一水会フォーラムで講演をした。1月15日(火)だ。本当に久しぶりだ。この日は木村代表もいない。ロシアに行っているらしい。その前後も、まるで講演づけだった。前の日はヘビ子さんの勉強会で講演。
又、一水会フォーラムの後は、16日(水)に、新潟県五泉市で講演。17日(木)は新発田で講演…と、連日連夜だった。一水会を作った時の歴史も含めて民族は運動の歴史について語った。
まずは14日(月)だ。三島研究家の瀧沢さんが月に1回やっている勉強会だ。今月の1月14日は三島の生誕日だ。11月25日の三島の死んだ日は皆知っている。いろんな集会もある。
しかし、三島の生誕日は全くない。この日に瀧沢さんは三島についての集まりをやっている。三島研究家たちを呼んでトークをする。「1970年と三島事件」がテーマだ。とてもよかったと思う。
又、一水会では、活動の写真を何枚も用意した。そして、スライドで見せて、パワーポイントを初めて使ってみた。一水会でその練習をした。
自分がなぜその運動に入ったのか。入った動機も含めて、詳しく話した。終わって、懇親会に出る。12時過ぎまでやった。「あっ、そうだ。明日は五泉だ!」と思い出し、あわてて帰った。
翌16日(水)は、新潟県の五泉市に行ってきた。じゃ、説明をしよう。
私の母は、福島県会津坂下で生まれた。大きな肥料屋だなんだという。母の生家は肥料屋だ。ただ、その肥料屋の名前が「新潟屋」だと聞いた。新潟ではないのに「新潟屋」なのだ。それを親類のおばさんに聞いた。「元は新潟から来たんだよ」と言う。
えっ?と聞き直した。「知らなかった」と言ったら驚いていた。その話を4年前に斎藤さんにした。その時、彼の車に乗っていたが、斎藤さんは「じゃ、これから五泉に行きましょう」と車を出す。五泉に着いて、街を回って、「どうです。思い出しましたか?」と聞く。冗談じゃない。私は生まれていない。もし、「前世の記憶」に出会ったら怖い。
12月TBSのテレビに出た。天皇論だ。昔、「ニュース23」の筑紫さんの番組に出た。筑紫さんは言っていた。『正論』を読んでる人は、もう読む必要はない。自分の考えを確認するために月刊『正論』を読んでたのだ、という。そうか。「やっぱり、オレと同じことを考えてる」と思い、安心する。
しかし、こうした読書だけでは人間は堕落する、という。自分の思ってもないこと、反対の思想などを書いてる本を読むべきだと。
〈週刊金曜日を読んでる人は、自分の考えを確認するためだけに読む。この人たちは読む必要がない〉
凄いことを言う。右でも左でも、自分の考えてることと同じ本ばかり読む。自分が普段考えているのと同じものを読む。これじゃ進歩がない。そうか。「昔、筑紫さんに、このことを言われてハッとしました」と私は言った。
この話は高木さんにも紹介した。そして、「そうだ。我々もイデオロギーにこだわって、偏った読書をしてたのかもしれない。それも反省しなくっちゃと言った。読書対談で。
さらに、話を進めて、こう言う本を書こうと提言した。つまり、「右派の人が読むべき左の研究書」「左派の人が読むべき右の研究書」…だ!
「よし!それをやりましょう」と二人とも言う。前にHPにも書いたが、本当にそれは出来るかもしれない。
「ヘエー、鈴木さんのルーツは五泉なんですか」「じゃ、ぜひ五泉で講演してもらいましょう」と斎藤さんは言う。それで急遽、五泉講演会が決まったのだ。
その次の1月17日(木)は新発田に行く予定になっていた。アナキズム研究家の栗原康さんが講演する。大杉栄の話をするという。それを聞き、行くことにしようと思った。「じゃ、もう一日長くして、五泉でも講演をして下さい」と、斎藤さんは言う。「分かりました」と返事をした。一水会フォーラムでは懇親会が遅くまであったが、「あっ、明日は早いんだった!」と思い出して帰った。
翌1月16日(水)は朝9時の新幹線で行ったら、斎藤さんが新潟まで迎えに来ていた。そして車で五泉へ。
私が生まれたのは福島県郡山市だ。しかし、そこにはあまりいない。父親が税務署に勤めていて、東北地方を転々として回った。税務署の人間は地元と癒着しないように長くはいられない。
でも母に聞いたが、母の故郷は福島県の会津坂下だ。ここが母のルーツらしい。会津坂下で大きな肥料屋をやっていたという。でもその名前が「新潟屋」だから、不思議だ。どうして「新潟屋」なのかと疑問だった。親類のおばさんに聞いたら、元は新潟県にいて、そこから福島県に移ったのだという。ヘエー、そんなことがあったのか。それで母のルーツが分かった。
そんな経過を、一水会フォーラムで話をした。それで、五泉についても話をした。
翌日1月18日(水)、目が覚めたら、驚いた。窓の外を見たら、白一色になっている。地面も山も雪だ。凄い。今年は初めて、雪景色を見た。それで写真を撮った。
新聞に案内が出たおかげで、何人か来てくれた。
五泉や新発田でも決して人は多くはなかったが、じっくりと濃い話が出来たと思う。生活に密着した活動はいつも考えていました。
終わって懇親会。翌日は朝から用事があるので、これから帰りたいと言ったら、一緒にと、レーニンさんは言う。新発田駅まで連れて行かれた。ありがとうございました。