4月19日(日)から学校の新学期が始まった。頑張ってやろう、と張り切った。
ところが次の日、4月20日(金)は、河合塾担当フェローから言われて、又もや病院に行かされた。3回目だった。今度は、MRIで徹底的に検査するという。
初めて春山記念病院に行った時は、短かった。服を着たまま横になり、それが移動して、頭だけMRIの中に入り、写真を撮られる。
「大丈夫、異常はないです」と言われた。脳波も乱れてないし、レントゲンで撮っても骨折もない。「じゃ、もういいんじゃないですか」と言ったのだが、「いや、頭の中だから、何度も検査して下さい」と言う。
それで、今度は本格的にやった。40分位かけて、徹底的にやる。音もうるさい。
そのあと、この写真を見ながら、お医者さんに質問される。
「アルツハイマー」などの危険性を疑っているのか。「では名前を言って下さい」「生年月日は?」「今日は西暦何年の何月何日ですか?」…と。型通りの質問だ。
そのあと、変わった質問がある。まるで、ゲームのようだ。
「100から7を引いて下さい。いくつですか?」「93です」「じゃ、そこから7を引くと、いくつですか」。一瞬迷ったが「86です」「そこからさらに7を引いて下さい」と、延々と7を引かせる。ボケてないかどうかの検査なんだろう。
次は、「これから4つの数字を言います。最後から逆に言って下さい」。「4、3、8、7」は「7、8、3、4」。「いいですね」と、それをしばらくやる。
さらに、「4つの単語を言いますから、逆から言って下さい」。こんなのは出来る。
そして机の中からカバンを取り出して、中のものを見せる。5分ほどして、「さっきのカバンには何がありましたか?」と聞かれる。それで、「認知症」「アルツハイマー」の検査になるのだろうか。
椎野礼仁さんも最近、物忘れが激しくて、病院に行ったそうだ。そうしたら「物忘れ外来です」と言われたそうな。そんな病名があるのかな。「物忘れ」だろうよ。「外来」って何だ。外来患者だからかな。
アメリカでは交通事故に遭った人にも、そんな質問をよくするらしい。
記憶が飛んでないかを調べる。名前や今日の日付を言わされ、そのあと、「ABC…を言って下さい」と言う。簡単だ。「ABC…」と言う。
医者は言う。「いや、違います。逆から言って下さい」。ウッ、それは言えないよ。「ZYX…」と、考え込んじゃう。それで「認知症です」なんて言われたら大変だ。
それに、本人がやってきたことが全く生かされてない。こんな検査なら、子供の方がずっといい点を取れる。
本人の職業や思想・運動が生かされた検査をしたらいい。レーニンさんは左翼だから、「じゃ、左翼党派名を思いつくだけあげて下さい」とか。「敵である保守派、右翼の名前を10ヶ以上あげて下さい」とか。そうしたら、本人も真剣になる。
4月20日(金)は、病院で検査を受けながら、そんなことをずーっと考えていました。何なら、私が「質問」を書いてやってもいいよな。患者の「思想」「学問」に合わせて、いろいろ聞くんだよ。面白いものが出来そうだ。
終わって、かなり疲れた。家に帰って、寝た。
4月22日(日)は、田中さんに言われ、新宿で街宣に出る予定だった。でもまだ体がフラつくので、休ませてもらった。
「安倍内閣打倒の集会」なのだ。「安倍はフラフラするな。やめろ!」と怒鳴ったら、「お前の方がフラフラじゃないか」と野次を飛ばされそうだ。だから、家で寝ていた。
そうだ。認知症の検査で思い出した。「小さなことは忘れてもいいんじゃないですか」と私は聞いた。具体的な人の名前や、地方の名前。そんなものは、それほど大事ではない。だから忘れてもいいんだ。
よく、老人のキャスターがテレビで言ってる。「ほら、あの太った歌手、何ていったっけ」「ほら、あれだよ、ボーっとしたタレント」。…と、周りの人が助け舟を出して、「ああ、そうだ」と思い出す。
でも、無理に思い出さなくてもいいんだね。「具体名詞は忘れても、抽象名詞は忘れない」と言う。それが大事だという。
つまり、「平和」「愛」「戦争」といった大きなテーマの名詞だ。「ほら、あれ何だっけ?人と人が、信じて、一緒に生活したいと思う気持ちは?」「愛だろう」。なんてことはない。こういうことは忘れない。それでいいのだ。
忘れていい人名や地名はどんどん忘れる。それでいいのだろう。私はそう思いますよね。
しかしもう一回、認知症の検査に行かなくちゃならん。医者と喧嘩にならないように気をつけなくちゃ、と思います。
4月23日(月)は瀧沢さんから連絡があって、NHKの「ファミリー・ヒストリー」を見た。坂本龍一さんが出ていた。
お父さん、お祖父さん…と、かなり前からのルーツをたどっていた。お祖父さんのことは初めて知った。
お父さんは一亀(かずき)さんといって、河出の名物編集者だった。このことはよく知っている。三島由紀夫、小田実、高橋和巳を見出し、育てた人だ。すごい人だ。
高橋和巳、三島由紀夫は坂本さんの家にも遊びに来て、子供時代の坂本龍一さんにも会ったという。すごいですね。
そうだ。一亀さんの話は、元一亀さんの部下だった女性編集者からも聞いた。週刊金曜日に来てもらって話を聞き、「金曜日」に載せた。とても勉強になった。
そして4月24日(火)の夕方は西部邁さんのお別れ会だった。随分と多くの人が来ていた。
田原総一朗さんも言ってたが、西部さんが亡くなると、とても寂しい。
西部さんには借りがあるという。かつて朝生は論客が左ばかりだった。それで田原さんは西部さんに頼んだ。「右の論客」として、「悪役」をやってくれ!と。
西部さんは「いいよ」と引き受けてくれた。それから朝生が面白くなったという。
すごいなー。よく、嫌な役回りを引き受けたものだ。
又、この会では、いろんな人たちが西部さんの魅力を話された。
もうあれだけの迫力ある人は出ないだろう。私は「朝生」ではご一緒したことはないと思う。
ただ、大阪の「たかじん」では何回かご一緒した。いつも徹底的にやられていた。
ちょっと考えが違うこともあって、反対したら、メチャクチャ、やられた。すごい人だなーと思った。
局の人も面白がって、終わってからも、「続きをやりましょう」と続きもやった。
そこでも私はやられた。今の若者のネトウヨ的傾向などを評価していた。「そんな学生たちはダメですよ、ニーチェだって読んでませんよ!」と言ったら、又、叱られた。何を言ってもこの人にはかなわないと思った。
「おくる会」では、いろんな人に会った。漫画家の黒鉄ヒロシさん、編集者の松岡正剛さんなどにも会った。この人たちは私の尊敬する二人だ。
黒鉄さんは明治維新のことはものすごく調べているし、よく漫画に描いている。ぜひ対談したい。
それと松岡さんだ。「鈴木さん、よく対談していて、連載書いてますね」と言う。「いやいや、松岡さんに比べたら、私なんてゼロですよ。今度、松岡さんとも対談したいですね」と私は言った。どうせダメだと思って言ったのだ。
そしたら「いいですよ。やりましょう」と言う。エッ!すごい。じゃ、礼仁さんに言おう。礼仁さんに言って連絡して下さいよ。
大物ですよ、この人は。編集の神様だ。いや、本づくりの神様だ。私など、太刀打ち出来ない。でも、頑張ってやろう。
と、いろんな人と話してるうちに、いろんなアイデアが湧きました。病気の方も、かなり治ってきたような気がします。今までの半分位しかやれないとしても、頑張ってやりましょう。
木村三浩氏も頑張ってるし。ロシアから帰ってきて、すぐですよ。ここに来て、「献杯」をしたのは。
西部さんはテレビでよく会ってたし、一番信頼されてたんでしょう。私は西部さんには叱られてばかりで、ダメだったけど…。
「いや、信頼してる人だから叱ったんですよ」と中森明夫さんは言っていた。そうかなー。
でも、「西部研究」はこれからの私の課題でもある。しっかり勉強してみよう。
軽々しく「理解した」なんて言いたくない。かなり難しいことを考えていた人だし、私もこれから挑戦しようと思っている。
①4月24日(火)午後6時半から、半蔵門のグランドアーク半蔵門で、「西部邁さんをおくる会」。会場は超満員だった。司会は立川談四楼さん。西部さんの仕事について田原総一朗さんが紹介し、その偉大な仕事ぶりを皆、讃えていた。