1月6日(土)の名古屋読書会は大成功・大盛況でした。
そして、8日(月)の高木尋士さん(劇団「再生」代表)との読書対談も、力が入って内容のあるものになったと思います。
「何のために読書するのか」「読書とは何か」という根元的なテーマに触れつつも、「今、どんな目標を立てて本を読んでいるか」「どこで読むか」…など具体的なことも話し合いました。私にとっても、とても勉強になりました。
さて、名古屋の話からしましょう。2月に名古屋の中学で講演を頼まれ、その打ち合せのために午前11時に、生徒と先生たちと会う。
名古屋駅の近くのファミレスに行って打ち合せをする。講演会の企画を立て、実行するのは、中学2年生の生徒だ。
話して驚いた。頭がいい。私の本はけっこう読んでいる。『天皇陛下の味方です』も読んでるという。だから、「今日の読書会にも参加します」と言う。
私は秋田県の田舎の中学校だった。私なんて、日本に天皇陛下がいることも知らなかった。日本に首相や、弁護士などがいることも知らない。ましてや、左翼や右翼がいることも知らない。
ましてや、後に「右翼」と呼ばれる人間になろうことも知らない。
「日本人だ」という意識もなかったのかもしれない。ボーッとした田舎の中学生だった。
でも、今、ここ名古屋で会っている中学生は優秀だ。
ノートには、ビッチリとメモが書かれている。「こんな話をして下さい」と向こうから要望をする。又、「質問」もこんなのが出るでしょうから…と、話してくれる。今まで、百人以上の人を講師として呼んでるという。
最近、丸山和也さんに会った。「ロシアと仲良くしよう」といった集会の時だ。その時、「丸山さんも、名古屋の中学に行って話してるんですね。私も行きます」と聞いた。
「それはいいね。あそこの中学校は日本で一番優秀ですよ。とても刺激を受けました」と言う。
今まで大学はよくあるし、高校もあるが、でも中学校は初めてだ。
「いいのかな」と初め、迷った。でも、こんなチャンスがあるんだ。ありがたいし、と思い引き受けた。
中学生や先生との打ち合わせが終わり、講演会場へ。「ウイルあいち」だ。〈循環する読書会〉と書かれている。
ここでハッと気が付いた。「循環する」って何だろう。思想的、あるいは宗教的意味があるのだろうか。本を読むことで自分の中の血流が逆流し、循環するのだろうか。ちょっと怖い。
それで名古屋では、まず、その疑問から始まった。名付けたのは大阪の中谷さんだ。料理研究家だ。料理の言葉かもしれない。
そうしたら、こう説明していた。
「私たちは本を読んでいて、分からないことがあっても、自分で飛ばして読むか、辞書を引いて、何となく納得するか。「小さく理解」して進んでいる。それに、こんなことを聞いては変かな。おかしいと思われるかなと悩む。
しかし、この読書会では何でも言える。たとえスピリチュアルなことを口走っても、誰も責めない。論破しない。洗脳しようとしない。何でも自由に言える。自由に聞ける。それに、いろんな人の前で自分の疑問を聞いてもらえ、アドバイスしてもらえる。
それに(これは一番大事だが)、テキストになった本を書いた本人が、ここにはいる。その人が答えてくれる。一緒に考えてくれる。それが大きい。
いろんなとこへ疑問をぶつけ、いろんなとこへ当たり、その流れが自分に返ってくる。これが〈循環する読書会〉だという。
これを聞いて、素晴らしいと思いましたね。そうだったのか。だから、テキストも、悩みながら書いた本を中心にやっている。『これからどこへ行くのか』とか『天皇陛下の味方です』とか。
私自身も、一緒に考えることになるし、勉強になる。
本を書いたあとで、さらに、その「続き」がある。そんな感じだ。だから、第2弾、第3弾が書けるだろう。これはいい。
大体、今までは(特に若い時は)、本を書くにしろ、本を読むにしろ、「運動」のためにやってきた。敵と闘うために〈武器〉になる本を読んできた。又、それを中心にして本を書いてきた。
だから左翼など、自分と考えの違う人の本は読まない。〈武器〉として役に立たないからだ。
又、左翼の本などで、読んでいて、論破されるかもしれない。自分の気がつかなかったことを教えられるかもしれない。
それは、いいことなのだが、当時は、そんな寛容な気持ちはなかった。左翼に同調するかもしれない自分が怖かったのだ。ダメな男だな、と今は思う。
でも、それは右とか左とか関係ない。多くの人が持っていることだ。「こだわり」かもしれないし、自分にバリアーを張っているのかもしれない。
先頃、亡くなった元赤軍派議長の塩見孝也さんと何度か、話したことがある。
塩見さんは20年も刑務所に入っていた。その間に厖大な読書をした。勿論、左翼の本が多い。
でも、時には親鸞や日蓮などの本も読みたいと思った。その生き方に関心を持ったからだ。
日本の宗教界において革命を起こした人だ。親鸞は、念仏を中心にし、他宗、権力者から弾圧され、流刑にされ、さらに、息子に裏切られ、義絶している。波乱の生涯だ。もっと詳しく親鸞の本を読んでみようと思った。
ところが、これではマズイと思った。必ずその生き方に感動するだろう。
ここは一人しかいない。他の同志や仲間もいない。一人で読んで宗教に心が持っていかれたらどうする。
革命家としての自分はなくなってしまうのではないか。体制を破壊し、社会の仕組みを変える。それが革命だ。
ところが、それよりも一人一人の人間の心を変える。それが大事だ。…という手段に行ったら、「革命」はなくなる。宗教運動になる。今までやってきた自分の運動はどうなる…と、いろいろと考えて、断念したという。一人の独房の中で、親鸞と対面するのが怖かったのだ。
でもそれは、左右、市民運動の人たちも皆、同じだ。私だってそうだ。
「知らない思想」「敵」だと思っていたものに触れ、それに感動するかもしれない。そんな自分が怖いのだ。
学生運動をやってる時もそうだった。右翼運動をやってる時もそうだった。
実は、1972年に一水会をつくったときは、元「生長の家」の運動をやった人が中心だった。
田原氏、田村氏、四宮氏、犬塚氏…と。「生学連」でないのは阿部勉氏くらいだった。
だから一水会は「生学連」の人間がつくったと言われたこともある。そう書いてる本もある。その点では、日本会議と似ている。
しかし、そのことを僕らは否定した。又、好意的なマスコミも、そのことに触れずに、「右派の学生運動をしてきた人々が三島事件をきっかけに再結集した」と書いてくれた。
又、私は『腹腹時計と〈狼〉』を書いたり、新左翼との連帯などもあったり…と、「生長の家」とは違う方向に運動は進んだ。
太田竜、竹中労、東郷健…といった左翼的な先生方とも出会い、新しい闘いを始めた。だから「新右翼」と呼ばれた。
本当は「生長の家」の学生が中心で、思想的にも旧右翼だったのに、「いや、これは新右翼だ」と猪野健治さんなどが言ってくれたので、「新右翼」になったと思う。
そんなのだから、「キリスト教」を含め、自分たちの書くものには一切宗教の活動については触れなかった。生学連の「再来」だと思われたくなかったからだ。
一水会をつくって40年以上が経つ。三島事件からは47年だ。
今は一水会の代表も辞めたし、宗教の本も自由に読み、それについて自由に書くことも出来る。釈徹宗さんなどとも知り合い、教えてもらうことも出来る。
釈徹宗さんは如来寺住職・相愛大学教授だ。NHK「100分de名著」では『歎異抄』について評論していた。とてもよかった。
又、親鸞についても多くの本を書いている。私も出来る限り読んでいる。
他に、高森顕徹さんの『歎異抄をひらく』なども読んでるし、丹羽文雄の『親鸞』(全17巻)も読破した。感動した点が多いし、心が持っていかれそうなこともあった。
そして、この本を読み終わった時に、1冊の本が届いた。岡本智水さんの『親鸞聖人の教えをいただいて』(樹心社)という本だ。親鸞の本を読んでいる時に、この本が来たので驚いた。
アッと思った。昔、会ったことがある。心理学者・岸田秀さんの教えてる学生だった。とても真面目な大学生だった。その学生が親鸞に触れて、書いた本なのだ。
いろんなことがあり悩み、迷い、〈この道こそ!と親鸞聖人の御教えをいただいたの聞法の書〉と書かれている。若いのに偉いと思う。
著者略歴を見たら、相愛大学を卒業し、龍谷大学、大阪の北御堂、各地のお寺で聴聞して仏教、浄土真宗を学ぶ、と書いてあった。
とてもいい本だった。浄土真宗との出会い、親鸞聖人の教義理解について…など、詳しく書いている。
自ら、宗教の現場に飛び込んで、その体験を語る。こういう本を読むのは久しぶりだ。だから感動した。宗教界の偉人について、評伝を書く人は多い。しかし、自ら体験したことを書いた本は少ない。「生長の家」の谷口先生と『親鸞の本心』という本を書いていた、親鸞の疑問や悩みを自分のものとして感じたのだろう。そういう自らの修行の過程を書いた本だ。今、探して、読み直している。
私も自分の道を求める過程について、真剣に考え、書いてみたい。そんな話を名古屋の読書会でもしました。高木さんとの読書対談でもやりました。この対談のゲラは来週には出来ると思います。
さらに「どうやって本を読む時間を作るか」「どこで読むか」「どこの喫茶店がいいか」…といった話までしました。「電車で読むなら、どこがいいのか」という話もしました。
さらに、「読書週間」を自分で作ろう…という革命的な提案も出ました。これはいいですね。私も実は、やってます。
ということで、全ては「読書」から始まるのです。ということで、今週は終わります。
そうだ。小豆島について書くことが出来なかった。
「二十四の瞳」は何回も映画になり、私は全て、観ている。
しかし、「原作」は読んでなかった。壺井栄の『二十四の瞳』だ。
右派運動をやってた時、それを読んでみた。驚いた。先生と生徒の美しい物語ではない。何だ、この「反戦小説は!」。と思った。そんなとこが目立ったのだ。
でも、かなり後になって、私が間違っていると思った。
壷井はプロレタリア作家でもあり、戦争に反対していた。だから、先生の生き方、考え方にもそれは出る。当時でもこれは、「非国民」的であり、「反戦的」であった。
でも、教育とは何か、子供を育てるとは、と考えた時、「戦争反対」とならざるを得ない。そのことが右翼青年の私には分からなかった。
時には大石先生の発言に対し、反発することがあり、生徒だって反発することがある。「それは非国民的だ!」と先生に喰ってかかる子供もいる。私もそうだったのだろう。
そんな反省も含めて、小説を読んだ。小豆島で思った。考えてもいた。
そして次の日は静岡で植垣さんと会い、さらに次の日は、名古屋で読書会でした。私の中の考えも「変化」しています。いいことです。
反省し、考え直し、そして本を読んで教えられます。皆で話し合って「自分の小ささ」に気づかされました。もっともっと、勉強しなくては…と思いました。
皆さんもぜひ、壺井栄の原作も読んでみて下さい。映画を観ただけでは分からないことが分かるのです。読書の力です。
⑪1月5日(金)、静岡の「バロン」に行きました。家でトラブルがあったとのことで、慰めようと必死になって来たのです。でも元気でした。お客も、大声で議論してます。学生運動の延長のようですね。久しぶりに再会を祝って、ビールを。
⑳懇親会が終わり、最終の新幹線で東京に帰りました。翌、1月8日(月)は午後1時から高田馬場で高木さんとの「読書対談」でした。劇団「再生」の高木さんはものすごい読書家です。又、二人の話を聞きたいという人が、沢山、出席しています。
㉓映画『ベースメント』DVDリリース&「パーフェクト・リボリューション」ロングラン公開記念。障害者のセックス、アンダーグラウンドの彷徨。瀧沢亜希子さんが全体の司会で、しめます。出演は、熊篠慶彦さん。増田俊樹さん。それに平野悠さん。鈴木。久田将義さん。松本准平さん(監督)。成田賢壱さん。井川楊枝さん…他。
これは、「パーフェクト・リボリューション」の熊篠さん。瀧沢さん。鈴木です。