〈永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに友人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼(あお)ざめた子供らしくない子供の顔を、かるく憎しみの色さした目つきで眺めた。それがたまたま馴染(なじみ)の浅い客の前で言い出されたりすると、白痴と思われかねないことを心配した祖母は険のある声でさえぎって、むこううへ行って遊んでおいでと言った〉
三島由紀夫の代表作『仮面の告白』の出だしだ。これは余りにも有名だ。果たして本物の「告白」なのか。あくまでもフィクションであり「仮面」なのか。後に三島は、「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが告白することができる」と言っている。(河出書房版の月報ノート)。
新潮文庫版『仮面の告白』の巻末には佐伯彰一が「三島由紀夫・人と文学」を書いている。「解説」だと思ったら、もう一つ「解説」がある。福田恆存の「『仮面の告白』について」という文だ。さらに田中美代子の「注解」も付いている。なんとも豪華な文庫本だ。
福田恆存は言う。「すべての芸術は仮面の告白である」と。なるほど、その通りだ。それなのに、何故、ことさらにこの作品を『仮面の告白』とせざるを得なかったのか。その理由を分析する。又、佐伯はこう言う。
〈『仮面の告白』という題名からして、その仮面性、フィクション性をもっぱら強調する見方が強いのだけれども、「仮面」の使用そのものをもふくめて、これはやはり三島の自画像、自伝的小説と受けとるほうがいい。ここには内なる魔物との格闘があり、この「私」は作者と血肉をわけ合っている〉
誰でも自分の内に「魔物」を抱えている。猛々しい狼なのか。誘惑するメフィストフェレスなのか。世界制覇の野望なのか。扮装慾、演技慾なのか。それを征伐し、自らの内から追放した「聖人」もいる。あるいは、意図的に〈魔物〉の鎖を放ち、暴れさせた人もいる。革命家であり、大政治家だ。又、魔物の暴走に負けて、自己を内部から喰い破られた人もいる。失敗した革命家たちだ。そして、世にいう「犯罪者」たちだ。
では一般の人々はどうしているのだろう。あなた達も、胸に手をあてて考えてみたらいい。多分、「妥協」しているのだ。何らかの代償を与えて、おとなしくしてもらっているのだ。そのうち、自らの「魔物」の存在すら忘れてしまう。
しかし、三島は最後の最後まで、魔物を認め、最大限に評価し、格闘した。私ごときでおこがましいが、私も、「魔物」と格闘してきた。それについては、一度きちんと書いてみたいと思っている。
この『仮面の告白』は佐伯の言うように、自画像であり、自伝だろう。三島の生涯を考えると、不思議なことに、この自伝の通りに、あるいは自伝に信憑性を与えるような生き方をしている。未来をも拘束する「自伝」だ。
我々だって経験がある。たとえば、小学生の夏休みの宿題に「絵日記を書きなさい」と言われる。普通は、毎日毎日、夜に「今日の出来ごと」を書く。あるいは、夏休みの終わりに必死になって、思い出しながら書く。これが普通だ。ところが、奇妙な子がいて、はじめに全部、書いておく。それに従って夏休みを過ごす。「今日は海に行ったことになっているから」と父や母をも強引に従わせる。終わったことを書くのではつまらない。まず自らのイマジネーションがあり、その大いなる計画のもとに、「日々の生活」を従わせるのだ。そんな奇妙な子を私は知っていた。
さて、三島だ。それらの要素を全て持っていた子供だったのかもしれない。
「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという要求の表われであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころから私は理解しはじめていた」(ノート)と三島は言っている。
三島は本当のことを言っている。「生まれたときの光景」を憶えているのだろう。そう言うと大人は、なんだ「あのこと」を聞きたいのかと誤解する。だったらもっと無邪気に、「僕、どこから生まれたの?」と聞けばいい。三島も、大人たちにそう言われた。しかし、そんなことではない。では、どんな記憶があるのか。こう書く。
〈どう説き聞かされても、また、どう笑い去られても、私には自分の生れた光景を見たという体験が信じられるばかりだった。おそらくその場に居合せた人が私に話してきかせた記憶からか、私の勝手な空想からか、どちらかだった。
が、私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯を使わされた盥(たらい)のふちのところである。下(おろ)したての爽やかな木肌の盥で、内がわから見ていると、ふちのところにほんのりと光りがさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金(きん)でできているようにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入っていたのか。なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしているようにみえた〉
実にリアルだ。本当に見たのだろう。いや、「見た」という点では、全ての赤ん坊が見ている。しかし、記憶は一瞬にして飛んでしまう。「記憶」として閉じ込める「言葉」もまだ知らないからだ。言葉を知ってから初めて母親に、「あの時、こんなことを伝えたかったのだ。でもまだ言葉を知らなかったから伝えられなかった」と告白する子供もいる。こんな子供はやはり天才だ。三島と同じように。
私は凡人だから、生まれた時の記憶はない。それどころか、小学校に入る前の記憶もない。おぼろげに憶えているのは小学校4年生の時からだ。だから、それ以前の記憶がない。よほど、ボーッとした子供だったんだろう。どこでどうしているのか分からない。親に聞かされた話しや、古い写真を見せられて、「そんなことがあったのか」と自分で想像するだけだ。思い出すのではない。未来と同様に、想像するのだ。私の幼児期は「未来」にあるのかもしれない。
寺山修司は、三島由紀夫に対抗したのか、「自分は生まれる前の記憶がある」と言っていた。まだ胎児だった。人間か魚か分からない形をしていた。でもその胎内から外界を見ていたという。お臍を通して見ていたのか。見えやしない。そんな「覗き穴」があったら羊水が溢れ出してしまう。それに寺山は、カーテンごしに外の世界を見たという。縦に割れたカーテンを開いて見たという。胎内から光り輝く外界を見たのだ。
でも胎児は、そんな出口まで見にくることはできない。だったら、出産の瞬間に見たのか。そして、自分から出てきたのか。分からん。天才の考えることには、ついて行けん。
先週、湯沢中学校同窓会の集合写真が送られてきた。精子(せいこ)ちゃんがいる。房子ちゃんもいる。満子さんも、蘭子(らんこ)さんもいる。エロい名前たちだ。友人に見せたら言われた。「やはり房子さんは胸が房だよね。これがセイシちゃんか」。違うよ。せいこ(精子)ちゃんだよ。
そう答えて、ハッと思い出した。65年前の記憶が甦った。私が、オタマジャクシだった頃の記憶だ。精子ちゃんだった頃の記憶だ。夕方、神社に参拝するたびに感じていた。デジャブ(既視体験)の秘密がこれだったのか。懐かしいと思っていた。でも、何故、そう思うのか。分からなかった。「心あたり」はあった。しかし、そんなことを誰にも聞けない。発狂したかと思われる。だから、誰にも相談できずに悶々としていた。しかし、やっと突き止めた。そして、私だけの「異常な記憶」ではないと知った。いわば、「民族の集合的無意識」なんだ。そう確信した。
キッカケは一冊の本だった。図書館から借りてきた本だ。今、「この棚の本を全部読もう」とアトランダムに決めて、左端から全部読んでいる。何が入ってるか分からない。「福袋」のようなものだ。ガラクタも多いが、福もある。この本も福だった。
三砂ちづる『オニババ化する女たち』(光文社新書)という本だ。凄いタイトルだ。普通なら、読もうと思わない。でも、「アトランダム・ノルマ制」で当たったのだ。仕方ない。涙をのんで読み始めたわさ。
どうせ、下らない本だろうな、と見下しながら、読み始めた。この『オニババ化する女たち』を。サブタイトルは、「女性の身体性を取り戻す」だ。私に関係ない。取り戻す「女性の身体性」もない。
ところが、驚いた。ヘエーと思った。何と、「生理」はコントロールできるという。月経は、ただ「やり過ごしていいのか」「垂れ流しでいいのか」と言う。信じられない話が続く。それは後で紹介するが、その月経の話の後に、突然、こんな話が出てくる。
日本の男が乳房にこだわるのは「アメリカ流の薄っぺらい性行動だ」という。クリトリス礼讃も、アメリカ的性行動の押しつけだという。全ては「アメリカの謀略」なのか。真珠湾を奇襲するようにしたのはアメリカの罠だ。その背後には、コミンテルンがいた。そして、罪のない平和的な指導者を「A級戦犯」にして処刑した。どうしようもない悪い国家がアメリカなんだ。田母神論文のようだな。
日本を罠にかけたアメリカは、日本人の性意識、性行動を変えたのだ。そして、日本の愛国者は叫ぶだろう。「巨乳はアメリカの陰謀だ!」「巨乳は反日だ!」と。「愛国法」を作り、巨乳女は次々と逮捕だ。貧乳、微乳女はそれだけで「愛国者」になる。いいことだ。どうでもいいことだ。
三砂ちづるは、「アメリカの罠」に触れながら、突如、こんなことを言い出す。そこに私は衝撃を受けた。
〈アメリカ発のセックスのクリトリス主義というのも、何かおかしくないでしょうか。日本には神社がありますが、神社は女性性の象徴が建造物になったものだという話もあります。鳥居、参道、お宮。鳥居は入口で、参道は産道、お宮は子宮です。そして鳥居をくぐって入ってくる御神輿(おみこし)が精子です。クリトリスなどは、鳥居についたマークみたいなものです。そんなところで、鳥居の入口で遊んで楽しいと思っているなんて、なんてもったいないことと昔の日本人なら思うのではないでしょうか〉
そうだったのか。なるほど、ザ・ワールドだ。夕方、神社に行って、「ここは昔きたことがある」と思っていたのは、昔、私が「御神輿」だった頃に、ここを通過したのか。鳥居を入り、参道を練り歩き、お宮に着いた。あの時の記憶だったのか。そうすると、日本の神話も、見直す必要がある。「天の岩戸」にアマテラスが閉じ籠もり、やがて出てきたのも。イザナギがイザナミを追いかけて、洞窟を通る話も。本当はもっともっと、艶っぽい、そして「生産的」な話だったのかもしれない。『ヤマトタケル』(現代書館)を書いた時は、そうした視点は無かっただ。じゃ、その続編を書かなくっちゃ。
さて、『オニババ化する女たち』だ。これは題名で損をしている。とてもいい本だし、ハッと驚き、教えられることの多い本なのに、残念だ。世の女性たちは皆、「自分はオニババじゃない」と思っている。又、「オニババ」になった人間とは付き合いたくないと思う。だから、手に取らない。真面目に読み、感動したのは私ぐらいだ。(そんなことはないか)。
さて、「月経をコントロールする」話だ。こんなこと今まで考えてもみなかった。今、できる人なんて1人もいないだろう。私だってそうだ。月経になったら、布をあてるか、入れるか。それしかないと思っていた。ところが昔は違っていたという。
90代以上の人に聞くと、昔は生理でも、ナプキンのようなものをあてなかったという。綿花をくるくると丸めて、綿球にして、それを詰めていた。あるいは「生漉(なまずき)」という、木の皮の繊維で作った紙を使った。三砂ちづるは90代の人々を取材し回り、この本を書いた。
〈聞いてみるとその通りで、トイレに行って腹圧をかけ、綿球を出すと、その後どっと経血が出るというのです。つまり、生ずきの紙を詰めている部分を意識して、コントロールしているのです。生ずきの紙は、常に「ふた」として機能しているのであり、現在のタンポンのように、経血を全部吸収することが目的なのではありません。入っている、という感覚のあるところだからこそ、意識して締めることができます。生ずきの紙はまさに、「気ずき」の紙として、機能しているのです〉
そうなのか。昔の人は便利な生理用品がなくて大変だったろうなと同情していたが、自分でコントロールしていたのだ。逆に、便利な生理用品が発明されたので、今は、締まりがなくなり、皆、垂れ流しになったのだ。文明の皮肉であり、逆説だ。
このコントロールは実は私もやっている。月経はないが、子供の頃、よく鼻血を出していた。綿を詰めて寝てるしかない。しかし、遊びに行きたい。それで、綿をとって、思い切り鼻をかむ。ドッと出る。それで治った。「治ったから遊びに行くよ」と元気よく飛び出していた。多分、同じ原理なんだろう。この本には、さらにこんなことが書かれちょる。
〈生ずきの紙を入れてると、意識するので、落とさないように歩かなければなりません。芸妓さんにこの実践を聞いた後、日本舞踊をよくする友人は、「生ずきの紙を落とさないように歩くということは、踊りの歩き方と同じだ」と言っていました。股を引き上げるようにして腰を入れて、下半身を安定させ、上半身はゆったり力が脱けている。すり足のような歩き方です。それは日本女性が昔から行なってきた身体所作と密接に結びついているに違いありません。このように歩くと、「小またの切れ上がった」姿勢が自然にできていたわけでしょう〉
昔の女性は月経を「垂れ流し」していたのではなく、自分でコントロールしていたといいます。又、何と、排卵日も感知でき、自然と避妊していたといいます。だから、コンドームやピルのない時代でも、女性は自分で自分の身を守ることができたのだといいます。これは今まで、日本史や世界史を勉強しても、誰も教えてくれなかったことだ。私は、ずーっと疑問に思っていた。避妊の手段がなかったから、のべつまくなしに妊娠し、出産する。あるいは堕胎する。そんなことを女性たちは一生の間、何回も何十回も繰り返していたのか。これじゃ身体が壊れてしまう。ましてや、遊廓の女性は…と思っていた。それが最大の疑問だった。今まで、いろんな人にこのことを聞いたが分からなかった。「間引き」してたんだろう。闇の産婆さんが処理してたんだろう。…と、それだけだ。しかし、この三砂の本には、その謎を解く大きなヒントがあった。自分で自分の身体をコントロールして避妊してたという。今でもポリネシアでは、この「避妊法」は実行されているという。
〈ポリネシアでは、「排卵を知る」ということが、知恵として代々伝承されていたらしいのです。
「自分のからだに注意を払う習慣がついていれば、排卵の日がわかる」ということが伝えられていたのでしょう。排卵の日さえわかれば、避妊をすればいいのはその前後数日だけ、となります。その数日間でどのように性交渉をさけ、あるいは適切な性行動をとるか、ということは、パートナーとどのようにコミュニケーションができているか、の問題となります)
さらに、日本人、それも今の日本人でも、こういう人はいるという。
(現代の日本女性でも、自分の排卵日がわかるという人は少なくありません。「排卵日がわかりますか」というと、だいたい誰でも「わかる」と答えられる人を周囲に一人二人見つけることができるでしょう。「なんとなく鈍い痛みを感じるから、だいたい今日だというふうに漠然とわかる」という人もいるし、「今日は右の卵巣から排卵した」と秒単位で正確に排卵を認識できる人もいます。個人差が大きいのですけれども、女性の話を聞いていると、これは訓練次第で感知可能な能力のように思われます)
オワリ。とても勉強になりましたね。皆さんも、トレーニングをして自分の身体は自分でコントロールして守って下さいませな。それにしても、衝撃的な本に出会ったものだ。