今年の8月15日は、例年になく騒々しい。
「もはや戦後ではない」「占領憲法を改正しろ」という声を上げる人が多い。
アメリカと北朝鮮は戦争するのではないかと、ピリピリしている。現実の「戦争の危機」の前には過去の戦争は影が薄い。
でも、NHKは頑張っていた。広島、長崎の原爆投下。そして本土空襲について、新しい視点もあって、意欲的な放送をしていた。
NHKドラマ「あんとき」はよかった。長崎の原爆の話だ。若松監督の「実録 連合赤軍」で加藤倫教の役をやった小木戸利光さんが、NHKのドラマに主演していた。
長崎の原爆を今、問うのだ。本も出ている。今、読んでいる。『表現と息をしている』(而立書房)はとてもいい本だ。
そうだ、私の本も、今週出来た。20日過ぎに書店に並ぶとのこと。
実は、3年以上もかかって、苦労して書いた本だ。
大きなテーマだし、スラスラとは書けない。多くの人に聞いたり、図書館にこもってずっと調べたり、ともかく苦労して書いた。
その甲斐があった、と思いたいが、かなり厚い本になった。
出版してくれたのはバジリコ株式会社だ。とても親身になってやってくれた。
おかげで、私の力以上の本をかけたのではないかと思っている。
『天皇陛下の味方です』(バジリコ株式会社)だ。380ページもある。金額は1800円だ。
NHKの話に戻る。本土空襲の話もあった。
軍需工場などを中心に空爆したというが、本当は戦争と無関係な民家を多く空爆していた。
昔の女子高生が証言していたが、通学時間を狙って電車を空爆した。皆、泣きわめき、逃げ惑った。「きっと通学時間を狙ってやったに違いない」と言う。
これはあったかもしれない。日本人の戦意を喪失させるためだ。
軍事基地や軍需工場だけでなく、民間の家屋などが空爆されると、人々は、「もうダメだ!」と思う。
「ここまでやられているんだ。もう戦争はやれない」と思わせる。
2003年にイラクに行った時、アメリカ軍の空爆の跡を見た。
子供ばかりがいる病院や民間人のアパートを中心に空爆された。「もうどこにも逃げ場はない」と思わせるための作戦だ、と言っていた。
一番弱い所を急襲する。それが一番〈効果〉があるのだ。
又、そのことを冷酷に考えて、作戦を立てている人間がいたのだ、アメリカには。
又、どこを空爆するかの選択肢も飛行士に与えられていた。
だから、反撃が来ない、無抵抗の民間施設を中心に狙った、という。
アメリカは卑怯だ。それと同時に、やられっ放しだった日本がもう戦争を続行する力はなかったのだ。
NHKでやった「東京裁判」もよかった。日本が作った映画とは違い、日本を裁く連合国側から撮っている。
連合国は決して一枚岩ではない、連合国側の検事の間にも対立がある。インドのパール判事もいる。
戦争犯罪をどこまで裁けるのか。新しい法律を作ってまで過去を裁けるのか。正義感の強い検事もいて、議論が沸騰する。
この映画は前にも観たが、再放送でも実に見応えがあった。
それにしても民放は全くと言っていいほど戦争の記録はやってない。どうしたことだろう。
終戦記念日の少し前だ。8月10日(木)、シリア大使の送別会があった。
大使とはせっかく知り合いになれたのに、残念だ。とても優秀な人で、シリア国内でも重要な仕事が待ってるようだ。
日本にいた時も大活躍で、一水会の講演会にも来てくれたし、民間の交流組織を作るのに尽力された。今後は我々がシリアに行きます、と言った。
木村代表も我々も、イラクに行った人はいるが、シリアまで行った人はいない。ぜひ行ってみたい。
「その時は私がガイドを引き受けます」と大使が言っていた。もったいないお言葉だ。
この送別会の場所は、庭もいいし、豪華な料亭だ。素晴らしい場所だった。
「がんこ寿司」というから、大阪の大衆寿司店かと思ったが、それとは別に、こうした庭付きの料亭を持っているのだ。
ここは山野愛子さんのお屋敷だった所だ。広大で、素晴らしいお屋敷だ。ここを買い受けて、料亭にしている。素晴らしい場所で大使も気に入っていた。
木村代表は、日本の記念にと言って、きれいな浴衣をプレゼントしていた。素晴らしい。
この日は、札幌から駆けつけて、私はやっと間に合ったのだ。
8月9日(水)の朝に札幌に行き、10日(木)の午後2時に羽田に着いたのだ。
札幌は、姉の病院に見舞いに行き、そのあと小樽まで足をのばし、「石原裕次郎記念館」に行ったのだ。
ここは以前も二度ほど行ってるが、8月で閉館になるという。入場者が少ないので、採算が取れないし、閉じるらしい。
世界的なスターなのに、なんとも惜しい。悔しい。最後だからと、ドッと人が来てると思ったが、そうでもなかった。
「昭和の大スター」も終わり、昭和も完全に終わってしまったのかと、残念だ。
国家が管理して、国営でやったらいいのに。憲法改正なんかよりも、こっちの方が日本の再建になるよ。
小樽に行く前に、姉の病院に行った。
行ったら、ここもなかった。「移りましたよ」と言われた。
でも、すぐ近くだ。大きくなって、きれいになった。大きな病院だから、しっかりしている
。窓から見る景色も、すぐ近くに山々が迫り、雄大だ。前に来た時は、私のこともよく分からないようだった。
でも、段々元気になっている。「弟だけど。邦男だよ」と言ったら、パッチリ目を開けて、ウンと大きくうなずく。
あっ、分かってるんだ。それで、いろいろと話をした。
8月9日、10日は札幌、小樽にいて、10日昼に東京に帰り、私はシリア大使の送別会に出る。
そして、8月15日は、靖国神社に行った。このところ毎年、8月15日は靖国神社に行っている。
かなり騒々しいし、静かに参拝する雰囲気ではない。
軍服を着た人たちが隊列を組んで行進してたり、ラッパを吹き、指揮棒を振り回してる人。軍歌を大声でうたってる人もいる。
別の日に行けばいいのだろうが、8月15日は、どうしても気になって、行ってしまう。
今年は、他に用事があって、地方に行こうかと思っていた。
でも、靖国は気になるし、又、ロフトでやる〈終戦の日トーク〉も気になる。出てくれと言われていたし。
さらに御手洗さんがやっている終戦の日の〈映画祭〉も気になる。映画をやり、反戦のトークをやる。
今年は「日本のいちばん長い日」を新旧2本立てで上映するという。画期的だ。
そのあとで、原作を書いた半藤一利さんの講演があるという。これはぜひ聴きたい。と思って行った。
実は、靖国は天気がよくなかった。
いつもの8月15日は、カラリと晴れているのに、今回は朝から曇っていて、昼、出ようとしたら、小雨が降っている。傘を持って行く。
お参りし、遊就館を見て、さて、帰ろうとしたら、どしゃ降りの雨だ。ズブ濡れになった。
参ったな。一回家に帰ろうと思ったが、又、雨がひどい。いいや、どうせ濡れても。と思って、そのまま池袋に行き、新文芸坐に行く。
昔は、ここでよく映画を観た。東映のヤクザ映画をよくやっていた。
館内は皆、タバコを吸いながら観ていた。タバコの煙でよく見えない時もある。
それに、31年前だ。ここで、全共闘の生き残りを集めて、「激論・全共闘」をやった。
田原総一朗さんが司会だった。ゲストは高橋伴明初め、全共闘をやった人たちだ。
何故か私も出た。全共闘と闘っていたが、同じ〈世代の人間〉だということで声がかかったらしい。
5時間くらいやって、なお終わらない。場所を移して、酒を飲みながら朝までやった。
ここで田原さんは「よし!」と思ったのだろう。朝までやる「討論番組」を作ろうと。
夜の1時頃から始め、朝の5時頃に終われば、電車はある。夜の電波は安い。それで、普段出来ないことをやる。
それが「朝まで生テレビ」だ。半年後に始まった。この池袋の文芸座で生まれたんだ。私にとっても思い出がある。
そして、この日は半藤さんが出る。ぜひ会いたいと思った。それでズブ濡れのまま、池袋に行った。
映画館に行ったら、カメラマンの平早さんがいる。「御手洗さんと半藤さんは上の事務所にいますよ」と言う。
「じゃ、挨拶してきます」と言って上に行った。二人はいた。
御手洗さんは、「今、鈴木さんの話をしてたところですよ」と言う。
えっ、私は今日は聞きに来ただけなのに。と思っていたら、こうだ。
半藤さんは、あまり映画のトークには出ない。「じゃ、今日は初めてですか」と聞いた。「そうだね。いや違う。前に鈴木邦男さんと映画の後のトークをやったことがある。それが1回目で、今日は第2回目です」と言う。
講演や対談は沢山やっているだろう。でも、映画の後の解説のようなトークはこの2回しかやってないと言う。貴重な場だ。そこにちょうど私が来たというわけだ。
この日は、共同通信の立花さんが聞き手で、半藤さんが喋る。
しかし、同じ題名の映画を2本も続けて上映するなんて、ない。さらに、原作本を書いた半藤さんが直接、話してくれる。こんな貴重なことはない。
私は、旧い方を観た。三船敏郎が阿南陸相になって、最後は切腹する。あのシーンはよく覚えている。名作だ。何回か観た。
しかし、最近、若い俳優で、又、同じ映画を作った。原田監督だ。
今回、ここに来た人は得だ。この2本を続けて観られる。その違いも観られる。
旧い方だが、初め、映画では原作は別の人になっていた。本当は半藤さんだが、名前は知られてないし。だから、大宅壮一の原作で、映画には名前が出た。そして、いろんなシーンに半藤さんも行って指導している。
その所々で感じたことなどを話してくれる。
半藤さんの話はとてもよかった。共同通信の立花さんが聞き手だった。
戦争や戦後のことを、きちんと冷静に語れる人が実は少ない。半藤さんと保阪正康さんくらいじゃないのか。あとは初めから、立場が決まっていて、断定する人ばかりだ。
その意味で、お二人はとても貴重だと思う。
終わってから、スタッフの人と一緒に近くの居酒屋で、皆で飲みました。
私は半藤さんの隣に座り、最近の胸に詰まっていることをいろいろと聞きました。731部隊、本土空襲、松代の大本営跡…など。
とても日本は戦争をやれない国だったのではないか。戦争などしてはいけない国だったのではないか、と思った。
それで、一つ一つ、聞いたんですよ。とても勉強になりました。
そのうち7時近くになったので、残念ながら、私たちは帰りました。レーニンさん、寅次郎君たちと共に、新宿のロフトに向かったのです。
7時半から、〈終戦記念トーク〉をやってます。20年ほど前から高須基仁さんがやっている。
初めの頃は、ものすごい人だった。塩見孝也、三上治、荒岱介…と、左翼のリーダーは出るし、右翼も大物が出る。大変な人だった。
でも、ある時から、人が集まらなくなった。6年ほど前だったが、ゲストが8人くらい壇上に並んだが、お客はパラパラと5人ほどしかいない。ゲストより客の方が少ない。そんな時もあった。
でも終戦の日に、こういうイベントくらいあってもいいだろう。と思って、私は出来るだけ来ている。
今年は、まあまあお客さんもいる。行ったら、私は壇上に上げられた。ただ、暗い。
だから、勝手に寅ちゃんを呼んで、上がってもらった。そして、現在の状況への批判をした。
客からもどんどん質問を出してもらい、話し合った。
又、団鬼六さんの未亡人の黒岩安紀子さんが歌をうたってくれる。「九段の母」や、「岸壁の母」などだ。いい歌だ。胸が締め付けられる。
トークが終わってからも、我々だけ残って、話し合った。
我々の他に千葉の方で市議選に出るという人もいたので、その話もする。
来年の8月15日は、ぜひ、もっと準備をして、大々的にやりましょう。新文芸坐で司会をした御手洗さんとか、あるいは三島研究家の瀧沢さんを司会にして、やりましょう。盛り上がるでしょう。
今年は、「8月15日」について、随分と考えた。
又、3年にわたって天皇(制)について考え、悩み、迷いながら書いてきた。
その本が、やっと出来た。私としては、今までで一番苦労して書いた本だ。だから愛着がある。思いがけない人から思いがけない書評ももらっている。ありがたいと思う。
8月15日は、朝から靖国神社に行き、雨でびしょ濡れになって、池袋の新文芸坐に行き、そしてロフトだ。
長かった。私にとっても「いちばん長い日」になってしまった。
⑧このあと池袋の新文芸坐に行きました。御手洗さんが主催してやっている映画祭です。〈第6回 新藤兼人平和映画祭〉。「日本のいちばん長い日」の新・旧二作品を上映し、その原作者の半藤一利さんが講演しました。私は半藤さんの講演には間に合いました。終わって、又、じっくりと話を聞きました。
⑪その後、急いでタクシーで、ロフトに向かいました。午後7時から高須基仁さんプロデュースの「終戦記念日イベント。脱法する人達大集合!」が始まっていました。私も呼ばれて上に上げられました。中央は黒岩さん(団鬼六さんの未亡人)。左は宗さん。右は高須さん。寅次郎君。人も少ないし、元気もなかったので、寅次郎君を呼んで、大いに盛り上げようとしました。
⑬今月出たばかりの本です。20日に書店に出ます。実は3年以上もかかって、やっと出来た本です。自分の力がなくて、分からないことが多く、いろんな人に聞いて教えてもらい、図書館で調べ…と。苦労して書きました。私は今まで全部で70冊ほど出してますが、一番、苦労して書いた本です。「バジリコ株式会社」も力を入れてくれました。
⑰小樽に行く前に、札幌に入院している姉の見舞いに行きました。私より12才上です。前に来た時は元気が無く、分かってんのかな、と不安でした。でも、この日はしっかりしてました。「弟ですよ。邦男ですよ」と言ったら、パッチリ目を開けて、深く、うなづいてました。こっちの顔がわかってるようです。元気でした。
⑱8月9日、10日札幌から小樽に行って、10日の昼の飛行機で東京に帰りました。羽田に2時に着き、新宿に5時。寅次郎君と待ち合わせて大久保の「がんこ寿司。山野愛子邸」へ。シリア大使のワリフ・ハラビさんの送別会に出ました。せっかく知り合いになれたのに残念です。大使は日本の政治家に働きかけたり、民間の友好協会を作ったり、大活躍でした。とても優秀で重要な人なので、お国で大きな仕事が待ってます。又、日本に来てほしいです。「今度は我々が行きましょう」と言いました。
㉓8月13日(日)。元公安でイスラム教徒の西道弘さんと対談しました。イスラム教に改宗したので、会社にいられなくなり、公安を辞めたそうです。詳しい話を聞きました。9月5日にはロフトプラスワンでも話します。上祐さんと3人です。
㉖8月16日(水)。渋谷の日本映画美学校で、試写会を観ました。「女になる」です。男の子が、性同一性障害で、大学生の時に、男をやめて、女になるんです。手術の様子も撮ってます。勇気があります。その帰り、Bunkamuraのザ・ミュージアムで、「奇想の系譜」を観ました。ボス、マグリット、ヤン・ファーブルなど、迫力がありました。面白かったです。図録だけでなく、画家の本や、いろんな解説本を買い込んでしまいました。