11月18日(土)は、愛知県岡崎市に行った。青木理さんとのトークセッションだ。
青木さんは、何度か対談してるし、インタビューに答えている。青木さんがまだ共同通信の記者だった時は、何度か取材を受けた。青木さんがフリーになってからも取材を受けた。
今年はBS朝日で「連合赤軍」特集をやった時、みやま荘で取材を受けた。
最近では二つほど雑誌の対談があった。だから、よく会って、話し合っているのだ。
でも今回は緊張する。だって、主催者は弁護士さんの集まりだ。弁護士さんの集まりで喋るんだから、あまり雑な話は出来ない。きちんと資料を示して、裏付けのある話しか出来ない。
だから、ずーっと気になっていたし、何の話をするか、考え込んでいた。
テーマは決まっていて、送られてきた。
〈私たちはどこへ向かうのか=危険な空気に抗う〉。
世の中が右寄りになる。ネトウヨが闊歩し、改憲の雰囲気が進んでいる。又、その情況をさらに加速させるために「保守」を守り、リベラルや過激派は徹底的に弾圧する。…という日本の今の風潮を言い、それへの対抗策を皆で考える。という話らしい。
話らしいと言っても青木さんと私は、そのテーマを初めて見た。
その上で何の話をするか。司会の弁護士さんを含めて、考えた。
「右傾化」と言われる日本。じゃ、今の安倍政権と、さらに、監視国家化する日本。それを主導する警察の公安。そういったものを中心に話そうということになった。
青木さんも私は「公安警察」については著書があるし、そんなところも主催者は期待しているようだ。
これはかなり大掛かりな企画だ。半年以上前から、準備が進められていた。
主催は「愛知県弁護士会西三河支部」だ。愛知県全体では4つほどの「支部」がある。その一つ、西三河支部が主催する。
でも、この日は愛知県弁護士会の代表の人たちも来ていた。期待の大きさが分かる。
毎月、いろんな人を呼んで講演会をやっている。でも今回のように2人の講師を呼び「トークセッション」をやるのは初めてだ。
弁護士さんの集まりだけに準備も万全だ。「どんな話をするか」「サイン会をするときの本はどうする」「休憩は」…と事細かに決められている。
午後2時から始まるが、1時には全体が集合し、打ち合わせ。
それに合わせて、東京から名古屋までの新幹線は9時40分東京発の新幹線に乗って下さい。それから、在来線に乗り換えて、この急行に乗って下さい。改札でお待ちしてます。…と連絡が来る。
さすがは弁護士さんの集まりだと感心した。切符は買って、こちらも準備した。
当日のチラシやポスターもかなり配ったようだ。そこに「愛知県弁護士会西三河支部」の紹介が書かれている。
〈愛知県弁護士会西三河支部は、刈谷市、安城市、知立市、豊田市、岡崎市、みよし市、西尾市、などに事務所を置く、弁護士全員が加入しています(2017年9月20日現在140人)。人口160万人を擁する西三河地域において、様々な事件の解決に取り組み、地域の司法の一翼を担っています〉
そして講師2人の紹介が載っている。
私は、かつて右翼の運動をしてたが、今は、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)共同代表。著書に『公安警察の手口』『右翼は言論の敵か』『〈愛国心〉に気をつけろ!』『憲法が危ない』などがある。
青木理さんは共同通信記者を経て、現在はフリー。著書には、『日本の公安警察』『絞首刑』『誘蛾灯 二つの連続不審死事件』『ルポ 国家権力』『日本会議の正体』『安倍三代』…などがある。
つまり、二人とも「公安」の著書があり、危ない日本に警鐘を打ち鳴らしている。という感じで紹介されている。
当日、主催者から指定された新幹線(東京発9時40分)に乗る。名古屋に着いて、そこから乗り換えて、岡崎市に行く。そこで向こうの人が迎えに来ている。そういう予定だ。
新幹線に乗って本を読んでたら、通路を青木さんが通った。「たばこを吸いに行きます」と言っていた。隣りの車輌らしい。
ああ、同じ新幹線に乗ってたんだな、と安心した。「じゃ、岡崎で」と話した。名古屋での乗り換えは、10分もないので、慌ただしく移った。
青木さんも乗っただろう。私とは違い、テレビの仕事も多いし、分単位の仕事をこなしている。だから大丈夫だ。
そして、12時頃、岡崎駅に着き、降りた。改札には、「青木様、鈴木様」と書いたプレートを持った、弁護士の人がいる。あっ、これで一安心だ。と思った。
でも、青木さんが出てこない。5分、10分経っても出てこない。名古屋で乗り換えて、ここに降りることは知ってましたから、変ですね、と私。「新幹線の中でも会いましたよ。もしかしたらあのあと、寝ていて終点の広島まで行ったのかな?」と不安になる。
「じゃ、携帯に電話して下さいよ」と言った。でも「何度かけても出ません」と言う。
変だ。留守電にもなってない。伝言も伝えられない。
さらに時間が経つ。「じゃ、鈴木さんは先に行って下さい。我々は1人残し、ここで青木さんを待ちますから」と言う。
それで私だけ、先に会場に向かう。不安だ。今日のテーマの「私たちはどこへ向かうのか」が現実に始まっている。
青木さんはどこへ行ったのか。トークセッションはやれない。私1人の講演会になるのか。不安だ。
でも会場に着いてすぐに、電話があった。「青木さんが来ました!」。30分ほど遅れて、岡崎駅に着き、それから車で会場に向かうという。
会場は岡崎商工会議所大ホールだ。大きな会場だ。それに大ホールで1000人は入る。大丈夫かな、と思っていた。
主催者側の人と挨拶してたら、青木さんが駆けつけた。ホッとした。やっと「トークセッション」が出来る。
それに、今日来る人々は青木さんが目当てだ。いつもテレビで見ている青木さんが話す。それで来てるのだ。
それだけに青木さんが来れなくて、「ふろく」の私だけだったら、皆、怒っちゃうよ。私1人が講演じゃ、皆帰る。
「だったら中止にするのかな」と不安に思ってたのだ。だから青木さんが来てくれて、胸をなでおろした。
「でも、どうしたの?」「寝てて、降り損なったの?」と聞いた。
そうではなく、名古屋で降りた。でも、「あっ、携帯を忘れた!」と気がついた。それで名古屋の駅事務所に行って、手続きをした。新幹線の車掌とも連絡がつき、「ありました」と言う。じゃ、それを名古屋に返してもらう手続きをして、そこで帰りに受け取ろうとした。
そんなこんなで、遅れてしまい、指定の在来線に乗れなかった。その次の列車に乗った。30分後だ。
ここで主催者側に連絡しようとしたが、携帯がない。公衆電話からかけようとしたが、弁護士の電話番号が分からない。携帯電話に入れてるからだ。
家に電話しようとしたが、奥さんの携帯番号が分からない。奥さんの名前を押すと、かかるようになってたので、番号は覚えてないしメモもない。
うーん、携帯は便利なようだが、皆、番号を覚えてないんだ。自分の番号も知らない人だっている。
「それで奥さんの名前は覚えてるんですか?」と私は聞いた。それだけは覚えているようだ。
そんなこんなで、青木さんは携帯を忘れ、何も出来なかったという。便利な世の中だが、けっこう不便なんだ。そんな私たちは「どこへ向かうのか」だ。
でも、携帯の話ばかりしてたら面白くない。やはり、改憲危機と公安の話をしましょう。ということで、我々の打ち合わせは終わった。
打ち合わせが終わり、1時30分からスタート。
大ホールに着いて驚いた。会場が満員だった。ものすごく大きな会場だ。そこが満員だ。千人近い人がいる。
まさか全員が弁護士じゃないだろう。「我々は主催しましたが、集まった人は普通の人たちです」と言う。
まず主催者からの挨拶。なぜ、この2人を呼んだのか。なぜ、このテーマなのかについて話し、2人の紹介をする。
そして、1時40分から1時間。前半のトークだ。
2人が今感じる「危険な空気」について、さらに「国難解散」と安倍さんが言った「北朝鮮問題」について話す。さらに「ネット右翼」「ヘイトスピーチ」について話す。
そこで一旦、休憩。その間、下に降りて、いろんな人と会う。長野から平田君も来ていた。
そしてベルが鳴り、「後半の部」が始まる。
「質疑応答」。そして「憲法改正問題」についてだ。
1時間後、2人の話は終わり、その後40分ほど質疑応答。広い会場のあちこちから声が上がり、手が上がる。係りの人はマイクを持って走り回っていた。会場が広いから大変だ。かなり、具体的、詳しい質問が出る。
それが終わると、ロビーでサイン会だ。
普通なら、こう言う場合、「サインする本を送って下さい」と頼まれることが多い。でも、ここは弁護士さんたちの集まりだ。「全て、私たちがやります」と。本を指定し、直接、出版社から送ってもらった。青木さんと私の本も、かなり運ばれている。
そこに座って、サインする。ズラリと並んでいる。必死にサインする。今までのどの集まりよりも、本が多かったと思う。
名古屋や他の会場で私と会ったという人もいた。ありがたい。
又前日、伊藤塾の伊藤真さんの講演会があり、そこで今日の集まりを知って来ました、という人もいた。ありがたいです。
30分か、いや、1時間くらいサインしてたのかな。ともかく、かなりの本にサインした。
そして、ここでの集まりは終わり、そこから主催者の弁護士さんが中心になっての「懇親会」がある。
かなり大きな居酒屋の大部屋を借り切っていた。50人ほどが出席している。全員弁護士さんだ。これはすごい。
若い弁護士さんが中心だが、年配の人もいる。三河地区の弁護士は全員で140人だ。そのうちの半数近くがここにいるのだ。すごい話だ。
ここでは青木さんはいない。サイン会が終わるとすぐに東京に帰った。テレビの仕事があるのだろう。私1人で50人の弁護士さんと挨拶した。
そして、弁護士さんが自己紹介をするという。そこで私が注文した。「いつ、どういう動機で弁護士になろうと思ったのか、それを聞かせて下さい」と。これは前から知りたいと思ってたことだ。
一人一人、話す。さらに私も質問する。
ほとんどが、「小学生の時」だったという。弁護士になろうと思った時だ。
「お父さんが弁護士」という人はいたが、少ない。
父親を見て、あるいは新聞で弁護士の活動を知って、あるいは人権の大切さを感じ、いろんな個人的体験もある。それで弁護士が必要だと思い、よし、自分がなってやろうと思ったようだ。
すごいなー。弁護士になる人は全く我々とは違う、と思った。
私なんて、小学生の時なんて、日本に弁護士という職業があることも知らなかった。秋田県の田舎に住んでたが、「職業」は、まわりの友達の職業から知った、「八百屋」「畳屋」「自転車屋」…などは知ってたが、弁護士なんて知らない。「父親が弁護士」なんて人間がいなかったのだ。中学でも高校でも。
それで、小学生で「弁護士になりたい」と思った人たちもすごい。普通、そんなことは考えないよ。
私は中学卒業するまで、弁護士なんて全く知らなかった。何をやるかも知らない。又、天皇陛下が日本にいることも知らなかった。アホな子供だった。
だから、この日は、そんな私の方が勉強になった。現職の弁護士さん50人に質問し、インタビュー出来たのだ。
又「私たちはどこへ向かうのか」というテーマで話したんだが、この日の我々2人が「どこへ向かうのか」という実況中継のようだった。
実に多くの人々に支えられ、このトークセッションは大成功のうちに終わりました。
我々のトーク以上に、ここの弁護士さんたちから、とてもいい話を聞けた。
又、司法試験に落ち続けた人は、何年くらい続いて、やめるのか。あるいは、一発で通った人は、どんな勉強をしたのか。さらにその人たちは、1日、どれだけの本を読み、勉強してるのか。
又、依頼者は、どこまで信用出来るのか。本当にやったのか。冤罪か。それは、どこで判断するのか。
冤罪だと言われ、信用し、でも勝てない。あるいは、その過程で、「どうも真犯人らしい」と分かった時、どうするのか。家族はどうやって守るのか。
…などについて私も取材し、随分と勉強になった。夜の新幹線で東京に帰ったが、すぐ寝込んでしまった。
こういうトークセッションはなかなか自分も勉強になるし、実にありがたい。と思った。
①11月18日(土)愛知県岡崎商工会議所大ホールで青木理さんとのトークセッションがありました。主催は愛知県弁護士会西三河支部です。会場は満員でした。そこで青木さんとのトークセッションのテーマは〈私たちはどこへ向かうのか=危険な空気に抗う〉でした。右が青木さん。
⑱宮台真司さんが来てました。「この前は電話、ありがとうございました。おかげて歴史的な現場に立たせてもらいました」と礼を言いました。宮台さんに言われて、立憲民主党の応援に行ったのです。小林よしのりさんもいて、ものすごい盛り上がりでした。この日から、風向きが変わり、立憲民主党は野党第一党になりました。そんな〈歴史的瞬間〉に立ち会えて幸せだったと思います。
㉔後列左・三上元さん。前列中央・菅直人さん。前・湖西市長の三上元さんが、「三島由紀夫が最後の晩に食事した店で飲みたい」と、セッティングしてくれました。11月25日に思いをはせて、ゆっくり飲みたいと。そして、菅さんを誘ってくれたのです。