じゃ、二重人格者の場合は本を読んだ冊数は、どうやって数えるのだろうか。ジキル博士が読んだ本は、ハイド氏は覚えてないのか。あるいは覚えているのか。いや、全く別の人格だから、覚えていないのだろう。それにジキル博士が読んだ化学の本や、聖書などは、ハイド氏は全く読めないだろう。そうすると、「読書のノルマ」も別々に立てるのか。大変だ。悪党のハイド氏は読書なんかしないのかな。いやいや、悪に徹するのだって大変だ。又、殺しの技術も磨かなくてはならん。だから、『必殺仕事人』とか『ゴルゴ13』なんかは必死に読んでるんだろう。そして、お互い、別々の手帳に読んだ本をメモし、毎年1月に集計しているのだろう。
私も二重人格者だが、まだそこまでは行ってない。手帳は一つだ。そこに、「2人」が同時に書いている。「あれっ、こんなの読んだかな」「こんな、いやらしい本を読むはずがない」と思うこともある。でも、読んだのだろう。「もう1人の自分」が読んだんだ。気がついたことや読後感は、「キャンパス・ノート」に書いている。
ここで、パソコンを開く。HPを見る。去年(08年)は1月14日(月)に前年の読書報告をやっている。
〈 「読書戦争」奮闘記。07年の総括 〉
と書かれている。ペッ! 何が奮戦だ。暖かい部屋で本を読んでただけじゃねえか。と、もう1人の私がケチをつけていた。
今年は、ちょっと遅れて、読書報告が1月19日(月)になってしまった。年末まで「月のノルマ」が達成できなくて、大晦日にマックに行ったり、ミスドやロイホに行って徹夜で本を読んでいたからだ。08年から09年にかけて、本が連なり、虹になって渡っていったのだ。美しい光景だ。
それと、今年度の手帳がない。それで、スケジュールが立てられない。読んだ本をメモできない。大変だった。株式会社日本法令が出している「HANDY MEMORY」だ。世界で一番使いやすいと、皆が認めてるのに、余り売ってない。去年の夏頃、探してくれた人がいて、もらった。謝謝。でも、余りに暑過ぎて、どこかにしまってたら、忘れた。必死に捜しているが分からん。本など読まない「もう1人の自分」が、嫌がらせをしたのだろう。きっとそうに違いない。あるいは、スカートをはいた猫が、くわえてどこかに捨てて来たのか。「本なんか読まないで私と遊んでくれニャー」と言って。
仕方がないので東京中をさがして歩いた。仕事も一杯あるのに、こんなことをしていていいのか。と思いながら、探し歩いた。そして、やっと見付けた。ホッ。
それで、08年度の「読書戦争」奮闘記も書ける。では始めよう。
1月 | 38冊 | 2月 | 31冊 |
---|---|---|---|
3月 | 37冊 | 4月 | 31冊 |
5月 | 34冊 | 6月 | 32冊 |
7月 | 31冊 | 8月 | 30冊 |
9月 | 31冊 | 10月 | 30冊 |
11月 | 43冊 | 12月 | 32冊 |
ほう、偉いですね。「月30冊」のノルマをキチンと果たしてますね。40冊を超えた「優良月」も1つ(11月)ありますね。
では、これを合計しましょう。と、ここで算盤を出す。算盤4級の腕を試すのはこの時だ。パチパチパチ…と。あれっ、ピッタリ、400冊だよ。こんなキレのいい数字は初めてだ。それを12で割り、33.3冊か。これが「月平均読破数」だ。うーん、頑張ったんだろうか。「劇団再生」の高木尋士氏は一年で500冊以上読んでいる。軽く超えられた。私は数字が伸びなかった。それに苦労した月がかなりある。
ノルマを達成できなくて、焦って新書ばかり10冊位買ってきたり、図書館で借りたり、字が大きくて、行間があいていて、内容のない本ばかりを狙って買う。はっきり言って、「読む価値のない本」だ。でも、そうでもしないとノルマを達成できない。それじゃ本末転倒だ。不必要な、下らない本ばかり沢山読んでも意味はないだろう。そう言われるだろう。その通りだ。一言もない。ただ、人間なんて弱いもんだ。風にそよぐ一本の葦だ。こういう「ノルマ」でも作らないと本なんて読めない。「いや、10冊でも5冊でもいい。それが大切だ」という人は、その人のポリシィでやったらいい。でも、私は「弱い葦」だから、せめて、「1つのノルマ」を決めて生きていこうとしているのだ。
去年は400冊だったが、それは少ない方なのかな、と思い、過去の10年間の記録を見る。あれあれ、低いよ。過去10年間の間で、ビリから2番目だよ。ビリはいつなのか。2001年(平成13年)で398冊だった。(月平均33.1冊だ)。
よし、じゃ、過去10年間の記録を公表しよう。
2008年(平成20年) | 400冊(月平均33.3冊) |
---|---|
2007年(平成19年) | 432冊(月平均36冊) |
2006年(平成18年) | 419冊(月平均34.9冊) |
2005年(平成17年) | 438冊(月平均36冊) |
2004年(平成16年) | 412冊(月平均34.3冊) |
2003年(平成15年) | 486冊(月平均40.5冊) |
2002年(平成14年) | 427冊(月平均35.5冊) |
2001年(平成13年) | 398冊(月平均33.1冊) |
2000年(平成12年) | 435冊(月平均36冊) |
1999年(平成11年) | 461冊(月平均38.4冊) |
03年だけが「月平均40冊」を超えている。凄いね。頑張りましたねと、表彰しました。
さて、ではこの「ノルマ式読書法」をいつから始めているのか。又、その前、「ノルマ以前」はどうだったのか。今日はその話をしましょう。
「ノルマ式読書法」を実行したのは、私が27才の時だ。1970年。私が産経新聞社に入社した年だ。その年は、三島事件の年だ。「じゃ、三島事件に衝撃を受けて、読書のルマを決めたのか」と言われるかもしれん。しかし、違う。三島事件の前からだ。1970年の11月25日が三島事件だ。私が産経新聞に入ったのはこの年の5月だ。入ってすぐに決意したんだ。「このままではダメだ」「このままでは、馬鹿になる」「なんとかしなくてはー」と。
皆も、分かるだろうか。学生の時は、周りの人が本を読んでいる。又、試験、レポートがあるから、本を読まざるをえない。「義務」であれ何であれ、本を読む。いいことだ。ところが、社会に出ると、そんな雰囲気はない。誰も本を読んでない。
私としては新聞社に入ったのだ。きっと「知的な職場」だと思って胸をときめかせていた。「初めは販売だが、すぐに編集に回してやるよ」と言われていた。そしたら、憧れの記者だ。最初は「事件記者」だろう。サツ回りだ。推理小説好きの私のことだ。警察が解決できなかった事件も解決するだろう。迷宮入り事件も解決するだろう。「日本のポアロ」と言われるだろう。おっと、いつまでも「事件記者」じゃないな。今度は政治部だ。きっと優秀な政治記者になる。それに、真面目で、皆に好かれる。「記者じゃ勿体ないね。どう、政治家にならない」と誘われ、政治家になる。そのうち仲間も増え、新たな党派をつくり、総裁選に出る。そして首相だよ。そんなに、トントン拍子に人生いっていいのかよ、と思うような立身出世だ。
…となるだろう。きっとなるさ、と思っていた。「新聞社入社」というのは、それだけ夢を抱かせる事なんだよ。
私は、いつも、初めはいいんだよな。早稲田の政経に入った時も、これで天下を取った、と思った。それこそ、「末は博士か大臣か」だった。苦労して苦労して、やっと入ったのだ。これからはバラ色の未来だ。政治家だろうと、大学教授だろうと何にだってなれる。と思った。ところが、早大闘争があり、左翼と闘うはめになる。
そして人生は大きく狂う。
又、挫折の後に、新聞社入社。この時も、「末は政治部記者か。それから政界か」と思った。でも、ダメだった。実力が伴わないからだろうな。すぐに、ボロが出る。産経をクビになって、又、無職だ。長い長い苦難の生活だ。そして、やっと「社会復帰」のチャンスが来た。河合塾の講師になったのだ。それに日本ジャーナリスト専門学校の講師になれた。さらに、『週刊SPA!』の「夕刻のコペルニクス」の連載を持てた。この時も、「天下を取った」と思ったね。
優秀な講師だし、人生経験も豊富だ。授業にも生徒がドッと押し寄せ、人気も上がる。「カリスマ講師」になり、授業数もドッと増える。毎日、朝から晩まで授業だ。夏期講習、冬期講習も忙しい。金だってバンバン入る。家を買って、別荘買って、それでも使い切れない。どうしよう、週刊誌の連載も話題を呼び、他からも声がかかる。週に10本の連載を持っちゃった。さあ、どうしよう。
テレビのCMにだって出ちゃうよ。金の使い途がない。
…といろいろ心配した。しかし、心配は全く無用だった。それほどの能力がなかったのだ。週刊誌はクビになり、学校の方は、窓際族で、そのうちクビだろう。「人に教える」能力なんかないんだよ、こいつは。無能だから、生徒からも馬鹿にされて、「おい、クニオ!」なんて、呼び捨てにされている。
「いつだって、出だしはよかったのにな」と悔やむ。さて、産経新聞のことだ。新聞社の人たちは、皆、本を読み、知的会話を交わしているのだと思った。休憩時間は、哲学の本や、政治の本を読んでるんだろう。そう思った。ところが違うのだ。そんな雰囲気は全くない。競馬の話ばっかりだ。よく部屋を抜け出しては喫茶店で「会議」をしている。競馬についての会議だ。又、勤務中に、紙が回ってくる。高校野球のトトカルチョだ。「鈴木、お前はどこに賭ける?」と聞かれる。思い描いていた新聞社のイメージと全然違う。でも、ここは販売局だからだろう。編集に回り、記者になったら違うだろう。そう思った。しかし、異動の気配はない。このまま、ここで一生いるのか。そう思った。大学時代の知的雰囲気が懐かしかった。よし。じゃ、1人だけでも勉強しなくては、と思った。これから先、その勉強が役に立つかどうか分からない。しかし、自分だけの目標を立ててやってやろうと思った。ダレ切った自分自身の内部の「革命」だな。それが「読書ノルマ」だった。
本当は5冊でも10冊でもいいんだ。しかし、余りに容易な目標だと「目標」にならない。「ちょっと無理かな」と思う位がいい。それで、30冊にした。
だから、27才の時に決意して、約40年だ。凄いね。1月に30冊だよ。1年で360冊だ。でも、大体、400冊以上読んでいる。この10年(1999年から2008年)では、計算したら4308冊だった。それに4をかけると17232冊だ。この40年で、大体、1万7千冊を読んだのか。この10年よりは、それ以前の方が、ずっと読書している。それに、月に100冊以上読んだ月もあるのだし。だったら、40年で「2万冊」は読んでるだろう。少ないのか多いのか。よく分からんが、これが読んだ数だ。
これから先、どれだけ生きるか分からんが、でも、10万冊は読めないね。そう考えると、大したことないな。1兆冊は読みたいと思っていたのに。
27才から「読書ノルマ制」を自らに課し、2万冊を読んだ。では、それが全てか。違うのだ。ここは強調しておかにゃいけん。実は、27才までに読んだ本が「全て」であり、それ以降の2万冊は「余り」なのだ。「附録」なのだ。
どう説明したらいいのか。たとえば、プロのマラソンランナーがいる。水泳選手でも、野球選手でもいい。プロとして全力を尽くす。オリンピックに出る。燃え尽きて引退する。プロのアスリートとしてそれまでが「全て」だ。それと同じだ。私の読書戦争においては、27才までが、「プロ」だったし、「全て」だ。
でも、「プロ」は引退しても、人間としては生きている。その時に、健康のために、時々、走ってみたり、泳いでみたり、バットを振ってみる。それは「余り」で「附録」だ。後進の指導に当たることもあるが、それでも「余り」だ。それと同じだ。私にとって、27才以降の読書なんて、所詮「余り」であり、「附録」なんだわさ。2万冊という数に幻惑されてもらっては困る。27才までの「全て」に比べたら、こんなものは、〈無〉ですね。確かにいい本もあり、感動的な本もあった。でも、トータルでは〈無〉ですね。
そけだけ27才までの読書が凄かったということだ。去年1月のHPには、私が読書について書いた本が何冊か、写真入りで出ている。これらの本も全て、「27才まで読んだ本」について書いている。『超読書術』(かんき出版)、『行動派のための読書術』(長崎出版)、『読書大戦争』(彩流社)、『闘う日本語』(エスエル出版会)、『行動派の読書術』(遠藤誠さんとの共著・現代書館)などだ。テーマにしているのは、27才までの読書だ。
じゃ、27才までに読んだ〈量〉が、その後の40年を凌駕するのか。そんなことはない。その半分にも及ばないだろう。だが、〈質〉が違うのだ。極端に言うなら、人生に必要な本は全て、27才までに読んだ。そう豪語してもいい。もっと簡単に言えば、〈全集〉を読んだからだ。日本文学全集、世界文学全集を読んだ。いくつかの出版社のものを読んだ。それで、一つ一つの山だけでなく、大きな山脈を制覇した。それと同時に、思想的な全集を読みまくり、読破した。これが大きいと思う。私が今、ものを書いていられるのは、その時の蓄えがあるからだ。27才以降の読書なんて、それに比べたら、「付け足し」だ。
僕らは、いい時代に生まれてきたと言える。思想的な全集が、どんどん出版された。毎月1冊ずつ出るのが楽しみで、買ってすぐに読んだ。メシを食う金を惜しんで本を買った。それがまとまって「全集を読破」した。その「達成感」は何物にも代えられない。そして、一つの出版社だけでなく、いくつもの出版社が競って思想全集を出していた。作り方もうまかった。読ませる工夫もあった。ドキドキして新しい本を手にとり、ページをめくった。あの時の高揚感、感激といったらなかったね。
又、読む人が多かった。知に飢えていたし、知的向上心があったのだろう。そういう本を手当り次第に読み、自分の頭で考え、自分の手で掴んでゆく。〈真理〉とは、そういう個人的な営みを通してしか得られない。そう思ったのだ。
そう思って、本を読む学生、若者が多かったからこそ、各出版社も、次々と思想全集を刊行したのだろう。貧しい時代だった。学生は3畳のアパートに住み、学生服が一着あるだけだ。でも、本を読んだ。本を読むしかなかった。他に楽しみがなかったし、本を読むことが「唯一の贅沢」だったのだ。
ところが今は、皆、本を読まない。テレビがあるし、ネットがある。「知りたいことは瞬時に知ることができる」。そう思う。今の時代の「知りたいこと」なんて、大したことはない。「本当に知りたいこと」でもない。錯覚している。そして、「本を読むなんて時間の無駄だ」と思っている。愚かだ。「もっと時間を有効に使わなくっちゃ」と、ネットに向かう。携帯に向かう。そして、時間をどんどん浪費している。かわいそうだ。
『超読書術』は、1990年に出した本だ。「朝生」に初めて出た年だ。19年前だ。その中に、「全集読み」について書いている。「全集を読むことで〈世界〉が見えてくる」「こんな全集ものにも挑戦しよう」と。
一番のおすすめは、中央公論社の『世界の名著』(全66巻・続全15巻)だ。私が今、ものを書いたりしていられるのは、突きつめれば、この全集を読んだおかげだ。だから皆も、これを読みさえすればいい。何年かかけて読んだらいい。頑張ったら、1年で読めるかもしれない。これを読破したら、その日から、あなたは「著述家」だ。いや、「思想家」になれる。今、活躍しているライターや評論家、教授だって、この全集を読んだ人はいない。まあ、少しはいるかな。それに、我々の時代の学生は皆、読んでいたよ。
『世界の名著』の日本版が『日本の名著』(全50巻)だ。これもいいが、古いのは現代語訳になっている。読みやすいが、引用する時は恥ずかしい。だから引用する時だけでも岩波文庫を買って原典を使った方がいい。
日本の思想全集では、筑摩書房の思想シリーズだ。『現代日本思想大系』(全35巻)、『戦後日本思想大系』(全16巻)、『現代日本思想大系』(全36巻)がある。ネットの古本屋ではある。高木尋士さんは全部買って読んでいる。もうすぐ読破するそうだ。他には、河出の『世界の大思想』(全45巻)、『世界思想教養全集』(全24巻)がある。平凡社の『世界教養全集』(全38巻)もいい。又、講談社の『人類の知的遺産』(全80巻)もある。これらを全て読んだ。学生なんだから当たり前だと思った。小説では、『新潮日本文学』(全64巻)、河出の『日本文学全集』(全52巻)、河出の『世界文学全集』(全100巻)を読んだ。これらを全て、27才までに読んだのだ。〈質〉だけでなく、〈量〉でも、その後の40年を凌駕しているかもしれない。
さて、ここで最近発見した『朝日ジャーナル』の話を書こう。筑紫哲也さんが編集長の時、「若者たちの神々」を連載していた。その後、単行本になり、朝日文庫になった。私は単行本だけ持っていた。ところが、年末の大掃除で、何と、オリジナルの『朝日ジャーナル』を見つけた。1984年(昭和59年)5月4日号だった。25年前だ。単行本にはない写真も、沢山あって楽しかった。何と、台所の写真まである。まだ、みやま荘だ。流しの写真の説明だ。
「月に30冊は読む勉強家。流しの下も本でギッシリ」と書かれている。なるほど、その通りだ。家中が全部本箱だ。私も本箱だ。凄いやね。この「神々」のリードが又、カッチョいい。
〈全共闘に対抗し、連動して生まれた新右翼のイデオローグ。いまや敵の姿なく、社会の保守化を嘆く異端、孤影の神〉
ヒャー、「孤影の神」か。いいねー。皆もこれからは私のことをそう呼ぶように!
一水会事務局で新聞を読んでいる私の写真もある。
〈高田馬場の中華料理店2階にある一水会本部。ワープロは宣伝戦の武器だ〉
ほう、25年前から、私はワープロを使っていたのか。それで原稿を書いたり、「犯行声明文」を書いたりしてたのだろう。常に、時代の先端を行く神だ。合気道をやっている写真もある。
〈早大時代から始めた合気道は3段。週に2日は練習する〉
合気道から柔道に進み、柔道も3段だ。そうだ、25年前の『朝日ジャーナル』の表紙を見てほしい。「今こそ語ろう。天皇制」の特集で、いいだももvs野村秋介の対談がある。凄いね。他に「ブックガイド『昭和』を考える」、「三浦事件の内幕」もある。内容が濃いよ。
そうだ。「流しの本箱」を紹介したので、『本棚が見たい!』(ダイヤモンド社)に載った私の本箱も紹介しよう。前にも載せたと思うのだが、みやま荘に入り切れなくなって、1万冊を仙台の実家に送った。その実家の写真だ。広い土間に本箱を買って、キチンと並べてくれたのだ。申し訳ない。でも、そのあと両親の死後、取り壊すことになり、本はなくなった。大事な全集は山形の弟が引き取って、小屋を建ててくれたが、他は古本屋に行ったり、捨てられたり、かわいそうな本達だ。今、本としての〈形〉はないが、その〈内容〉が全て私の頭の中に入っている。だから、成仏して下さいませな、本達よ。
他にも、今週は「サービス」で写真を載せたな。「マガジン9条」では遠藤誠弁護士のことを書いたので、2人の写真を。そして、夢枕獏さんは、正月には、よくテレビに出ていた。頑張っているね。書きまくっているね。そんで、夢枕さんの写真も。