2008/11/10 鈴木邦男

5回目の北京です

①北京で「そのニュース」を見た!

北京オリンピック・メイン競技場(鳥の巣)で、木村三浩氏と(11/2)

 やはり、そうだったのか。韓国のテレビを見ながらそう思った。北朝鮮の金正日総書記の元気な姿が映し出されていた。10月にサッカー観戦をしたときの写真が何枚も何枚も紹介され、動画も紹介されていた。病気に倒れたというのは事実にしても、回復した。政務を執る上では何ら支障はない。そんな状況だ。

 韓国のテレビは、さらに詳しく金総書記の〈病状〉について解説していた。日本のテレビとは全く違う。情報量が違う。報道の詳しさ、内容の質も違う。驚いた。でも、このテレビを韓国で見たわけではない。実は北京で見たのだ。11月2日(日)の夜、北京の朝鮮料理店で食事をしてる時に、見た。
 日本で流されていた「金総書記重病説」「危篤説」には、私は初めから懐疑的だった。中には、「替え玉説」を言う人もいるが、これも、ありえないと思った。又、日本の新聞では、「危篤説」の他に、「一両日に重大発表がある」というニュースも流れた。北が重大発表をする、というのだ。「政権交代」か「北朝鮮崩壊か」と思っていた日本の国民もいたようだ。でも私は、「これもガセネタだ」と思っていた。
 だって、そんな〈重大事態〉ならば、この時期、党の幹部が北朝鮮を離れるわけはない。離れられない。ましてや、北京に来て、こうして僕らと会っていられる訳はない。そうなんだ。北朝鮮の党幹部と私らは北京で会談していたのだ。「私たち」というのは一水会の木村三浩代表と私の2人だ。昼からずっと話し合い、夜、食事してる時に、このテレビを見たのだ。

このジャージャー麺屋の中に林彪の写真があった

 今年の4月末に訪朝し、5日間党幹部とじっくり話し合ってきたが、今回はその続きだ。今度は北京で会った。その話が出た時から、「北朝鮮は大丈夫なんだな」と思った。「危篤説」や「政変説」は嘘だと確信した。
 今回は話が急に決まり、あわただしい旅だった。11月1日(土)の夕方、成田を発って北京へ。2日(日)は、一日中、会議。そして3日(月)は午後2時北京発のJALで帰国した。しかし、去年の夏から一年間で4回も北京に来た。それに25年前にも来てるから、5回目の北京だ。さて、北朝鮮の話だ。
 日本の外交も下手だが、北朝鮮の外交も下手だと思った。それは直接、党幹部の人にも言った。かなり厳しい事も言った。「でも我々の言ってることは一貫してるし、少なくとも嘘はない。二枚舌はない」と言った。それは理解してもらえたと思う。人間の交渉や信義に於いて、これが一番大切だと思う。
 というのは、二枚舌の政治家やマスコミが多すぎるからだ。たとえば、北朝鮮に来て、友好的な挨拶をする。オベンチャラを言う。でも日本に帰ると、手のひらを返したように、「北を徹底的に糾弾した。向こうはグーの音も出なかった」といった話をする。選挙民向けに大見得を切る。又、何かの席でちょっと会い、立ち話をする。そうすると日本に帰って来て、「断固として抗議した。向こうは反省していた」…などと、ぶち上げる。「みんな嘘つきだ」と言う。又、「我が国を小国と侮って、約束は次々と破る。そして、“約束を破ったのは共和国(=北朝鮮)だ!”と言う。こちらは総書記が拉致を認め、謝罪し、あらゆる情報を出してるのに、“共和国は何もやってない”と言う」

このジャージャー麺屋の中に林彪の写真があった

 そういう不満があるのだ。だから日本に対し根本的な不信感がある。「二枚舌」でない政治家やマスコミ、右翼もいる。そのことを説明した。不信と不信、憎悪と憎悪のぶつかり合いでは何も解決しない。

 大国アメリカを相手にして北朝鮮は外交的に完全勝利した。凄い国だと思う。テロ支援国家の指定を解除させた。「テロリスト=よど号犯」を日本に送り返すのが「条件」だと言われていたが、その「条件」などまるで忘れたかのように、指定を解除した。そこまでやったのだ。凄い国だ。もしかしたら、「よど号追放」が「条件」だというのは、日本だけの思い込みだったのかもしれない。「拉致」や「よど号」について日本側がアメリカに強く要請し、アメリカも、「わかった、わかった」と聞いていた。それだけだったのかもしれない。それなのに、アメリカは絶対に大丈夫だ、と日本は勝手に思った。勝手にアメリカを「信頼」した。

②アメリカに勝利した自信があるのだ

明治学院大学で原武史さんとトーク(10/28)

 アメリカにしたら、日本のことを考えてはいる。しかし、ギリギリの段階で、アメリカの〈国益〉を考える。そして、テロ支援国家の指定を解除した。「アメリカに裏切られた」と日本は思った。でも、「拉致」の問題にしろ、「よど号」の問題にしろ、日本の問題だ。アメリカになど頼らず、日本がまず、やらなければならない。「圧力と対話」だというのなら、両方使ってやったらいい。しかし、〈対話〉は見えてこない。北朝鮮を「対話の舞台」に上げるための圧力だろうに。
 そして、〈対話〉をしようという人間は、徹底的に批判する。では何十年、何百年も圧力をかけ、経済封鎖をしていればいいのか。「北朝鮮が崩壊するまでだ」と言う人もいる。しかし、国家が崩壊する時は、まず弱い人間から倒れる。拉致被害者や国民だ。その人たちを犠牲にして、北朝鮮国家の崩壊を願うのか。
 「拉致は北朝鮮の国家犯罪だ。だから責任者の金正日を逮捕しろ」と威勢のいい事を言う人もいる。「自衛隊を上陸させて拉致被害者を取り戻せ」「戦争に訴えても拉致被害者を救え」…と。まことに勇ましい。しかし、出来るわけはない。「交渉」の糸口を探そうとしないで、〈強硬論〉〈極論〉だけを言っているのでは、何もしないのと同じだ。又、実際、口だけで何もしていない。
 たとえどんなに不愉快でも、北朝鮮は主権国家だ。他国が、その国のトップを逮捕できない。もし、出来るのならば、イラクに難癖をつけて侵略し、大量虐殺戦争をやった犯罪人・ブッシュは、まず第一に逮捕されなければならない。しかし、出来ない。

明治学院大学で原武史さんとトーク(10/28)

 そして、イラクに戦争を仕掛けたアメリカは今、その〈失敗〉を身にしみて感じている。だから、同じ手は北朝鮮には使えない。それを見越して、北朝鮮もアメリカと互角に外交交渉し、核やテロ支援国家をめぐっては逆転勝利した。
 それほどの外交上手の国なのに、どうして日本に対しては、こんなに外交下手なのか。話し合いに応じると思ったら、拒否する。拉致問題も「再調査」すると言ったり、その直後には、フリ出しに戻ったり。これでは日本国民が怒るのも当然だ。日本国民を怒らせる天才だよ。
 アメリカ相手に外交で勝利した、という〈自信〉があるのかもしれない。「アメリカに対しては一歩も譲歩してない。でも理解してもらえた」という。
 では日本に対してはどうか。「日本に対しては、譲歩に譲歩を重ねた。もう譲歩する余地はない。それなのに日本は常に約束を破り、不当な要求ばかりをする」と言う。「死んだ人間を生き返らせて返せというのか」。そんな不信がある。又、「拉致被害者はまだいる」と、どんどん追加して発表する。「日本で行方不明になった人間は全部、わが国の責任か」と言う。その中には拉致とは全く関係のない者もいる。日本で日本人同士の犯罪で殺されたことが判明した例もある。
 北朝鮮の不信・不満も分かるが、だからといって、「じゃ交渉は打ち切る」「調査再開などはない」と冷たく突き放しては、又もや日本国民の怒りを煽るだけだ。売り言葉に買い言葉。そっちがその気なら、こっちも。…といった反撥だけでは、何も生まれない。アメリカに対しては、あれだけ粘り強く、執拗に、そして全力で交渉し、外交勝利した国じゃないか。日本に対してもやるべきだ。「金総書記は拉致を認め、謝罪し、全てを明らかにした」。「それでも分からないのか」という思いがある。でも、ここで「やめた」と言ったら金総書記のせっかくの謝罪をも無にしてしまう。これを生かす為にも、さらに思い切った方法を取るべきだ。

明治学院大学で原武史さんとトーク(10/28)

 「これでも不十分だ。不満だというなら、日本の警察、マスコミも来て捜査してくれ。我々も全てをオープンにして、全面的に捜査協力する。何年かかっても、徹底的にやろう」と言ったらいい。家族会の人も全員、北に呼んで直に謝罪し、説明したらいい。ヘジョンさんもおじいさん、おばあさんに会いたいだろう。日本に帰したらいい。骨の鑑定も信用できる外国の機関に頼み、徹底的にやったらいい。生きてる人は取り戻す。死んだという人は、本当かどうか徹底的に調べる。
 …それをやったら、すぐには分からなくても、日本国民は必ず納得する。そこまでやったら、日本の国民世論は変わる。そう強く提言した。アメリカ相手に、あれだけのことをやった国だ。出来ないはずはない。それとも、アメリカとは「交渉の信義」があるが、日本には信義がないと思っているのか。これは困ったことだ。
 「我々は譲歩に譲歩を重ねている。しかし、日本は約束を破り、裏切り続けている。だったら、しばらく冷却期間をおくしかないじゃないか」とも言っていた。「そんな。短慮を起こしちゃマズイですよ」とこっちも必死で説得をした。

③両国とも外交が下手だ!
激闘の第2部が始まる前。(左より)吉田豪さん、鈴木、田代まさしさん、渡辺文樹さん(10/30)

 それにしても、日本も下手だ。外交下手というより、外交がない。「強硬な声」だけがまかり通る。交渉はしない。相手がギブアップするのを待つ。戦国時代の戦法だ。水攻め、兵糧攻めだ。それで孤立し、干上がるのを待っている。それしかない。そして待ち、祈る、願う。
 他力本願だ。でも、あの国は音を上げない。むしろ、日本の方が孤立する。それを知らないで、「北朝鮮の崩壊」をただ待っている。何かあると、「ほら、崩壊が始まった」と大騒ぎする。「重大発表があるらしい」「金総書記は再起不能だ」…と。又、日本のマスコミも北朝鮮の「悪い面だけ」を報道する。

 北朝鮮は貧しい。脱北者もいる。しかし、それでも毅然として、生きている人々は多い。貧しくとも、背筋を伸ばし、たくましく生きている。しかし、そんな姿は報道しない。「犯罪国家の中で奴隷のように働かされている」「脱北者が続出している」「餓死している人が多い」…と。そんなニュースばかりを、これでもか、これでもかと流す。
 「なぜこんな独裁国家で黙っているのか!」「なぜ反乱を起こさないのだ!」と北朝鮮の国民を煽っているようだ。北朝鮮に生きている人は、「人間の尊厳を失い、諦めた人だ」とでも言うように。じゃ、戦前の日本や戦争中の日本を考えてみたらいい。軍国主義の日本で、ただ、諦め、奴隷になった人々ばかりか。そんなことはないだろう。北朝鮮だって同じだ。戦時下でありながら、経済制裁に遭いながら、貧しくても毅然として生きている人々がいる。

激闘、騒乱のロフトプラスワン(10/30)

 あるマスコミ人が言っていた。「そうした人々が多いことは知っています。でも、そういう映像を流すと、独裁国家を称賛した!とクレームが来る。それが恐くて流せない」と言っていた。貧しいのは事実だ。それに負けずに生活している人々がいるのも事実だ。しかし、その事実をそのまま流せない。あくまで、「餓死者続出」「脱出者続出」の北朝鮮。「崩壊直前の北朝鮮」といった映像しか流せないという。

 つまり、「こうなってほしい」と思う、その思い・願いに合致した映像だけを流す。そして、満足する。そして、「北朝鮮の崩壊は近い」と思う。それで満足する。「交渉など、とんでもない。ただ、じっと崩壊を待てばよい」ということだ。でも、「打たれ強い」北朝鮮はギブアップしない。逆に、超大国アメリカを屈服させた。屈服させただけでなく、理解し、協力もさせている。米朝国交だって、実現するだろう。米中国交の時と同じだ。日本の頭越しに、突然、米中は国交を樹立した。日本は驚き、慌て、その後から、渋々、ついて行った。それと同じことになる。今は一大転機の時だ。大きく変わる必要がある。日本も北朝鮮も。テレビを見ながらそう思った。

【だいありー】
激闘、騒乱のロフトプラスワン(10/30)
  1. 11月1日(土)新宿発2時40分の成田エクスプレス33号に乗る。3時55分、空港第2ビル着。6時10分成田発JL789便で北京へ。10時20分、北京着。北京時間では9時20分。出迎えを受け、市内のホテルへ。打ち合わせ。飛行機の中で、宮台真司さんらの対談『教育をめぐる虚構と真実』(春秋社)を読む。「知識と教養の違い」「愛国心教育」などについては教えられた。
  2. 11月2日(日)昼食は市内のジャージャー麺屋さん。市内では有名で、いつも満員だ。でも、外国人は来ない。庶民的だが、うまい。店の中には周恩来など中国の指導者の写真が掛けられている。でも、林彪の写真もある。エッ?と思った。林彪は、クーデターを起こそうとした、とか、毛沢東を暗殺しようとしたといわれている。それが発覚して飛行機に乗って中国を脱出しようとした時、飛行機事故で死んだ。「中国人民にとって裏切り者、売国奴ではないのか?」と聞いた。ところが。「確かに最後はそうかもしれません。しかし、中国革命のために闘い、新生中国建設のために尽力したことも事実です」。エッと思った。そこまで、考えて評価するのは凄い。他の国ではないよ。どんなに国の為に働いても、終わり悪ければ全て悪であり、全否定する。又、同じ共産党でも、日本なんて絶対にありえない。徳田球一、野坂参三など、あれだけ党の為に命をかけて闘った人も、終わり悪ければ、全否定だ。そんな人は日本の共産党の歴史に「いなかった」ことにされる。残酷だ。北京の本屋に行ったら、蒋介石の本も随分と並んでいた。好意的に紹介している。これも同じ〈歴史観〉なのか。
     中国と台湾の交流も、驚くほど広く深く行われている。今、北京には世界中の観光客が来る。オリンピックの時だけでなく、今だって天安門広場、オリンピック競技場、万里の長城、明の十三陵…と外国からの観光客が多い。アメリカ、ヨーロッパの人も多いが、韓国、日本人が圧倒的に多い。「台湾も多いんじゃないですか?」と聞いたら、「台湾は国内旅行ですから」と即座に言われた。あっ、そういう意識なのかと思った。「このまま交渉していったら、あれっ、いつの間にか一緒になってたよ。となりますよ」と中国の人が言っていた。香港のようになると、その人は自信を持って言っていた。
     林彪の写真のあるジャージャー麺屋で昼食を食べ、それから会議。会議の場所に行くまでは、少し回り道をし、オリンピックの競技場を案内してくれる。メイン競技場の「鳥の巣」、水泳競技場、メディアセンター、選手村などを見た。見学客が多かった。そして会議。北朝鮮の党幹部の人と、7時間ほど、ぶっ通しで話し合う。終わって、朝鮮料理屋で食事。そこでテレビを見ていたら、韓国のテレビが映っていて、「金総書記がサッカー観戦」のニュースをやっていた。
     会議が終わり、ホテルに帰る途中、中国マッサージの店に寄る。木村氏がすすめるので、寄る。「僕は調子の悪い時は、骨法整体で治してもらってるから大丈夫ですよ、と言ったが、「ものは試しですから」とすすめられた。体はスーッとしたが、かなり力を入れるので、体が痛い。
(左から)鈴木、佐高信さん、宮崎学さん(10/31阿佐ケ谷ロフト)
  1. 11月3日(月)北京発10時15分のJL684便で出発。18時35分、成田着。それから、成田エクスプレスで新宿へ。奥泉光の『バナールな現象』(集英社)を飛行機の中で読んでいた。面白かった。途中まで読んだ所で新宿。続きが気になって仕方がない。だから、途中のドーナツ屋に入って、2時間読書し、読破した。中国旅行中には、他に、中野剛志の『経済はナショナリズムで動く』(PHP)を読んだ。面白かったし、全く知らなかった視点を教えられた。又、小田実の『何でも見てやろう』(講談社文庫)を再読した。「解説」を書いていた井出孫六が、小田を吉田松陰にたとえていた。松陰は黒船に乗ろうとして失敗したが、成功していたら、同じような感想を持ったのではないか、と。
     陽羅義光の『吉永小百合論』(かりばね書房)は単なる女優論ではない。日本文化論、思想論にもなっている。私の『愛国の昭和』も参考文献に入っていた。ありがたい。
  2. 11月4日(火)午前10時40分、ジャナ専の授業「時事問題」。三浦和義さんの「自殺」。北朝鮮問題について講義する。1時から取材。打ち合わせ。
  3. 11月5日(水)午後2時、議員会館へ。国会議員とのミーティング。4時、取材。6時、木村三浩氏らと打ち合わせ会。新宿のホテルで。
  4. 11月6日(木)朝、8時に家を出る。八王子医療刑務所へ。丸岡修さん(元日本赤軍)の面会。月刊「創」の篠田編集長、編集部員と3人。篠田さんに誘われたのだ。丸岡さんは無期で、宮城刑務所にいたが、心臓の容態が悪化し、急遽、八王子医療刑務所に移された。それで面会しようとしたら、「鈴木さんは宮城刑務所で面会したからOK.あとの2人は許可できない」と言う。篠田さんは怒って抗議。「もともと私が長い間、文通をしていた。鈴木さんは私が紹介したんです」。「そうです。私はダメでもいいから篠田さんを面会させて下さい」と言ったがダメだった。弁護士やら、いろいろ連絡したがダメ。結局、私1人が20分間、面会。丸岡さんは元気だった。「危険な峠は越えたから、落ち着いてます。でも、いつ危なくなるか分からない」と、ニトロを見せてくれた。常に持っているようだ。「これで病状が安定したら、又、宮城刑務所に戻るんですか?」「そうです」
     そうそう、面白い話を聞いた。丸岡さんは1981年に捕まったが、それまで、何度か日本に来ていた。潜入、潜行していた。ある時、街で元気のいい演説が聞こえた。左翼のあの独特の演説ではない。かなり分かりやすい、声もよく通る。誰かと思ったら、一水会だった。「聞きほれました。やはり、演説はこうでなくっちゃ」と。でも、近くに公安が一杯いたんで、「あっ、マズイ。潜行中だったんだ」と思って、急いで、その場を去った。「きっと一水会の木村氏でしょう。本人に伝えますよ。喜びますよ」と言った。
     面会が終わって、新宿へ。3時から。河合塾コスモ。「現代文要約」。5時から「基礎教養ゼミ」。今週は私の選んだ本で、三橋順子の『女装と日本人』(講談社現代新書)を皆で読み合い、話し合った。コスモの「漫画ゼミ」の先生に薦められたのだ。面白い本だった。
阿佐ケ谷ロフト(10/31)
  1. 11月7日(金)朝10時半、東京駅発。新大阪に。読売テレビに2時集合。3時から5時。「たかじんのそこまで言って委員会」の収録。大変ですよ、この番組は。ハラハラする。屋山太郎さん、崔洋一さんに久しぶりに会った。羽野晶紀さん(女優)に初めて会った。恵隆之介さん(元海上自衛隊士官)がゲスト。「ここまで言ってもいいのか」と思うほど、自衛隊の現状を暴露。 終わって辛坊さん、恵さんと3人で「インターネット放送」のために対談。
     「昔、私は大新聞社のエリート社員だったのですが、自衛隊の現状に憂えて防衛庁に抗議に行き、逮捕されたんです」と言った。「2人は自衛隊を憂えてクビになったんです。同志です」と言った。夜、筑紫哲也さん死亡のニュース。愕然とした。かけがえのない人を亡くした。悲しい。夜、帰京。
  2. 11月8日(土)昼、図書館。夜7時からゴールデン街劇場へ。「リソルジメントナイト。野村秋介自決十五年」。野村秋介さんの門下生の古澤俊一氏らがやっている。なかなか、よかった。歌、演奏、そして本多菊次朗の「独り芝居」。野村さんの闘いが再現された。迫力のある舞台だった。
  3. 11月9日(日)又、大阪に行く。午後2時から、天満橋の国労会館。北朝鮮、よど号問題を考える集会。10月に「よど号」グループと会ってきた山中さんが報告。北京まで行ったけど会えなかった私も報告。
【お知らせ】
  1. 11月10日(月)午後7時より一水会フォーラム高田馬場サンルートホテル。小林よしのりさん(漫画家)が来ます!「自称”右翼”が多すぎる〜我が言霊の総検証〜」について語ってくれます。早くいらして下さい。
  2. 11月15日(土)2時40分から4時10分。山梨学院大学で講演会します。
  3. 11月16日(日)13時から阿佐ケ谷ロフト。すみません。前に「午後7時から」と書きましたが、「午後1時から」の間違いでした。訂正します。

    〈阪本順治監督『闇の子供たち』
     タイ上映禁止をめぐって〉
    出演:阪本順治(監督)、梁石日(原作)、唐崎正臣(タイ撮影プロデューサー)、鈴木邦男、塩見孝也。
    主催:実行委員・深笛義也ほか。
  4. 11月24日(月)野分祭。午後2時より、花園神社二階会議室。第一部・追悼祭。第二部・記念講演。講師は富岡幸一郎先生(関東学院大学教授)で、『三島・森田の精神と日本人の覚醒』。会場整理費、2千円。
  5. 11月29日(土)映画「日本のいちばん長い日」上映とトーク。 14:00〜16:40 映画上映。16:50〜18:20 トークイベント。原作の半藤一利さんを囲んでの懇親会。翌30日(日)も時間は同じ。ゲストは中丸忠雄さん(出演。椎崎中佐役)。 場所は「ザ・グリソムギャング」。小田急読売ランド前。電話予約は、044(966)3479へ。10時〜9時(電話受付時間)
  6. 12月6日(土)、7日(日)阿佐ケ谷ロフトで劇団再生の演劇「スーザンナ・マルガレータ・ブラント」が上演されます。その前に、7時半より高木尋士氏と私のトークがあります。
  7. 12月10日(水)午後7時、一水会フォーラム高田馬場サンルートホテル。重村智計さん(早大教授)が講師で、北朝鮮問題についての講演です。
  8. 1月26日(月)阿佐ケ谷ロフト。帝銀事件についてのトークです。私も出ます。
  9. 『実話マッドマックス』(12月号)が、「追求ルポ・三浦和義元社長、疑惑の死」を特集しています。デーブ・スペクター、北芝健、高須基仁など多くの人が語ってます。私も語ってます。
  10. 月刊「創」(12月号)では、あの渡辺文樹監督の「天皇伝説」について詳しいレポートが載ってます。私の連載では「二度目の訪朝」を書いてます。
【写真説明】

①北京で、オリンピックのメイン競技場(鳥の巣)を見ました。又、食事に行ったジャージャー麺屋さんには林彪の写真が掛けてありました。

②10月28日(火)明治学院大学で原武史さん(教授)と話をしました。200人以上の学生が集まり、熱心に聴いてくれました。

③10月30日(水)ロフトプラスワンで映画「天皇伝説」の渡辺文樹監督とトークをしました。大変な騒ぎになりました。エキサイティングな集まりでした。私たちは第2部でしたが、第1部の田代まさしさん、吉田豪さんとも記念撮影をしました。(大騒ぎになる前に)。

④10月31日(金)阿佐ケ谷ロフトで佐高信さん、宮崎学さん、白川勝彦さんたちとトークをしました。この日は、なごやかな集まりでした。絶滅種の旧左翼が少し野次っていた位で。この種の老人たちは個体偏差が小さく、個体数も少ない。種として保護するべきだろうが、つい、「壇上に上がって暴れてみろよ!」と私も、(渡辺監督にならって)挑発してしまいました。