青森県からは偉大な作家、芸術家が出ている。太宰治、寺山修司などだ。
私はその全ての生家、記念館に行った。
イエス・キリストのお墓にも行ったし、その追悼祭にも出席した。イエスは実は日本に亡命し、青森県に来て、そこで、ひっそりと亡くなった。という伝説があるのだ。
又、ピラミッドもあるし、青森はミステリーランドだ。
東北にはもう一つ、不思議な県がある。岩手県だ。
国民的歌人の石川啄木がいる。又、誠実な宮沢賢治がいる。
この二人で、岩手の人々はずっと守られているのだ。
それに岩手には、いろんな記念館、博物館がある。これは驚くほどだ。
啄木記念館、宮沢賢治記念館は勿論だが、「原敬記念館」、「与謝野晶子記念館」「千利休茶の湯館」などもある。
それに、変わったところでは、「盛岡市先人記念館」というのもある。
こういう記念館は、他にはない。これらも私は見て回った。
9月に盛岡で講演会をやった時は時間がなくて、どこも行けなかった。
しかし、4年前、ここで日教組の人たちに呼ばれて講演した時は、かなり回った。
原敬記念館、先人記念館は特に感動した。
他にも県立美術館とか、いろんな記念館、美術館がある。
では、この「盛岡市先人博物館」だ。〈明治期以降に活躍した盛岡ゆかりの先人130人を紹介〉と書いている。
超有名な人たちは、個人で特別コーナーがある。
「新渡戸稲造記念館」「米内光政記念館」「金田一京助記念館」などだ。
さらに、「政治に生きた人々」「社会の近代化につくした人々」「学術・教育に生きた人々」「芸術・文化に生きた人々」…と分けて、総数130人を紹介している。
故郷の先人をそれだけ愛し、丁寧に紹介している記念館は他にはない。これは素晴らしいと思った。
かなり見て回っているが、まだまだ行ってない所がある。
それで急遽、又も岩手に行って来た。9月30日(土)、10月1日(日)だ。
東北新幹線で盛岡に行き、そこで昼食。
駅前に「山猫軒」がある。宮沢賢治の小説にある。人間が食べに入るが、逆に「食べられてしまう」という食堂だ。
でも駅前にあるんだ。まさか食べられないだろう。思い切って入る。
「わんこソバセット」を頼む。わんこソバが13杯も出てくる。頑張って食べたが、残してしまった。
それからバスで、石川啄木記念館へ。
あれ、電車に乗ったのかな、銀河鉄道だ。ここであの「渋民」で降りる。啄木は「渋民村」に住んでいた。
渋民村を歌った歌も多い。
〈かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山おもひでの川〉
昔は、「渋民村」といった村だったが、今は合併して盛岡市になったという。ちょっと味気ない
。石川啄木記念館は立派だ。近くに小学校も置かれている。啄木が教えた学校だ。
いろんな資料もある。絵葉書もあるし、本もある。
啄木は盛岡の他に、函館にもいたし、小樽にもいた。そこにも記念館がある。それらも全て行ってみた。
今、記念館のパンフレットを見ている。紹介されている歌がいい。
〈新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど〉
〈ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな〉
〈東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる〉
〈不来方(こずかた)の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心〉
〈砂山の砂に腹這(はらば)ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日〉
いいですね。啄木の歌は皆、いい。それにバリエーションが豊かだ。
望郷、親孝行、恋愛、さらに社会への不満、革命願望まである。
反逆的な歌は、戦前・戦中は紹介されず、戦後になってから大々的に紹介されたという。
私らが学校の教科書で習ったのは、親孝行の歌が中心だった。
〈たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず〉
又、いくら働いても貧乏から抜けられないと嘆く歌もあった。
〈はたらけどはたらけど猶(なほ) わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る〉
こういう歌は皆、知っている。
でも我々は、それ以上のことを知ってしまった。知らなくてもいいことを知ってしまったのだ。ネット時代の不幸な人間のように。
貧乏を嘆き、親孝行をする啄木。でも、そう教わってはいるが、実は違っていた。そのことも、我々は教えられている。
学校の先生が教える。いろんな本で読む。映像で見る。
ああいう風に歌に詠んだが、本当は仕事をサボって、ロクに働かなかったんだ。実は母親を背負ったことなんて一度もなかったんだ…と。「偽善」だったのか。
そのようにして我々は啄木を見ている。
ドナルド・キーンは、そういう日本人の冷たさに怒っている。
日本人は皆、啄木を「歌は多く歌ったが、人間的にはダメな男だった」と馬鹿にしている。
しかし、啄木は世界でも稀な歌人だ。そして中世から続く、日本の日記文学を唯一正しく継承した人間である。と言う。
そして、『石川啄木』という500ページもある大著をあらわしている。
これを読んで、啄木に対する評価が変わった。やっぱり啄木は偉大だよ。と思った。
そして、この本の書評を、週刊『アエラ』に書いた。ドナルド・キーンさんはとても喜んでくれた。
この本に皆、感動するが、余りに長いので、完全には読み切れない。だから書評をやった人はほとんどいない。それで喜んでくれたのかもしれない。
新潟県までキーンさんの講演に行った時も、会って話してくれた。又、東京でも話してくれた。石川啄木の話だ。
又、キーンさんは三島由紀夫の最大の理解者であり、二人は最も理解し合えた友人だったと思う。そんな話もした。
今回、啄木の記念館や、学校を見て、考えた。
よし、啄木のものは、歌に限らず、小説なども含めて、全て読んでみようと思った。
啄木が終わってから、今度は宮沢賢治記念館に行った。
賢治は、若くして亡くなった。とても真面目で、誠実な人だった。生涯、独身だったし、童貞だった。
記念館の入口には「セロ弾きのゴーシュ」が立っている。小学校の時、この映画を観たな。と思い出した。
「賢治の学校」などもある。「童話村」もある。かなり広いところに、賢治ワールドが沢山置かれている。
夜は、ライトアップされて、とてもきれいだった。だから30日の夜と、1日の午前中に、2回来た。
ここは、本当に心が洗われるようだ。前から、来なくっちゃ、と思っていた。やっと来れた。長年の宿願を果たしたようだ。
ここからさらに足を延ばすと、平泉がある。中尊寺がある。私は大学生の夏休みに毎年、来ていた。
ここで「生長の家の高校生錬成会」があり、その手伝いで来てたのだ
。別に中尊寺に泊まるわけではない。民家のようなところに泊まった。でも中尊寺、金色堂などは、毎年見られて感動した。
あとは、さらに海に出て、リアス式海岸をずーっと回ったこともあった。岩手は結構、来てるんだ!
宮古では、毎年、「新選組まつり」をやってるという。
新選組の土方歳三が賊軍(薩長)の軍艦を奪って、函館まで行くのだ。海賊をやったのだ。その勝利を記念して、新選組を追悼するのだ。
去年、来ようと思ったが、用事が出来て来られなかった。来年にでも挑戦してみよう。
さて、賢治だが、9月30日(土)の夜に、会館のライトアップを見て、翌日は午前中、賢治記念館、童話村などを見て回った。
前日は「わんこソバ」セット(13杯)を食べたし、お腹は一杯だ。元気に見て回りました。
賢治の小説や詩などは、かなり読んでると思うが、きちんと計画的には読んでない。全集を揃えて、読破しよう。
啄木もそうだが、この2人は深い。そして優しい。世を変える原点ですよ。そんなこんなを考えました。