を申告しないで、直接渡していた。彼女は、それを必死で貯めていた。銀行にも預けないで。それを税務署に見つかり、脱税を摘発された。AV女優の実態などについても聞く。
ボーッとして聞いていたら、私も呼ばれて、壇上に上げられた。
ロフトプラスワンの加藤梅造さんも喋らされていた。今は、ロフトの社長になったとのこと。司会の高須さんも、張り切っていた。面白かった。
①7月15日(土)午後1時より。渋谷ロフト9で画期的なイベントが開かれました。〈浅間山荘から45年。連合赤軍とは何だったのか〉。マスメディアでも余り取り上げない、この歴史的事件を真正面から取り上げて語る。会場は超満員。入り切れなくて、帰ってもらった人もいた。「ロフト9」始まって以来だという。この企画をやった椎野礼仁さんたちの努力のおかげだ。1部から3部まである。ライター、映画関係者、作家、漫画家などが各々の立場から話す。その間、連赤関係者はずっと出ずっぱりだ。赤軍だった植垣康博さん。青砥幹夫さん。そして革命左派だった前澤虎義さん。岩田平治さん。雪野建作さんだ。
これは第1部で、私の右は植垣さん。左は白井聡さん。
⑧7月18日(火)。ロフトの平野悠さんの出版記念会でした。『新宿ロフトプラスワン事件簿。Talk is Loft』です。ロフトが始まって20年以上になりますが、その過激でスリリングな歴史です。そしてロフトの歴史にゆかりのある人々を呼んで、自由に話してもらおうという出版パーティだ。なかなか、いい本だ。表紙には、ロフトへの思いを各人が語っている。「新宿サブカル御殿」(中森明夫)。「オタクの聖地」(唐沢俊一)。「闘鶏場」(藤井良樹)。「文化のドブさらい」 (リリー・フランキー)。皆、勝手なことを言っている。さらに激しいことを言ってる人も。「乱闘、襲撃酒場」。ヒャー! すごい! あっ、私だ。
当時、連載していた『週刊SPA!』に書いたようだ。さらに、「流血酒場」とも書いたし。「強姦酒場」「ほのぼのレイプ酒場」なんてことまで言っていた。実際、新左翼の党派が暴れたり、集団で襲撃したこともあった。右翼が騒いだこともあった。私が連合赤軍の人たちに糾弾されたこともあった。そんなことを話しました。又、新左翼の親玉でありながら、「脅迫電話が1本あった」と言って、警察に電話していた人もいた。全く何を考えているのやら。沢山の人が来て、話し合い、昔を思い出し、楽しかったです。
この写真は、正面が平野悠さん。左は加藤梅造さん。右は増田俊樹さん。
⑫7月15日(土)。連赤のシンポジウムが終わり、懇親会も9時頃で終わりました。まだ早いと思ってたら、平田君がいたので、用賀まで案内してもらい、居酒屋に行きました。そこでUインターの代表、鈴木健さん。そして、レスラーの安生洋二さんがやっているお店です。格闘技をやっていた頃を思い出し、楽しかったです。
⑭「いちおくえん」と読むんだそうな。昔、Uインターが各団体に呼びかけて対抗戦をやろうとした。勝ったら1億円をあげると。実物の札ビラを見せた。それを思い出し、「市屋苑(いちおくえん)」という名前にしたという。