成田から飛行機に乗った。自分探しの旅だ。カバンには文庫本ばっかり詰め込んで…。飛行機の中だと携帯はかかって来ないし、メールをチェックする必要もない。本を読むしかない。だから、心ゆくまで読める。
「本を読むために出る旅もある」というCMのコピーが昔あった。本や新幹線のCMではない。ウィスキーのCMだった。ウィスキーのポケット瓶を持って列車に乗り込み、ウィスキーをチビチビやりながら、本を読む。気の向いた所で降りて、安い旅館に泊まって、畳の上に大の字になって、又、本を読む。時々、起き上がって、ウィスキーをチビチビやる。「ヒャー、豪華な旅だなー。いいなー」と思った。でも出来なかった。20年ほど前のCMだったのかな。
今は、飛行機でこれをやっている。さて、どこに行くのやら。小説を読んでると、フッと自分もその中に入ってしまう。ハッ、ここはどこなんだろうと思う。「エッ?俺は今、ニューヨークを歩いてるぞ。ホントかよ」と去年の4月には思った。そんな夢のようなことが時々、起こる。
本を読んで「没頭」するのはいいが、時々、戻れない人もいるらしい。そんな馬鹿なと思うだろうが、「産経新聞」(9月20日付)の「中川晶の生き方セラピー」という人生相談に、「怖くて小説が読めない」という相談が載っていた。小さな女の子かな、と思ったら、大人だ。それも43才の男だ。ホンマかいな、と思いながら読んだ。こんな相談だ。
〈小説が怖くて読めません。3年前に鬱病になり、寝るときは睡眠導入剤を飲みます。最近、目覚めたとき、自分がどこにいるのか、分からないことがままあります。昼寝の後は特にひどいのです。熱中したら、自分の意識が小説の世界から、この現実世界に戻れないのでは、と心配です。 兵庫県 男性会社員(43)〉
戻れなかったら、それは又、楽しいんじゃないですか。うらやましいですね、と私なら解答しますけどね。ずっと小説の中で生きていて下さい。お元気でね、とか。だって今だって、「ネットの世界」で生きている人とか、「過去の学生運動の世界」に生きている人は、いっぱいいますよ。小説の世界ぐらい、かわいいもんでしょう。
荘子でしたっけ。昼寝をしてる間に、夢を見た。夢の中では自分は蝶々だった。花から花へと飛ぶ。目を覚ます。「あーあ、ねたねた」と。あーあ、夢を見た。蝶々になった夢だったよ、と言う。しかし、まてよ。「今の方が夢かもしれないな」と思う。本当は、私は蝶々で、たまたま「人間になってる夢」を見てるのかもしれない。なるほど、深い話だと思った。人間の一生だって、80年ほどの夢を見ているのかもしれない。夢を見ている主体は宇宙の他の星にあるのかもしれない。
ミヒャエル・エンデの『ネバー・エンディング・ストーリー』は本当に小説の中に入っちゃう話だ。いじめられっ子が、図書館に逃げ込んで本を読んでいる。そしたら、本の内容は、いじめられっ子の話だ。逃げて図書館に入り、本を読む。アリャ、僕と同じじゃないかと思う。そうなんです。この少年の話がそのまま書かれている。そして本の世界に入ってしまう。そこでは、雄々しい騎士になる。そしてお姫さまを守って闘う。いいですねー。
「人生相談」する人も、怖がっちゃいけないんだ。「現実世界に戻れないんでは」なんて言わないで、飛び込んだらいい。私なんて、いつも飛び込んでますよ。右翼の小説を読むと、まるで昔、右翼をやってたような気になります。サラリーマン小説を読むと、実際にサラリーマンをやった気になります。犯罪小説を読むと、犯罪をやった気になります。ハッと目を覚まして、「あれは皆、夢だったのか。惜しかったな」と思いながら、爽やかにやります。
森田必勝氏のお宅を訪ねた下中忠輝君もそうだと言いますね。あの時代に入っている。大阪の大学生なんですが、森田必勝氏が好きだ。一緒に自決した三島由紀夫よりも好きだ。それで、お父さんを誘って大阪から三重県の四日市まで行った。森田必勝氏の実家があって、お兄さんが住んでいる。2000年に、森田必勝氏の銅像を庭につくった。そこで森田氏と一緒に撮った写真を送ってくれた。「ありがとう。嬉しかったよ」と森田氏に代わって礼を言った。下中君は右翼運動が好きなんだろう。それで森田氏を尊敬し、ご実家まで訪ねたのだろう。
と思っていたら、8月27日(水)、新宿2丁目のゲイバーにも来た。ゲイの作家・伏見憲明さんと私は、「メゾフォルテ」というゲイバーでトークをした。前にも報告した。「右翼と語る恋愛、結婚、同性愛、差別、国家、天皇」—鈴木邦男とオカマが飲み明かすナイト!」だ。
超満員だった。関口君や広島の運ちゃんや、その気のある人が多い。その中に、大阪からわざわざ来た下中君もいる。ゲイバーに特別な思い入れがあるようだ。「実は、ここに来る前に沖雅也の墓参りをしてきたんです」という。えっ、あのホモの役者の? 京王プラザホテルで自殺した俳優だよね。じゃ、やっぱり彼もそうなのか。
「その時の写真、見せてくれよ」と言ったが、「ありません」と言って見せてくれない。でもやっと見せてくれた。麻布の長谷寺だ。「本然院雅道誠実居士」と出ている。昭和58年、31才で亡くなっている。もう一枚、別の墓参りの写真も見せてくれた。女性だという。フーン、女性にも関心があるのか。ヘテロか。
でも墓の名前を見て驚いた。高野悦子さんだよ。あの不朽の名作『二十歳の原点』(新潮文庫)の著者じゃないか。20才の時に自殺した女子大生だ。ヘエー、今頃の若者で『二十歳の原点』を読んでる人がいるんだ、と驚いた。高野さんのお墓は西那須野の宗源寺。「高学院純心法悦大姉」と書かれている。見て、合掌した。お参りしてくれて嬉しかった。それで今、私も読み直している。
今、飛行機の中で読んでいる。そして、パソコンを打っている。この本は、大ベストセラーになった。学生運動をやり、その中で考え、傷つき、自殺してしまった学生だ。昭和44年(1969年)6月24日に自殺した。昭和45年は、よど号ハイジャック事件、三島事件があった。もう一年、生きてたら、そんな大事件に出会え、自殺を思いとどまったかもしれない。
高野さんのこの本は昭和46年5月、新潮社より出版された。昭和54年に新潮文庫に入り、平成18年8月で第49刷だ。49刷か。凄い。今はもっといってるのだろう。
飛行機の中で読んだせいか、すぐに、本の世界に入ってしまった。40年前のことなのに、つい昨日のように思える。でも、当時は、こんなに、ひたむきな、真面目な学生がいたんだ。携帯やパソコンがなかったからなのか。実に人間らしい。「日記」を見てみよう。
〈1月10日(金)東大。機動隊の導入。語学の勉強はせず、「展望」や「現代の理論」などを読んですごす。読んでいても自分が全く何も知らぬことに、自分を支える信条みたいなものが無いのにあせる。今は何の方向も持っていない。暗中模さくである〉
〈1月30日朝 めがさめて、たばこをすいながら大宰を読む〉
〈2月7日 自分の世界を作りあげようとすれば、すぐに政府という怪物にぶち当る。それは笑顔のうちに非情さと残酷さを持ち、いつのまにかしのびよる煙のような怪物だ。ブルジョア新聞を読んで、あせりを感じるようでは、そんな怪物に太刀打ちできない。新聞、雑誌、本をよんで考えよう。人と話をしよう。これぐらいで自暴自棄になるなんて甘すぎる。政府、いや独占資本は巨大な怪物であることを銘記せよ〉
〈2月18日(火)お前は、何くそ!というやる気が足りない。毎日、新書を一冊よむぐらいに頑張れ。今日読んだ本、堀田善衛『キューバ紀行』〉
(ゲッ!私は『キューバ紀行』をつい先月読んだ。80才の革命家、樋口篤三さんにすすめられて。40年も前に高野さんは読んでいる。負けた!)
〈3月8日。ただ今、小田実『現代史 Ⅰ』を読んでいます。高橋和巳にひかれましたので、『堕落—内なる荒野』を読みました〉
(私も今、この2人を読んでいる。まるで同時代で、同じ人の本を読んでいるようだ)
〈3月8日 二、三日前、大宰を2,3頁読んだ後、ポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしましたが、別に死のうと思ったわけではなく、ノドを圧迫したときの感触を楽しんだだけでした〉
(ヤダな、私も今、同じことをしてるよ)
〈3月15日。『アナーキズム』を買ってきた。アナーキズム、それは恐ろしさを感じるとともに、また逆に惹きつけられる。大体おまえは本当に自由であることを欲しているのか。フロムの『自由からの逃走』ではないが、自由であることを恐れているのではないか〉
(私も今、これらを読んでいる。「劇団再生」の高木尋士氏も『アナーキズム』を読んでいる。じゃ、メールして話し合ったらいいのに。亡くなった人とはメール交換は出来ないのか。不便だね。私の機種は出来る)
〈3月29日。ランボーはいった。「私の中に一人の他人がいる」と。私としては私の中に他人がいるというよりも私というものが統一体ではなく、いろいろ分裂した私が存在しているように思う〉
この頃の学生はよく本を読んでいる。そして考えている。いや、考えるために本を読んでいる。何十冊も何百冊も読んで、自分の疑問に対する答えを探そうとしている。偉いと思う。今はネットがあるから、「答え」はすぐに見つかる。でも、そんなものは本当の「答え」じゃない。そのことに気づかない。どんな哲学者も、その辺のお笑い芸人や、オタク、学生も、ネットに書かれたら同じ平面上に並ぶ。みなイコールだ。虚しいだろう。
〈3月30日 夢の中で、後ろ姿で去っていった鈴木の姿を考えるとたまらない。寂しがりやで可愛い鈴木少年よ。あなたが愛しい〉
(あららら、私が出てきたよ。この時、私は25才。きっと私だ。私に違いない。いかんな。本当に、本の中に入り込んでしまった。今は1969年だ。もう40年後の2008年には戻れないよ!)
〈4月4日。鈴木は自分が独りであることを知っている。だから、あのわびしげな後ろ姿にひかれたのだ。甘えん坊で意地っぱりな鈴木よ。あなたにとって私は単なる職場のアルバイト生にしか過ぎぬことを知っている。私はあまりに性急にあなたを求めすぎたのだ〉
(そうか。私は一緒にバイトをしていたのか。知らなかった。実はこの本には、これからも、何度も何度も「鈴木」は出てくる。一番好きな人だったのだろう。ダメじゃないか。ちゃんと愛を受け入れて、励ましてやらなくっちゃ。今からでも遅くない。自殺を止めてやれよ。タイムスリップして…)
〈4月5日。『野火』の朗読をきいてから戦争における人間の体験に関心をもった。今この時間にも世界のどこかで戦争が行われ、人が傷つき死んでいるという事実〉
(今の学生なんて、『野火』を読んでる人なんていないよ。昔の学生は真面目だったね)
〈4月9日 『第二の性』を読んだら、どうしたって、(性交で一体になったとて)人間は独りなんだと思った。恐ろしい〉
(ボーヴォワールか。私も今、読んでいる。『老い』も読んでいる。40年の時間の隔たりを感じない)
〈4月14日。鈴木! 私は機動隊とぶつかりたい! それが一体、何だというんだ!〉
(激しいですね。凄い)
〈2月2日。『現代の理論』と『海』を買いました。喫茶店「マロン」に入ってコーヒーとトーストを食べました。そこに2時半までいて、『海』の「現代の言葉とは何か」を読み共感するところ大いにあり。一服してから井上清の『第二次世界大戦後の日本』にとりかかります〉
(生活の中心に「本を読むこと」「考えること」がある。これは素晴らしい。当時は、皆、そうしていたんだ。今は人間は「退歩」している。携帯やパソコンなどのツール(道具)だけが「進化」「進歩」したんだ。道具だけが生きている地球。一体なんだこれは。人間は全て、死に絶えたのに!)
〈2月2日 昨日あたりから大宰が読みたくなっている。鈴木はどうして私みたいなすばらしい女をほっておくんだろう〉
(すみません。何とかしてやれよ、鈴木君!)
〈5月7日。給料もらって久しぶりに金ができたので、シアンクレールに行った。ジャズをききながら『賃金、価格、利潤』を読み直す〉
(凄いね。いつも難しい本を読んでいる。私も頑張らねば)
〈5月8日 畜生、やはりスキーをやめて「資本論」にすべきか。しかし…一体何が「しかし」なのだ! そこんとこを明確にせなあかんよォ、きみィ〉
そして決意し、本当にスキー道具一式を売って、『資本論』を買うのだ。偉いね。感動しましたよ。私は。他にも、こんな箇所がある。
「上京してから帰省分のおくれを取り戻そうと必死になり、『朝日ジャーナル』や『現代の眼』『展望』を読んだ。本当にその内容を理解できたかどうかは疑問だが、ただ何かを求め何かを漠然と感じたのだった」
「これからデモに行こう。国家権力との対決なくしては、人間は機械になってしまうんだ」
そうだよね、今は皆、「機械」になってしまった。「人間」なんかどこにもいない。高野の言う通りだ。
〈5月8日 若者よ。体をきたえよう。機動隊とわたり合うために。柔剣道の精鋭を集めて作られたお国の機動隊に勝つためには、彼らの何倍もの意志を結集して、我々自身の頭脳とこぶしを彼らの警棒に負けぬ強い筋肉を作らねばならぬ〉
〈 6月16日。きのう鼻を機動隊に殴られて赤くはれている。人はまたどうしたのかときくだろう。うるさい人たち。それにしても右ほおのアザと、赤い鼻と。まるでピエロのようで恥ずかしい〉
(凄いね。感動しますね。体をはって闘っていたんですね)
高野悦子さんは昭和24年1月2日、栃木県那須郡西那須野町で生まれた。私より6才下か。今、生きてたら59才だ。
この実家のある西那須野町のお寺に行って、下中忠輝君は、高野さんのお墓を探し、お参りしてきたんだ。ありがとうございました。高野さんは、昭和41年、奥浩平の『青春の墓標』を読み、感動し、以来心の友とした。奥は、中核派の活動家で、恋人は(敵対する)革マル派の女子学生。学生運動版『ロミオとジュリエット』と言われた。奥浩平も、学生運動の中で闘い、学び、悩み、そして自殺した。ひたむきな若者が多かったんだ。当時は。今は、一体いるのか。かろうじて見沢知廉氏かな。彼も若くして自殺した。そして、一途に、ひたむきに生きた。では又、来週。私も若い間は、ひたむきに生きよう。
9月24日(水)、「天つゆでソバを食べたのは藤本さんという出版社社長です」とメールが来ました。広島の運ちゃんではなかったのですね。運ちゃんはその間違いを指摘したのでした。ごめんなさい。