2009/01/05 鈴木邦男

今年も闘いますよ。年男だし

①大晦日決戦の勝利者は泰葉ですよ

(左から)高須基仁氏、鈴木、松岡利康氏(12/24)

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。年末からずっとハワイに来ています。プライベート・ビーチで泳いで、それからホテルでパソコンに向かっています。子供たちはまだ泳いでいます。だから今年の年賀状には、一家で水着で写した写真を添えてます。もう届いたことと思います。五千枚も年賀状を出すのは大変です。
 去年は本が2万部売れたので、ちょっと贅沢してもいいかなと思ってハワイに来たのです。でも姜尚中さんは『悩む力』が50万部売れて、それで「紅白」の審査員です。堀北真希の隣りです。50万部売れた人は皆、審査員になれるのです。じゃ、私も狙います。50万部を。それで、ハワイで本の構想を考えています。
 ハワイでも紅白は見れるのです。部屋にはテレビが5台あるので、他に、「DYNAMITE」や「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」や「FNS2008年クイズ」や「ハッスル・マニア2008」を見ていました。同時に見てたんですよ。そして全て理解し、楽しみました。天才です。マルチなクニオ・マシーンです。それで結論です。「大晦日決戦」を制したのは泰葉でしたね。文句なく彼女ですね。いやー、感動しました。よく頑張った。偉い。あそこまで殴られ、蹴られ、踏んづけられても、よく頑張った。ホロリとしましたね。
 勿論、格闘ドラマですが、いやみな、キレた女をよく、あそこまでグレードアップさせてくれた。高田総統、アン・ジョー司令官にお礼を言いたい。それに2人とも実に生き生きとしている。プロレスラーというのは天性の役者だね、と思いました。山口社長もいいですね。ジョー司令官の技の仕掛け、受けが又、うまい。感心しました。最後の「回転海老名固め」もよかった。「エビ固め」という技なんですが、「海老名固め」にしたところなど、冴えてますね。できたら、元夫の落語家で「金髪豚野郎」の小朝とリングで闘ってほしかった。「ハッスル」ならきちんと台本を作ってやってくれます。金をとって夫婦喧嘩を見せる。いいじゃないか。ギャラは勝った方がもらう。それが慰謝料がわりになる。私の知り合いでも憎しみ合いながら仮面夫婦を通している人がいる。又、別居して闘っている人もいる。そんな人たちは、虚飾の仮面を脱ぎ捨てて(仮面を着けたままマスクマンとして登場してもいいが)、リングで闘ったらいい。

(左から)鈴木、松岡利康氏、高須基仁氏。京品ホテルで(12/24)

 「ハッスル」でいい点は、人生で一敗地にまみれた人を「敗者復活」させている点だ。格闘家に転向し、ずっとダメだった相撲取りを、別のキャラを与えて、再生させたり。(劇団再生だ)。ドタキャン能楽師を戦わせ、見事に復活させたり。老残レスラーを有効利用したり。賞味期限切れの格闘家、タレントを生まれかわらせたり。これは凄いことですよ。大晦日なんて、プロレスラーのお父さんまで出て来て、闘っていた。
 じゃ、ストーカーで逮捕された裁判官や、痴漢で逮捕された警察官、盗撮で逮捕された大学教授なども、どんどん、リングに上げたらいい。面倒だ。塩見孝也とか植垣康博とか、昔の過激派もリングに上げて、元警察官と闘わせたらいい。私がレフリーをやりますよ。あるいは、本物の恐い右翼を登場させてもいい。マイクを握ったらいきなり街宣を初めて、いつまでもやめなかったりして。それを警察が注意して乱闘になるとか。さらに左翼やアナキストが加わるとか。「まあ、まあ」と共産党や社民党が入ってくるとか。現職の女性議員に本当に出てもらってもいい。結構強そうだと思いますよ。彼女らは。そしたら、社民党人気もグンと上がりまっせ。
 「国会議員がプロレスをやっちゃいかんだろう」と言うかもしれんが、そんなことはない。猪木、大仁田、馳、皆、やっていた。議員でありながら、プロレスのリングに上がっていた。だから、いっそのこと、議員は皆、「ハッスル」に出て、そこで決着をつけたらいい。いろんな討論番組に出て、タレントと一緒に「討論」してる場合かよ、と思う。「TVタックル」なんて、議員の先生方が時代劇までやってるよ。いいのかな。そこまでして、お茶の間に顔をさらして票がほしいのか。だったら、「ハッスル」に出ろよ。それで、「自・民対決」「与野党対決」をしたらいい。うん、これはいい。口先だけでなく、体で闘え!と言いたいね。
 あるいは全ての討論会を、「乱闘あり」にする。あるいは、「5秒までは反則OK」にする。激高したら、殴っていい。それが嫌ならヘルメットを被って、5秒過ぎるのをじっと待つ。そうしたら緊張感があっていい。台湾の議会のように、つかみ合いの乱闘になる。日本だって、60年代、70年代はよく「乱闘国会」をやっていた。あの方が、スッキリしているし、堂々としている。あとでテレビに出て、グチグチ言ってるよりはいい。
 私らが学生の時なんて、毎日のように全共闘と殴り合いをしていた。だから、「殺し合い」にはならなかった。素手で殴り合いをしていれば、それでスカッとして、根に持たない。殺してやろうなんて思わない。それが、口喧嘩も殴り合いもしたことのない人間は、鬱憤が内にたまる。そして、秋葉原で知らない人を殺したりする。この青年も、殴り合いをしたことがなかったのだ。

②なんで忘年会にヘルメットがあるんや?

(左から)深笛義也氏、高須基仁氏、鈴木(12/24)

 その頃の情熱を私も思い出して今年は私も闘いますよ。それに、今年は私は年男だ。猪突猛進ですよ。あっ、猪年じゃないのか。でも牛と猪は親戚だろう。と、ここまでパソコンを打ってたら、「校閲ブザー」が鳴った。このパソコンは賢いから、漢字変換は自動的にする。それに、「校閲機能」も付いている。「自動霜取り装置」も付いている。(これは違うかな)。
 漢字変換に付随して「校正機能」が付いてる機種は今まであった。しかし「校閲機能」まで付いてるのは、これだけだ。「校正」と「校閲」はどう違うかって? パソコン内蔵の辞書で調べてみなよ。まあ、教えてやっか。
 「校正」というのは単純な字の間違いを直すんですよ。「石軍」を「赤軍」に直すとか。小学生の作文に「家の姉は食べ頃で、皆が狙ってます」とあれば、「姉」じゃなくて、「柿」だろう、バカと叱ってくれるとか。
 ところが「校閲」というと、内容が正しいかどうかをチェックするんだわな。時には、思想までもチェックする。昔、警察は出版物の検閲をした。何も間違った字を見つけて直すのではなく、「悪い思想」を見つけて、削除したり、改めるように命令したりするんですね。「閲」とはそういうことだ。
 「校閲」はさすがに思想をチェックしないだろうが、これは差別表現じゃないか。こんなことを書いたら右翼が襲ってくる。だから、変えろとか。そんなことをするんですね。又、本人が引用した文章にも、実際に原文に当たってみて、正確に引用してるかどうかを調べるんです。これは大出版社では必ずある。又、ベテランの校閲記者でなくては出来ん。そのための会社だってある位だ。
 その校閲機能が私のパソコンにはある。つまり、私の情報は全て入っているから、瞬時にしてそれを照らし合わせて、「これは違う」とブザーが鳴る。「お前は牛年じゃないぞ。羊じゃないか。年末年始はみやま荘で原稿書いとったじゃないか」とも言う。このパソコンに行動記録は全て入っている。だから、冗談も書けん。いいやんか。ハワイに行ったとミエはって言ってみたって。と思うが、ダメらしい。融通の効かんパソコンだ。

上田哲さん(左)と(ロフトプラスワンで)

 では、もう一回、始めよう。あけましてお目でとうさん。今年もよろしく。今年は年男じゃないけど、頑張ります。ヘルメットを被って「闘うじょー!」とポーズを決めたんで写真を紹介しまっさ。元旦に写したものです。(ピーピーと校閲ブザー)。すんません。去年の12月24日のクリスマスイブに写したものです。鹿砦社(エスエル出版会)の『紙の爆弾』の忘年会です。私もヘルメットを被って写真を撮りました。でも、何故、忘年会にヘルメットなんて持ってきたのでせう。他党派の襲撃があるかもしれんと備えたのでしょうか。新左翼の内ゲバが盛んだった時は、こういうふうに集まっている時を襲われたりしてましたから。それに、この日、集まった人はブントとか赤軍とか、いろんな人たちが多く、ほとんどが学生運動をやった人です。ですから、未だに怨みを持っていて襲う人だっているかもしれません。
 でも新聞に出るんだろうな。
 「新左翼の内ゲバで5人死亡。なお1人は右翼のため、たまたま居合せた通りがかりの者か。誤爆だろう」と発表されるんやろうな。
 ヘルメットを被ってる人は、左がモッツ出版の高須基仁さん。右が鹿砦社の松岡利康さんだ。2人とも元過激派だ。高須さんは防衛庁に丸太を持って突っ込んだそうで、その写真も、新聞に出てたそうな。ともかく、私も巻き込まれて、3人で「がんばるぞ!」「闘うぞ!」とシュプレヒコールをして、そのあとは、「ああインターナショナル」と歌いました。そのうち、高須さんが、「誰か、ゲバ棒持ってねえか?」。その方が写真にリアリティがあると思ったんでしょうが、持ってる人なんておらへんがな。
 でも、ヘルメットは何であったんだろう。もしかしたら、この居酒屋に入ってるホテル(京品ホテル)がストライキ中なんで、ヘルメットを被って「支援」し、「連帯」したのかもしれない。外資系に買収され、取り壊されるそうで、それに反対してるんだ。赤旗はあるし、「取り壊し反対!」のポスターはベタベタ貼られているし。まさに闘う気分でしたね。

③永遠のサッカー青年でしたね、上田哲さんは

上田哲さんの自宅で(12/21)

 では、続いて上田哲さんのことだ。12月21日(日)、11時から、自宅で「お別れ会」があって行ってきた。そのあと12時から、田中義三さんの三回忌だった。
 今回は、上田哲さんのことを書く。元衆議院議員だ。80才だった。とても元気だったのに残念だ。
 上田さんはNHK記者だった。そしてNHK労組の委員長になる。昭和43年の参議院に社会党から出馬し初当選(2期)。党国対副委員長、教宣局長などを歴任。54年には衆議院に転出し5期務めた。安保・防衛政策の第一人者として知られる。社会党の理論的スターだった。
 61年の党委員長選で土井たか子委員長の対抗馬として、平成3年の委員長選では田辺誠委員長と争い敗退した。5年の衆院選で落選。「護憲新党あかつき」などを結成した。

 これは、12月20日付の産経新聞を見ながら書いている。社会党が社民党になり、主要な人間が民主党に移った。新社会党をつくった人もいた。この時、上田さんは、自分こそ本流だと言い、「社会党」として出馬。しかし、ダメだった。
 12月21日、ご自宅にお邪魔したら、所狭しと、かつての選挙ポスターが貼ってある。「社会党」という文字がはっきり見えた。又、2階に上がったところには、上田さんの大きなポスターが。まるで生きているようだ。それで、隣りで撮らせてもらった。

上田哲さんの自宅で(12/21)

 上田さんと知り合ったのは、かなり昔だ。「朝まで生テレビ」だったと思う。社会党の国会議員だった。労組の委員長出身だし、党第一の理論家だと聞いていた。だからとても怖い人だと思っていた。ところが、他人の話をキチンと聞く。一致する点も多い。憲法でも防衛でも、タブーにしないで堂々と話し合おうと言う。いいですねーと言った。今と違い、昔は、「朝生」は5時間だった。だから1時に始まると終わるのは6時になる。本当に「朝まで」だ。
 終わって、上田さんに握手された。「気に入った。鈴木さんとは話せるね」と言う。「どう、これから朝メシを食いに行かない?」と誘われて行った。他にも何人か出演者がいた。なごやかに話し合った。信念は強いし、論客だが、相手の話もキチンと聞く。フェアーな人だと思った。防衛問題では一番詳しいし、いろいろと教えてもらえるだろう。社会党の防衛問題についても、いろいろ聞いた。自民党の防衛政策のどこがおかしいか、どうすべきかについても具体的に詳しく教えてくれる。
 朝食が終わると、「これからサッカーなんですよ」と言う。「サッカーを見に行くんですか?」と聞いたら、「いや、自分でやるんだ」と言う。これには驚いた。失礼ながら、年輩だ。それに徹夜で討論した後じゃないか。「いや、平気、平気」と言っていた。
 その何年後かに、帝国ホテルでやっている朝食会に呼ばれた。私が講師として呼ばれたのだ。「ほう、これが有名な朝食会か」と興味深く見ていた。政治家の先生方は皆、忙しくて、日中や夜は時間がとれない。だから早朝に集まって、朝食をとりながら、勉強会をしている。そういう話を聞いていたが、実際に見たのは初めてだった。それも、自分が講師になるなんて思ってもみなかった。

「劇団再生」の忘年会で(12/27)

 それから、時々会った。又、頻繁に会うようになったのは、ロフトでトークをした時からだ。4年ほど前だったと思う。今回、紹介したのがその時の写真だ。新しい運動を起こそうと期するものがあったのだろう。そして若い人に話したいと、このトークが持たれたのだ。この頃から、「戦場体験放映保存の会」をつくる。若い人も大勢、手伝っていた。戦争体験を持つ人々を探し、訪れて、ビデオに収める。その記録を残しあの戦争を見つめ直すのだ。ところが、2年ほど前から体調を崩されて、一昨年、日比谷公会堂でやった「戦場体験放映保存の会」総会の時は、車椅子で来て、熱烈な演説をしていた。あの広い日比谷公会堂が超満員だった。上田さんも大喜びだった。演説も、かなり長く、活気のあるもんだった。これだったら、もうすぐ退院できるだろうと思っていた。
 そして、去年の9月28日(日)、やはり、日比谷公会堂で、「戦場体験放映保存の会」総会が行われた。満員だった。でも、上田さんは調子が悪いから欠席するとのことだった。ところが終わり近くになって、何と、担架に乗って舞台に上がった。驚いた。そして、寝たまま、演説する。病院では「絶対安静だ」「動かしたら責任は持ちません」と言われてたそうだ。それを押して駆けつけた。病院では、ほとんど話せなかったのに、マイクを持つと違う。プロは違うものだと思った。ちゃんと演説をする。大きな声で、はっきりと演説をする。これには驚いた。演説が済むとすぐに車で病院に帰った。担架のまま乗せる病人用の車があるのだ。
 そして、11月29日(土)のことだ。お茶の水の順天堂病院に見舞いに行った。「危篤ですから、今のうちに会って下さい」と言われた。順天堂病院の最上階だった。意識はあるのか、時に声を出す。それに、足を上に蹴ったりしている。元気がいい。「サッカーをやってたからでしょうね」と家の人が言う。そうなのか。上田さんと初めて会った時も、「これからサッカーだ」と言っていた。サッカーに縁があるな、と思った。
 それから17日後、亡くなったと報せが届いた。だめだったのか、とガックリきた。「17日夜、肺炎のため死去した」と新聞には出ていた。密葬は近親者のみで行い、12月20、21日、自宅で「お別れ会」が行われた。

「劇団再生」の忘年会で(12/27)

 上田さんは著書は40冊以上ある。今、私の手元には2冊の本がある。1冊は、若き日の苦しくも楽しい時代の話を書いた本だ。『歌ってよいか、友よ』(講談社)だ。なかなかいい。旧制高校のバンカラ時代、NHKに入社しての記者時代…と、激しい青春が書かれている。
 もう1冊は、凄い本だ。そして、これが最後の本になった。この1冊を残すために全力を尽くしたのかもしれない。『戦後60年軍拡史』(データハウス)で、値段が5800円だ。2段組で1023pageだ。本というよりも、大辞典だ。中味も実に深い。「第一部 中立と同盟」「第二部 分水嶺の目撃」から始まって、国防論争の全てが入っている。自民や、役人たちを向こうに回し、どう闘ったか。その具体的な記録が綴られている。私も少しだけ読んでいるが、なかなか読み切れない。
 この本には、かなり詳しい著者紹介が出ている。前に産経新聞のを紹介したが、こっちがより人間・上田哲が分かる。重複を恐れずに紹介しよう。

 1928年2月26日 東京生まれ。都立五中、旧制新潟高校卒業後、琵琶湖畔の小学校教師、彦根高校教諭(英語)をしながら京大法学部卒。NHK記者。
 1961年セービン生ワクチンによる日本のポリオ根絶の「上田プラン」を発表。空前のテレビキャンペーンで世界初の一国根絶に成功。
 NHK労組委員長。1967年、新聞、出版、映画演劇など全日本マスコミ労組会議(現MIC)を結成。議長15期。現名誉議長。
 1968年 参議院全国区で104万票。74年東京選挙区で115万票の記録。更に衆議院選で5期当選。25年永年勤続議員表彰を受ける。財政、外交、防衛、医療問題を専門分野に活躍。「百年に一人の知的雄弁(美濃部都知事)」と評され、自・社論戦の一時代を築くと共に、野党平和外交、党スポークスマンとして新領域を拓いた。
 早く父を失い、東京空襲で全焼罹災。常に弱者を優先し、「政治は母と子のために」がスローガン。
 ほろりとする人情家。評判の孝行息子。今もサッカーチームの現役。囲碁3段。著書41冊。

 この1023pageの本は、文字通りの遺書だ。心して読んでみたいと思う。この本で、最後に上田さんは言う。

〈暗い歴史は楽観主義からしか明るくならないのだ。
 逆風の時こそロマンチシズムが生まれるのではないか。
 おお、逆境のロマンチシズムに乾杯。
 友よ、ブラボー!〉
【だいありー】
山田ゴメスさん(左)と(12/20)
  1. 12月29日(月)朝まで原稿書いてたけど出来ない。4時、週刊誌の取材。6時、一水会事務局の忘年会。昔、一水会フォーラムをやっていたシチズンプラザの下の居酒屋「いろり」でやった。懐かしい。一水会も若い人がどんどん入ってきて、にぎやかだ。頼もしい。
     「レコンキスタ」も16面だ。読み甲斐がある。今月号の「レコン」には会員の質問に応じて私が一水会の歴史について話をした。よくまとまっている。ありがとうございます。題して、「『万教帰一』と個を尊重する思想」。
  2. 12月30日(火)午後から、打ち合せ。飲み会。
  3. 12月31日(水)08年から09年にかけて、「足かけ2年」、家に閉じこもって原稿を書く。いろいろ遅れている。高校3年の時、世界史の先生が言ってたっけ。「年末から年始にかけて足かけ2年ある。2年あったら、世界史なんてすぐに出来る。大丈夫だ」と。そうか、2年か。と思って、気分が楽になった。でも、本当は5日間しかないんだけど。今は、自分に対し自己催眠をかけちょるばい。
     今月の読書ノルマがまだ達成できないので夜中、マクドナルドに行って、ひたすら本を読む。大晦日、こんなことをしてるのはオラだけだ。
  4. 1月1日(木)謹賀新年。でも、外に出ないで家に閉じこもって原稿を書く。
  5. 1月2日(金)昼まで起きていて、原稿を書いていた。夕方、街に出る。明るくて目がくらむ。
筑紫哲也さんのお別れ会で(12/19)
  1. 1月3日(土)家にいる。原稿書く。夜、新年会。今年初めて、人間と話をした。年末年始はテレビとか机とばかり話をしていた。それにしてももう新年会か。忘年会が終わったばっかりなのに。仕事が進まないので途中で家に帰る。「猫が待ってるから帰る」と言ったら、「あら、スカートをはいた猫じゃないの?」と言われ、思わずギクッとした。「ほら、図星だ。動揺した」。図星で動揺したのではない。「あっ、そういう手もあったか」と思ったのだ。猫にスカートをはかせる。パンツもはかせる。ブラジャーもつける。アルタのフィギュア用の販売店で売ってるからそれを買えばいい。うーん、色っぽい猫が出来あがるな。
     でも宅急便が来てドアをあけた時、猫が外に出て行ったりしたら困るな。近所の人は、「何だ、この猫は?」「あら、鈴木さんとこの猫よ」「イヤラシー」「110番しましょう」…とか言われるんだろうな。それでなくても要注意人物なのに。そんなことになったら、どうしよう。今年も新年から暗い。
  2. 1月4日(日)今もうちにこもって原稿書いてる。
【お知らせ】
  1. 1月5日(月)発売の『SAPIO』には小林よしのりさんの「天皇論」第2回目です。大反響を呼んでます。目が離せません。同じ号に、「私の好きな女優たち」の特集があって、私も書いてます。
  2. 1月6日(火)月刊『創』(2月号)発売。私の連載では『共産党宣言』について書きました。
  3. 1月9日(金)発売の『週刊現代』(1/24日号)に、お金のことを書きました。「借りたカネ、貸したカネ」のコーナーです。
  4. 1月15日発売の『通販生活』(2009年春号)では、特集が「私は断固、この人を総理大臣に推します」。佐藤優さんはじめ、いろんな人が書いてます。私も書いてます。
  5. 1月19日(月)午後7時、一水会フォーラム高田馬場のサンルートホテル。井川一久先生が講師で、「オバマ政権誕生。『日本独立』への好機」です。
  6. 1月20日(火)2日間連続しての一水会フォーラムです。田母神俊雄先生(前航空自衛隊幕僚長)が講師で、「日本は侵略国家であったのか」。時間、場所は同じです。
  7. 1月22日(木)7:30阿佐ケ谷ロフト。「公安vs右翼」。北芝健さんと私の対決トークです。
  8. 1月24日(土)衝撃の話題作『ポチの告白』(高橋玄監督)が、いよいよ封切りです。新宿K’S cinemaで。警察犯罪というタブーに挑む、社会派エンターティメント大作です。又、大騒ぎになるでしょう。映画チラシには、宮崎学、佐藤優、寺澤有、そして私の4人が、超過激なメッセージを寄せてます。大問題になるでしょう。
     又、1月19日(月)7時より、阿佐ケ谷ロフトで、この映画に関するトークがあります。
  9. 1月26日(月)阿佐ケ谷ロフト帝銀事件についてのトークです。私も出ます。
  10. 1月31日(土)「Link to Peace vol.1」「パレスチナを伝えたい」。八王子クリエイトホール。1時〜6時写真展。6時45分からイベント。高橋和夫さんの記念講演。そして、ディスカッション。私も聞きに行きます。
  11. 2月17日(火)7時半、一水会フォーラム。高田馬場サンルートホテル。講師は青木理さん(元共同通信記者)です。
  12. 2月21日(土)テアトル新宿で若松孝二監督とトークをします。深夜です。『実録・連合赤軍』がDVDになるのを記念して行なう企画です。イベントは午後11時に始まり、我々のトークは3時25分から1時間です。
  13. 3月28日(土)、29日(日)劇団再生の新作公演です。「詩編・レプリカ少女譚」です。公演前に高木尋士さんと私のトークもあります。阿佐ケ谷ロフトで7時半からです。