「赤報隊」が映画になるそうだ。いや、違った。「蟹工船」が映画になるそうだ。もうすぐ完成し、今年の夏、全国ロードショーだ。凄い。「ブーム」は今年も続く。こうした社会派の映画がつくられるのは、いいことだ。「実録連合赤軍」もDVDになり売れている。山口二矢、見沢知廉も映画化される。『警官の血』『東大闘争』もテレビ放映された。さらに「社会派」は続くよ。面白いことになりそうだ。
今、新宿のK'cinemaで高橋玄監督の『ポチの告白』を上映している。衝撃の警察映画だ。3時間15分と、長い映画だが、グイグイと引きつけられる。長さを全く感じさせない。凄い映画だ。「この国には絶対逆らえないものが二つある。天皇陛下と警察だ」と、チラシに書かれたコピーも過激だ。
2月12日(木)最終回の後、9時45分から、トークがあって出た。高橋玄監督、元公安警察の北芝健さん、そして私だ。なぜこの映画が完成から3年間も上映されなかったのか。その真実も監督の口から語られた。聞いていて思った。やはり、「タブー」なのだ。「逆らえない」ものなのだ。アメリカ映画だと、いくらでも「悪徳警官」が出てくる。警察の闇を描き、批判した映画はある。いくらでもある。でも日本ではない。そんなのを作ってもヒットしない。それ以上に、そんなものを作って警察に睨まれたくないのだ。だから映画で警察が出てきても、皆、「いい人」ばかりだ。そして警察の「協力」をあおいで映画をつくる。テレビだって、「警察24時」のようなものばかりつくる。「犯罪捜査の為に警察はこんなに頑張っているんですよ」といった「報道番組」だ。あれも〈洗脳〉だ。さらに、「指名手配の犯人がまだ捕まりません。こんな男です。ぜひ情報を下さい」と国民に呼びかける。テレビは警察の〈広報〉だ。一億二千万国民を「総岡っ引き」にしようとしている。
「この日本を守っているのは俺達だ。命をかけてやっている。ガタガタ言うな」というのが警察の言い分だ。特に公安はそう思っている。だから、何だってやる。冤罪だって作る。
この映画のチラシには私の推薦の言葉も載っていた。
〈「俺たちは命をかけてお前ら国民を守ってやっている。この位のことをして何が悪い!」
警察はそう思っている。ポチの正直な告白だ。でも、その腐敗不正を見逃してきたメディアや我々だってポチなのだ!〉
これも警察にとっては「愛日映画」なのかもしれない。「日の丸をバックにした警察」を真向から批判し、斬る。勇気のある映画だ。「天皇陛下と警察」と並べて、「逆らえないもの」と言っている。問題のあるコピーだ。右翼から抗議は来ないのか。でも、来ない。皇太子さま、雅子さまへのバッシングを初め、「何でもあり」の状況になっている。「私は皇室を大切に思っている。だから文句を言いたい」と皆、勝手なことを言う。嫌な雰囲気だ。
それに、右翼の人たちは今、「週刊新潮」への対応で忙しい。例の、4週続いた朝日新聞阪神支局襲撃事件の「実行犯の実名告白」だ。児玉誉士夫、野村秋介といった右翼界のビッグな名前も出てくる。野村さんが「声明文」を書いたという。野村さんが下書きを書き、カオリさんにワープロを打たせたという。「噴飯ものだ。あり得ない!」と野村さんに近い人たちは激怒している。
私も、「野村さんが声明文を書いた」ということはないと思う。ただ、野村さんは生前、「赤報隊に会った」と言っていた。野村さんの事務所を訪ねてきたし、7人のグループだと言っていた。それを聞いて、私も、いろんな所に書いた。それを野村さんにも見せた。だから、間違いがない。
「週刊新潮」で「実行犯」だと告白した島村征憲氏は、この時の「7人」のメンバーなのか。だったら、確実に〈接触〉はあるはずだ。そのことを中心に書けばよかった。でも私の書いたものに依拠したくなかったのか。「新事実」を書いている。又、昔、「週刊SPA!」で、「赤報隊に会った!」と書いた男もいた。この男の会った「赤報隊」、野村さんが会った「赤報隊」、そして「週刊新潮」で告白した「赤報隊」。三つの「赤報隊」だ。闇の世界から現われて、表の世界に顔を出したのは、この「三回」だけだ。そのどれかが〈真実〉だ。いずれ明らかになるだろう。
では、『蟹工船』の話だ。本当は、初めから、この話をしようと思っていたのだ。『ポチの告白』のトークを終えて、打ち上げに行く時だ。映画館のロビーに、新作映画のチラシがあった。そこにあったんですよ。『蟹工船』が。「今夏、待望の全国ロードショー」と書かれていた。小林多喜二の原作を基に、「新機軸で映画化」するという。脚本・監督はSABU。主演は松田龍平。他には高良健吾、西島秀俊、新井浩文らだ。大杉漣、森本レオも出る。「TKO」の木下隆行、木本武宏も出るという。どんな映画になるのか、楽しみだ。革命映画になるだろう。
「このセカイを突き破れ!」とコピーが書かれている。「実録連合赤軍」を意識したコピーだ。革命映画の登場だ。チラシには、こう書かれている。
〈支配する者と支配される者。果てなき欲望と絶望の激突。原作160万部突破!社会現象、流行語TOP10・驚異のヒット再燃ベストセラー。新機軸で映画化〉
そうか。160万部も売れたのか。凄い。新潮文庫を初め、『蟹工船』は売れに売れた。多喜二の小説が全て収められた『ザ・多喜二』(第三書館)という本も売れた。『雨宮処凛が読む「蟹工船」』という本も出た。コミック版も出ている。一週間で300冊も売れた書店もあったそうな。それに、このブームで日本共産党に入る人がドッと増えたという。去年は「9千人増えた」と言ってたが、今年は、サンプロに出た志位委員長が「1万3千人増えた!」と誇らしげに言っていた。凄い。
『蟹工船』は小林多喜二が昭和4年に書いたものだ。80年前の作品だ。プロレタリア文学の傑作だ。新潮文庫では『党生活者』と共に収められて居る。私は学生時代から、何回か読んだ。読むたびに、感動し、勇気を与えられる。『ザ・多喜二』も読んだし、多喜二の小説は全て読破した。
『蟹工船』は、実は一度、映画化されている。今から56年前だ。1953年に、山村聡監督・主演で映画になっている。今、DVDになっている。私は買って、見た。なかなかいい。迫力がある。プロレタリア映画になっている。
もう一つ、多喜二のDVDがある。2006年に作られた。タイトルは、『時代(とき)を撃て、多喜二』という。「生きたい、書きたい」というサブタイトルが付いている。30才で官憲に虐殺された多喜二の切ない願いが込められている。池田博穂監督だ。
映画が完成した2006年に、中野ZEROホールで上映会をやっていた。見たいと思ったが、忙しくて行けなかった。今、DVDが出ていたので買って見た。てっきり、「劇映画」だと思っていた。誰かが多喜二に扮し、党活動をやり、天皇制国家と闘い、逮捕され、拷問され、殺される…と。多喜二の「闘い」を描いた濃いドラマだと思った。これこそが究極の「反警察映画」だ。そうなるのかと思ったら、違う。もっと、学問的、文学的な作品だ。
多喜二の生涯を紹介し、作品が朗読される。多喜二ゆかりの人が出てきて話をする。多喜二研究家が出てきて文学の解説をする。知らないことも多かったので、勉強になった。『新潮日本文学アルバム・小林多喜二』を映像で見るような感じだった。
多喜二の文学の解説が特によかった。『蟹工船』では、「納豆の糸のような雨」といった表現がある。労働者の目で見た形容だ、という。表現・描写の一つ一つが、プロレタリア的だし、労働者の眼なのだ。ブルジョア的な、手垢のついた「表現」「形容」はしないぞ!という心意気が見える、という。これは知らなかった。ものを書く人間として、ショックだった。そういえば、表現が確かに労働者的だ。「手や足は大根のように冷えて、感覚なく身体についていた」「船は、背に食いついている蛇を追払う馬のように、身体をやけに振っている」「兎が飛ぶどォー兎が!」「もう海一面、三角波の頂きが白いしぶきを飛ばして、無数の兎が恰も大平原を飛び上がっているようだった」。うーん、うまいね。とても勉強になった。私なんて、いつも、いい加減な形容詞しか使ってない。リアルな描写も出来ん。「これはリアルだ」と書くだけでは、リアルではない。どこがどう、リアルなのかの具体的な描写がなくてはならん。それも、労働者の言葉、労働者の表現で…。私ならば、「民族派の、生活臭のある言葉、表現」でやらにゃならんのかもしれん。難しい。私には無理だニャン。
それにしても不思議だ。理解が出来ない。『蟹工船』を読んで、なぜ、日本共産党に若者が入るのだろう。それも、1万3千人も入ったという。分からん。
派遣やフリーターの生活は、まるで『蟹工船』の世界だ。「オレっちもカニコーだ!」と思って入党したのか。しかし、全く違う。カニコーじゃ、労働者が酷使されるだけではない。どんどん死んでゆく。殺されてゆく。又、新潮文庫の『蟹工船』には、『党生活者』も入っている。入党した人は、これも皆、読んだはずだ。
当時の日本共産党は非合法だ。入っただけで逮捕された。それなのに、多喜二は、「危ない活動」「非合法活動」に入り、レポ(連絡)やオルグ(勧誘)をやる。それも皆、当時は、「犯罪」だ。党に潜入したスパイによって多喜二は警察に捕まる。拷問され、殺される。「アカなんか殺していいのだ」と警察は思っていた。どれだけの人々が警察によって殺されたことか。それも、「天皇陛下」の名のもとに殺したのだ。ひどい話だ。警察こそが「日本最大のテロリスト」だ。それに比べたら、右翼や左翼のテロなど小さい、小さい。無きが如しだよ。
ともかく、多喜二の活動した頃の日本共産党は、警察からも、そして世間からも、「危ない人々」「犯罪者」「非国民」と思われていたのだ。限りなく、デンジャラスな世界だ。何せ、入党しただけで捕まる。お金をカンパしただけで捕まる。そして拷問され、殺される。恐ろしい。その中で、日本共産党は闘ったのだ。小林多喜二も闘ったのだ。凄い。偉い。
ところが今、日本共産党には、そんなデンジャラスな雰囲気はない。入党したからといって逮捕されない。日共に勧誘したからといって拷問され、殺されない。合法政党だ。つまり、多喜二の本を読んで、多喜二と同じ闘いをしたい、と思っても、もう日共にはそんな雰囲気はない。あの当時の「緊張感」や「過激さ」や、「危険さ」を求めるのなら、むしろ新左翼過激派に入るしかない。あるいは、「赤報隊」に入るしかない。
2月16日(月)、阿佐ケ谷ロフトに出た。新左翼過激派の「戦旗派」にかつて所属して危ない運動をしていた早見慶子さん、秋山喜一さんたちと話をしたので、そのことを言った。「君たちこそが、ゲンダイの小林多喜二じゃないか!」「君たちこそが、今『党生活者』を書け!」と。多喜二の生活・闘いに感動して日共に1万3千人も入党した。その若者を取り戻せよ!「お前たち、勘違いをするな! 多喜二の活動を追体験したいのなら、我々新左翼過激派に来いよ!」と。そう呼びかけ、レポし、アジり、オルグするべきだろうよ。と、私はアジってやりましたよ。
この日のロフトは、メインテーマが〈「希望は戦争」か?「希望は愛」か?〉だった。「希望は戦争」の赤木智弘さんも来ていた。司会は金垣広行氏。他に「夜回り組長」の石原さんが出る予定だったが、出れなくなり、その「穴埋め」で私は前日、頼まれたのだ。ロフトには、そんな時でもないと出してもらえない。だから、行きましたよ。カゼを押して。しかし、いつまでも、カゼをひいている。集中して寝りゃいいのに、京都に行ったり、ロシアに行ったりしている。それに、見沢知廉氏の見舞いに行ったり…と。だから、カゼの治る暇がない。
そうだ。「見沢さんは本当に生きてるんですか?」「生きてるんなら会わせて下さいよ」と何人かから言われた。知らねえよ。そんなこと言ってる奴がいるのかよ。
では、ロフトの話だ。早見、秋山氏は元「戦旗派」だ。会場にも、元戦旗派の人がいた。いわば、戦旗派の決起大会のようなもんだ。早見さんは、その当時の過激な闘いが忘れられなくて、『I
LOVE 過激派』(彩流社)という本を出している。けなげじゃないか。戦旗派といったら、成田では暴れる。皇居にロケット弾を撃つ。天皇制国家を実力で打倒しようとしたんだ。敵ながら天晴れですよ。それで、全国の右翼が、「売国奴!」「非国民!」「国賊!」と叫んで、戦旗派の事務所に押し寄せた。あの時は、私も行ったな。「国賊め、許さん!」と叫んで。
そんな戦旗派なんだから、「多喜二が好きなら、我々のとこに来い!」と言えばいい。早見さんも、戦旗派時代の非合法、過激な運動を、もっともっとリアルに書けばいい。『女・党生活者』でもいい。中川文人氏は『女過激派、愛欲の日々』『女ゲリラ、爛れた生活』を書けと言ってたが、私はそんな失礼なことは言わん。でも、多喜二と同じ闘いをやつてきたんだ。〈記録〉として、〈文学〉として残す必要がある。
そうだ。テレビ朝日で、『警官の血』をやってたな。二夜連続で。佐々木譲の原作だ。祖父、父、本人と三代の警官だ。祖父は警察内部の内ゲバで公安警察官に殺される。父は、「潜入捜査官」として、赤軍派に入り込む。そして大菩薩峠の軍事合宿に参加する。全員逮捕される。その後は、「東アジア反日武装戦線〈狼〉」などに潜入する。凄い話だ。よく、ここまで描いたと思う。
「大菩薩峠」の逮捕の時は、「実は公安が潜り込んでいて、それで逮捕されたんだ」という話が実際にあった。本当は、ズサンな組織で、予備校生なども、訳も分からず参加した。警察にだって筒抜けだ。「いや、そんなことはない。鉄の組織だった。公安のスパイが潜入したから、逮捕されたんだ」と赤軍派は言っている。そう「思いたい」だけなのだ。
ただ、警察が目をつけ、監視する必要のあった運動だったことは事実だ。テレビドラマを見て、そのことを再確認した。
若松孝二監督は、次は『山口二矢』を撮りたいと準備を進めている。又、大浦信行監督は、映画『見沢知廉』の撮影に入ったという。骨折して病院に入院している見沢氏にもインタビューしたのだろう。8月21日(金)〜23日(日)の『見沢知廉生誕50年展』では「劇団再生」の「天皇ごっこ〜調律の帝国」の舞台、そして高木尋士氏と私のトークがあります。そこに、大浦監督も参加してくれることになりました。「死後に成長する命・言葉・人生」をテーマに、3人で、トコトン語り合います。ご期待下さい。急遽、見沢知廉氏も「特別出演」するかもしれません。
そうだ。今週の写真ですが、2月14日(土)に行われた、「和歌山カレー事件を考える人びとのつどい=第1回東京集会」の写真も載せました。何と、私が「開会の挨拶」ですよ。「何でお前が」と皆、驚いたでしょぅが、私も驚きました。マイクも嫌がって、ピイピイ音を出して、通じませんでした。抵抗してたのでせう。主催者を代表して、ともかく挨拶しました。林眞須美さんの夫の、林健治さん、安田好弘弁護士とも写しました。講談師の神田香織さんにも会いました。
〈うけ狙いのポピュリズムとオタク化の進む学界。紋切り型の右翼・左翼から抜け出せない、論壇。書店に溢れるお手軽な「下流」新書〉
きびしい批判だ。実は、この本の中には、私の本(『愛国者は信用できるか』)の書評も入っている。初出は『読売新聞』(2006年7月16日朝刊)だ。ありがたいです。
〈左(派)の姜尚中(東大教授)には右(派)の鈴木邦男(本書の著者)を並べたい。論客という意味だけで並べるのではない。左右を問わず論客は、正論をぶつから、どこかいかがわしさをぬぐいきれない。しかし、この二人に共通するのは、「この人は嘘をいわない」とおもわせるキャラである。反対陣営の意見にも十分考慮する軟らかさも共通している。九州弁(姜)と東北弁(鈴木)の訛りがかすかにまじる話しかたにも共通で、親しみを感じさせる〉
いやー、ありがたいです。嬉しいですね。ここまで誉めてもらったことは今までありません。そして、本の書評に入る。さらに最後が特によかったです。ありがたかったです。
〈本書カバー裏著者略歴欄には住所が掲載されている。批判や質問をいつでも受けつけるという意味で載せているのだろうが、「みやま荘」という1960年代木造アパート的名称が著者高感度をアップさせずにはおかない〉
「みやま荘」に住んでいてよかった。もう35年も住んでいる。生涯、「みやま荘」ですよ。
そうだ。この本には早見慶子さんの『I LOVE 過激派』の書評も入っていた。大いに誉めてました。