『「蟹工船」を読み解く』(データハウス)を出したから、次は、『「週刊新潮」実名告白手記を読み解く』でも書こうかな。そんな執筆意欲を掻き立たせる連載だったな。「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」と題する実行犯・島村征憲氏の手記だ。「週刊新潮」で4週にわたって連載され、第4回目(2月26日号)で最終回になった。
1987年(昭和62年)5月3日、阪神支局を襲撃した男は記者1人を殺し、1人に重傷を負わせている。「赤報隊事件」とも呼ばれる。この赤報隊はさらに朝日新聞名古屋本社社員寮を襲い、静岡支局に爆弾を仕掛けた。さらに襲撃は続き、元リクルート会長江副宅も銃撃した。「警察庁指定116号事件」になった。しかし、犯人は分からない。2003年(平成15年)に、時効は成立した。
そしてこれはコールドケース(未解決事件)となり、「実行犯」は闇に消えた。もう出て来ることはない。そう思っていたのに…。
しかし、この島村征憲氏という男は凄い男だ。たいしたものだ。たとえ時効成立とはいえ、「私が犯人です」と実名で名乗りをあげたのだ。普通なら絶対にしない。たとえ犯行現場で捕まっても、「私は殺してない」と否認する。それなのに自分から名乗り出たのだ。
でも、彼は本当は「実行犯」ではないようだ。ではなぜ、リスクを冒し、「実行犯」だと名乗り出たのか。ただの「狂言だ」と言う人もいる。いや、「真相を覆い隠すための確信犯だ」と言う人もいる。又、一説には「身代わり説」がある。
「赤報隊」の容疑者としては、10人の新右翼関係者が今まで名前が挙がり、徹底的に調べられた。
その「10人の容疑者」の1人と島村氏は親しい。懇意だ。何せ、刑務所にいる時でも年賀状をキチンと出すほどの仲だ。その「最重要容疑者」の冤罪を晴らすために、敢えて「身代わり」で名乗り出た。というのだ。まさか、と思うが、それが本当ならば、「美談」だ。この暗い世の中にあって、そこだけはポッと明るくなるような献身的な、同志愛、友情の物語だ。とらわれた友人のために命をかける、太宰治の『走れメロス』のようだ。この島村氏の美談は、50年後、小学校の国語教科書に載るだろう。
でも、そんな、「きれいな話」としては理解しない人が多い。人の心も荒んでいるのだ。「そんな美談ではない。狂言だ」という人が多い。「金のために、ありもしない話をデッチ上げたのだ」と言う。「刑務所に入ってると、よくそういう事が起こる」と言う人もいる。刑務所で何年も閉じ込められていると、いろんな妄想が湧く。「こうだったらいいのに…」「あの事件はこうだったのではないか…」と。そのうち、自分もそこに入ってくる。事件の主人公になったりする。
ドストエフスキーや見沢知廉氏のように、獄中の妄想・空想・想像を「小説」にして発表する人もいる。それで大作家になった。「週刊新潮」の連載も、島村氏の「小説」かもしれない。そう読むと、よく出来ている。登場人物も多いし、スケールも大きい。北朝鮮のニセ札、アメリカ大使館、CIAも出てくる。右翼の大物やヤクザも出てくる。映画のシナリオのようだ。(荒俣宏の『帝都物語』は小説だが、三島由紀夫と森田必勝が実名で出てくる。そして悪の一味と闘う。僕だって、変なSM小説に実名で出たことがある)。
そういう手もあったのだ。一橋文哉や、別冊宝島でよくやるように、〈推理物〉としてやればよかった。島村氏は仮名にし、右翼の大物たちも仮名にする。そうしたら、何ら問題はなかった。「犯罪エンターテインメント」として、皆、楽しんだだろう。
あるいは、島村氏に振り回された朝日新聞を初めとした週刊誌、新聞をからかい、揶揄してもよかった。それこそが、「週刊新潮」の本領を発揮できただろう。島村氏は、結構、筆マメだ。いろんなマスコミに獄中(網走刑務所)から手紙を出している。「私が犯人だ。話を聞いてくれ」と。新右翼の「赤報隊容疑者」とも、何度も手紙をやり取りしている。(これが、「身代わり説」の出る元になっている)。
手紙をもらった朝日新聞社は慌てて、網走刑務所に行った。昔と違い、今は刑務所の「囚人」は手紙のやり取りも出来るし、面会も出来る。こうした人権上の「改善」が起こした〈事件〉だったと分析する犯罪評論家もいる。(彼によれば、これからこうしたケースはどっと増えると断言する)。
朝日新聞社は、島村氏との面会の経緯を発表した。そして、「真実ではない」と断定した。「実行犯の俺が言ってるのに、それはないだろう」と島村氏は怒った。そして、「週刊新潮」をはじめ複数の週刊誌に話を持ち込んだ。
話を持ち込まれた段階で、いつもの「週刊新潮」なら、こう思うはずだ。「これは面白い。獄中の人間の話に天下の朝日も振り回された。網走まで呼びつけられた。お笑いだ」と。その〈経過〉を揶揄して書き、島村氏を仮名にし、その「創作」を面白おかしく書く。勿論、「右翼の大物」は仮名にする。あるいは、「右翼の小物」の「容疑者K」にしてもいい。こいつなら、根性がないから、抗議なんかしない。「有名になった」と脳天気に喜ぶだろう。そんな奴だ。
それが「週刊新潮」の今までのやり方だ。正しいやり方だ。でも、何故か、「週刊新潮」は変わった。いつまでも冷ややかに揶揄したり、からかったりする自らの姿勢に嫌気がさしたのだ。そして、熱くなった。青年のような正義感を取り戻した。島村氏と会い、何十時間と話を聞いた。そして信用した。自分に不利になる話を、こんなに真摯に語る男はいないだろう。それに、やってもいない殺人を告白する人間だっていない。この話は本当だ、と思った。今まで、シニックに、疑い深く、世の中を見ていた自らの姿勢を反省した。性悪説から性善説へと変わった。「コペルニクス的転回」だ。そして、史上例のない4週続きの「実名告白」となった。これも美談だ。私など思わず、もらい泣きをした。普段の冷たい心が溶かされ、温かいものを感じた。
「週刊新潮」も大したものだが、島村氏が凄い。偉い。人徳があるのだろう。ここまで「週刊新潮」を信じさせ、取り込んだのだから。だって、考えてもみて下さいよ。「週刊新潮」は、文句なく、日本最大・最高の週刊誌だ。ここに書いてることは〈真実〉だと皆、思っている。右翼の人たちだって、「週刊新潮」をみて、行動する(ことが多い)。たとえば、「週刊金曜日」の集会で不敬なコントがあった。映画「靖国」は反日映画だ。渡辺文樹監督の「天皇伝説」はひどい。不敬映画だ。…そう書けば、それをみて、右翼がドッと抗議に行く。これを100%、信じる。それだけ、(権威)がある。
又、「週刊新潮」の編集者、記者たちは日本で最高のジャーナリストだ。批判精神もある。悪くいえば、すべての事件に対し、執拗だし、執念深い。猜疑心の塊だ。これは、政治家や経済人、左右の運動家以上だ。それだけ、優秀・有能なのだ。そんな人々を相手にして、島村氏はたった1人で、話をし、「信用」させてしまったのだ。「説得」したのだ。とてつもない能力だ。奇跡ではないか。
たとえば、麻生首相や中川氏などを騙す方が簡単だ。いや、自民党も民主党も、結構、人のいい人間ばかりだ。コロリと騙される。「週刊新潮」は、そうではない。もっと疑り深い。人間の心理の裏の裏を読む。人が悪い。それだけ有能だ。そんな、猜疑心の塊集団が、島村氏を何十時間も「尋問」した。それで、「この人間こそ実行犯だ」と確信を持った。
いろんな「証拠」を見せられたのか。阪神支局で殺人をやり、その時、そこにあった「緑色の手帳」を奪ってきたという。それを見せられたのか。でも、どうも見てないようだ。
では、口だけで信じたのか。その態度と口だけで「週刊新潮」は説得され、信じ込んだようだ。だったら、凄い才能だ。「週刊新潮」を手玉に取るということは、自民党や民主党を手玉にとる以上に難しい。それを島村氏はやったのだ。大したものだ。偉い。「週刊新潮」を手玉に取ったということは、日本という国家を手玉に取ったことだ。
これは、勿体ない話だ。こんな能力のある人間は、いつまでも「告白手記」などさせることはない。外務大臣にしたらいい。北朝鮮との「人質」奪還交渉、ロシア、韓国、中国との領土交渉を彼にやらせたらいい。彼の目を見つめ、話を聞くだけで、皆、説得され、手玉に取られるだろう。「あれ?知らない間に人質を返しちゃったよ」と将軍様は言うだろう。「変だな。こっちの言い分を強硬に主張したはずなのに、島を日本に返していたよ」とロシア、韓国、中国も悔やむだろう。それだけ能力のある男だ。ともかく、この男の説得術・交渉術は凄い。外務大臣になる前に、『悪の説得術』『悪の交渉術』も書いて出したらいい。新潮社から。ベストセラーになるだろう。「私たちも騙されました」と帯に、「週刊新潮」編集部も書いたらいい。さらに、「北朝鮮、ロシアも騙してほしい!」と書いたらいい。
さて、これから本題だ。おいしい話は最後にくる。ここに一枚の葉書がある。今年の年賀状だ。これ位なら発表してもいいだろう。「信書の秘密」には触れまい。「実行犯」島村征憲氏が、「容疑者K君」(私だ!)に宛てて出した年賀状だ。「謹賀新年 本年も幸多き年でありますよう 心からお祈りいたしております 元旦」と書かれている。そうですね、あなたのおかげで「幸多き年」になりそうですよ。そして、左に住所と名前だ。この番地だけで刑務所と分かる。刑務所の人は、「○○刑務所」とは絶対に書かない。拘置所にいる人もそうだ。番地だけで分かる。そうなっている。島村氏の葉書の右下を見てほしい。「網」が丸で囲まれている。「網走刑務所」の印だ。
さて、これからが重要だ。普通、刑務所にいると年賀状を出す気分ではない。もらった方も出すが、刑務所の囚人に、「おめでとう」というのも何となく気が引ける。だから、そんな「遠慮」を取っ払った、同士や、心の通じる人にだけ年賀状を出す。「実行犯」が「容疑者」に年賀状を出したということは、それだけの心の通った友人だった、という証拠だ。その前に、何度も何度も手紙のやり取りをしたということだ。その中で、「容疑者」は何らかのヒントを与えたのか。2人で「世間を騒がせること」を相談し合ったのか。それは分からないが、手紙のやり取りはあった。又、自分の本も送ってやった。
書けるのはここまでだ。「島村氏から何回も手紙が来てるんでしょう。見せてくださいよ」と、マスコミにいわれたが、お断りした。だって、「信書の秘密」じゃないか。島村氏と手紙のやり取りがあったことも、黙っていた。でも、島村氏が「週刊新潮」に言った。じゃあ、私も認めていいのかと、認めたのだ。手紙の内容だって?島村氏が発表しない限り、私は発表しない。ガサをかけられても、もう家にはない。
私を信用して手紙をくれたのだ。それは守秘義務があるたろう。これは、赤報隊事件の本物の「実行犯」との間の信義でもある。又、週刊「SPA!」にも書きかけて止めた「例の事件」の犯人たちとの信義でもある。私を信じて、近づき、秘密を話してくれたんだ。それは守る義務があるだろう。それだけは律儀に守ってきた。いい加減な私だが、それだけが取り柄だ。又、それがあるので、今まで殺されずに生きている。
さて、これからが本題だ。本題が、いくつもあるのだ。赤報隊事件が時効になる直前、「週刊新潮」に取材された。もう時効だと思ったから、かなり思い切ったことを喋った。きわどい話もした。慎重に言葉を選びながら、喋った。私も、「週刊慎重」だった。ちょっとヤバかったかな、と思った。ところが何と、この記事はボツになった。慎重に喋りすぎて、「面白くない」。それが理由のようだ。何事も、真実はそんなに派手ではない。何だ、こんな事かと思えるようなものだ。私の話には、アメリカ大使館も北朝鮮も、偽ドルも出てこない。ひっそりと暮らす「潜在右翼」の話だ。面白いはずはない。でも、ちょっとショックだった。
赤報隊に会い、一番犯人と近いと思われた「容疑者」の話は、「面白くない」し、「リアリティがない」と思われてボツになった。ところが、島村氏の話は、「真実」と思われ、4週も載った。負けた!と思った。それだけ、「週刊新潮」を信用させ、手玉に取る男だ。こんなことをしてるんじゃ、勿体ない。外務大臣にしてやれよ、と私が思った理由だ。
時効直前、もう一つ、「言い過ぎたかな」と思った記事がある。あの当時、浦沢直樹の「MONSTER」が大ヒットしていた。それをある週刊誌が特集していた。私も取材された。この漫画を描いた浦沢直樹も、「本当のモンスター」には会ってない。だが私は会った。実にストイックだ。女と見紛う人間だった。優男だ。この彼の中に、どうしてあのような熱気や狂気があるのだろう、と思った。そんな話をした。しまった、喋りすぎた、と思った。記事を取り消してもらおうかと思ってたら、その週刊誌が送られてきた。私のコメントはボツになっていた。「面白くない」「リアリティがない」と思われたのだ。「本当」や「真実」は、地味で面白くない。何か事件があると、ドラマティックな展開や、外国大使館や大金や政治家が蠢く構図を思い浮かべるかもしれないが、「犯罪」とは、もっと地味なのだ。ありきたりのことだ。
さて、本題だ。本題の3つ目だ。時効直前、私のアパートが放火された。直後、「赤報隊」の名前で犯行声明文がきた。「これ以上喋ると殺すぞ!」という脅しだ。しかし、週刊誌に喋っても皆、ボツにされたんだ。これはおかしい。多分、これで私を混乱させようとしたのだろう。「これだけ赤報隊を庇い秘密を守ってきたのに、これはないだろう」と私が赤報隊に文句を言いに行く。その(動き)を察して公安が逮捕する。そんな意図があったのだろう。放火犯がそこまで考えたか。あるいは第三者を介して、そういう意図が働いたか。それは言えないが、確実にあった。
しかし、「容疑者」は動かなかった。犯人を信じていたからだ。犯人は殺人をするほどの「悪党」だが、彼らは信念に基づいてやった。こんなチャチなことはしない。「犯人」と「容疑者」にのみ通じる信義であり、信頼だ。
その後、「放火犯はこの男だ」という密告が何度もあった。警察だって、この男だと断定している。訴えたら、すぐに捕まえると言う。しかし、私はそれも拒否した。その右翼の青年は、真面目な男だ。この国を憂えている。それなのに、「右翼の内ゲバで放火した」と捕まったらかわいそうだろう、そう思った。どうせ捕まるなら、もっと大きな事をしたらいい。国政を揺るがすような、救国の行動をしたらいい。そう思って、警察には届けなかった。
といって、犯人に怒りがないわけではない。当時は怒り心頭だった。もし、放火現場で捕まえていたら、自分の怒りを制御できなかったと思う。殴りつけただけでは済まない。殺してしまっただろう。そうしたら、殺人犯として今頃、網走刑務所だ。そこで、「あの事件は俺がやった」「この事件も俺がやった」と、朝日新聞社や「週刊新潮」に、せっせと手紙を書いていただろう。そう、島村征憲は私なのだ。
①大阪朝日放送の「ムーブ!」が終わってしまいました。最後の「ムーブ!」に出た時の写真です。終わって出演者でお酒を飲みました。大谷昭宏さん、藤井誠二さん、本村健太郎さん。そしてアナウンサー、局の人たちとです。
④3月6日(金)の午後は河合塾コスモの「千秋楽」に行きました。後期の授業が終わって、打ち上げのイベントですな。卒業生が中核派のヘルメットを持ってきた。だから、それを被って写真を撮った。でもどうして分かったんだろう。私が中核派の秘密党員だと。