しかし、ビックリしたでしょうな。精子(せいし)を初めて見た人は。「何だ、この、ごにょごにょとうごめくものは!」と思ったでしょう。「これはきっと黴菌だ。俺は病気に違いない!」と思ったでしょうな。勿論、肉眼じゃ見えない。顕微鏡が発明されてからだから、そんなに古い話ではない。
精子(せいこ)ちゃんに50年ぶりに会って、そんなことを考えましたよ。今年の10月だ。中学校の同窓会だよ。精子ちゃん、房子ちゃん、満子ちゃんに会いました。今から考えると、エロイ名前です。というか、生産を促すような名前だ。「精子(せいし)」だし、「乳房」だし、「まん×」だ。「らんこ」ちゃんという人もいた。卵子と書いたのかな。いや、蘭子かな。
では、精子(せいし)の話だ。さぞや驚いたでしょう。「オタマジャクシが泳いでいるよ!」と叫んだんでしょうな。「これが全部、カエルになるのか?」とも思ったでしょうな。ゲッ、どうしたらいいんだ。俺は「カエル男になっちゃうよ!」と思ったでせう。
そういえば、漫画であったな。胸にカエルの絵が描かれたTシャツを着た子供がいる。「ど根性ガエル」だったかな。その、「絵のカエル」が実は生きていて、飛び出し、動き回るんだ。あのオタマジャクシが、大きくなってカエルになったんだよ。
それと、結婚したサラリーマンにも言える。家と会社の往復だけだ。毎日、「カエル」コールをしている。私も。携帯で…。あのオタマジャクシが大量にカエルになったのだ。この世の男は全員、カエルなのだ。私もカエルだ。顕微鏡でオタマジャクシを発見した、あの日から人類の運命は決まった。いや、男どもの運命は決まったのだ。
顕微鏡で、あんなものを見たのがいけなかったのだ。「ギャ! 何だ。この気持ちの悪いものは!」と驚いた。その人の恐怖はどれほどであっただろうか。同情する。それと同時に、もっと驚いたことがある。初めて精子を顕微鏡で見た人は、実はあのフェルメールの親友なのだ。それどころか、何と、フェルメールは自分の絵の中に「彼」を描いているのだ。
フェルメールといったら、あなた。今、日本で一番人気のある画家だ。12chの「美の巨人たち」のオープニングにも使われている。あの「真珠の耳飾りの少女」が。
他にも「牛乳を注ぐ女」「手紙を書く女」「天秤を持つ女」などの名画がある。今年だけでも何度も、「フェルメール展」が日本で開かれている。私は、
その全てを見た。
フェルメール(Jan Vermeer)はオランダの画家で、1632〜1675年。350年ほど前の人だ。日本で最も愛されている画家だ。それに残された作品は、たった37枚だ。(その中にも本人のものがどうかまだ分からない絵があって、フェルメールの作品は正確には「三十数点」と、どの本にも書かれている)。だから、じゃ美術館でその全てを見てみようと思う人も出る。『盗まれたフェルメール』の著者で、ニューヨーク在住のジャーナリスト・朽木ゆり子は『フェルメール。全点踏破の旅』(集英社新書。ヴィジュアル版)を書いている。37枚全てを実物で見ようと、世界中の美術館を見て回るのだ。その37枚の中に、実は、「精子を初めて見た男」の絵がある。それも、2枚も。「彼」は、アンソニー・ファン・レーウェンフックという科学者だ。「地理学者」「天物学者」と題をつけられた2枚だ。朽木ゆり子は、こう書いている。
〈女性が登場する絵のモデル探しに人気があるように、この絵のモデルが誰かということもフェルメール研究家やファンの関心事だ。地理学者と天文学者の外見に似た部分がある(全体の骨格、そして鼻の形)ことから、二つの絵のモデルは同一人物ではないかといわれる。モデルとして有力視されているのは、フェルメールと同じ年に生まれたアンソニー・ファン・レーウェンフック。顕微鏡を発明したことで科学史に名前を残した人物だ。
彼は、フェルメールが死んだ後、妻が自己破産申請をした際に、フェルメール家の管財人にもなった。そんな理由から、二人は昔から知り合いであり、またファン・レーウェンフックがフェルメールにカメラ・オブスクーラの存在を教えたのではないかともいわれ、このモデル説は盛り上がりを見せている〉
ただ朽木は、レーウェンフックが、「モデル」だとは断定していない。レーウェンフックがポーズをとったかもしれないが、フェルメールは、あくまでも「書斎の学者」という伝統的な主題に従って描いたものだ、という。じゃ、「モデル」じゃないか。と私は思うが、この絵はトローニーだろうと朽木は言う。彼自身を描いたというよりは、地理学者の「エッセンス」を描いたのではないかという。だったらなおのこと、レーウェンフックが「モデル」だと言っていいんじゃないか。しかし、朽木は慎重だ。そして、こう書く。
〈『真珠の耳飾りの少女』や他の絵同様、モデル説の真相は不明だ。しかし、それよりもっと重要なのは、この絵には知識への崇高な憧れが凝縮されていることだ。十七世紀は地理学的発見の時代でもあり、デルフトからあまり離れなかったフェルメールも時代の息吹に無関心ではなかったということがこの絵からわかる。女性を中心とした風俗画を描いただけでなく、フェルメールはデルフトやオランダを超えた世界に興味を持っており、また科学が果たす役割に対するある種の予感を抱いていたのだろう〉
フェルメールの描いた「地理学者」「天文学者」は、モデルがレーウェンフックといわれている。しかし、朽木は、それに否定的であり、「書斎の学者」という主題を書いたものであり、特定の人物をヒントにはしても、モデルではないという。その意味で、この絵はトローニーと呼ばれるものだろう、という。現に、レーウェンフックがフェルメールの前でモデルとしてポーズをとったかもしれないが、この人物を超えて、もっと広く「書斎の学者」を描こうとした、と言う。
朽木のこの本の中では、レーウェンフックについて、フェルメールの友人で、有名な科学者だとは書いてるが、「精子を発見した人」だとは書いてない。そんなことは蛇足だと思ったのか。あるいは、『真珠の耳飾りの少女』などの清純な絵と、精子を結びつけたくなかったのか。
念の為に、レーウェンフックを『辞林21』(三省堂)で調べてみた。精子のことは、ちゃんと書かれている。
〈レーウェンフック【Antony van Leeuenhoek】(1632〜1723)〉
あれっ、彼は、フェルメールと同じ年に生まれている。フェルメールは(1632〜1675)だ。フェルメールは43才まで生き、レーウェンフックは91才まで生きたのか。精子を発見したので長生きしたのか。では、「レーウェンフック」を続ける。
〈オランダの博物学者。商業のかたわらレンズの顕微鏡を製作し、筋肉の横紋や昆虫の複眼などを観察。また、細菌・原生動物や動物の精子などを発見〉
ほら、「動物の精子などを発見」と、はっきり書かれている。「精子の発見者」を2枚も、フェルメールは描いているのだ。「清純」といわれるフェルメールの絵の1割は、「精子」なのだ。だから、350年後の今まで残ったのかもしれない。そして、世界中で大人気だ。
フェルメールの絵は私も好きだし、日本で開かれたフェルメール展は全て見ている。又、本を通して37枚の全ての絵を見ているし、フェルメールに関する映画、 テレビ、本も随分と見ている。37枚(確実なのは30枚)のうち、2枚もレーウェンフック(と思われる人物)をモデルに書いている。そして私は、彼について調べた。 そしたら、彼は、何と、顕微鏡で、初めて精子を発見した人だった。
フェルメールから始まって、そういう道筋を通って、「精子」に行きついた。そう思うだろうが、実は違う。話は逆なんだ。精子の本を読んでいたら、いきなりフェルメールの名前が出てきて、ビックリしたのだ。そして、いろいろ調べてみたのだ。何で精子の本を読んでいたかと聞かれても困る。理由はない。単に、「読書ノルマ」のためだ。よし、「学研新書を全部読んでやろう」と思っただけだ。
中野図書館で、学研新書を10冊借りた。1度に10冊しか借りれない。それで、新書の棚の左から、10冊まとめて借りた。何があるか分からない。でも読もうと思った。大体だね、「好きな本」だけ読んでたら、人間は馬鹿になる。アマゾンに言われて、「この本を買った人は、こんな本も読んでます」と誘導されて同じ傾向の本ばかり読んでちゃ、知的関心の幅も広がらない。小さな世界で、小さな人々と話し合って満足してるだけだ。それじゃいかんだろう。だから、「乱読」ですよ。題名も著者も見ないで、「まとめ借り」をするんですよ。そこから新たな一歩が始まる。新たな発見がある。
さて、その「まとめ借り」をした10冊の中に、この本があったのだ。矢沢潔の『日本人の精子力』だ。精子力の落ちた人が読む本なのかな。私は、題名も見ないで借りたのでその辺のことは分からん。
この『日本人の精子力』を、ボーッとして読んでいた。32ページまで読んで、驚いた。「生き物のように動きまわる400年前の精子」という章だ。「精子力発見者を描いた2枚の名画」として、フェルメールの絵が紹介されている。そしてこう書かれている。
〈人間の精子をおそらく人類史上ではじめて(ないしはひとりの医学生と並んで)目撃したのは、織物商を本業としていたオランダ人、アントニー・ファン・レーウェンフックである。
彼の名はいまでは精子の発見者として歴史に刻まれているものの、一般社会に広く知られているわけではない。むしろ多くの人々が知っているオランダ人といえば、“光の魔術師”と呼ばれる風俗画家フェルメールであろう。この2人は同じ1632年に生まれただけでなく、親しい間柄でもあった。
フェルメールは40才のころには生活に困窮し、43才にして心臓麻痺でこの世を去ったこともあり、生涯に残した作品は多くない。しかし、その中に、精子にいくらか関係する興味深い2枚の絵画が含まれている。薄暗い部屋で窓から差し込むほのかな外光に浮かび上がる天球儀に手を差し延べる天物学者の絵と、地図を前にして考え込む地理学者の絵である。
この2枚の絵は同じ男、すなわちレーウェンフックをモデルにして描かれた。これらの絵のおかげで、後世の人々は17世紀の中世ヨーロッパに生きる生物学の先達の容貌と姿形を思い描くことができる〉
2枚の絵のモデルはレーウェンフックだと、矢沢は断定している。それに、「科学者」ではなく、「織物商人」と言っている。アレッ?と思った。でも、こっちの方が正確であり、説得力がある。後に「科学者」として知られるが、スタートはあくまでも織物商だった。20代で織物商人として自立した。オランダのデルフトで商人や下級官吏として平凡な人生を過ごしていた。その彼に転機が訪れたのは結婚だ。プロテスタント・カルビン派の牧師の教養豊かな娘と再婚した彼は、彼女の影響を受けて、30才を過ぎた頃から天文学や数学、航海術などを学び始めた。
そして、織物商という商売の中で織物の材質を見分けるために自分で顕微鏡をつくった。それが科学的発見への入口だった。それ以前にも顕微鏡らしいものはあったが、それを基に、研究開発した。豆類ほどの小さなガラス玉を磨いてレンズをつくり、2枚の金属板に小さな穴をあけてそのレンズをはめ込んだ。彼が生涯につくった数百もの顕微鏡のうち、もっとも高性能のものは倍率が275倍。分解能すなわち最小のものを見分ける能力は1000分の1ミリに達した。
彼はノミやシラミなどを顕微鏡で見る。さらに、土や泥の水たまりの中だけでなく、人間の口や消化器の中にさえ微小な生物が生息していることを発見し、顕微鏡的な世界へと引き寄せられた。
ここで、矢沢が、前に書いた文を思い出してほしい。「人間の精子をおそらく人類史上はじめて(ないしはひとりの医学生と並んで)目撃したのは、織物商を本業としていたオランダ人、アントニー・ファン・レーウェンフックである」
この括弧の部分だ。「医学生と並んで」と書かれている。そこで、この医学生が登場する。矢沢の本から見てみる。
ハムという名前のこの医学生がある日、レーウェンフックを訪ねてきた。
〈1677年。レーウェンフックのもとを訪れたハムは、不潔な女性と寝たために淋病にかかっていた患者が「自然に放出した精液」を調べたところ、その中に奇妙な微小動物を見つけたと告げた。それもおそらくは100万個もの数だという。ハムの考えではこの微小動物は淋病と関係があり、正常な精液には存在しないものに違いないというのであった〉
驚いたでしょうね。精液の中に、うじゃうじゃと微小動物がいたんだから。それに淋病患者の精液だ。これじゃ、誰が見ても、これが「黴菌」であり、「淋病菌」だと思う。話を聞いてレーウェンフックは、どうしたか。彼は偉かった。すぐには医学生の「推理」を信じない。実験し観察しようと思う。さすが科学者だ。又、フェルメールが見込んだだけのことはある。
レーウェンフックは、まず自分の精液を採取した。さらに、他の動物の精子を集めた。昆虫や犬、魚、両生類、等々である。そして、これは、「黴菌」ではないし、病気を作る微小生物でもないことを実証した。そして、この精子の役割についても考察した。つまり、精液を女性の膣内に射精すると女性の体が胎児を育むようになることから、精子が生殖に大きな役割を果たしているのではないかと推理したのだ。
これは世界史的大発見だ。精子を発見し、精子の役割を発見したのだ。初めて分かったのだ。350年前に。でも、その前にもずーっと人間は生まれてきた。性交し、射精し、そのことによって子供が出来ることを人々は知っていたのではないか。確かに知っていた。ただし、精子の存在は知らなかった。射精と精液の存在は知っていたが、それは単なる〈刺激物〉だと思われていた。
つまり、それまでは、(17世紀半ばまでは)、人間の子供をつくり出す生殖物質は女性の体内にある卵子(卵細胞)だと考えられていた。“人間のもと”になる物質は卵子の中にあり、それが育つことによって新しい子供が誕生する。したがって、人間の遺伝的性質は女性から引き継がれると見られていた。ハーヴェイの卵子説によれば、男の精液は女性の卵子に刺激を与えて発生を促す役割しかもたないというのであった。
人間の「もと」は卵子に全てあり、性交し、精液を射精するのは単に、トントンとドアをノックするような役割しかない。と思われていたのだ。
ともかく、レーウェンフックの発見は大きかった。だが、この「存在」に名前を付けたのは、19世紀の生物学者のカール・エルンスト・ファオ・ベアだ。精液中の微小な生き物を「スペルマトゾア」と呼んだ。古代ギリシャ語ででタネ(種子)を意味するスペルマと生き物を意味する接頭語ゾアの合成語だ。すなわち「生きているタネ」の意味である。
一般には簡略化されて、ドイツ語ではスペルマ、英語ではスパーム、フランス語ではスペルメと呼ばれている。精液を意味するドイツ語のザーメンや英語のシーメンも同義で用いられることがある。
はい、これで終わりだ。壮大な歴史的発見の旅だった。中学や高校の歴史では教えてくれない。又、フェルメールの「解説書」にも一切、載ってない。しかし、フェルメールと大いに関係があるんだよ。この精子の発見は。フェルメールはその大発見をした「世界史的偉人」にして親友のレーウェンフックを讚え、後世に顕彰するために2枚もの絵を描いたのだ。私はそう確信する。
さて、蛇足だが。医学生が持ち込んできた時は、「淋病の元」だと思われていたのに、レーウェンフックは、膨大な量の精液を集め、観察に継ぐ観察をし、これは決して「病原菌」ではなく、「精子」であることを発見した。ただし、動物の精液を採取するのも大変だが、人間の精液を採取するのはそれ以上に大変だった。だって、オナニーしてもらって採取してはならない。自分の精液を採取する時もそうだ。プロテスタント・カルビン派の女性を妻とする彼にとって、手淫、自淫、自慰(皆同じだが)は、「犯罪」なのだ。妻と交わることは、子供をつくる「聖なる仕事」であって、神の愛に応えることだ。人間的楽しみや獣欲によって交わってはならない。ましてや、自分で自淫してはならない。
だから、レーウェンフックは、実験の記録を発表した時、精液の採取は「己を冒涜する罪深き方法によってではなく妻との交接によって行った」と、わざわざ強調している。では、妻の内部に射精し、それをどうやって採取したのか。と『日本人の精子力』の著者・矢沢潔は言う。「とはいえ、ここでそのあたりを深くは問うまい」と書いている。多分、射精の寸前に外に出して、それをさっそく顕微鏡で見たのだろう。と私は推理する。
ともかく、苦労に苦労を重ねて、レーウェンフックは精子を発見したのだ。ご苦労さまでした。フェルメールと共に、レーウェンフックの偉業を讚えて、この原稿を終わりたい。