安田純平さんが解放された。シリアでゲリラに拘束され、何と3年4ヶ月も拘束されていた。安田さんは日本に帰ってきた。
12月26日(水)、文京区民センターで、安田さんの解放を歓迎し、「自己責任」について考えるシンポジウムが行われた。もの凄い人が集まった。なかなか聞けないし、申し込んだ人は多かった。
会場は満員だった。私も申し込み、さらに早目に行った。安田さんが舞台の袖にいた。「鈴木です。おめでとうございます。それにしても大変でしたね」と声をかけた。
よく耐えられたものだと思う。肉体的なことよりも精神的なことがキツかったと思う。そのことを聞いた。「たしかにそうです」と言っていた。
拘束されて3年間、「拘束がいつまで続くか分からない」「隣りの部屋で、他の人間が拷問され、その悲鳴を聞かされた」「寝れなかった」…と。
精神的に大変でした」「一体、いつまで続くのか」「いつになったら帰れるのか」が全く分からない。
日本政府は何もやらないのに、やってるかのようなジェスチャーをする。あれやこれや考える。精神的なプレッシャーが大きかった。
普通なら、こんな状況で拘束されてたら、1ヶ月ももたない。私だったら、1ヶ月もしない内に発狂してしまうだろう。よく耐えられたものだ。
よく、向こうに行く人が正義感で行く人は、メディアで見て、向こうの状況を思い、活動家になって、行くケースが多い。
その点、安田さんは違う。信濃毎日新聞に勤めていた。かなり硬派の新聞だが、イラクやシリアについてもよく分かっていた。その辺の活動家とは違う。じっくりと調査し、考えていた。その上で行ったのだ。
それに彼は、少林寺拳法をやっていた。だから、困難にも耐えられたのだ、と思う。
ゲリラに拘束されてる時も、見張りの兵士に、拳法の型などを見せてやった。そこで急に態度が変わったという。「カラテ」は神の手ように思われている。「もっとやってくれ!」とリクエストされた。ゲリラを相手にスパーリングをして、皆んな倒したらしい。
でも、そんなことはしない。型だけを見せて、それで安田さんへの尊敬の気持ちがグッと高まったという。それが「解放」につながったのかもしれない。
「でも少林寺の型を見せたのが悪かったのかもしれない」と安田さんは言う。「こいつはカラテをやる。要心しろ」と警戒されたのかもしれない。何も言わなかった方が良かったのかもしれない、と言う。
実は、早稲田大学に入ったら、私は空手をやりたいと思った。
安田さんは、とても強い人だ。立派な肉体をしている。だから精神的にもとても強いと思う。
「凄いですね」と言った。私も強く生きたいと思ってるが、出来なかった。私はそれ以前のリハビリの段階だ。
安田さんの本も売られていて、買った。これはとても勉強になる本だった。
この日は「資料」を○○○○○○○○○○驚いていた。安田さんの発言だけでなく、事件の経過、○○○○○○「自己責任」について○○○○○○○…などについて書かれている。これは、大変○○だし、勉強になる。私も前の席○○○○○必死に聞いた。
そうだ。その時の集会だが、こう書かれていた。〈緊急シンポ! 安田純平さん解放とジャーナリズムを考える=戦場取材の意義と「自己責任」論〉
安田純平(ジャーナリスト)。原田浩司(共同通信編集委員)。金平茂紀(TVキャスター)。川上泰徳(中東ジャーナリスト)。野中章弘(アジアプレス)。南彰(新聞労連委員長)。綿井健陽(ジャーナリスト・監督)。視界は「創」編集長の篠田さん。
文京区民センター3階A室は超満員。イスに座れない人は立って聴いている。区民センターでこんなに人が集まったのは初めてだ。
それにしても日本では、こういう問題があると、マスコミは徹底的に叩きまくる。「自己責任だ」と。
じゃ、ヨーロッパやアメリカでも、そんなことはあるのか。
例えばアメリカではそんなことはない。冒険をし、その結果、捕まっても、叩かれない。日本とヨーロッパやアメリカとは違うのだ。○
大体、政府の発表することを信じていては、何も見てないのと同じだ。
この日、配られた資料には、中島岳志さんの文がある。これは一番よかった。
〈自己責任論は常に権力の意を受けたものが、従わない者を取り締まり、弾圧するために言われる〉
全くその通りだ。ともかく、いい集会だった。とても勉強になった。感動した。