3月14日(水)の「一水会フォーラム」は衝撃を受けました。
前自民党政務調査会審議役の田村重信さんが講師でした。ついこの間まで、自民党本部にいた人です。そして憲法改正を押し進めた人です。
どんな話をするのか。興味がありました。憲法については「改憲反対」のリベラルな人たちの話は多く聞いてので、自民党の人はどんな話をするか、興味がありました。
田村さんの講演は実に冷静で、説得力がありました。安倍さんのもと、改憲の勢いに乗って、かなり強い口調で話すのかと思ったら、違います。
後で聞いたら、大学で学び、慶應大学の大学院に行き、そこで小林節先生の教えを受けたといいます。
さらに自民党に入り、宏池会の仕事をしたといいます。さらに大学では和敬塾(西寮)に入っていたといいます。あの有名な寮か。
寮の話、自民の話、宏池会の話…など、その一つ一つについてじっくりと聞いてみたいと思いました。
そうか、大学と大学院で憲法を専門に勉強してたから、憲法には詳しいし、強いのか、と納得がいきました。
でも、鈴木君、君だって、大学では憲法を専攻し、大学院まで行ったんじゃないか。と、もう一人の鈴木君が質問します。
あっ、そうだった。でも、もっと真面目に勉強していたら自民党に入れたのかもしれない。
そうだ。この件で、最近、NHKに取材されたよな。と、思い出していた。「赤報隊事件」だけでなく、こういう学問的なテーマでも取材されている。これは、5月頃放送されるそうだ。
「いつ頃から憲法改正の論議が出てきたか」を取材してると言ってました。そうして、私のことを思い出したらしい。
「鈴木さんは大学で改憲派の大西先生のゼミに入り、大学院もそこに入ったんですよね」と言われた。
あっ、そうだ。改憲で私は、ゼミを選び、大学院まで行ったんだよ。
1、2年の教養課程では、大西邦敏先生の「憲法」があり、そこは、ごく一般的な「憲法論」だった。
ただ、私は知っていた。この先生はおとなしいが、内々に激しいものを秘めている。何でも憲法改正論者らしい…と。
でも、そんな本は書いてないし、テレビなどにも一切出ない。
そしたら、あったのだ。右派的な団体から出ていた「憲法改正」の本があり、大西先生が書いていた。
そして、3年になって、ゼミを選ぶ時に、大西先生の「比較憲法論」をとった。面接試験があり、何とか受かって、勉強を始めた。
ゼミは10人くらいだ。こんな少人数では、先生も本音を言うだろう。千人もいる一般の授業では言えないことも言えるんだろうと私は期待していた。
でも、その期待は見事に裏切られた。全く、そんな話はしない。大体、先生は政治的ではない、純粋に学問的に、憲法の話をする。
たとえば、一院制と二院制の問題を取り上げる。世界では憲法を持ってる国はこれだけあり、その中で、一院制をとってる国はこれだけ多い。「だから…」といった話をする。
全く知らない小さな国の憲法もやる。そんな国があったのか。あったとしても、我々とは何ら関係ないのだろう、と思ってたが、質問は出来ない。
ともかく、純学問的であり、実に冷静だ。「アメリカに押し付けられた憲法を改正しよう!」なんて絶対に言わない。
でも〈改憲論者〉だという。これは不思議だった。
さらに、〈比較憲法〉と言いながら、語学の勉強の方が多い。
それで、ドイツ語の原書を毎回読む。ドイツ語なんてやったことはないのに。毎日、辞書を引いて、原書と格闘していた。
この時、いくら辞書を引いても出てこない字が多い。分離動向というのがあって、辞書の引き方が分からない。
とにかく大変だった。ドイツ語の原書と闘い、やっつけられた。そんな思い出しかないな。でも、他の人たちも同じだったろう。
そして、年に何回か、合宿にも行った。山の中のかなり歩いたところの宿で、ランプしかない宿に泊まったことがある。そこで、何日間か、必死で勉強した。そんなことを思い出した。
でもこの大西先生の門下生から、多くの改憲派の学者が生まれたようだ。 駒沢大学に行った、竹花先生は私の二つ下だが、とても優秀な先生だ。
又、西修先生なども改憲派学者として有名であり、よくテレビなどにも出ていた。
でも大西先生は、一切、マスコミには出なかった。謙虚な人だったし、全く〈政治性〉のない人だった。
私が右派の学生運動をしてたのを知っていて、「鈴木君も、もう少し授業にきちんと出たらいいね」とよく、言われていた。
その期待に答え切れないで申し訳なかったと思っていますよね。
だから、NHKの取材にも、あまりいい答えは出せなかったと思う。
3月14日(水)に田村さんと話した時も、それを思い出して、私の大学生活のことを話しました。
そうだ。この次の日、3月15日(木)も、記念すべき日だった。
麻布にある「テンプル大学」に呼ばれて、授業をしたのだ。「三島由紀夫と民族主義」について話をした。
ここはアメリカの大学だ。昔「テンプル騎士団」というのがあった。十字軍のように、武器を持って、神のために闘う集団だ。その「テンプル騎士団」からとって「テンプル大学」なのだ。
父親の仕事などの関係で日本に来ている子供たちが多い。留学生もいる。いわゆる「日本人」はいない。皆、英語だ。休み時間でも皆、英語で喋っている。そして授業も全て英語だ。
なぜ、ここに呼ばれたのか。実は、ここで講師をやってる渡辺真也氏と友人だからだ。
彼とはもう20年近く前に初めて出会っている。脳科学者の茂木健一郎さんの研究室で初めて会った。
その時、彼はニューヨークで、美術館の仕事をしている。でも、日本の憲法に興味があるし、ニューヨークで「日本の憲法問題」についてシンポジウムをやりたいと言う。その時、まだ24才くらいだった。
そこに世界の憲法学者を呼び、憲法24条を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんも呼ぶという。映画「日本国憲法」を撮っていたジャン・ユンカーマンさんも呼ぶという、壮大な企画だ。そして私も呼ぶという。
でも、24才くらいの青年にそんな力があるのか。私は信じられなかった。信じられないまま、「出来たらいいね」と言った。ところが、本当に実現したのだ。
ベアテさんともかなり話し込んだ。テンプル大学では、そんなことから話し始めた。そして三島由紀夫のこと、民族主義のことを話し始めた。
私などから見たら、アメリカは皆、「愛国心」に燃えているような気がする。だから、「アメリカ合衆国」も嫌いだという人が多いのには驚いた。
「じゃ、住んでる州はどうなのか。この地域だけは愛し、帰属意識を持っているのか。でも、「私の住んでる州も嫌いです。しかし、私が今、住んでいる町や区などは好き」だと言う。
普通なら日本ではこんなこと言えないだろうな。「日本は嫌い。そして、中野区も嫌い。でも、上高田だけは好き」なんて言えない。「おかしい」「病気になったのかな?」と思われる。
でもこれは一理ある。人間は好きでもその国土に縛りつけられ、愛さないといけないのか。〈愛国〉や〈民族主義〉もいろんな側面から考えさせられた。
数ヶ月前、秋田にある国際情報大学を見てきた。世界一の図書館のある大学だ。ここもいいね。
先生は全部英語で授業をする。学校の生徒は1年は外国に留学したくはならない。学生は確かにグローバルに仕事するだろう。
でも、その中で、「なぜ日本にいるのか」…などと考えさせられた。
テンプル大学、それと麻布高校、東海学園中学校と最近行った。
ともかく、この2年ほどは勉強になった。
これらの学校で、日本の状況が分かってきた。ナショナリズムとインターナショナルの関係についても考えた。
それは又、いつか発表しよう。
①3月12日(月)、午後5時より、衆議院第二議員会館で辻元清美さんの政治報告集会が行われました。この難局にあたって、すこぶる元気です。あわてふためく安倍政権を追い詰めています。「内閣はかえって安倍、麻生の方が攻めやすい」と言ってた人もいました。それに、アッキーもいるし。元気一杯でした。辻元さん、早く総理大臣になってはいかがでしょう。野党から「総理!」「総理!」と呼ばれるんでしょう。
⑦テンプル大学講師の渡部真也氏の授業に呼ばれたのです。生徒は全員、アメリカ人です。「じゃ、英語で講演してくれますか」と真也氏。急に、ムリだよ。それで、日本語で話し、要所、要所を真也氏が英語に訳してくれた。大変です。
⑪授業中に、いくつかの映像を見せました。これは7年前、私がニューヨークに行って、憲法討論の集会に出た時です。左は私。その右はジャン・ユンカーマンさんだ(映画監督で憲法の映画を撮っている)。一人おいてベアテさん。