2009/02/16 鈴木邦男

日露戦争の戦友に会った!

①「戦友」は柔道指導でネパールへ

サンボの研修で
サンボの研修で

 ロシアに行ってきた。カゼをひいてるのに行ってきた。冬のロシアは寒かった。氷河期が来たかと思ったほどだ。ハバロフスクに行った。新潟からアエロフロートで3時間だ。毎日、ロシア人と闘った。「サンボ」というロシアの格闘技の研修で行ったのだ。試合にも出たが、ロシア人には全く敵わない。日本人は全敗だ。「日露戦争」は完敗だった。その後やった日本人同士の試合では勝った。
 毎日毎日、練習した。午前、午後と2回も練習がある。ヘトヘトだった。大学の体育会のようだ。プロの格闘家の合宿のようだと思った。夜は、アイスホッケーを見たり、ロシア人とウォッカを飲んだりした。我々の練習相手は警察官、軍人、学生だ。私のパートナーは警官だった。祖父も父も警官だという。「警官の血」だ。だから、強い。腕力も強いが、精神力も強い。でも、明るくて、剽軽な面もある。いい奴だなと思った。厳寒のロシアで、ハーハーと、白い息を吐きながら、必死で練習をした。つい昨日のことのように思う。もう、かなり前の話なのに。当時は、「俺は格闘家だ!」と思っていた。サンボを習うために、わざわざロシアに行った。それも、5回も行ったのだ。そんなことを考えていたら、何と、ロシア遠征の「戦友」・金子晃さんに先週、バッタリ会った。日露戦争の「戦友」だ。嬉しくて写真を撮ったそうだ。ロシアで戦っていた時の写真も載せよう。又、金子さんは、「最近、本を出しました」というので紹介しよう。

ロシア・ハバロフスクで
ロシア・ハバロフスクで

 先週のこのHPで紹介したが、2月7日(土)、京都に行ってきた。「第34回プロレス文化研究会」に出た。「力道山前夜を闘った柔道家たち」という研究テーマに興味を持ったのだ。そこで金子晃さんに会った。私は、貧乏だが、自分の「勉強」「研究」のためには金を使うようにしている。本を買う、人の話を聞く、取材する…と。中味がないのに、「アウトプット」ばかりしてたら、すぐに、内容が枯渇する。だから、貪欲に「インプット」を計り、常に問題意識を持って、考えていこうと思っているからだ。
 「プロレス文化研究会」はもう10年以上も続いている。学問的、学際的な研究会だ。名著『力道山』(ミネルヴァ書房)の著者・岡村正史さん。それに『美人論』でベストセラー作家になった井上章一さん。この二人が世話人だ。プロレス、格闘技には、詳しい。好きだ。私は昔から二人をよく知っている。エスエル出版会(鹿砦社)が『プロレス・ファン』という月刊誌を作っていた頃、よく会った。又、その出版社から私もプロレスの単行本を6冊ほど出した。その時もお二人にはお世話になった。久しぶりにお二人にも会いたい。それで、今回は、カゼを押して京都まで行った。

 研究会は午後2時から5時。京都三条の「ル・クラブ・ジャズ」で行われた。なんでジャズの店で?と思ったら、井上章一さんの知り合いの店らしい。時々、ここでピアノ・リサイタルをするそうな。当日も、開始前に腕前を披露してくれた。プロ級だ。何せ、CDも出している。

金子晃 鈴木邦男
(左下)金子晃氏、(上・中央)鈴木(ハバロフスクで)

 「子供の時からやってはられたんでっか?」とカタコトの京都弁で聞いたら、「ちゃいまんねん」と言われた。41才から突然、ピアノに目覚め、練習したという。偉い。キチンと両手で弾いている。私なんて右手の人差し指だけで「猫踏んじゃった」を弾ける位だ。恥ずかしい。
 そうだ。志の輔さんの落語会で、ある音楽家が、凄いピアノ演奏をやっていた。芸術なのか、エンターテイメント、パフォーマンスなのか分からないが、右手と左手で全く別の曲を弾くのだ。右手でベートーベン。左手でショパンというふうに。頭の中はどうなってるんだろうと思った。「どうですか、井上さんも挑戦しはったら」と言ったら、「右手でインターナショナル。左手で君が代ですか?」。うん、いいな。でも、インターは左でしょう。そんで右手で君が代。ぜひ、やってみて下さいよ。まさに革命的ですよ。左右は統合され、地球上の争いはなくなりますよ!と私は断言した。
 「でも、たとえ出来たとしても、面白がってくれるのは鈴木さんしかいないですよ」。そうかなー。世界史的な意義のある事業だと思うけどな。ノーベル賞ものですよ。

②右翼だって、左翼だって。全ては「格闘技」ですよ!

金子晃 鈴木邦男
金子晃氏(右)と(2/7)

 「プロレス文化研究会」のもう一人の世話人・岡村正史さんも凄い理論家だ。学校の先生をしながら、プロレス、格闘技の研究をしている。エスエル出版会からは、話題を呼んだ『知的プロレス論のすすめ』『世紀末にラリアット』を出している。又、最近の『力道山』(ミネルヴァ書房)は、力作だ。私は、今まで力道山についての本は何十冊と読んできた。しかし、この岡村氏の本がNo.1だ。
 私は力道山はリアルタイムで見てきた。勿論、テレビを通してだが。力道山と共に日本のテレビは進化してきた。その時代を見てきたし、体験してきた。だから、力道山のことは全て知ってると思っていた。ところが、岡村氏の本を読んで驚いた。私は、力道山のことを全く知らなかったのだ。そして、いかに誤解してきたか。自分の未熟さを思い知らされた。
 それに、この本は、単なるプロレス論ではない。力道山を通じ、日本の社会を、政治を語る。まさに「戦後史」だ。戦後史の「教科書」だと思った。

 この日、「プロレス文化研究会」で研究発表をした人は塩見俊一さん。立命館大学の大学院の人だ。社会学のテーマとして、プロレスとプロ柔道の研究をしている。驚いたことに、自らも「カブキキッド」というリングネームを持っている。プロレスラーなのだ。今でも、闘っている。凄い。この日のテーマは「力道山前夜を闘った柔道家たち」。木村政彦、山口利夫、遠藤幸吉…などについて語る。又、「プロ柔道」をつくった牛島辰熊について。又、「柔拳」(柔道家とボクサーが闘った)についての報告…と、詳しい。なぜ、「PRIDE」のようなものにならなかったのか。なぜ(相撲出身の)力道山に敗れ、プロレスに統一されていったのか。その歴史的経過が詳しく語られる。とても勉強になった。

金子晃『ヒマラヤ山麓に柔道があった』
金子晃氏の『ヒマラヤ山麓に柔道があった』

「塩見さん」という名前が珍しい。元赤軍派議長で有名な塩見孝也さんという人がいる。親類かな?あるいは同じ姓なので迷惑してるのかな?そう思って聞いたら、「誰ですか?その人は?」と言われた。「格闘家ですか?」とも。まあ、格闘家みたいなものだ。負け続けの…。時代が全く違うからか。闘いの分野が違うからか。知らなかった。
 会場には、30人ほどの熱烈な会員がつめかけて、真剣にレポートを聞いている。サンボでロシアに一緒に行った金子さんの他にも、いろんな人に会った。ライターの柳澤健さんに「初めまして」と言ったら、「10年前に一緒に仕事をしましたよ」と言われた。彼はその時『Number』にいて、ヴォルク・ハンに僕が取材した時の担当者だった。そうか、『Number』のようなビッグな雑誌でも仕事させてもらったんだ、と思い出した。
 ヴォルク・ハンは、ロシアのサンボの猛者で、この時、リングスで戦っていた。「鈴木はサンボをやってるし、詳しいから」と僕が指名されたようだ。ありがたい。関節技の話を中心に闘い方を聞いた。実際に技もかけてもらった。「もし小錦と闘う時は、どうしますか?」と下らない質問にも真面目に答えてくれた。「まず百メートル、全力疾走します。相手はぶっ倒れます。あとは腕でも足でも、自由に関節を極められます。簡単です」と言う。リングの試合ではなく、「真剣勝負」のことを考えているのだ。とにかく走る。「逃げた」と思われてもいい。本当の〈戦場〉は無限に広いのだ。そこにおびき出して、戦う。うん、合理的だと思った。

岡村正史 井上章一 鈴木邦男
(左)岡村正史さん、井上章一さん(中)と(2/7)

 又、この日の「プロレス文化研究会」には、「昔、鈴木さんを京大に呼びました」という青年もいた。京大には「プロレス研究会」があって、僕は何度か呼ばれている。又、スペルデルフィン選手と対談したこともあった。懐かしい。この青年は今は出版社に勤めているといって名刺をくれた。打ち上げの写真の時にも写っている。
 他の政治的集会で私に会ったという人もいた。「鈴木さんはプロレスや格闘技にも興味あるんでっか?」と聞かれた。「格闘技にも」とは心外だ。私のことを全く知っちょらん。プロレス・格闘技の本を6冊も出している。それに、合気道、サンボ、柔道…と実践している。完全な「格闘家」ですよ、私は。
 本当は、格闘家だし、右翼や左翼だって、「格闘技」の一つだと思っている。世の中の全てのことは、「格闘技」なのだ。政治や読書や、社会的問題や、犯罪も。右翼、左翼、アナーキズム、市民運動も、格闘技だ。各々の「ルール」があり、「ルール破り」もある。真剣勝負もあり、八百長もある。又、自分だけ気を抜いて相手に勝たす「片八百長」もある。そうだ。戦後の政治運動史を「格闘技」の面から書いてみるのもいいな。考えてみよう。

③全国の過激派に檄を飛ばしてやったずら

塩見俊一 鈴木邦男
塩見俊一氏(左から3人目)を囲んで(2/7)

 では、「日露戦争」の戦友・金子晃さんだ。久しぶりだ。彼は体はデカイし、見るからに格闘家だ。柔道4段だ。私は3段だが、この1段の差は天と地の開きがある。それに、金子さんは柔道の先生だ。何と、ずっと、ネパールに行って柔道を教えてきたのだ。偉い。
 「鈴木さんにならって私も本を出したんですよ」と一冊の本をくれた。『ヒマラヤ山麓に柔道があった』(文芸社)という本だ。いい本だ。感動的な本だ。帰りの新幹線で一気に読んだ。本の帯にはこう書かれている。

〈無謀か? ロマンか?
 柔道未開のネパールを五輪へ—。
 その陰に「グル」と呼ばれた日本人がいた〉

 その「グル」が金子さんですよ。日本でも某宗教の親分が「グル」と言われたが、本場の言葉は、とてもいい意味だ。「先生」「師匠」という親しみを込めた呼び名だ。
 よくぞ、頑張って、そこまで指導したものだと思う。畳もまともなものはない。中身がむき出しのものばかり。危ない。柔道着もない。つぎはぎだらけの柔道着だ。ネパールの環境は惨憺たるものだった。こんな所で、やれるのかと思った。しかし、選手の動きは機敏だった。金子さんは、それだけを頼みの綱として、日々、指導した。

政治犯への不当弾圧に反対する集会
「政治犯への不当弾圧に反対する集会」(2/8)

 国民は、「ジュードー」を知ってる人が多いが、「カラテ」との区別がつかない。〈武器〉と思っている。ネパール政府も、だから民間人が柔道を習うことをずっと禁じてきた。「お前は何人殺したことがあるのか?」「瞬間に何人、倒せるか?」といった質問をよくされたという。大変だ。そんなところで、「受け身」から教えた。前受け身(前方回転)なんて、生まれてこのかた、やったことのない人ばかりだ。「天地が逆になった」「胃腸がひっくり返った」と選手は言う。うん、初めてやったら、そう思うものだろうと、同情した。そんな人々を指導したのだ。大変な苦労だ。
 金子さんは1956年、広島県生まれだ。じゃ、53才か。関西大学を卒業後、サラリーマン生活を経て、1984年12月よりJICA(現国際協力機構)青年海外協力隊員としてネパールで柔道を4年間指導した。帰国後、高校教員、団体職員を経て、2005年4月よりJICAシニア海外ボランティアとして、再びネパールで柔道を指導した。
 偉いね。なかなか出来ることではない。又、今度会ったら、さらに詳しい話を聞いてみたい。2月7日(土)は、「プロレス文化研究会」が2時から5時まで。その後、近くの「がんこ寿司」で打ち上げ。私はカゼをひいてるので、ウーロン茶を飲みながら、皆と話をした。

足立正生 鈴木邦男
足立正生さん(右)と(2/8)

 井上章一さんが面白い話をしてくれた。「遣唐使に選ばれた人達は皆、イケメンだったんですよ」と。知らなかった。さすが『美人論』の著者だ。何でも、中国の文献を調べていて分かったそうな。中国の男で、格好いい男を、当時、「日本の遣唐使のようだ」と表現していたたそうだ。世界中から、唐には遣唐使が来た。その中でも、ひときわ目立ち、存在感をアピールしようと日本政府は考えたのだ。背が高くて、スマートで、顔のいい男を厳選して、遣唐使に送った。そのことによって、唐の迎え方も違う。又、唐の一般の人々も、「日本人て、格好エエわー」と思った。それが「外交」の面でもプラスに作用した、という。
 「そんな昔に出来たことが、なぜ今、出来ないのでしょうね」と井上さんは言う。なるほど、それは気がつかなかった。外務省も、まず、イケメンから採らなくちゃダメなんだね。三島由紀夫は「楯の会」のメンバーを選ぶとき、面接して、イケメンから採った、という。遣唐使のことを知っていたからか。
 そうだ。この日、井上さんの「ピアニスト・デビュー」を伝える新聞記事のコピーをもらった。読売新聞や京都新聞に大々的に報じられていた。井上さんは、現在、日文研(国際日本文化研究センター)教授(風俗史)だ。54才。41才からピアノをやりはじめ、12曲入りのCDを出した。ジャズにこだわり、「マイ・フーリッシュ・ハート」「枯葉」などが入っている。2月23日に完成ライブをする。又、『アダルト・ピアノ—おじさん、ジャズにいどむ』(PHP新書)も出している。凄いですね。それに、動機がいい。「クラブで女性にもてたい一心で」。

井脇ノブ子 木村三浩 鈴木邦男
井脇ノブ子さん(中央)、木村三浩氏(右)と

 2月7日(土)は、終わって、東京に帰ろうかな。と思ったが、次の日、1時から、京都で政治集会がある。それで、駅前のホテルに泊まった。カゼが治らないので、2月8日(日)は昼過ぎまでひたすら寝ていた。そして、1時から駅前にある京都キャンパスプラザに行く。公安がやたらと多いので、場所は分かった。そこで、「2・8政治犯への不当弾圧に反対する集会」に出る。私も挨拶させられた。全国から集まった100人の過激派・新左翼を前にして挨拶するのだ。光栄だ。30年前なら考えられない。近づいただけで袋叩きにされ、埋められちゃうよ。
 重信房子さんは懲役20年。和光晴生さん、丸岡修さんは無期懲役だ。1人も人を殺したわけでもない。政治的事件だ。それなのに、こんな重刑だ。イタリアのジャーナリストが来ていたが、「ドイツ、イタリアでは当時の政治犯は全て釈放された。こんなことをやってるのは日本だけだ」と言っている。そうだよな。皆、釈放して、国家のために働いてもらったらいい。有為な人材だ。たとえば、重信さんはアラブ大使にして、アラブ外交をやってもらうとか。和光さんも丸岡さんも、国家的レベルで活躍してもらったらいい。明治の元勲たちなら、その位のスケールの大きなことを考えるよ。今の日本じゃな。皆、政治家も小粒になって、そんなことを考えられない。困ったものだ。
 彼らが学生運動をやっていた頃は、右翼学生が「1」とすれば、左翼学生は「1万」はいた。それに皆、頭のいい、優秀な人ばかりだった。それなのに今の体たらくは何だ。がんばれ!と言った。自分たちで出来ないなら若者に金を出して革命をやらせろ!金がないなら、昔のように「M作戦」をやれ!銀行強盗をやれ!と言ってやった。元赤軍派で、銀行強盗をやった植垣康博さんも来ていた。「今はもう出来ませんよ」と言っていた。だらしがない。しっかり研究して、やってみろよ。足立正生さんは奥さん、子供を連れて来ていた。
 このHPで紹介したせいか、普通のサラリーマンも来ていた。「ダメじゃないか。こんな過激派の集会に来たら、公安に狙われるよ」と言った。「いや、いいですよ」と言っていたが、まあ、私がこの会を紹介したのが悪かったのか。申しわけない。これからはヤバイ集会は「危険マーク」を付けておこう。
 それと、先週だと思ったが、永田町でバッタリと井脇ノブ子さんに会った。「寄りなよ」と言われて、木村三浩氏と議員会館におうかがいした。その時の写真も載せておこう。オワリ。

【だいありー】
週刊新潮 赤報隊の記事
「週刊新潮」(2/19号)
  1. 2月9日(月)カゼで一日、寝ていた。
  2. 2月10日(火)『サンデー毎日』(2月22日号)発売。〈メディア沈黙の裏で広がる。「週刊新潮」朝日新聞襲撃犯への疑問の声〉。いろんな人がコメントを出していた。犬塚哲爾氏、蜷川正大氏、木村三浩氏、それに私。「赤報隊の声明文は野村秋介さんに頼んで書いてもらった」という「犯人」の証言に、「噴飯ものだ」と蜷川氏は怒っている。野村さんとは接点はなかったし、声明文を頼むはずもない。実行犯として名乗り出た島村氏は、右翼の人とは、誰とも接点はない。
     ただ、私とだけは「接点」がある。これは「週刊新潮」の記者から電話があって知ったのだ。「島村さんは鈴木さんのことを知ってると言ってますよ」と言う。エッ、どこで会ったの?と聞いたら、「網走刑務所にいた時、何度か手紙を出し、返事をもらい、レコンや本を送ってもらったと言ってます」と言う。あっ、そうだったのか、と。それで思い出した。はっきり、覚えている。あの島村氏だったのか。だから私だけが接点がある。しかし、野村さんとは接点はないだろう。ただ、赤報隊の6人のメンバーのうち、誰かと、何らかの接点があって、それで話を聞いて、喋ったのかもしれない。だって、「犯人しか知らない」ことも、ポロリと漏らしているからだ。(あるいは島村氏の勘で喋ったことなのか。だったら凄い)。でも島村氏本人が、「直接の実行犯」ではないと思う。といったことをコメントしたようだ。
     まだ、カゼが治らないので、寝床の中で、原稿を書いたり、瞑想したりしていた。
ポチの告白
「ポチの告白」絶讃上映中!
  1. 2月11日(水)少し調子がいいので、東中野の図書館に行った。
  2. 2月12日(木)『週刊新潮』(2月19日号)発売。「赤報隊」の第3弾。島村氏はアメリカ大使館の佐山氏に頼まれて、朝日新聞を襲撃したという。その声明文を野村秋介氏に頼んだという。野村氏は自ら下書きしたものを、事務員のカオリさんにワープロで打たせたという。さらに、児玉誉士夫氏の名前も出てくるし、オールキャストだ。「声明文を野村さんに頼んだ」と先週号で出ていたので、てっきり、「野村さんは鈴木に書かせた」となるのかと思っていた。もう古いことなので、私も忘れていたが、そんなことがあったのかな。いや、ないだろう。と思っていたら、ワープロを打ったのはカオリさんだという。うーん、分からん。
     この日発売の『週刊文春』(2月19日号)には、〈週刊新潮「実名告白者」の正体〉というタイトルで、「朝日実行犯」の元妻、“後見役”右翼団体元代表が喋っている。こっちの方も説得力がある。

    この日は、午後3時から河合塾コスモ。「現代文要約」。5時から、「基礎教養ゼミ」。牧野剛先生が選んだ本、礫川全次『異端の民俗学。差別と境界をめぐって』(河出書房新社)をテキストに皆で読む。「新しく出した本です」と牧野さんから『偏差値崩壊=本当の学力を見失う偏差値(くらべっこ)の呪い』(PHP研究所)をもらう。「カリスマ予備校講師が、受験生の間で進む〈学力の大暴落〉を浮き彫りにする」と本の帯に描かれている。いい本だ。偏差値だけでなく、「では、どうするか」の処方せんも書かれている。「場合分け」と「失敗学」が必要である。「日本語力」をどうつけるか…と。受験には関係ないと思ってる一般の大人にこそ読んでほしい本だ。
     コスモの授業のあと、生徒たちと食事会へ。そして9時に新宿のK'CINEMAへ。昔、昭和館のあった所だ。今は新しい映画館として甦っている。「ポチの告白」の最終回が6時半から9時45分まで。それから、トークをやる。高橋玄監督、北芝健さん(元警察官)、そして私だ。30分ほど、警察の抱える問題点について話し合った。終わってから「東方見聞録」で打ち上げ。私は、ウーロン茶で付き合った。北芝さんには赤報隊や、和歌山カレー事件などについて、聞いた。
     そうだ。映画館に「蟹工船」のチラシがあった。リメイクで今年の夏、上映だそうだ。松田龍平が主演だ。これはタイムリーだ。こういう社会派映画がどんどん作られるのはいいことだ。
帝銀事件について(阿佐ケ谷ロフト)
帝銀事件について(阿佐ケ谷ロフト)(1/26)
  1. 2月13日(金)昼、取材で会う。夕方、馬場で木村氏と会う。夜、対談。
  2. 2月14日(土)午後1時半より、港勤労福祉会館。「和歌山カレー事件を考える人びとのつどい」の東京集会。マスコミ、テレビカメラも多かった。「開会の挨拶」をした。主催者側でもないのに、メンバーに入れられた。「支援メンバー代表の三浦和義さんが亡くなったので鈴木さんが“東京の顔”になって下さいよ」と安田好弘弁護士に言われた。
     私なんて、よく事件のことも知らないし、無理ですよ。時効になったとはいえ、私も朝日襲撃事件の容疑者なんだし…。でも、やれることは協力しましょう、と言った。多くの人が集まった。証拠もないのに、「こんなことをやるのは林さんしかいない」というムードだけで死刑を宣告する。こんなことは許されない。
     終わって、安田弁護士の事務所で打ち上げ。そして今後の方針について話す。
  3. 2月15日(日)昼、取材。打ち合わせ。勉強会。
【お知らせ】
  1. 2月17日(火)7時半、一水会フォーラム。高田馬場サンルートホテル。講師は青木理さん(元共同通信記者)です。
  2. 2月21日(土)テアトル新宿で、若松孝二監督とトークをします。深夜です。『実録・連合赤軍』がDVDになるのを記念して行なう企画です。イベントは午後11時に始まり、我々のトークは深夜3時25分から1時間です。
  3. 3月5日(木)宝島SUGOI文庫の『左翼はどこへ行ったのか』発売です。
  4. 3月28日(土)、29日(日)劇団再生の新作公演です。「詩編・レプリカ少女譚」です。公演前に高木尋士さんと私のトークもあります。阿佐ケ谷ロフトで7時半からです。
  5. 8月21日(金)〜23日(日)。劇団再生の主催で「見沢知廉生誕50年展」が行われる。「天皇ごっこ〜調律の帝国」の舞台化。そして、トークライブとして高木尋士氏と私の「死後に成長する命・言葉・人生」があります。お楽しみに。この日、50才で誕生した見沢氏は、これから、どんどん若くなって、さらに多くの可能性に挑戦するのでしょう。