NHK・Eテレの「100分de名著」はいい。必ず見ているし、テキストも買って読んでいる。
特に、釈徹宗さんの出た「維摩経」がよかった。あっ、「生長の家」でも維摩経については教えられたんだと思い、真剣に読んだ。
学生時代は「生長の家学生道場」にいて、修行生活をしていた。
仏教の本も随分と読んだ。「生長の家」では『維摩経解釈』とか、『無門関解釈』、『親鸞の本心』…などという本も出ていた。谷口雅春先生が書いていた。
キリスト教についての本も随分と出ていた。『ヨハネ伝講義』とか。私は高校はミッションスクールだったし、キリスト教については基礎的なことは知ってるつもりだった。
でも新しい光が入ってきた。高校では、イエスについて教えられても、反撥していた。疑問に思い、なかなか心に入ってこなかった。
それが、「生長の家」の先生に教えられ、本で読むと、理解出来たのだ。
仏教もキリスト教もそうだが、どんな本を読むか。誰の話を聞くか。で、かなり受け入れ方が違うように思う。
高校は、出来たばかりの学校だったので、少しでも多くの人を東北大学などに入れて、高校の存在感を示さなくてはならない。そういう思いがあった。
だから、その第一の目的のためには、他のことは犠牲にされた。先生たちも必死だったんだ。生徒も必死だ。ともかく勉強した。大学受験を目指して。
校則は厳しいし、先生は生徒をよく殴っていた。「神の愛と言いながら、なぜ殴るんだ!」と私は反撥した。今なら、大変な問題になる。
でも、私らの頃は、全く問題にならなかった。先生は熱心で、生徒を思うから、ついつい、殴るんだ。そう思われていた。
そんな中で、キリスト教を説かれても、「おかしいよ!」と反撥した。
普通の高校より30分早く、学校は始まる。礼拝があるからだ。学校の中の教会で、聖書を読み、讃美歌をうたい、牧師さんの話を聞く。
授業では「聖書」の時間もある。試験もある。「三位一体について述べよ」とか、いろんな問題が出る。中には、新約聖書の目次を暗記させられたこともある。
こんなの意味ないや、と思っても、覚えないと単位をもらえないし、卒業出来ない。必死でやった。高校3年間は、キリスト教にドップリつかって生きていた。
それから大学だ。早大に入った。
住むところは、赤坂乃木坂にあった「生長の家学生道場」だった。ここに4年間いた。厳しい修行の場だった。
ここでは、仏教、キリスト教についても教えてくれた。本も読んだ。
大森先生(道場長)から毎日、講話があったが、仏教の話もあった。親鸞や維摩経の話も沢山聞いた。「求道生活」だったんだな、と思う。そんな生活が懐かしく思い出された。
高校、大学と「宗教」だけの生活だった。今の若者には考えられないだろう。
現世的な快楽なんか全くない。酒もタバコも飲まない。女の子との付き合いもない。そして、ひたすら神について考えていた。
学生道場では、35人、大学生がいた。
数が多くなると、人間は堕落しやすい。しかし、ここはそんなことはなかった。
皆、暇さえあれば祈り、本を読んでいた。清らかな心の人が多かったからだろう。
夜、部屋に集まってコーヒーを飲みながらも、宗教についての話をしていた。
でも、昼は各自の大学に行く。そこでは「俗」の生活がある。俗の人たちとの付き合いもある。
そうだ。学生道場ではコーヒーなんか飲まなかったかもしれない。あんな外国のものは飲まずに、日本茶だったような気もする。
私は、家が「生長の家」だったし、昔ながらの考えを持つ親だったので、大学に入るまで、コーヒー、紅茶、ジュースなんて飲んだことがなかった。肉も食べたことがなかった。
でも大学に入り、大学の友人たちに誘われて、コーヒーを飲んだ。又、カツ丼を食べた。「おいしい」と思った。
道場に帰って、そのことを先輩に言ったら、叱られた。「動物を殺し、その肉を食うとはおかしい」「それを食っておいしいと思うお前の方もおかしい」と叱られたのだ。反省した。懺悔し、それ以来、一度もカツ丼を食べてない。
他の学生は、もっと誘惑が多かったようだ。
同じ1年生だったが、大学の同級生と一緒に酒を飲んだという。いいことではないが、付き合いで仕方なく行ったようだ。
女の人がいる店に行き、隣りに座った女の人は、「あらウブな学生さんね」と言いながら彼の手を握った。彼は真っ赤になった。
さらに、その手を自分の胸にとこに持ってきて、押し付けた。彼の心臓は割れんばかりだ。
その体験を道場に帰ってきて、皆の前で「告白」していた。
「今、私は、こんな罪深いことをしました!」と。「この手は汚れてしまいました! 申し訳ありません! こんな手は斬り落としたい!」と絶叫して、泣き出した。
真面目な奴だな、と私は見ていた。女の胸を触ったのか。いいことじゃないか。何で罪の意識を感じるんだ、と思って見ていた。
でも、そんな真面目な学生が多かったんだ。女性と大学で話をしただけで、罪の意識を感じ、ずっと祈ってた人もいた。
肉を食ったんで、嘆いて、反省の祈りをしてる人もいた。あっ、これは私か。
今では、ああいう修業生活は出来ない。9畳の部屋に3人がいた。あんな集団生活も出来ない。
よく、やれたものだと思う。一日も休まず、朝4時50分に起きて、お祈りをしていたんだ。
まるで、お坊さんのような生活だ。
大学じゃ、左翼学生と闘わなくてはならない。この日本を守るために。
だから、我々は闘う修行僧だ。「僧兵」のようだ、と思った。
そんな生活を懐かしく思い、釈徹宗さんの本を何冊か読んだ。
さらに丹羽文雄の『親鸞』全7巻を買って、今読んでいる。
小説家の書いた親鸞だ。又、違う側面から書かれていて、興味深かった。
ひろさちやさんの『日本語になった仏教のことば』(講談社)も読んだ。
これを読むと、日本語なんて、仏教からきた言葉で一杯だ。そして、ことわざも。
縁。因果。業。不徳。成仏。お陀仏。後生。安楽。一連托生。精進。三千世界。億劫。…皆、仏教から来た言葉だ。
ことわざにも多い。「親子は一世、夫婦は二世」。「親の因果が子に報い」「果報は寝て待て」「仏の顔も三度」「仏作って魂入れず」「知らぬが仏」「三人寄れば文殊の智慧」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「馬の耳に念仏」「弘法も筆の誤り」。
…いくらでもあるよ。日本は、仏教国だよ。単語もことわざも仏教であふれている。これを抜いたらもう、日本も日本語もないよ。
この、ひろさんとは私はずっと前に対談をしている。
それも、ひろさんが「宗教者」と対談する本でだ。私を「宗教者」として認めて、対談相手に指名してくれたのだ。これは嬉しかった。
この対談は私の本にも入れさせてもらった。『宗教なんてこわくない』(鹿砦社)に入っている。それに、宗教について書いた本としては唯一だろう。
又、「こわくない」と言いながら、実際は、「こわい話」もある。カルト的な人と知り合い、危ない方向に誘われたら…と。
あの頃は、いろんなことがあった。ほとんど、中世の僧の生活と同じじゃないか。なんて思った。
でも、釈さんの本や丹羽文雄の本を読むと、「それは違う!」と叱られる思いだ。
あの頃は、お坊さんは命懸けだ。戦争もあるし、お寺の争いもあるし、命なんて、簡単に吹っ飛ぶ。命を奪われる。あるいは島流しになる。ちょっと独自の説を述べただけで、島流しだ。親鸞も、新潟に流される。
又、宗教に対する考えが違う。今の我々じゃ一日でも我慢出来なかっただろう。そんなことを痛感した。
丹羽文雄の『親鸞』(全7巻)だが、さすが大作家だし、面白い。
お坊さんは修業生活がメインだが、そこには恋もあり、戦争もあり、実に激しく、刺激的だ。
元は文庫で出たらしいが、小学館で大きな版で再出版している。それがいい。
高田馬場の芳林堂で見つけて、このシリーズを他にも何冊か買って読んでいる。これだけ別なところに置かれている。「小学館P+D Books」と名付けられている。
この本の最後に、この「P+D Books」の説明が書かれている。
〈P+Dとはペーパーバックとデジタルの略称です。後世に受け継がれるべき名作でありながら、現在入手困難となっている作品をB6判ペーパーバック書籍と電子書籍で、同時かつ同価格にて発売・配信する。小学館のまったく新しいスタイルのブックレーベルです〉
その志や、よし。だ。活字も文庫よりはずっと大きいし、電車の中でも、眼鏡なしに読める。
そうだ。この前、100円ショップに行ったら、老眼鏡が100円で売っていた。安い。ちゃんと見える。
でも、かけたり、外したりが面倒だ。だから細かい活字の本はあまり読まないようにしている。
そしたら、「見てるだけで目がよくなる」という本があったので、買った。
山や川や空などの大きな自然の写真が載っている。1日何分か見てると、眼がよくなるそうだ。
本当は、外に出て、遠くの山を見たり、川を見たりなどもいい。そうすると、近眼も老眼も治るという。実際に、治った人もいただろう。
それを今、「本」の中でやろうとしているのだ。面白い試みだ。
だから、どんどん眼がよくなって、仏教書も沢山読んでいる。
そして、11月5日には、NHK・Eテレに出た釈徹宗さんを訪ねました。大阪まで行って、個人的に話を聞いたのだ。贅沢な授業だ。
大学生に戻った気持ちで、いろんなことを質問しましたよ。
それに、大阪にある、おいしいふぐ屋さん「ふくふく」で、お会いしたのですが、ご馳走になってしまいました。
私が教えを乞いに行き、一方的に教えてもらったのに、申し訳ないことです。
とてもおいしかったです。お酒もよかったです。
こんな贅沢な勉強の場を持ったなんて、私だけでしょう。ありがとうございました。
この日は、少し早めに行って、天保山で「ゴルゴ13」の50周年記念展も見てきました。これも勉強になりました。
①11月4日(土)。イルカの写真を撮って、イルカ解放運動をやっている坂野さんから連絡があって行ったんです。お茶の水の「エスパス・ビブリオ」で行われた「藤原英司さんを繋ぐ会」です。藤原さんは自然、環境保護運動を始めた人です。長く、「エルザ自然保護の会」会長をやってました。今年、亡くなりました。その偉業を偲び、皆で、継いでいこうという集まりでした。坂野さんが司会をしてました。
私も何冊か読んでました。著書の『動物の行動から何を学ぶか』。『死に絶える動物たち』。『闇夜と動物を恐れる人へ』など。訳書としては、有名な『野生のエルザ』(文芸春秋)。『シートン全集・1〜9』(集英社)などがあります。
②私も呼ばれて話しました。藤原さんの本は読んでたのに、会えずじまいだったのは、何とも残念です。藤原さんが、小学校5年で芥川龍之介全集を読破し、中学で三島全集を読破したそうです。ますます、会いたかったです。
④左は藤原さんの奥さんです。そして、女優の岡崎友紀さんです。「おくさまは18歳」で主演してた人ですね。こんなとこで会えるとは思いませんでした。実は、藤原さんが会長をやっていた「エルザ自然保護の会」の副会長を岡崎さんはやっていたそうです。だから「自然保護運動」の闘士だったんですね。
⑤「繋ぐ会」はここのホールでやりましたが、元々は本を展示してる所です(ビブリオというくらいですから)。前にも紹介しましたが、世界一高価な本が置いてありました。1冊30万円です。1万冊出して、すぐに売り切れたそうです。
⑦翌、11月5日、大阪に行って、天保山の水族館の隣りのビル(大阪文化会館)でやっていた「ゴルゴ展」を見ました。連載が始まったのは50年前。それから1回も休載はありません。すごいです。
〈連載50周年記念特別展〉と銘打たれてました。入ってすぐに、ゴルゴが出迎えてくれました。
⑪このあと、釈徹宗さんに会いに行きました。天満の「ふくふく」で。お酒を飲み、おいしいふぐを食べました。とてもおいしかったです。ふぐなんて高級料理は6年ぶりです。釈さんは、NHK・Eテレに出て、話してました。とてもよかったです。私も今、必死に勉強してます。いろいろと教えてもらいました。
⑫11月5日は「ゴルゴ展」に行き、釈徹宗さんに会い。遅くなったので大阪に泊まりました。翌6日は、昼、天満天神の寄席「繁昌亭」に行って落語を聴きました。
夕方、東京に帰り。その翌日、11月7日(火)に河合塾コスモに行きました。代々木上原にあるイスラム教のモスク「東京ジャーミイ」に行きました。ここは「トルコ文化センター」でもあります。コスモの授業で見学に行ったのです。私も付いて行きました。こんな機会でもないと中に入れないと思ったので。
㉕やはりこれも、天保山にありました。「レゴランド」があって、屋外に、このレゴで作ったキリンがいました。すごいですね。名古屋のレゴランドも行きたいですね。
ところで、天保山は「ゴルゴ展」をやった大阪文化会館がある。さらに壮大な水族館があります。そして世界一の大観覧車が。でも「山」はない。「天保山」はどこだ。そしたら、やっと分かりました。何と標高5メートルの山なんです。5メートルで「山」と言うのか。でも、天保山と名付けられたんです。不思議なことですね。