本や漫画について、出る前に「読んでくれ」と言われることはない。
随分昔はあった。「こんな本を出したいのだが、果たして大丈夫かどうか。読んでくれ」という依頼がいくつかあった。
天皇制の問題などについて果たして大丈夫か、不安なんだろう。
国家権力が弾圧するとか発禁にするというのではない。「許せない!」と思った右翼が襲ってくるのではないか。それが心配なのだ。
私が読んだ限りでは、それほど危ないものはなかった。表現を少しまともにすればいい、と思ったことはあったが。
ともかく今は、事前に「世に出していいかどうか」と心配するような本はない。出したかったら、どんどん出したらいい。下らなかったら、買う人がいない。それだけの話だ。
ところが、映画や絵画などでは、〈事前〉に「観てくれ」「大丈夫だろうか」といった相談がある。
特に政治的なテーマにからんだ映画だ。イルカ漁を描いた映画「ザ・コーヴ」がそうだった。又、従軍慰安婦を描いた映画などだ。
昔は、天皇制をめぐる映画もあったが、今はほとんどない。きちんと批判したものならば、天皇制否定の映画だからといって、右翼がすぐに押しかけるわけではない。
これらが全て、ナショナリズムや愛国心と結びついて論じられる。だからこそ、大きな騒ぎになる。
「ザ・コーヴ」の時は、「イルカ漁は日本の文化だ」「伝統だ!」という主張が大手を振って、これに反対する者は「非国民だ」「反日だ」などと言われた。
私は決して、「伝統」でも「文化」でもないと思っているので反対した。
イルカ漁反対の映画だって、多くの人に観せて、そして討論したらいいと思った。
ところが、ネット右翼たちは、「ザ・コーヴ」を上映した映画館を取り囲み、攻撃した。
「こんな反日的な映画を上映するな!」「許さん!」と言った。
日本人にとって「いい映画」「悪い映画」は自分たちが決める。これは「悪い映画」だ、というわけだ。
私はこれに反対した。もし「悪い映画」ならば、自由に観せた方が、自分たちの正しさが伝わり、「ほら、悪い映画だったろう。こんなのは観せたらダメだよな」と言える。でも、それをやらないで、力づくで、観せないとする。
私はそこで抗議に行ったら、いきなりハンドマイクで殴られた。血がタラタラと流れた。カーッとなって、反撃しようと思ったがやめた。多数に一人だ。
それにこっちが反撃したら、その「反撃」だけを暴力だとして私一人が捕まる危険性があった。実際、そうだろう。警察は…。警察とグルだろう。「政治的」な警察だ。
映画を観て、トークをするというのなら賛成だ。そんなイベントもいくつかあった。最近も、「これは大丈夫ですかね」と心配した配給会社の人から観せられる映画があった。従軍慰安婦の映画とか、捕虜虐殺の映画、戦争責任の映画などだ。
あと、日韓、日中などの民族問題のからんだ映画がある。「いい映画だと思うが、その前に、反日的だ!と言われて潰されては大変だ」と心配するわけだ。
4月14日(土)には、在日の活動家の人に頼まれて、慰安婦の映画を観た。
長い映画だったし、暗い映画で、胸が塞がれた。しかし、実にリアルで、説得力があった。
終わって、監督の朴さんが、「なぜこの映画を作ったか」を話していた。とてもいい映画で、真摯な映画だと思った。
終わってから、監督に挨拶をして、「今までで一番よかったです」と言った。
私は、いろんな討論会に呼ばれるし、こうした政治的に論争のある映画は、だいたい観ている。だから、その中でも、この映画はリアルだし、正確に描いている。
それは日本にとって、不都合なことであっても〈歴史〉なんだし、きちんと描く必要がある。歴史を真正面から見ることも、貴重な映画になってると思った。
4月14日(土)は、椎野さんと一緒に、韓国のテロリストの映画を観た。
「朴烈=植民地からのアナキスト」だ。金子文子との愛も含めて描いた大作だ。
日本は批判されてるし、日本の天皇制も批判されている。しかし、当時の韓国の人々からは、このように見えたのだろうし、それは仕方がない。
この映画で驚いたのは、テロリスト朴烈の真摯な生活だったし、金子文子との愛だった。
「大逆事件」として一括されてしまうことが多いが、朴烈その人の人間性や思想などもよく描かれていた。我々にとっては知らないことばかりだったので、とても勉強になった。
これは決して「反日映画だ」として葬り去られる映画ではない。朴烈の描き方も真面目だし、天皇制への批判も、歴史として描いている。恣意的な誹謗中傷はない。これは驚きだった。
「いや、日本の暗い面を描いてるから悪い」と言う人もいるかもしれない。
しかしそれは、おかしい。日本の暗い面、悪い面も描き出し、その中で、どうそれを考えるか。それと付き合うのかが「愛国者」と言えるだろう。
暗い面、悪い面は見ないで、避けて通るのは、「歴史に直面」する勇気がないだけだと思う。
「これはぜひ上映して下さい。反対する人がいたら、堂々と討論をしましょう。私はいつでも出ます」と言った。それだけの価値ある映画だと思った。
それにしても、どうして映画だけなんだろう。〈事前〉にそれだけ問題になるのは。
本などはない。講演などもない。多分、それだけ「映像の力」は大きいのだ。本とは比べ物にならない。
映画の印象は大きいし、後にまで残る。はっきりと像を作って残る。
私は小学校の時に観た映画を今も覚えている。そして今でも影響を与えられている。
だから、映画を作り、世に送り出す人々は、その動き、影響が気がかりなのだ。
「朴烈」は大阪アジアン映画祭ですでに上映され、すごい評判になったという。なかなかこれだけの重厚な映画はない。当然だと思った。
ただ、国際的な映画祭に間に合わせようとして、字幕は全て英語だ。私が観た時も、英語を読んで理解しようとするから、完全には理解出来なかった。これから日本上映向けに字幕スーパーを書き替えるのだろう。大変だ。
でも、東京でも大きな反響を呼ぶだろう。今年中か、来年早々になるのか。上映が楽しみだ。
④「まずこれを読んで下さい。それから対談しましょう」と言われ、漫画本を15冊手渡されました。その説明をするアーチャリーです。死刑をテーマにした、小手川ゆあの『死刑囚042』(集英社・全5巻)。それに日韓の民族問題を扱った山本おさむの『天上の弦』(小学館・全10巻)です。とてもすごい漫画でした。集中して読みました。そして「死刑」と「民族」をめぐってアーチャリーとじっくりと話し合いました。こんな対談も初めてですが、いいですね。