僕まで「グレートジャーニー」をやってるような気分になってしまいました。
関野吉晴さんはテレビの「グレートジャーニー」にずっと出ていた。そして、映画にもなりました。今は、武蔵野美術大学で教えています。
私は、かなり前から知り合いです。河合塾のエンリッチ講座に来てくれた時に知り合いました。その後、何回か、武蔵美に呼んでもらいました。
でも今回は、かなり違います。規模が違います。9月12日(火)で「講演して下さい」と頼まれて、「あっ、いいですよ。楽しみですね」と二つ返事で答えました。
そしたら、参議院議員の山本太郎さんと一緒だという。いいですね。山本さんとは、ゆっくり話したいと思ってたんです。
「で、何時ですか」と言ったら、「朝9時からの授業なんです」と言う。
エッ? 武蔵美は国分寺から、さらにバスで行く。家からだと2時間以上かかる。それに朝一番の授業か。
でも、せっかくのチャンスだ。「いいですよ」と言った。
それから少しして、又、電話だ。「せっかくだから、そのあとも授業をして下さい」と言う。「いいですよ」。「そのあと、あと二つお願いします」と言う。かなりハードだ。
ともかく行きました。椎野礼仁さんたちも行きたいと言うので、待ち合わせて行った。
9月12日(火)は朝5時に起きた。前の日は一水会フォーラムがあって、遅くまで懇親会があって、ほとんど寝てない。
家を6時に出て、東中野から電車に乗って中野へ。そして乗り換えて国分寺へ。8時ちょっと過ぎに着く。
バスで行くつもりだったが、関野さんが、わざわざ迎えに来てくれた。そしてタクシーに分乗して学校へ行く。着いて、今日の予定を聞く。
午前9時から10時半まで1回目の授業。90分だ。
そして2回目が午後2時40分から4時10分まで。
さらに3回目の授業が6時から7時半まで。授業だけで5時間ほどだ。
このあと、国分寺の駅の近くで懇親会をやったので、そこから帰ったのは11時。家に着いたら、12時半頃になっていた。
学校にいた時間だけでも12時間近い。すごいなー。
私はヒマだからいいけど、国会議員の山本さんは大変だろう。
米朝が戦争を始めるかもしれない、こんな時に、こんなとこにいていいのか。と思ったが国会は休会中だし、何かあったら連絡が入ることになっている。そのために秘書軍団が2人も付いて来ていた。すごいですね。
午前9時に第1回目の授業だ。こんな朝早くなんか、学生も来ないだろう。と思っていた。
私らが学生の頃なんて、朝の授業なんてよくサボってた。出席のうるさい語学の授業ぐらいは出たけど。
まあ、10人ぐらいだろうと思って授業に行ったら、驚いた。大教室が人、人、人だ。
何でも400人入る教室だという。それが満員だ。すごい。
山本太郎を見たいんだろう。「いや、生きた右翼を見たいんですよ」という人もいる。それよりも関野先生がともかく人気があるんだ。熱狂的な追っかけの女性もいるんだし。
美大なんだから、絵を描く人とか、音楽をやる人とか、ともかく、アートな学生ばかりだ。
でも、関野先生はアートなんだろうか。文化人類学を教えてるらしい。すごいですね。テレビで「グレートジャーニー」を見て、この授業を取ったという人が多い。
だから、朝だろうと夜だろうと関野先生の授業には熱心に来る。いろいろ学生に聞いてみたけど、そんなファン学生が多いのだ。
まず、関野さんが、「なぜこの2人を呼んだのか」の話をする。我々と知り合った理由、そして、どんな付き合いをしてるかを話す。
そしてまず山本さんだ。山本さんは「美術と政治」というテーマを出して、それで話をする。
すごい。美大生用にテーマまで考えて来たんだ。自分の生い立ち、アートへの関心。なぜ政治家になったのかなどを話す。
話はうまいし、説得力がある。パワーポイントと言うんだろうか、映像、写真、図表を使いながら、説明する。説得力がある。
そして、政治の話の中で右翼、左翼が出て来ますが、鈴木さんに説明してもらいましょう。と言って、マイクを渡す。
フランス革命から、真面目に説明しましたよ。そして、日本で右翼、左翼が出来るまで、その現状…と。
その上で、〈左翼〉と言われてる山本さんと2人で話をしました。
憲法をどうするか。米朝の対立に、日本は何をすべきか。日本の防衛は…と。他にも原発、環境問題なども話しました。
関野さんは横で聞いてる。ほとんど2人だけで話しました。
そして、残り時間は、学生からの質問を受けました。かなり活発な質問が出ました。
それが終わって、2時40分まで、何をするか。一応、先生の研究室に行って打ち合わせをする。それから昼食に行く。
でもまだ早い。朝の9時から働いてるんだ。まだ11時にならない。
そうしたら、レーニンさんが、「畑中純さんの展示会に行きましょう」と言う。
エッ? どうして知ってんの? 何かで見たらしい。「調布だから、国分寺から近いでしょう」。「今日で最終日ですよ」と言う。
あっそうか。私は今年は無理かな、と思っていたんだ。
畑中さんは漫画家で、「まんだら屋の良太」というヒット作がある。その中で私も「解説」を書いたことがあるし、随分と教えられた。
宮沢賢治の漫画も描いてたし、亡くなる直前に、「ぜひ三島由紀夫をやりたい」と言っていた。
「遺族の許可がいりますかね?」と言う。
「三島の作品を漫画にするのなら、勿論、許可はいる」。
「いや、三島の生き様を描きたいのです。楯の会を創り、自決するまでを」と言う。だったら、許可はいらない。ぜひ、やったらいい、と言った。
楽しみにしていたが、でも、5年前に畑中さんは亡くなってしまった。とても残念だ。三島研究家の瀧沢さんにも紹介しようと思ってたのに。
でも、「畑中純展」は亡くなった後も毎年、行われている。調布の貸画廊やっている。私は毎年出ている。
今年は忙しくて、ちょっと行けないかな、と思っていたら、武蔵美の講演会の休憩時間を使って行けたのだ。奥さんともいろいろ話をしました。
ただ、慌ただしく、再び武蔵美に戻りました。
2時40分から、さらに6時からと、2回の授業。2人で対談したり、1人ずつ喋ったり、変化をつけて授業をしました。
山本さんとは、こんなに長く話したことはありません。関野さんもそうですか。
とても、アートな大学で、アートな人たちと、アートな話をしました。
アートと言えば、9月8日(金)の「再生」の舞台もそうでしたね。感動しました。
今年は「見沢知廉十三回忌追悼公演」で「蒼白の馬上〜1978326〜」でした。
見沢も亡くなってしまいました。今生きていたら、仕事が沢山舞い込んだし、働く場が沢山あったと思いますよ。残念です。本だって、まだまだ書くことはあったでしょう。そんな悔しさが出てくる舞台でした。
小田急線・千歳船橋のAPOCシアターで行われました。工事現場のパイプを組み立てて、足場を築き、どうも成田の管制塔をイメージしてるようです。
そこで、新左翼党派が、アジり、争い、闘うのです。「革命家・見沢知廉」の華々しい一日が再現されます。
この舞台設定には度肝を抜かれました。これは危ない。そこに昇り、そこでアジり、闘う。役者は皆、命懸けだ。きっと見沢も見ていただろう。「あっ、やってくれたな!」と喜んでいるだろう。そんなことを感じた。
この芝居が始まる前は、何が行われるのだろうと、私も不安だったが、芝居を観て、納得した。よくやってくれたもんだと感謝したい。
劇団「再生」にとっては、新しい冒険だし、新しい挑戦だろう。ともかくこの挑戦には、感動した。
見沢については、私も書いてみたい。年は彼の方が若かったが、影響を受けたのは常に私の方だ。
創出版から新しい本が送られてきたが、『言論の覚悟 脱右翼篇』は実にいい出来上がりだ。とても嬉しい。
テーマをつけ、目次もいいし、読んでいて、ハラハラした。こういう書き方は、見沢に影響されている部分が大きいと思う。
まあ、見沢のような小説は書けないが、見沢のすごさは見習いたい。
この本については、来週でも又、書いてみよう。9月中旬に、全国の書店で発売だ。
9月20日(水)には、記念トークがあるし、各地で「読書会」をやる予定だ。事件はあるし、闘いもあって、思想もある。話し合うテーマも多いと思う。期待している。
そのあと、一水会フォーラムへ。7時からホテルサンルート高田馬場。講師は伊勢崎賢治さん(東京外国語大学教授)。
演題は「主権なき平和〜地位協定の国際比較と自衛隊PKOから見る日本の姿」。とても勉強になりました。
終わって、二次会でも、皆が真剣に質問してました。
朝9時から10時半。それが第1回目の授業。大教室に400人もいる。
2回目の授業は2時40分から4時10分まで。
そして最後は6時から7時半まで。
それが終わって、国分寺の近くの居酒屋で二次会。11時頃に帰る。
家に着いたら12時過ぎだった。朝6時に家を出たんだ。帰って、すぐ寝た。
それにしても武蔵美大に12時間以上いたわけだ。こんなに長く、1ヶ所でやったのは初めてだ。国会議員の山本さんも12時間も拘束されている。米朝戦争が始まるかもしれないこの危機的な時に。国会を留守にしていいのか、と不安になった。
3つの授業は学年、学部が違うし、別々のテーマで話をした。国政、北朝鮮問題、言論の自由、憲法、自民党と野党。左右の運動と暴力…と、あらゆる問題を取り上げて、話し合った。
関野さんも入り、授業だけで5時間近く。そして、休憩の時間も話し合った。
私は、昼の休憩の時に、調布までちょっと出かけてきた。漫画家の畑中純さんが亡くなって5年。その回顧展が開かれていたので、行ってきた。
ともかく忙しい一日だった。動き回り、喋りまくった。
4時43分、新青森着。迎えの人が来ていて、車で弘前の会場に案内してくれる。弘前市総合学習センターで、「佐高信青森政経塾」だ。でも、佐高さんは来ない。私一人だ。
6時半開始。安倍政権、日本会議、そして右傾化する日本について話をする。
終わって、質疑応答。そして二次会。新青森に泊まる。
①9月12日(火)。武蔵野美術大学で講演をしました。山本太郎さん(参議院議員)と一緒です。それに、この日は9時、2時、6時と3回の授業でした。かなり大変でした。朝9時からの授業のために6時の電車に乗って、駆けつけました。学校には、こんな案内が貼られてました。
⑯実はこの日は、昼休みに、少し抜け出して、調布に行ってきたのです。漫画家の畑中純さんの追悼展示会でした。とても仲良くしてもらったのですが、5年前に亡くなりました。左は椎野レーニンさん。右は畑中さんの奥さん。