2008/10/13 鈴木邦男

「よど号」グループの皆さんは、とても元気でした!

①4月に続いて、2度目の訪朝です

「よど号」のフルメンバーと山中氏。(左より)魚本氏、山中氏、赤木氏、若林氏、小西氏

 ヨボセヨ。アンニョンハシムニカ。10月7日(火)、午後7時15分、成田に帰ってきました。5日間のハラハラ、ドキドキのドラマチックな旅でした。こんなに衝撃的な旅の体験は今までにありませんでした。これからもないでしょう。
 10月3日(金)の朝、成田を飛び立ちました。中国を経て、北朝鮮への旅です。今度は、「よど号」グループと会う為です。今年の4月に、木村三浩氏(一水会代表)と北朝鮮に行きました。だから二度目の北朝鮮です。あの時は、北朝鮮の党の幹部との話し合いが主で、「よど号」グループには会えませんでした。今度は、「よど号」グループと会って、じっくり話をする。その為の旅です。ただし、今回は木村氏は国内で重要な仕事があって残り、私一人の旅でした。いや、山中幸男さんと二人でした。山中さんは救援連絡センターの事務局長で、「よど号」問題には昔から取り組んでいます。特に「よど号」の奥さん、子供たちの帰国には尽力してきました。
 「よど号」グループと奥さんの間には20人ほどの子供がいます。その子供たちは、ほとんど帰国させ、残るは一人だけです。その子供も、もうすぐ帰国します。その帰国手続きは大変です。だって、1970年にハイジャックして、赤軍派の9人は北朝鮮に渡ったのです。そして日本人妻との間に子供をもうけました。法を破って北に渡り、そこで極秘裡に結婚し、子供が生まれたのです。出生届やら何やら大変です。さらに、日本人として、パスポートをとり、日本に帰国させる。気の遠くなるような困難と煩瑣な仕事です。それを山中さんはずっとやってきたのです。頭が下がります。今回も、山中さんのおかげでした。お世話になりました。
 そういえば、よど号グループの田中義三さんとタイで初めて会った時も、山中さんに連れて行ってもらいました。あの時は、木村氏も一緒でした。あの時も、感動的な旅でした。「ニセ米ドル事件」でタイの刑務所にいた田中さんと会い、意気投合しました。そして、それから何と、5回もタイの田中さんに面会に行きました。

(左より)赤木氏、山中氏、小西氏、若林氏、魚本氏(前列は食堂のウエイトレスさん)

 「あの時は、本当にお世話になりました」と飛行機の中で山中さんにお礼を言いました。あのおかげで田中義三さんとは終生変わらぬ友情が芽生えました。田中さんが日本に帰国してからの裁判では私も証言しました。右と左、正反対の運動をしてきた二人ですが、これからは一緒に新しい運動が出来ると思いました。12年の刑を受け、熊本刑務所に送られました。ところが、残念ながら癌を患って亡くなられました。残念です。

 「13年前に僕らを招請してくれた田宮高麿さんも亡くなりましたね」と、機中で山中さんと、しんみりした話になりました。25年ほど前までは、「よど号」の人達とは全く接点がなかったのに、「ナショナリズムの問題では共に語り合える」と言われ、連絡を取り続けていました。「じゃ、一水会で訪朝団をつくって、来なさいよ」と田宮さんに言われました。田宮さんは「よど号」グループのリーダーです。それで、行くことになりましたが、直前になって何故か、僕だけビザが下りず、木村三浩氏、見沢知廉氏などが「一水会訪朝団」を作り、行きました。
 「あの時は、田宮さんが呼んでくれたんだから絶対に大丈夫と思ったんですよ。残念でした」と山中さんに言いました。
 それから13年。何と17回もビザ申請をしたのに、ずっと拒否され、今年の4月にやっと訪朝できました。その時は、北朝鮮の党の幹部の人と朝から晩まで話し合い、「次」は「よど号」と会えることになりました。そして、今回の訪朝です。
 「長い道のりでした。やっと『よど号』の人達に会えます。山中さんのおかげです」とお礼を言いました。

②これは貴重な写真とビデオだ。歴史的資料になるだろう

ボートに乗ってる「よど号」の2人と小西さん、魚本さん、山中さん

 1970年に、ハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍派のメンバーは9人です。でも、あれから38年。田宮さん、田中さん、岡本さん、吉田さんの4人が亡くなりました。柴田さんは日本に密入国して逮捕、収監され、今は自由の身で関西におります。だから北朝鮮にいるのは4人です。小西隆裕さん、赤木志郎さん、若林盛亮さん、魚本(旧姓安部)公博さんです。そして、奥さんが2人、子供が1人。計7人が残っております。今回、その人々と会えるのです。やっと会えるのです。
 待ちに待った13年です。いや、1970年のハイジャック事件が起きた時から衝撃を受け、感動し、凄い男達だ、と思ってました。いずれ、ぜひ会いたいものだと思ってました。だから、38年前から熱烈に思っていたのです。その思いが、やっと実現します。感無量です。まるで夢のようです。

 38年間、思いつめ、恋焦れた恋人に会うような気持ちでした。先週のHPでは、「自分探し」の旅と書きましたが、本当は、「よど号」探しです。いや、38年間、思い続けた人に会うのです。そんな気持ちで、ドキドキし、興奮していました。こんな自分を見るのも初めてです。「よど号」の人達と会って、何を話すのか。自分がどう変わるのか。それも分かりません。その意味では、やはり「自分探し」かもしれません。
 話したいことは一杯あります。聞きたいことも一杯あります。感極まって、「ここに残りたい。私も『よど号』グループに加わりたい!」などと言い出すかもしれません。全く、予測不能の旅です。予測不能の私です。だから期待に大きく胸ふくらませて、向かいました。

アリラン祭のマスゲームの写真です

 では、北朝鮮で撮った写真を紹介しましょう。写真は沢山撮りました。又、直前に買ったビデオカメラでも長い時間、撮りました。「よど号」の人達は皆、元気でした。又、ピョンヤンも平穏でした。金正日さんの健康については、国内ではニュースが流れていません。それどころか、サッカーの試合に現われ、元気な姿を見せたとのことで、北朝鮮の人々は感激し、大喜びしていました。
 ビデオにも写ってますが、小西さん、魚本(旧姓安部)さんが元気にボートをこいでます。山中さんもおります。赤木さんは、事務所でお留守番です。子供達がサッカー・ゲームに興じてます。又、アリラン祭に出席した様子も収められています。「世界一のマスゲーム」もきれいに写っております。
 これは貴重なビデオです。「よど号」の人達が写っている。そして、北朝鮮の一般の人々が写っている。街の様子、アリラン祭の様子なども、リアルに写っています。ちょっとないでしょう。やはり、直前にビデオを買っておいてよかったと思いました。それに、「よど号」の4人が全員で写っている写真もあります。貴重な写真です。歴史的写真です。

 では、「北朝鮮レポート」は終わります。次週に又、詳しく書きます。「よど号」の皆の元気な姿も写真で紹介できました。又、皆は、「必ず日本に帰る」と言っておりました。

③「北朝鮮訪問」の大いなる〈謎〉

山中さん、小西さん、若林さん、魚本さん

 しかし、これじゃ、不十分かな。北朝鮮レポートとして。ここまで読んだ人は気付くでしょうね。「38年間、思い焦がれた『よど号』と再会したのに、その〈感動〉が伝わってこない」と。
 「それにお前の写真がないじゃないか」と。金正日さんの前で撮った写真はあるが、「お前1人じゃないか」。「よど号の人達と一緒に撮った写真がないじゃないか」…と。
 ウーン、鋭いですね。気が付きましたか。本当を言うと、迷ったんです。「よど号グループと会った。感動した!」と書いて、それで終わりにしようとも思ったんです。私が写ってないのは、「私がカメラを撮ったからです」と強弁しようとも考えました。「ちゃんと、よど号の人々の写真はあるじゃないか!」と。何なら、得意のパソコン技術で、よど号の人々と私が一緒に写っている写真を作ってアップするとか…。さらに小西さん達と握手してる写真でも作れるかもしれません。でも、そこまでは、やり過ぎでしょう。

 はいはい。正直に言いましょう。今回、私は北朝鮮には行けませんでした。「じゃ、このレポートは嘘か!」と言われるかもしれませんが、嘘は書いてません。全て本当です。10月3日(金)、北朝鮮に行くべく、成田から北京に向かいました。そして、「よど号」の人達の写真やビデオを撮りました。ただし、私は北朝鮮には行けませんでした。では、説明します。
 今、考えても悔しいし、認めたくないのですが、今回は、大丈夫のはずでした。だから、北京からピョンヤンまでの飛行機の切符も買えたし、ホテルも予約できたし、アリラン祭も予約できたのです。ところが、ところがですよ。北京にある共和国の大使館でビザが出なかったのです。入れることになっていたのです。だから、ここまで来たのに。ガーンと丸太で殴られた気分でした。もう目の前が真っ暗になりました。

金日成さんの銅像の前で

 「そんなはずはない」「おかしい」「何かの間違いだ!」と山中さんは北に電話し、日本の関係者にも電話してくれました。でもダメでした。直前のドタキャンです。よど号の人も電話してくれ、「全く申し訳ない」と言ってました。゛ても、彼らのせいではありません。「外国人は一切、入国出来ない」ということでした。「鈴木さんの個人的な問題ではない」と言ってました。あるいは、日本で伝えられてるように、政治的な理由かもしれません。
 でも、山中さんにはビザが出ました。山中さんは「よど号」家族の帰国に長い間、携わり、日本の国家が出来ないことをやっているのです。だから、特別です。「例外中の例外」として、1人だけ入国出来たのです。
 10月3日(金)の10時35分に成田を発ち、北京には13時25分に着きました。それからすぐに、北朝鮮大使館に向かい、〈衝撃の事実〉を知らされたのです。
 何かの間違いだろう。事務的なミスだろうと初めは思いました。だって、初めからビザが下りないなら、東京で分かるはずですし、北京まで来ません。初めは大丈夫だったのです。「何か」があったのです。私のせいかもしれません。北の国内事情かもしれません。あるいは、4月に訪朝した時とは、ルートが別だったからかもしれません。ともかく行けませんでした。いろいろ、手段を考えました。でも全くダメでした。

 じゃ、どうする。悩みました。このまま北京から帰るか。いや、山中さんに頼んで、カメラとビデオだけでも撮ってもらおう、と思いました。それで使い方を説明しました。でも、ここで大問題です。ビデオは北京に来る3日前に、新宿のヨドバシカメラで買いました。私もよく使い方が分かりません。山中さんは私以上に機械オンチです。「分からない人」が、「さらに分からない人」に操作を教えるのです。不安です。まァ、ダメで元々と思い、頼みました。「一応、説明書も渡しました。「俺は出来ないけど、よど号の人なら出来るだろう」と山中さんは言ってました。そして、その通りになりました。帰国して、見て、ビックリしました。鮮明に写ってました。貴重な資料です。歴史的な資料です。

④ついでに「万里の長城」にも登ったぞ!

万里の長城で(10/6)

 10月3日(金)は、中国で「何とか手がないか」と2人で夜を徹して相談し、電話をかけまくりました。「こんな手はどうか」という危ない手段も、考えましたが、やめました。ビザがなければ、どうにもならないのです。翌、10月4日(土)、11時55分北京発の飛行機で山中さんだけかピョンヤンに向けて飛び立ちました。私もホテルをチェックアウトして、荷物を持って、飛行場に行きました。前夜、電話をかけまくり、それで「もしや」と思ったのです。しかし、その期待も空しく裏切られました。私だけ、トボトボと北京市内に戻りました。
 しかし、北京の王府井(ワンフーチン)にあるホテルも驚いたでしょうね。4日(土)の朝にチェックアウトした日本人が、その2時間後には再び戻り、再びチェックインしたのですから。まるでアホですね。そして、4日(土)、5日(日)、6日(月)と三泊したのです。3日(金)も泊まってますから、計、4泊ですね。このホテルで。
 どうせダメなら、帰国してもよかったんですよね。でも、「もしかしたら」という期待がまだありました。それで、北京のホテルで待つことにしたのです。又、カメラとビデオを山中さんに預けてあるし、7日(火)には成田に迎えに行かなくてはならない。又、チケットも往復だから安くなっている。そんなこんなで、考えて、北京に留まることにしました。
 北京にいる新聞社やテレビ局の人には大変お世話になりました。案内してもらったり、食事をごちそうになったりと、お世話をかけました。そして、あとは1人で、見て回りました。この機会だから、北京を歩き回りました。天安門に行ったり、故宮に行ったり、デパートを見たり、書店を見たり。それに、せっかくだから、北京動物園にパンダを見に行きました。又、思い切って、万里の長城にも行きました。明の十三陵にも行きました。思ってもいない空前のバカンスでした。
 北京へは、去年の8月に来たし、今年の4月に北朝鮮に行く時に寄りました。それに、25年前には、一度来てるんですね。2週間ほど。その時は、万里の長城も行ってますし、北京動物園にも行きました。でも、大きく変わっていました。その変貌ぶりも驚きでした。あの時は、高速道路もなかったので、北京から長城のあるところまではバスで3時間半でした。だから、行くだけで1日かかります。又、登るのも大変でした。長い長い階段です。急斜面です。45度位あるんじゃないの、と思いました。
 でも、今はロープウェイが出来て、頂上のすぐ手前まで行けます。だから、昔は行けなかったのに、今回は頂上まで行けました。「うわーい!長城の頂上に登った!」と叫んでしまいました。
 でも、こんなことをしていていいのかな、と思いました。国家的なミッションがあったのに。今頃は、北朝鮮で、「よど号」の人達と話し合ってたはずなのに…。そう思うと、悔しさで胸が一杯になりました。「ここまで来て、それはないだろう」と何度も何度も思いました。小西さん、若林さん達と電話で話しました。「申しわけありません」と何度も言ってました。あきらめずに、私も又、挑戦します。

万里の長城で(10/6)

 10月7日(火)北京空港にピョンヤンから帰る山中さんを迎えに行きました。話を聞こうとマスコミの3社も一緒です。9時55分に着き、合流しました。「これ、アリラン祭のポスター」と山中さんにもらいました。あーあ、見たかったのにな。世界一のマスゲームを。「これは小西さんからの手紙」と、受け取りました。小西さん達にもご迷惑をかけ、心配をかけました。申しわけありませんでした。やはり、私のせいでしょう。すみません。山中さんは向こうでよど号のメンバー、家族の「帰国」問題について毎日、話し合い、仕事してきたというのに…。私は北京で、長城に登り、パンダと会話してただけです。又、街をうろついて、肯徳基(ケンタッキーフライドチキン)や麦当労(マクドナルド)を食べ歩いていただけです。すみませんでした。日本に帰ったら、「何だ、行けなかったのか!」「嘘つき!」なんて言って、馬鹿にされるんだろうな。イジメられるんだろうな。そう考えると又、悔しいし、愕然としました。
 全く、北朝鮮は、何が起こるか分かりません。ハラハラ、ドキドキの旅でした。「よど号」への道程は遠かった。さて、これからどうなるのでしょうか、私は。オワリ。

【だいありー】
明の十三陵で(10/6)
  1. 10月3日(金)朝6時51分、新宿発の成田エクスプレスで成田へ。8時10分成田着。10時35分、成田発、全日空905便で北京へ。13時25分、北京着。そのあとすぐに、北朝鮮の大使館に。ところが何と、私にだけビザが下りない。突然の、想定外の事態に、パニック状態だった。
     夜、マスコミの人達と食事。火鍋。でも、ガックリきてて、多分私の顔面は蒼白だったろう。生きた気がしなかった。山中さんは必死に、北や日本に連絡をとってくれた。申しわけない。夜も眠れなかった。
  2. 10月4日(土)11時55分、北京発の飛行機で山中さんはピョンヤンへ。ギリギリまで希望を託したが私はダメ。切符はあるので、行けるかとも思った。カウンターに荷物を出したら、行けそうな雰囲気。しかし、ギリギリで、やはり、「ビザがないからダメ」。あわてて、預けた荷物を取り戻した。
     でも、もし万一、これで乗れたらどうなったろう。「その時は、ビョンヤンで粘り強く交渉して入国させる」と山中さんは言う。しかし、ダメだろう。すぐ送り返される。でも飛行機はないから3日間、ターミナルで泊められるか。そんな映画があったな。トム・ハンクスの「ターミナル」だったかな。
     でも、それも、「よくて、そうなる」ということだ。下手をしたら不法入国だと、監禁されるかもしれない。そうしたら、「よど号」グループにも迷惑がかかるし、二度と行けなくなる。やはり、行けなくてよかった。次の機会に期待しよう。
     山中さんを見送って、又、ホテルに戻り、再びチェックイン。王府井の食堂で昼食。メニューを見ても分からん。マーボードウフだけが分かったので、それを食べる。やたら辛い。ギャーと叫んで、「水、水くれ!」と言ったが通じない。「ウォーター!」「?」。「ミズ!」「?」。
     仕方ないので、「水」と紙に書いて渡した。「OK」と言って、グラスを持ってきた。飲んだら、ゲッ、アッツー、お湯だよ。まいったな。「冷水」といわにゃ、いけんのか。
     それから歩いて天安門へ。このホテルから歩いて20分位だ。いい運動になる。国慶節で、もの凄い人が出てる。子供が中国の旗を持って写真を撮ってるので、取り上げて私も中国国旗を持って写真を撮った。「売国奴め!」と日本の右翼に糾弾されるだろうな。と思うと嬉しい。一人だと、見知らぬ人にシャッターを押してもらわにゃならんから大変だ。中国の人は皆、デジカメを持ってる。私のように、使い捨てのカメラを持ってる人はいない。「なにこれ?」「どうやって撮んの?」といった顔をしている。
     天安門はだだっ広い。歩き回るだけで疲れる。王府井まで歩き、デパートやいろんな店を見て回る。マクドナルドで、本を読む。アンドレ・ジイドの『ソヴィエト旅行記』(岩波文庫)を読む。いろいろと考えさせられた。昔から読みたいと思っていたが、最近、復刊で出たのだ。
     他に、中国で読んだ本、飛行機で読んだ本は、8冊だ。大室幹雄『志賀重昴「日本風景論」精読』(岩波現代文庫)。『孫子』(岩波文庫)。入江隆則『告白』(洋泉社)。荒岱介『監獄ロック。ロウソクの焔を見よ』(彩流社)。
     それと、再読だが、高沢晧司の『宿命』(新潮文庫)。あと、気分転換にと思い、持ってきたシドニー・シェルダンの『異常気象売ります』(上・下。アカデミー出版)。それと、マンガだから「読書のノルマ」には入らないが、手塚治虫の『ネオ・ファウスト』(ちくま文庫)。
天安門広場で中国の旗を振る
  1. 10月5日(日)夜、ずっと本を読んでた。昼、マックでハンバーガーを食べながら、本を読む。午後、タクシーで北京動物園へ。タクシーは20元。動物園の入場料は20元。350円位だ。安い。そうそう、本屋で、日本やアメリカについての本を6冊買った。大きな本だが1冊が18元。315円位だ。安い。でも、ホテルでミネラルウォーター(大)を買ったら40元。ゲッ、水の方が高いのかよ。それを現地の新聞社の人に言ったら、「ホテルの水は高いから、コンビニで買ったらいいですよ」と言われた。北京は何でもある。プランドの店も全てある。ビルもお洒落だ。
     北京動物園で、パンダ館に行ったら、そこだけ別料金。プラス5元だ。パンダが一杯いた。でも、汚れてる。「黒と白」じゃない。「黒と灰(それも黒に近い)」。いくら洗っても、すぐ泥遊びをして汚れてしまうんです、と動物園の人は言ってた。中国語だから、よく分からんが、そんな感じのことを言ってた。動物園を出てから、デパート、本屋などを見て回った。
  2. 10月6日(月)朝8時半から万里の長城に行く。それと、明の十三陵。現地の新聞社の人に紹介してもらった。1人しかいなかったので、900元。これは安い。とても親切に案内してくれた。午前中は明の十三陵。「打倒!」と書かれた落書きが。文化大革命の時、紅衛兵が書いたらしい。いかんよな。「目黒中学…」という名前も。これも文革か。いや日本人だ。これもいかんよな。
     昼は、レストランで中国の家庭料理。午後から万里の長城。いやー、感動しましたね。よかった。よかった。よく、これだけのものを作れたと思う。中国人は偉大ですよ。感服しました。
     よく歩いたな。この日も。10万歩位、歩いたよ。10日間の「歩くノルマ」は果たした。
天安門広場。はるか後ろに毛沢東さんの肖像画が見える
  1. 10月7日(火)8時半、チェックアウト。北京空港に行く。ピョンヤンから帰った山中さんを迎える。それから、向こうの状況を聞く。マスコミの人達と。そして、14時45分、北京発の全日空906号で成田に。19時15分、成田着。飛行機は空いていたし、快適だった。本ばかり読んでた。
     成田には新聞社の人が2人迎えにきていた。2台の車に分乗する。でも、僕の車の記者は「北朝鮮」の話は聞けない。高田馬場で合流して、山中さんから北朝鮮報告を聞く。そこに、高木尋士氏達に来てもらい、ビデオを操作して再生。凄い。きれいに写ってる。驚いた。小西さん達が喋っている。ボートをこいでいる。アリラン祭に行っている。山中さんの隣りの席が空いている。私が予約した席なんだ。悔しい。それから家に帰る。
  2. 10月8日(水)ビデオを頼まれたテレビ局、写真を頼まれた週刊誌などと連絡をとる。いない間に、たまってた仕事をする。忙しい。
  3. 10月9日(木)午前10時、テレビ局との打ち合わせ。12時、週刊誌の取材。午後3時から河合塾コスモ。現代文要約。「えっ、北朝鮮に行けなかったの?」と皆に、言われる。「だったら、10月5日(日)のコスモの会議に出ればよかったのに…」と言われた。すみませんでした。その頃はパンダと遊んでました。5時から「基礎教養ゼミ」。この日は、牧野剛先生が選んだ本で、植木哲也『学問の暴力』(春風社)。凄い本だった。終わって、生徒達と食事会。
  4. 10月10日(金)朝、新幹線で大阪に。4時から大阪朝日放送の「ムーブ!」に出る。はじめは、「鈴木邦男の北朝鮮レポート」だったが、「行けなかったレポート」になった。でも、山中さんが撮ってくれたビデオを紹介しながら、「よど号」の話や、北朝鮮の現状について話をした。若一光司さん、吉永みちこさん、有馬晴海さんと一緒だった。3人とも、かなり前に会っている。懐かしかった。夜、帰京。
     この日は、「浅沼稲次郎追悼集会」だった。聞きに行きたかったけど残念だ。関口和広君が私の代わりに行ってくれるそうだ。写真とレポートも載せてくれるでしょう。
  5. 10月11日(土)午前中、取材。たまってた仕事が進まない。あせりまくる。夜のニュースを見て驚いた。三浦和義さんが自殺したという。あんなに強い人が…。信じられない。
  6. 10月12日(日)1時から杉並区立産業商工会館。「憲法ひろば・杉並」一周年記念集会。「映画『靖国』から見えるもの」。上映とシンポジウム。私は4時からのシンポジウムに出る。伊藤塾塾長の伊藤真さん(法学館館長)との対談です。コーディネーターは古山葉子さんです。映画「靖国」のこと、表現の自由、改憲問題、裁判員制度などについて活発に話し合いました。満員でした。
【お知らせ】
パンダを見に行った
  1. 10月15日(水)午後7時、高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。何と、堀辺正史先生が講師です。堀辺先生は日本武道伝骨法創始師範です。武士道の本を沢山書いております。小林よしのりさんとも武士道の対談を『わしズム』でやっており、単行本にもなってます。『武士ズム』(小学館・1300円)です。なかなか直にお話は聞けません。今回は凄いチャンスだと思います。ぜひいらして下さい。
  2. 10月18日(土)10:30a.m.〜6:15p.m.品川のきゅりあん。「輝け9条!世界へ未来へフェスティバル2008」。
  3. 10月21日(火)午後6時、四谷区民ホールで、野村秋介追悼15年・群青忌。追悼講演は小林節先生(慶応大学教授)です。会場整理費3000円(記念DVD進呈)。
  4. 10月26日(日)午後12時〜2時。早稲田大学7号館206教室。シンポジウム「いま、憲法を考える」に出席します。正清太一氏と私の対談。コーディネーターは和佐隆弘氏。「よき社会の会」主催です。
     今まで早大での講演会は何度も妨害されて、実現できませんでしたが、今回、いよいよ、シンポジウムに出席です。
  5. 10月28日(火)明治学院大学で講演。明治学院大学国際学付属研究所では、「政治思想の現在」と題した公開セミナーを10月7日から12月16日まで全9回、開く。横浜校舎9号館だ。この日は午後4時45分から、私が講演をする。「戦後日本と右翼」。
  6. 10月30日(木)新宿ロフトプラスワンで月刊「創」トークライブ。「言論の格闘技」が行われます。
    第1部(19時〜20時40分)は、田代まさしさんと吉田豪さんで、格闘技愛好家同士が熱く語り合う!
    第2部は(21時〜22時半)は、あの過激映画監督・渡辺文樹氏と私です。「天皇タブーと映画『天皇伝説』上映中止」。「週刊新潮」で取り上げられ、その直後に、上映中止。そして監督は逮捕された。映画「靖国」以上の騒ぎになっている。さて、バトルトークはどうなるのか。
  7. 10月31日(金)午後7時より、「週刊金曜日」トークイベント「どうする、どうなる日本」。阿佐ケ谷ロフトで。
     第1部は、白川勝彦、平野貞夫、筆坂秀世の各氏。
     第2部は、松本哉、宮崎学、石坂啓の各氏と私です。
  8. 11月9日(日)大阪に行きます。北朝鮮、よど号問題を考える集会に出ます。
  9. 11月15日(土)関東の大学で講演会です。
  10. 11月16日(日)7時から阿佐ケ谷ロフト。映画「闇の子供たち」の監督・阪本順治さん、塩見孝也さん、そして私のトークです。
  11. 11月24日(月)野分祭。午後2時より、花園神社二階会議室。第一部・追悼祭。第二部・記念講演。講師は富岡幸一郎先生(関東学院大学教授)で、『三島・森田の精神と日本人の覚醒』。会場整理費、2千円。
  12. 12月6日(土)、7日(日)阿佐ケ谷ロフトで劇団再生の演劇「スーザンナ・マルガレータ・ブラント」が上演されます。その前に、7時半より高木尋士氏と私のトークがあります。
  13. 1月26日(月)阿佐ケ谷ロフト。帝銀事件についてのトークです。私も出ます。