2018/04/30 鈴木邦男

西部さんをおくる会に出た

①又、病院の検査に行った

「西部邁さんをおくる会」4/24(火)
「西部邁さんをおくる会」4/24(火)
会場は満員でした。
会場は満員でした。
木村三浩氏の「献杯」から始まりました。 木村三浩氏の「献杯」から始まりました。

4月19日(日)から学校の新学期が始まった。頑張ってやろう、と張り切った。

ところが次の日、4月20日(金)は、河合塾担当フェローから言われて、又もや病院に行かされた。3回目だった。今度は、MRIで徹底的に検査するという。

初めて春山記念病院に行った時は、短かった。服を着たまま横になり、それが移動して、頭だけMRIの中に入り、写真を撮られる。

「大丈夫、異常はないです」と言われた。脳波も乱れてないし、レントゲンで撮っても骨折もない。「じゃ、もういいんじゃないですか」と言ったのだが、「いや、頭の中だから、何度も検査して下さい」と言う。

それで、今度は本格的にやった。40分位かけて、徹底的にやる。音もうるさい。

挨拶する田原総一朗さん 挨拶する田原総一朗さん

そのあと、この写真を見ながら、お医者さんに質問される。

「アルツハイマー」などの危険性を疑っているのか。「では名前を言って下さい」「生年月日は?」「今日は西暦何年の何月何日ですか?」…と。型通りの質問だ。

そのあと、変わった質問がある。まるで、ゲームのようだ。

「100から7を引いて下さい。いくつですか?」「93です」「じゃ、そこから7を引くと、いくつですか」。一瞬迷ったが「86です」「そこからさらに7を引いて下さい」と、延々と7を引かせる。ボケてないかどうかの検査なんだろう。

次は、「これから4つの数字を言います。最後から逆に言って下さい」。「4、3、8、7」は「7、8、3、4」。「いいですね」と、それをしばらくやる。

亀井静香さん 亀井静香さん

さらに、「4つの単語を言いますから、逆から言って下さい」。こんなのは出来る。

そして机の中からカバンを取り出して、中のものを見せる。5分ほどして、「さっきのカバンには何がありましたか?」と聞かれる。それで、「認知症」「アルツハイマー」の検査になるのだろうか。

椎野礼仁さんも最近、物忘れが激しくて、病院に行ったそうだ。そうしたら「物忘れ外来です」と言われたそうな。そんな病名があるのかな。「物忘れ」だろうよ。「外来」って何だ。外来患者だからかな。

アメリカでは交通事故に遭った人にも、そんな質問をよくするらしい。

記憶が飛んでないかを調べる。名前や今日の日付を言わされ、そのあと、「ABC…を言って下さい」と言う。簡単だ。「ABC…」と言う。

伊吹文明さん 伊吹文明さん

医者は言う。「いや、違います。逆から言って下さい」。ウッ、それは言えないよ。「ZYX…」と、考え込んじゃう。それで「認知症です」なんて言われたら大変だ。

それに、本人がやってきたことが全く生かされてない。こんな検査なら、子供の方がずっといい点を取れる。

本人の職業や思想・運動が生かされた検査をしたらいい。レーニンさんは左翼だから、「じゃ、左翼党派名を思いつくだけあげて下さい」とか。「敵である保守派、右翼の名前を10ヶ以上あげて下さい」とか。そうしたら、本人も真剣になる。

4月20日(金)は、病院で検査を受けながら、そんなことをずーっと考えていました。何なら、私が「質問」を書いてやってもいいよな。患者の「思想」「学問」に合わせて、いろいろ聞くんだよ。面白いものが出来そうだ。

佐高信さん 佐高信さん

終わって、かなり疲れた。家に帰って、寝た。

4月22日(日)は、田中さんに言われ、新宿で街宣に出る予定だった。でもまだ体がフラつくので、休ませてもらった。

「安倍内閣打倒の集会」なのだ。「安倍はフラフラするな。やめろ!」と怒鳴ったら、「お前の方がフラフラじゃないか」と野次を飛ばされそうだ。だから、家で寝ていた。

そうだ。認知症の検査で思い出した。「小さなことは忘れてもいいんじゃないですか」と私は聞いた。具体的な人の名前や、地方の名前。そんなものは、それほど大事ではない。だから忘れてもいいんだ。

よく、老人のキャスターがテレビで言ってる。「ほら、あの太った歌手、何ていったっけ」「ほら、あれだよ、ボーっとしたタレント」。…と、周りの人が助け舟を出して、「ああ、そうだ」と思い出す。

中森明夫さんと 中森明夫さんと

でも、無理に思い出さなくてもいいんだね。「具体名詞は忘れても、抽象名詞は忘れない」と言う。それが大事だという。

つまり、「平和」「愛」「戦争」といった大きなテーマの名詞だ。「ほら、あれ何だっけ?人と人が、信じて、一緒に生活したいと思う気持ちは?」「愛だろう」。なんてことはない。こういうことは忘れない。それでいいのだ。

忘れていい人名や地名はどんどん忘れる。それでいいのだろう。私はそう思いますよね。

しかしもう一回、認知症の検査に行かなくちゃならん。医者と喧嘩にならないように気をつけなくちゃ、と思います。

②坂本さんの「ファミリー・ヒストリー 」

司会の立川談四楼さんと 司会の立川談四楼さんと

4月23日(月)は瀧沢さんから連絡があって、NHKの「ファミリー・ヒストリー」を見た。坂本龍一さんが出ていた。

お父さん、お祖父さん…と、かなり前からのルーツをたどっていた。お祖父さんのことは初めて知った。

お父さんは一亀(かずき)さんといって、河出の名物編集者だった。このことはよく知っている。三島由紀夫、小田実、高橋和巳を見出し、育てた人だ。すごい人だ。

高橋和巳、三島由紀夫は坂本さんの家にも遊びに来て、子供時代の坂本龍一さんにも会ったという。すごいですね。

そうだ。一亀さんの話は、元一亀さんの部下だった女性編集者からも聞いた。週刊金曜日に来てもらって話を聞き、「金曜日」に載せた。とても勉強になった。

松岡正剛さんと 松岡正剛さんと

そして4月24日(火)の夕方は西部邁さんのお別れ会だった。随分と多くの人が来ていた。

田原総一朗さんも言ってたが、西部さんが亡くなると、とても寂しい。

西部さんには借りがあるという。かつて朝生は論客が左ばかりだった。それで田原さんは西部さんに頼んだ。「右の論客」として、「悪役」をやってくれ!と。

西部さんは「いいよ」と引き受けてくれた。それから朝生が面白くなったという。

すごいなー。よく、嫌な役回りを引き受けたものだ。

又、この会では、いろんな人たちが西部さんの魅力を話された。

もうあれだけの迫力ある人は出ないだろう。私は「朝生」ではご一緒したことはないと思う。

黒鉄ヒロシさんと 黒鉄ヒロシさんと

ただ、大阪の「たかじん」では何回かご一緒した。いつも徹底的にやられていた。

ちょっと考えが違うこともあって、反対したら、メチャクチャ、やられた。すごい人だなーと思った。

局の人も面白がって、終わってからも、「続きをやりましょう」と続きもやった。

そこでも私はやられた。今の若者のネトウヨ的傾向などを評価していた。「そんな学生たちはダメですよ、ニーチェだって読んでませんよ!」と言ったら、又、叱られた。何を言ってもこの人にはかなわないと思った。

③松岡、黒鉄さんに会った

田原総一朗さんと 田原総一朗さんと

「おくる会」では、いろんな人に会った。漫画家の黒鉄ヒロシさん、編集者の松岡正剛さんなどにも会った。この人たちは私の尊敬する二人だ。

黒鉄さんは明治維新のことはものすごく調べているし、よく漫画に描いている。ぜひ対談したい。

それと松岡さんだ。「鈴木さん、よく対談していて、連載書いてますね」と言う。「いやいや、松岡さんに比べたら、私なんてゼロですよ。今度、松岡さんとも対談したいですね」と私は言った。どうせダメだと思って言ったのだ。

そしたら「いいですよ。やりましょう」と言う。エッ!すごい。じゃ、礼仁さんに言おう。礼仁さんに言って連絡して下さいよ。

ペマ・ギャルポさんと ペマ・ギャルポさんと

大物ですよ、この人は。編集の神様だ。いや、本づくりの神様だ。私など、太刀打ち出来ない。でも、頑張ってやろう。

と、いろんな人と話してるうちに、いろんなアイデアが湧きました。病気の方も、かなり治ってきたような気がします。今までの半分位しかやれないとしても、頑張ってやりましょう。

木村三浩氏も頑張ってるし。ロシアから帰ってきて、すぐですよ。ここに来て、「献杯」をしたのは。

西部さんはテレビでよく会ってたし、一番信頼されてたんでしょう。私は西部さんには叱られてばかりで、ダメだったけど…。

「いや、信頼してる人だから叱ったんですよ」と中森明夫さんは言っていた。そうかなー。

でも、「西部研究」はこれからの私の課題でもある。しっかり勉強してみよう。

軽々しく「理解した」なんて言いたくない。かなり難しいことを考えていた人だし、私もこれから挑戦しようと思っている。

政津勉さんと
政津勉さんと
西部さんの娘さんの挨拶
西部さんの娘さんの挨拶

【だいありー】

「アエラ」4/30号 「アエラ」4/30号
  1. 4月23日(月)調子が悪く家で寝ていた。
  2. 4月24日(火)昼、経営塾に行く。元韓国大使の武藤正敏さんの講演。「情勢の変化?北朝鮮とこれからの思惑」。いい話だった。
     終わって、挨拶して、少し話をした。
     この講演の前には、拓大教授の高橋利行さんが話をした。これもよかった。
     終わって、話をした。そのあと「西部邁さんをおくる会」に行く。グランドアーク半蔵門。満員だった。
     田原総一朗さん、松岡正剛さん、黒鉄ヒロシさんなどが来ていた。司会は立川談四楼さん。いろんな人に声をかけられ話をした。「西部さんの不在」は大きい。
  3. 4月25日(水)家で仕事をしていた。
  4. 4月26日(木)河合塾コスモ。
     3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。
     今日読んだ本は、太田肇氏の『「ネコ型」人間の時代=直感こそAIに勝る』(平凡社新書)。面白い本だった。
  5. 4月27日(金)家で仕事。
     夕方、新宿で山本太郎さんがやっている街宣に参加する。人も多く、熱気ある街宣だった。
  6. 4月28日(土)小野田襄二さんの出版記念会。
     小野田さんとは久しぶりだ。元・新左翼党派の大幹部だったが、辞めて、一人で表現活動をしていて、「ジャーナリスト専門学校」で一緒に仕事をしたので、知り合った。すごく深く考えてる人だと思った。
     6時から文京シビックセンターに行く。「主権回復の日の意義を問う」のシンポジウムを聞く。とても勉強になった。
  7. 4月29日(日)朝8時の新幹線。長野の無言館に行く。池上彰さんの講演を聞きに行く。
     新成人に話をする会だが、特別に参加させてもらった。それだけ池上さんの話を聞きたかったからだ。
     終わって、紹介してもらって感動した。

【写真説明】

「西部邁さんをおくる会」4/24(火)

①4月24日(火)午後6時半から、半蔵門のグランドアーク半蔵門で、「西部邁さんをおくる会」。会場は超満員だった。司会は立川談四楼さん。西部さんの仕事について田原総一朗さんが紹介し、その偉大な仕事ぶりを皆、讃えていた。

会場は満員でした。

②会場は満員。皆、立ったままで最後まで、じっと聞いていました。

木村三浩氏の「献杯」から始まりました。

③木村三浩氏はロシアから帰って来たばかりで、駆けつけていました。「献杯」の音頭をやってました。

挨拶する田原総一朗さん

④挨拶する田原総一朗さん。「朝生」では随分とお世話になりました、と言ってました。

亀井静香さん

⑤亀井静香さんも随分と影響を受けてたんですね。

伊吹文明さん

⑥伊吹文明さんも。

佐高信さん

⑦佐高信さんも親しかったんです。

中森明夫さんと

⑧中森明夫さんと。

司会の立川談四楼さんと

⑨司会をしていた立川談四楼さんと。

松岡正剛さんと

⑩松岡正剛さんも来てました。

黒鉄ヒロシさんと

⑪漫画家の黒鉄ヒロシさんんと。ものすごい勉強家で、新選組や明治維新のことも詳しいです。今度、ゆっくり対談しましょう、と言いました。

田原総一朗さんと

⑫田原総一朗さんと。

ペマ・ギャルポさんと

⑬ペマ・ギャルポさんと。昔、ペマさんの紹介で、インドに、ダライラマさんに会いに行きました。あれが初の海外旅行でした。

政津勉さんと

⑭正津勉さんと。日本ジャーナリスト専門学校で一緒に教えてました。又、最近は娘さんにお世話になってます。娘さんは映画監督で、中村真夕さんです。今、私の映画を撮っています。

西部さんの娘さんの挨拶

⑮西部さんの娘さんが、最後に挨拶しました。

「アエラ」4/30号

⑯週刊「アエラ」(4月30日号)に原稿を書きました。樋田毅さんの『記者襲撃・赤報隊事件30年の真実』(岩波書店)の書評です。これはすごい本でした。

【お知らせ】

  1. 4月23日(月)発売の週刊「アエラ」に原稿を書いてます。樋田毅さんの『記者襲撃・赤報隊事件30年の真実』(岩波書店)の書評です。ともかく、すごい本でした。
  2. 5月9日(水)一水会フォーラムホテルサンルート高田馬場3階大会議室。講師:孫崎享さん(元外務省国際情報局長)。演題:「日米安保の意義を問う」。
  3. 5月12日(土)午前9時から。青山のクレヨンハウスB1レストランで。「原発とエネルギーを考える」に出て話します。司会は落合恵子さんです。初めてですが、楽しみです。
  4. 6月5日(火)午後6時。一水会フォーラムホテルサンルート高田馬場。講師は樋田毅さん(ジャーナリスト、元朝日新聞記者)。今年2月、『記者襲撃・赤報隊事件30年の真実』を出版。演題「新聞社襲撃 謎の赤報隊に迫る(仮題)」。
  5. 6月12日(火)「地域・民衆ジャーナリズム賞=「むのたけじ」と共に=」の創設の集い。プレスセンター。武野大策さん他。又、鈴木も「呼びかけ人」の1人として出席します。
  6. 7月11日(水)一水会フォーラム。午後6時半。ホテルサンルート高田馬場場。講師:前川喜平さん(前文科省事務次官)。演題:「昨今の騒動の真相に迫る」。 5、6、7月の一水会フォーラムは同じ場所です。申し込みは電話・FAXで。電話:03(3364)2015。FAX:03(3365)7130。E-Mail:info@issuikai.jp