元旦は靖国神社だ。それも、午前8時、集合だ。厳しい。寒い。
でも、いいことが沢山あった。普通なら、こんな時間に靖国神社に来ることはない。でも、中村監督の映画の撮影だから文句は言えない。
元旦に神社に参拝。と言ったら、普通なら明治神宮に行く。この日だって、ほとんどの人は明治神宮を目指していた。原宿駅は大変な混雑だった。
それに比べ、九段下の靖国神社は人がいない。ひっそりとしている。戦争で亡くなった人々へ慰霊を捧げる所だから、と皆、思っている。正月の晴れがましい姿で行くのはどうも…と思ってる人も多い。
でも靖国神社では、「元旦こそ靖国神社へ」と広報している。国家と先祖の人々へ感謝し、共にこれからの日本を考える。ということのようだ。
東京にはたくさんの神社がある。うちの近くにもある。どこも気軽に元旦のお参りが出来る。
でも靖国神社は決意がいるし、覚悟がいる。日本人としての覚悟が問われるような気がする。別にそんなに難しく考えなくていいですよ、と言うが、どうしても〈政治〉が付いてくる。
靖国神社は8月15日の終戦の日には私は毎年、来ている。暑い日だ。
でも、この日は、来ると、ものすごい人出で、全く進めない。
さらに、九段下から靖国神社までの通路には両側に、政治的な出店が出ていて、騒々しい。
「中国の侵略を許すな!」「憲法改正をしよう!」「日本は南京事件を起こしてないぞ!」「慰安婦なんていなかった! 慰安婦像を世界中から撤去せよ!」…と。
又、「朝日新聞は廃刊しろ!」「ウソばかり書く新聞はいらない!」と叫んでいる。
右翼の街宣車も出ていて、それら「ウヨク」的、保守的な言動に賛同している。靖国の周りを軍歌をかけて、グルグル回っている。
「うるさいから軍歌をやめなさい!」と警察が注意すると、カーっとなって、やり返している。「お前は朝鮮人か!」と。
つまり、自分たちの愛国的運動には誰も反対出来ないはずだ。反対するのは、その人間が「日本人ではない」からだ。そういう理屈だ。情けない。
自分たちと少しでも考えが違ったら「反日」であり、「売国」であり「朝鮮人」なのだ。
それに、軍服を着た人々が集団で行進し、銃を持ち、サーベルを持って歩く。そして、軍歌をうたう。普通なら、こんな光景は見たことがない。
でも「8月15日の靖国神社」だけは、こんな光景が出現するのだ。普通ならありえない「非日常」だ。
だから、世界中のカメラマンがパチャパチャと撮っている。そして世界中に配信する。それを見た人々は、「あっ、日本は又、戦争をやろうとしてるんだ」と思う。戦争を心配するのだ。
これはマズイだろう。「いや、自分たちは日本人の覚悟を見せるためにやってるだけだ」と言っても、その覚悟とは、「戦争の覚悟」だろう。と反論されてしまう。
又、軍服を着た老人たちが指導して、軍歌をうたっている集まりがある。そこ、ここにある。
そして、旧軍の幹部の格好をした人々が、一般参拝客と写真に収まっている。昔の話をしている。よくないことだ。
それに年を聞いたが、本当に戦争に行ったのではない。自分の「思い」の中で作られた物語の話をしているのだ。
8月15日は、そんな「非日常」「非現実」の光景ばかりが現出しているし、今の現状を、「戦争でもやって改めて欲しい」と思う人々がいるのだ。危険な話だ。
だから、8月15日は靖国神社には行きたくない。
その点、元旦は、そんな人々は誰もいない。こんな早朝の寒い朝に来る元気もないだろう。寒さで身体が動かない。
でも、靖国本来の厳粛な気分が身体に満ちてくる。あっ、本来の靖国の雰囲気がここにある。と思った。正面に歩き、本殿で参拝する。普通なら、こんなことは出来ない。
これはいい、と思った。そこで参拝をし、中村監督の取材にも応じた。遊就館や軍馬、軍犬の慰霊碑などにも行った。パール判事の碑にも行った。
軍馬や軍犬のことは、ここで慰霊碑を見、さらに関係書を読んで知った。大変な犠牲だった。
馬は農業の手助けとして大いに働いてきた。ところが、戦争になり、海外へ行き、重い物を運ぶ時などには「馬が必要」だとなった。
又、凱旋行進をする時は馬に乗って行かないと。と思った。そんなことで、厖大な数の馬が徴用され、軍馬になった。
犬もそうだ。犬は敵を追跡したり、味方の負傷兵を探したりするのに大いに役に立った。又、伝令としても使われた。
さらに鳩だ。鳩の足に手紙を付けて、伝令にした。でも、それを狙って敵軍がトビやタカを訓練し、この鳩を襲わせた。「伝令」を横取りしたり、返信を邪魔したりした。
本当に自分たちとは関係のない「人間の争い」なのに馬も犬も鳩も、巻き込まれて命を落としたのだ。かわいそうな話だ。
ドイツではさらに、犬を訓練して「犬爆弾」に使った。
犬の腹に爆弾を抱えさせ、レーダーを付ける。敵の戦車の下に入り込むと、レーダーが戦車に触れて、爆弾が爆発する。犬もろとも吹っ飛ぶ。という残忍な兵器だ。相当な訓練を積んで、出撃させた。
初めは味方の基地で、「敵の戦車」に見立てた戦車の下に犬のエサを撒いて、行かせる。無事、潜り込み、レーダーが触る。そこまでの訓練だ。
でも、結果的には失敗だった。敵の戦車は型が違い、大きさも違う。そして燃料も違い、臭いも違う。
だから、「行け!」といっても、知らない「敵」の戦車ではなく、知った臭いのする「味方の戦車」に戻ってしまう。そして自爆する。そんな誤爆が続いた。それで取りやめになった。
他にも、イルカを使って、敵の船に体当たりさせようということも真剣に考えられた。
動物たちにとっては、自分と関係のない戦争なのに、動員させられて、自決しろと強要される。たまったものではなかっただろう。
靖国神社に来ると、いつもそんなことを考える。
靖国神社も今年で創立150年だ。昔はもっともっと自由だったんだろう。今は、ものを売る店もほとんどになくなった。
昔は、騒々しくも自由だった。今は、業者などが入らないようにする。又、騒ぎが起こらないようにする。
でも、政治的な集会は昔よりもグンと増えている。政治的行動をする人々も増えた。こっちの方こそ取り締まった方がいいと思うんだが。
家庭円満、結婚、恋愛などの願いがかなうようにと、お札が売られている。
でも、ここ靖国神社の祭神は国のために戦争で亡くなった人たちだ。その人たちに、就職、結婚、恋愛などをお願いしていいのだろうか。と私は疑問に思った。
国のために戦って下さった。このことだけで我々は心からの感謝と慰霊の誠を捧げなくてはならないと思う。
特攻隊で亡くなった青年たちの遺書を読むたびに涙が出る。この人たちを救うべきだったんだ。
この人たちは「後に続く人たちのために」自分たちが犠牲になると、突っ込んだ。
でも、この人たち以上に貴重な青年はいない。「後世」のことなど考えなくていい。この人たちを生かすべきだったと思う。違うだろうか。
①2018年は1月1日朝8時から仕事開始でした。8時に靖国神社で中村監督たちと集合。靖国に参拝し、靖国について取材され、今年の決意を語りました。こんなに朝早く来たことはありません。寒いし、大変でした。でも逆に、清々しくて、厳粛な気分になりました。
⑧12月31日、下北沢のザ・スズナリに行って大川興業のライブを観てきました。午後3時から阿曽山大噴火の「お笑い裁判の歩き方2017」を観ました。面白かったです。終わって、楽屋に行って話しました。毎日毎日、裁判を見に行って記録する。すごい執念です。「日本一の裁判傍聴人」と言われます。その通りです。
⑩1月2日は、あの富岡八幡宮に行ってきました。「負けずに、頑張れ!」と神さまが参拝客に励まされていました。姉を弟が襲って殺した。そんな大事件があった神社です。今までは神社が一方的に〈罪の子〉に手を差し伸べていたのが、今は逆に、人々の方が「神社よ負けるな!」と声を送ります。
参拝客は、去年よりはずっと減ったと言ってますが、でも、結構、人が出てました。
おみくじを引いたら、近くの人が、「家族内の争いに注意」と書いてるよ。自分のことじゃないのか!と言ってました。その通りですね。今や逆に、神さまの方がいたわられ、なぐさめられてるのです。
⑯笠井叡さんが新しい本を出し、送ってくれました。もしかしたら、これは日本で一番難しい本かもしれません。世界的なダンサーの笠井さんが「真実の古事記」に挑戦した本です。
『金鱗の鰓を取り置く術』(現代思潮新社)とタイトルがつけられてます。内容も高度ですが、値段も高い。函に入った本で、830ページもあります。定価は何と2万円です。こんな高価な本は、私も他に持ってません。
なぜ送ってもらったのか。この本の「推薦文」を書いたからです。難しい本について、どう書いたか分からなかったけど、必死で書きました。ご本人にも一度お会いしました。とてもじゃないが、書けないと思いましたが、やってみました。この本には、これから、じっくりと読んでみたいと思います。
⑰この本の他に、いくつか写真集が出ています。『銀河革命』(現代思潮新社)もいいです。それに、細江英公さんが写真を撮った『透明迷宮』(平凡社)はいいですね。細江さんは三島の写真集も出しています。笠井さんも舞踏家として写真を撮られるだけでなく、自ら文も書いてます。これが又、いい文章です。
⑱『バロン吉元 画侠伝』も送られてきました。これも函入りで、豪華な絵本です。リイド社発行で、バロン吉元の「柔侠伝」「宮本武蔵」「白い墓穴」などが載ってます。「柔侠伝」は親子三代の柔道家の物語です。でも、柔道家は、決して体制的ではありません。悪には徹底的に闘います。だから、連載当時は全共闘の学生にも受けが良かったのです。連合赤軍の植垣さんは、この漫画が好きで、静岡に「バロン」という店を開いたほどです。私が一度、2人を紹介しました。又、会ってみたいですね。