今、阿佐ヶ谷から帰ってきたところです。毎年恒例の「鈴木邦男生誕祭」です。全国から大勢の人が集まって、ワイワイ、ガヤガヤと賑やかにやりました。
誰も私の誕生日を祝うわけではない。それを口実にして、いろんなことを言い合う。そこが面白いのだ。
今年は阿佐ヶ谷ロフトで午後1時から始まり、午後5時まで。
第1部は、白井聡さんが登場。白井さんの「国体論」を中心にして話しました。
途中から飛松さんが参加してくれました。第2部は、蓮池透さんとカメラマンの初沢亜利さんが登場。初沢さんの「隣人、それから。」〈北朝鮮で撮った写真集〉を中心にして話しました。
なかなか刺激的でした。白井さんやPANTAさんも参加してくれました。
終わって、サイン会。そして近くの居酒屋で懇親会でした。大いに盛り上がりました。
そうだ。「生誕祭」というのは、私の誕生祝いですが、何も私がやりたくてやったんじゃない。かなり昔だが、塩見孝也さんに言われた。「おい、鈴木。君の誕生会をやろう。そして人を集めよう」と。「イヤだよ」と私は言いました。「じゃ、鈴木君。君の生前葬をやろう!」。
これはもっとイヤだ。ともかく、何かイベントをやって、人を集め、アジろうというつもりです。
私は迫られて、その一つを選ぶことを強いられ、生誕祭を選びました。ただ、「今年は60才だ、今年は70才だ」とリアルに言うのは嫌だ。「大体、100才に近いだろう。エーイ、面倒だ。四捨五入して約100才の生誕祭をやろう」ということにして、それで通しました。
今年、来てくれた飛松さんは、「今年は101才ですな」と言ってました。そうなるのかなー。
そして平成が終わると、どうなるのかな。いやいや、又、考えたらいいだろう。ともかく、今年も100才の生誕祭に多くの人が来て下さり、ありがとうございました。
第1部の白井さんと、第2部の蓮池さん、初沢さんとトークし、とても勉強になりました。又、飛松さんにも、今起きている犯罪や、我々を取り巻く犯罪など、その点を詳しく聞きました。
そうだ。私は自分の本当の誕生日なんか忘れた。祝ってもらったこともない。この「生誕祭」の近くだ。
本当の誕生日は8月2日らしいが、その近くの土曜か日曜に、「生誕祭」をやっている。今年は8月4日(土)にやった。だから毎年、阿佐ヶ谷ロフトの生誕祭が「誕生日」だ。自分の本当の誕生日は思い出すことはない。
ところが、8月2日(木)に田中さんから電話があった。行動的な人で、「安倍はやめろ」集会をやっている人だ。
「おめでとうございます。今日は本当の誕生日でしょう」と言う。そして誕生日のお祝いをしてくれました。「生誕祭」てはなく、本当のバースデイ・パーティだ。嬉しかった。こんなことは40年ぶりだ、と思った。全て忘れて、ひたすら飲み、食べました。ありがとうございました。
そして翌8月3日(金)は、かなりハードな集会が2つありました。
1つは専修大学で行われた。山本譲司さん(作家)を迎えての集会。
そして、そのあと夜7時からは、六本木で、劇団「再生」の芝居前のトークを高木尋士さんとやりました。再生でも、難しいテーマだ。私も必死でした。
でも、とても勉強になりましたし、教えてもらいました。
山本譲司さんは、国会議員でしたが、秘書給与の関係で逮捕され、刑務所に入りました。
ただ、その間に必死に勉強し、出所してからすぐに出したのが『獄窓記』です。とてもいい本でした。
刑務所は高齢者や知的障害のある人が多く、そんな人たちを刑務所に送っている。そんな人たちを山本さんは必死で助けたのです。
この本を読み、私は感動しました。そんな山本さんの出版講演会はあるらしいが、京都だ。山本さんにどうしても会いたくて、京都まで行きました。そして、遅くまで話し合いました。それから何回か対談をしました。
この日も、山本さんの講演のあと、私との対談。そして江川さんと山本さんの対談、さらに3人が並んで、会場の人からの質問を受ける。かなり豪華な企画でした。私も知らないことが多く、とても勉強になりました。
そのあと、六本木で劇団「再生」のトークがありました。それで、タクシーで六本木に向かいました。
「再生」のトークは今まで何回も出てます。今までに観たことのある芝居について語る。
ところが今回のは、全て見たことのない芝居だ。本を読んでない。でも、それについて語るのだ。大変だ。
芝居は『猶予された者たち』。この作品はカネッティが作りだしたある特殊な状況下での物語だ。
登場人物の名前は全員、「数字」だ。「25」という名前の人は25才で死にます。「79」という名前の人は79才まで生きられる。それだけが絶対の世界だ。
そんな時代が昔はあった。いやあったかもしれない。生まれた時に自分の名前と運命が与えられ、それにそって計画的に生きるのが、この世界での正しい生き方のようだ。ブ
ルガリア出身のユダヤ人作家、思想家。ノーベル文学賞作家、エリアス・カネッティ。これはカネッティが生涯をかけて追究した「人間」「群衆」というものへの解だ。
昔はそんな時代があったかもしれない。10年後、頑張って生きて、思いのたけを果たし、死ぬ。皆、「猶予された者たち」になった。でもその猶予は変わった。生き方が、変わった。戦争の時ならば、その「運命」が厳格に実行されただろう。
又、ナチスの時代ならば、「命」や「運命」が軽んじられた時代だ。逆に、命が「重要視」されたのかもしれない。そして高木さんと話しながら、そのことについて考えた。
「天命を知るということ」というテーマだった。我々は運命で何才まで生きられるか。つまり死を受け入れる。だから我々は皆、死刑囚なのだ。
ただ、処刑の時期は分からない。オウムの死刑はまだ行われたばかりだし、この「執行猶予」という表現も、リアリティをもって我々に迫ってきます。
だから、最近ではとても珍しく、「哲学」対談になりました。哲学的に人生を考え、必死で高木さんについていって、話しました。
現場は六本木のストライプスペースでした。そこは私も「再生」に出て、アーチャリーも出て、私が「麻原」を演じた場所だ。又、千賀さんの「桜の花の満開の下で」をやったそうだ。
これは坂口安吾の原作。とてもいい作品です。新潟の安吾記念館になんども行ってます。本人は亡くなったが、息子さんがここの館長を務めていました。
私は行くたびに話し合ってます。その時、「坂口安吾にはどうして全集がないんですか?」と聞きました。安吾を読んでいても、どれだけ読んだか知らない。全集だったら、全何巻のどこまで読んだか分かる。
でも坂口安吾はいろんな出版社から出ている。どれだけ読んだか分からない。そうすると、息子さんが言ってました。坂口はあまりにジャンルが広い。だから全集もムリです、と言う。
でも、ほかの作家でも、ジャンルの広い人はいるが、「全集」を出している人はいる。そのことを私は、詳しく聞いた。詳しく教えてくれました。安吾は、小説、歴史物、エッセイだけでなく、〈日本地理〉をテーマにした本も随分と出している。
さらに、推理小説を出している。「安吾捕物帳」だ。だから、「全集」は出せないいのだと。
あっ、同じことを前にも聞いた、と思った。青森の寺山修司記念館だ。
だから、1冊ずつ読むしかないか。
①フランス人が撮った映画「国家主義の誘惑」がポレポレ東中野で現在上映中です。日本ではとても撮れないような素晴らしい映画です。そして今の日本の状況もズバリと言い当ててます。監督は日本人の渡辺謙一さんです。7月30日(月)午後から映画を上映して、そのあと、監督とトークをしました。とても迫力のある説得力のある映画でした。いろいろと教えてもらいました。
②8月2日(木)。いつもロフトで「生誕祭」をやってもらってるので、こっちの方が本当の誕生日かと思ってましたが、本当は今日ではないんですね。「安倍反対」の街宣や集会をやってる田中さんが、「じゃ、この日にお祝いをやりましょう」とお誕生会をしてくれました。本当の誕生日というよりも、プライベート・バースディのような感じでした。ありがとうございました。
③8月3日(金)。夜、新宿の西口で、田中さんたちが主催で街宣をやっているので行きました。黒川さんや右田さんは歌っているし、他に「みちばた興業」の人たちも歌や踊りをやってました。もの凄い人が出てました。凄いですね。 そこで私も喋りました。
⑩8月4日(土)。学習院大学のオープンキャンパスに行きました。朝9時に河合塾コスモに行って、生徒たちと一緒に行ったのです。こういうイベントに出るのは初めてで、勉強になりました。学習院大の内容、各学部の様子、入試の状況などを教えてもらいました。
⑳「鈴木さん、又、北朝鮮に一緒に行きましょうよ」と言われて、「嫌ですよ」と答えてます。だって、日本では「ビザが出てるから」とついて行ったんですよ。北京の北朝鮮大使館では「出てない」と言われ、皆が帰るまで、私は1人北京で待ってました。北京動物園でパンダを見たり、万里の長城に行ったりして…。そんなことがあったんですよ。
㉖三島研究家の瀧沢さんが、本をくれました。「随分頑張って書いた本です」と言って。タイトルを見てビックリ。『私は鈴木邦男の味方です』。自分で書いて、タイプを打って、製本して、全部、自分でやったんですね。凄いです。内容も素晴らしいです。「鈴木は終わりだ」「もうダメだ」と言う人が多いが、いやいや、「まだ終わってない」という本ですね。ありがたいです。涙が出るほど感動しました。本を作るなんて大変なのに、よくやったものだと思います。ありがとうございます。