正月から人を批判し罵倒するのは、よくないことだろう。でも、こいつだけは許せん。とんでもない悪党だ。卑劣漢だ。
1月5日(月)、本屋に入った。ムック本のコーナーだ。ムックとは「マガジン」と「ブック」から取ってつけられた名だ。大判で、写真やマンガ、イラストが多くて、「マガジン」のように気軽に読める。それでいて内容は濃いし、充実している。立派に「ブック」だ。そういう意味らしい。特に犯罪物が多い。「戦後未解決事件」とか、「最後のタブー」とか。
2冊の新しい本が目についたので買った。1冊は、『ニッポン“タブー”事件簿』(別冊ナックルズ・ミリオン出版)だ。「狂気と謀略が渦巻く暗黒の日本“怪”事件史』とサブタイトルがついている。朝日新聞社の社員が殺された「赤報隊事件」。世田谷一家4人殺害事件。グリコ・森永事件。八王子スーパーナンペイ事件。…と。
「真相赤報隊事件」は圧巻だ。中曽根・竹下の元両首相はなぜ赤報隊のターゲットとなったのか? そうか、赤報隊は首相も狙ったのだ。これが成功していたら、1960年の「浅沼事件」以来のテロになっただろう。それなのに、「巨悪」殺害をあきらめて、朝日の一記者を狙った。なぜか。ますます謎だ。
もう1冊のムック本は、別冊宝島の『昭和・平成コールドケース」。これが又、凄い。赤報隊事件。グリコ・森永事件。三億円事件。国松長官狙撃事件。世田谷一家殺害事件。オウム真理教・村井幹部刺殺事件…などだ。最後の事件は「犯人」が逮捕されたが、その裏には巨大な組織と謀略があるという。こんなにも未解決事件が多いのかと驚く。
それに、この「コールドケース」は画期的だ。〈漫画と重大証言で完全推理! 「9大未解決事件」のリアルな真犯人像〉と謳っている。特に赤報隊が凄い。時効になる直前。焦った警察は「10人の容疑者」をマスコミに発表した。主要なマスコミに対し、秘かに渡した重要資料だ。それを渡された記者たちは、時効後も、秘密を守っている。とても公表できない、おぞましい「秘密文書」だ。だから「この中に真犯人はいる!」と警察は自信を持って作成した。10人の顔写真、住所、本籍、家族構成は勿論、「なぜ疑われるのか」が実に詳しく書かれている。どんな行動をした。どこの集会でどんなことを言った。だから怪しい…と。
でも、この「極秘資料」を見た人は、余りいない。実際に見た人も、事の重要性に恐怖し、口外しないからだ。「この10人のうちに犯人はいる」と警察は確信している。だったら、あと9人は「潔白」だ。写真入りで、これだけのことを書かれたら名誉棄損だ。「でも訴えるならやってみろ。お前も墓穴を掘るんだ」と警察は思ったのだろう。
昔なら、この10人を捕まえて、締め上げただろう。拷問に耐えかねて何人かは「私が犯人です」と言っただろう。何人も出ちゃ困るが。それに、そんな荒っぽい手は今は使えない。10人のうち何人かはポリグラフ(嘘発見器)検査にかけられている。でも「白」だった。じゃ、かけられてない人間の中に犯人がいる。
そこを、執拗に追う。そして、10人の容疑者の「極秘リスト」を手に入れ、公表している。これは衝撃的だ。「顔写真」はさすがにマズイと思ったのか、出てない。イラストになっている。そして、こう書いている。
〈警察が作成した「10人リスト」にズラリ並んだのは新右翼「一水会」関係者、新左翼からの転向右翼、右翼団体幹部の公務員…この中に果たして真犯人はいたのか?〉
いたのでしょう。少なくとも警察はそう見ている。では何故、捕まえないのか。実は、別件逮捕、微罪逮捕で、これまで何度も捕まえている。ガサ入れも、各人に、何回もやっている。でも犯人は、ずる賢い男で、尻尾を出さない。戦後最大の悪党だ。困り果てた警察は、マスコミに協力を求めた。いや、マスコミを使おうと思った。それが「10人リスト」だ。
「こんな極秘資料を流してくれるなんて、よほど信頼されているのだ」とマスコミは感動する。新聞、テレビ、週刊誌も大きく取り上げる。「10人」は常にマスコミに追われる。張り込みされ、尾行され、一瞬たりとも気を抜けない。カッとなった犯人は何かするだろう。その時が、逮捕する瞬間だ。そう思った。
「いつまでも追いかけるな!」と記者と喧嘩になり、胸ぐらをつかむかもしれない。そこで逮捕する。あるいは、焦って「昔の仲間」と会うかもしれない。「信念」を確認する。又、事後の「整理」をしたかどうかを確認する。武器の処分は大丈夫だよな、と。
あるいは、「10人」にデマを流し、疑心暗鬼にさせる。「赤報隊」を名乗って、「10人」の1人の家に放火する。「秘密を守ってるのに俺を疑うのか?」と容疑者は怒り、赤報隊の仲間に会いに行くだろう。そこを捕まえる。いろんな手を考えた。
しかし、誤算だったのは、マスコミが動かなかったことだ。こんなに、「おいしい情報」をあげたのに…。でも、記者も忙しい。いろんな事件が毎日のように起きる。とても、これだけに関わってはいられない。ましてや、連日、「10人」を追いかけ、張り込むなんて出来ない。「ちくしょう、こんなことならNo.2だけでも逮捕しておけばよかった!」と悔いている。この「No.2」が一番、怪しい。こいつを捕まえてずっとぶち込んでおけばよかった。帝銀事件の平沢貞通さんのように…。「決定的証拠はないが、でも怪しい。無罪を証明するものはない」と言って、死ぬまでぶち込む。不十分でも、「ホシ(らしき者)は一応、あげた」と満足できる。
この「10人」のうち、4人は一水会会員、あとは、その周辺の人間だ。「新右翼」の人間だ。「新右翼」でない人もいるが、人脈的に近い。
イラストを見ると、皆、悪そうだ。ここまで載せるなら、「リスト」そのものを全部公表したらいい。『噂の眞相」があったら、やっただろう。写真も名前も「疑われる理由」も全て出したらいい。
それでは出版社が訴えられると思ったのか、「10人」のイラスト、役職などだけだ。この「10人」は私も皆、知っている。特に「容疑者No.2」の「S」という男はよく知っている。最重要容疑者らしい。顔も、いかにも悪そうだ。痩せぎすで、眼鏡をかけ、鼻筋が通っていて、いかにも酷薄なイメージを与える。「S」というから、佐藤とか、斎藤、桜庭、佐々木というのだろう。悪党だ。彼の後ろには、「レコンキスタ」という一水会機関紙が描かれている。「S」については、こう書かれている。
〈一水会元幹部、評論、著述を多くこなし、民族派新右翼のスポークスマン的人物で、過去に雑誌連載で赤報隊について何度も言及。
「赤報隊らしき男たちに会ったことがある」という意味のことを何度か記述しているが、その記述の真実性については明言を避けている〉
やっぱり悪党だ。何でそんなことを言ったのだろう。本人が容疑者のくせに。「犯人は別にいる。彼らと会った」といって、自分の容疑を他に移そうとしたのか。あるいは「原稿料稼ぎ」か。はた又、「社会を騒がせてやりたい」という気持ちか。分からない。それほど計画性もないし、思想もない男だ。思ったことを、口から出まかせにポンポンと言っている。よく考えもしないことを言う。軽薄な男だ。「こんな男の言うことなんか全部嘘だ」と警察は言う。「いや、バカだと思わせているだけだ。本当は、信じられないほど悪賢い奴だ」と言う人間もいる。その警察内部の対立があって、とうとう「S」を逮捕できなかった。
この「10人リスト」とは別に、もう一人「重要容疑者」がいた。元自衛官で、海外の紛争地で義勇軍として銃を持って闘った。その後、日本に帰り、右翼団体に入る。銃の使用には慣れているし、「犯人像」に一番近い。しかし、その後、右翼をやめてやがて隠遁生活に入る。そして何と、不審な死を遂げている。それも火鉢の不始末で死亡したのだ。公安は今も、「自殺」「他殺」のセンで追っている。自衛隊レンジャー部隊にいて、海外の義勇兵までやった人間が、そんなことで死ぬなんてあまりに無用心だ。「10人」よりも、こっちの方が「本命」かもしれない。
実は私も「容疑者」にされていた。この「自殺した元自衛官」が私だろう。テロを決行したが、そのあとは右翼らしく自決したのだ。
本屋でこの2冊を買って、レジで金を払った時だ。『SAPIO』(1月28日号・小学館)が目についたので買った。小林よしのりさんの『天皇論』が載っている。意欲的な連載だ。その2回目だ。天皇陛下、美智子皇后陛下が描かれている。昔なら、「天皇をマンガにする」なんて出来なかった。それだけで不敬罪になった。戦後かなり経っても、そうだった。昔、消しゴム版画家のナンシー関さんが、「こういうものを作ったんですが」と、おずおずと見せてくれた。天皇陛下だ。「私は尊敬し、愛情を持って描いたのですが、でも発表しちゃマズイでしょうね。右翼に襲われて殺されますよね」と言う。そんな馬鹿なことはありませんよ。とてもよく描けてるじゃないですか。発表したらいいんですよ。と言った。それで安心したのか、発表したようだ。その時、見せてもらった昭和天皇の消しゴム版画だ。紹介しよう。
小林よしのりさんも、雅子妃のことをマンガにして、当時連載していた「SPA!」で落とされた。危なくて、載せられないというのだ。本当に危ないのか。そのことを小林さんはある右翼の人に会って聞いたそうだ。勇気がある。その右翼との対面がマンガで描かれている。小汚らしい顔をしているが、でもニコニコとして、『ゴー宣』を持っている。付箋を一杯つけて、「感動しました。ほら、こんなに熱心に読んだんですよ」と言ってる。人のいい右翼だ。人畜無害だ。
でも、この男、どこかで見たことがある。あっ、そうだ。『昭和・平成・コールドケース』に出ていた男じゃないか。「容疑者No.2」の「S」だ。それにしても「顔」が違う。状況に応じて「顔」まで変えられるのか。「表」では、ニコニコして、恐くありませんよと言って、バカのふりをしている。しかし、「裏」では人殺しをやっている。いや、人殺しの仲間だ。恐ろしい奴だ。じゃ、二重人格なのか。
世の中に、二重人格、多重人格という人はいる。今まで明るく、ペチャペチャ喋っていたと思ったら、急に押し黙り、何も言わない。あるいは、普段、おとなしい人が急にキレて怒鳴る。でも、それは本当の意味の二重人格ではない。感情の起伏が激しい。とか、性格上の問題だ。
でも、この「容疑者S」は違う。相反することを平然と実行する。さらに、「善人」だった時のSと、「悪人」のSは、顔まで変わる。こんなことはその辺の二重人格者、多重人格者ではとても出来ない。
それに「容疑者S」は二重生活者でもある。六畳一間のボロアパートに住んでいる。ストイックな生活をしている。と思わせておいて、実は田園調布に豪邸を持っている。そこに、本妻や本子供がいる。本ペットもいる。猫にはスカートをはかせているそうだ。「私は田園調布の豪邸を見た!」と証言する男もいる。「年末はマックで本を読んでいた」と言ってるが、ハワイで子供連れで泳いでいたのを見た、と証言する人もいる。
こういう二重人格、多重人格、二重生活は、他にいない。とても出来ることではない。でも、この「S」だけはやってのけている。それに、歴史上、実はもう一人だけいる。「S」は、この男を見習って、やったのだ。
その「先輩」とは、ジキル博士だ。スティーブンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』に描かれた人物だ。1人の人格の中に、2人がいる。善と悪と。そして全く「別の人間」になって、「別の人間」の行動をするのだ。彼はクスリを飲んで、別人になる。性格だけでなく、身長も、顔も変わるのだ。そう、「容疑者S」もそうだ。「容疑者S」は人殺しの「悪党」になった時は、身長180センチ、痩せぎす、鼻筋の通ったニヒルな男だ。冷たい「殺し屋」のイメージだ。ところが、クスリを飲んで「善人」になったSは、小汚いオッサンで、身長172センチ、小太り、アヒルな男だ。似ても似つかない。でも、同一人物なのだ。これでは警察も捕まえられない。
ロバート・ルイス・スティーブンソン(1850〜1894年)の『ジキル博士とハイド氏』を読んでみたらいい。文庫ですぐ手に入る。1886年に発表された作品だ。何度か映画にもなっている。実在の人間をモデルにした話だ。でも、このモデルは「顔」までは変えられなかった。だから精神科医の「格好の研究材料」で終わった。
でも、この「容疑者S」は違う。顔も変えた。性格も変えた。生活環境も変えた。こっちの方が本当の「ジキル博士とハイド氏」だ。
ハイドは「hide(隠れる)」から取った名前だ。ハイドは、あなたたちの心の中にも住んでいる。そして、ジキルと闘っている。人は皆、自分の体の中に、この2人を住まわせている。だが、どちらか1人のことはない。だが、この小説では、クスリを飲んで、どちらか1人になるのだ。そこが恐ろしい。それに、気紛れに、二つの人格を行き来しているのではない。その各々の「立場」「役」を必死でやっているのだ。「容疑者S」のように。新潮文庫の「ジキル博士とハイド氏」では、ジキル博士はこう告白している。
〈私は二重人格者ではあったが、いかなる意味でも偽善者ではなかった。私にあっては、善悪両方面ともひとしく真剣であった。学問の進歩のために精進しているときも、自制を失って破廉恥に憂き身をやつしているときも、ひとしく真剣な私自身であったことに変りはなかった〉
〈私はあえて推論する—人間とは究極のところ、多種多様のたがいに調和しがたい個人の集合体のようなものである。そして、この善悪ふたつの要素の分離ということを愛する白昼夢として空想するようになった。このふたつの要素をそれぞれ別の個体に宿らせることができたら、正しからざる一方の性格はおのが欲するままに行動できるであろうし、正しい一方の性格もまた、善をめざして一途に進むことができるであろう。意識のなかでこの両極端の双生児がたえず相争っていることこそ、人生の災いでなくして何であろう。しからば、いかにしてこのふたつのものを分離するか〉
これが難しい。どっちか一つに分離するのだ。それが、このジキル博士は出来たのだ。研究の結果、この双生児を分離する劇薬の調合に成功したのだ。ジキルにとっても喜びだった。善になり切って、仕事が出来るからだ。普通の人間は全て善と悪の混合体だ。善をやろうと思っても時に悪の誘惑がある。善の仕事だけに集中できない。その点、ハイドを作ることによって、善に集中できた。又、ハイドは全人類の中でただ1人、「純粋なる悪」そのものの化身だ。情け容赦なく殺せる。悪をする。普通、どんな悪人でも悪に徹し切れない。「ここまでやっちゃ悪いよ」とか、「女、子供まで殺しちゃかわいそうだ」という〈善〉の心が残っている。だから悪に集中できない。「徹底した悪」が出来ない。ところが、ハイドは、絶対的な〈悪〉そのものだ。
そして、悪の限りを尽くす。家に帰る。クスリを飲みさえすれば、ハイドなる人物は鏡に吹きかけた息のくもりのようにたちまち消え、真夜中のランプの芯をかきたてて研究にいそしんでいるジキル博士が現われる。全く、「容疑者S」と同じだ。
この話を聞いて、一般の人々は「絵空事」だと思うだろう。しかし、違う。君たち自身だって、「変身薬」を飲んでいるのだ。
人間は善と悪の混合体だ。この混合の成分も時として変わる。日々、変わる。だったら、それをキチンと計る測定器を作ればいい。「この人は今日は善が80%以上だ。だから安心だ」とか。どっちにしろ、100%の「善人」や100%の「悪人」はいない。
そこまでは皆も分かるだろう。だったら、なぜ〈思想〉においてだけ、100%分けるのか。人間は「100%右翼」もいないし、「100%左翼」もいない。右翼の中にも、アメリカ映画を見て、面白いと思う人もいる。「ヘプバーンが最高の美女だ。日本の女なんて、ペッ!」と言う人もいる。又、左翼の中にも、祖国愛が必要だと言う人もいる。つまり、1人の人間は「右傾度60%、左傾度40%」と、正確に測定すべきだ。それなのに、「ジキル博士とハイド氏」のように、「100%人間」を見ている。100%の「右翼」と「左翼」に分ける。おかしいだろう。
「容疑者S」はどうだったのか。「極右」といわれているが案外、「右傾度は10%」位だったのかもしれない。でも〈悪〉は100%だ。そして、時々、クスリを飲んでは、〈善〉100%のニコニコおじさんになる。不思議だ。奇跡だ。恐ろしい。身震いする。こんな二重人格者とは友達になりたくない。消されちゃうよ。
①12月26日(金)ロフトプラスワンで佐藤優さん(作家)たちとトークしました。佐藤さんと小林よしのりさんが喧嘩していると聞いたので、「もっと大きなテーマがあるのに、2人の天才がこんなことで衝突するのは国家の損失だ! お互いの道で、思い切り力をふるってほしい」と言った。「小林さんは天皇論を始めたし、私は大川周明、国体論をやるし、お互いの道でやることになるでしょう」と佐藤さん。ありがたかった。嬉しかった。それでつい、握手した。