左翼は「山」だ。右翼は「海」だ。
真理を悟った、と思った。中島岳志さんと「マガジン9条」で対談した。3月18日(水)だ。3時間、話し合った。相手は新進気鋭の学者だ。『バール判事』『中村屋のボース』などの素晴らしい本を書いている。日本のナショナリズムについて、右翼思想家について、ボース、パールについて、実に詳しい。何でも知っている。
私なんて話について行けるのか、と心配だった。だって、大学時代、気がついたら〈右翼〉になっていた。それで、なりゆきで右翼の世界で生きてきた。それだけだ。〈右翼〉を客観的に、思想的に考えたことなんてない。それに比べ、中島さんは、キチンと学問的に研究している。日本の近代史、そして近代思想史の中で、右翼はどう位置づけられるのか。その辺のことも講義してもらった。「右翼とは何か」を右翼が講義してもらった。新鮮だった。教わることの多かった対談だった。
午前10時から1時まで、3時間も対談した。対談が終わって、ふと気がついて聞いた。名前のいわれだ。「岳志」さんだ。お父さん、お母さんが山好きで、それで付けたのかと思った。私の推理は当たっていた。こういうことだけは当たる。たとえ、思想的な話は難しくて、付いて行けなくても。
「父が山好きなんです」と言う。よく登山してたそうだ。お母さんも山好き。結婚して2人で登山をし、そこで生れた子供だそうだ。「父は左翼だったんです」とも言う。「左翼は山好きなんですよ」と私は断言した。「そうなんですか?」「そうです」と教えてあげた。
旧くは、武装共産党時代の「山村工作隊」がある。山に登り、村に入り込み、革命の拠点をつくろうとした。又、1970年の「大菩薩峠」の「福ちゃん荘」事件。ここに結集した赤軍派が警察の急襲で全員逮捕された。ここから打って出て、「東京戦争」をやる予定だったのに。惜しかった。左翼は皆、山で会議をし、合宿し、訓練をする。左翼は皆、山に登るのだ。
左翼は大菩薩峠で根刮ぎ逮捕されたと思ったら、残党がまだいた。1970年3月に、赤軍派の9名は、日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に飛ぶ。又、1972年にはあの「連合赤軍事件」がある。山に登り、訓練をし、そして仲間同士で総括し、殺した。
さらに、見沢知廉氏や早見慶子さんたちが所属していた新左翼過激派「戦旗派」も山登りが好きだ。代表だった荒岱介さんの本にも出てくる。左翼にとって、命をかけて山登りし、訓練することは、革命運動の「予行演習」になる。又、立派な革命家を作ることにもなる。だから、左翼は皆、山を目指す。
では右翼はどうか。「海」なんだ。あるいは、「川」であり、「水」だ。1960年の「革命の危機」が声高に叫ばれていた時、右翼は海岸で「武闘訓練」をやっていた。海岸にわら人形を立てて、それを突く練習をしていた。週刊誌のグラビアにもよく出ていた。覚えている人も多いだろう。
(一水会だって、よく海岸で合宿していた。そして、相撲大会をやっていた。私は相撲は強かった。今だって負けんよ。
「70年危機」の前も、武闘訓練はよくやっていた。「わら人形」を社会党、共産党と思って、突き殺す練習をしていたのだ。左翼は山で仲間殺しをし、右翼は海で殺しのシミュレーションをしていた。殺伐とした時代だった。命がけの時代だった。山で殺すか、海で殺すか。それで左右を分けていた。
だから逆から見たら、こうも言える。山好きの人は皆、左翼になる。海好きの人は皆、右翼になる。なんだ。簡単だ。若松孝二さんの映画「実録・連合赤軍」も、山のシーンばっかりだ。
中島岳志さんのお父さんは左翼で、山好きだ。だから「岳志」と名付けた。じゃ、岳志さんも山好きなの?と聞いたら、嫌いだという。山登りなんかしたことがない。父親への反撥なんだろう。「山への反撥」「左翼への反撥」もあって、保守派になった。ナショナリズムを研究するようになったという。岳志と命名された時から運命は決まったのだ。もし、「洋」とか、「海男」という名前だったら、それに反撥して、左翼になっただろう。
左翼というわけではないが、椎名誠(作家)の子供は岳(がく)君だ。『岳物語』という本もある。椎名誠は好きで、私は全部読んでいる。椎名は山好きで、だから子供に岳と名付けた。こっちは、子供も山好きになった。このことから、ピンときて、中島さんのお父さんも山好きだろうと思って聞いたのだ。ピッタシカンカンだった。でも左翼とは思わなかった。しかし、これがヒントになって、「左翼は山、右翼は海」という〈真理〉を発見したのだ。50年後、日本史の教科書には載るだろう。「当時、何故か、山好きの人は左翼になり、海好きの人は右翼になりました。山派か海派かをめぐって左右の思想地図は生まれました。この真理を発見したのは…」と。
では何故、左翼は山に登り、右翼は海を目指すか。その思想的・心理的分析に進む。私の発見は決して、単なる「思いつき」ではないということを実証しませう。左翼は〈論理〉で、右翼は〈情緒〉だ。「左右の対立は、詩(ポエム)と散文の対立だ」と言った人もいた。つまり、両者は「水と油」だ。対話が成り立たない。別物だ。左翼は論理で、散文だ。その積み重ねだ。山のように積んでいく。だから、山登りなのだ。
右翼は情緒であり、ポエム(詩)だ。流れ去るものだ。だから、右翼の団体の名前は「一水会」にしろ、「水」のつくものが圧倒的に多い。(他に言ってみろよ、と言われても困るが)。
水は万物の源だ。右翼だけでない。人類のルーツは海なのだ。海は人類のルーツだ。母だ。だから、見てみんしゃい。「海」という字の中には、ちゃんと「母」がいる。一水会という名前も、そこから出来た。「一(はじめ)」に水があったという哲学者の言葉から一水会と付けられた。崇高な命名の由来があったのだ。「第一水曜日に集まっていたからだ」という説もあるが、これは民族派を思想的に葬り去ろうという〈陰謀〉で言われているのだ。気をつけてほしい。
そうそう。関西の女子大生が卒論のコピーを送ってよこした。日本のナショナリズムを研究してるという。「右翼、左翼は死滅して、彼らの言葉は〈気象用語〉としてだけ残る」と言う。いや、そう断言した人の言葉をひいている。(誰が言ったんだろう。どうも私らしい)。たとえば、「ゲリラ豪雨」という言葉がある。局地的に、すさまじい雨が降ることだ。左右のゲリラ闘争がなくなったから、安心して、「気象用語」として使われている。極左・戦旗派が皇居にロケット弾を撃ち込んでたり、中核派がゲリラ闘争をやってた時なら、怖くて、「ゲリラ豪雨」なんて使えなかった。今だって、イラクやアフガンでは使えんだろう。「ゲリラ豪雨」なんて言ったら、本物のゲリラが銃を持って襲ってくるよ。日本だから安心して、「ゲリラ豪雨」なんて言ってるんだ。
さらに、左右両翼の〈気象化〉は進むだろう。大雪が降って、交通がストップしたら、「リンチ大雪」「総括豪雪」と呼ばれるだろう。突然、発生し、大きな被害を与えるハリケーンは、「ハリケーン・テロ」だな。
テレビでは「天気予報」の時に気象予報士さんが出てくる。試験もある。その試験では、「連合赤軍について述べよ」とか、テロ、ゲリラ、総括、新右翼なんかについて聞かれるんだろう。じゃ、面倒だ。左右の活動家は皆、気象予報士になればいい。
そういえば、「右翼のテロはミニスカートで、左翼のテロはキュロット」だ。と言ってた人もいた。うまいね。右翼は堂々としてやる。逃げない。露見するのを覚悟でやる。ところが左翼は逃げる。「人民の海」に逃げたりする。(そうか「海」に逃げる左翼もいるのか。でも、これは本当の海じゃない。比喩だよ)。卑怯だ。潔くない。それでキュロットだ、という。見えそうで見えない。ズルイ。「当時は、〈ミニスカート型テロ〉と〈キュロット型テロ〉と呼ばれていた」と50年後の日本史の教科書には書かれるさ。右翼・左翼の言葉は、「気象用語」になり、アパレル用語になる。
左翼は山であり、右翼は海だ。ということは、左翼は〈高み〉を求め、右翼は〈深さ〉を求めるということだ。左翼は論理を緻密に積み重ね、その高さを目指す。左翼の内ゲバはその高さを競っての争いだ。右翼は、情緒、詩であり、つかみどころがない。同志の血盟の深さを競い、天皇信仰の深さを競う。生命の根源は水だ。我々だって、海の水から発生し、進化してきた。今だって水だ。身体の7割以上は水なんだし。今だって海につながったままだ。我々の人生は〈海物語〉だ。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』にも出てくる。人類は母親の胎内にいる十ヶ月の間に、はるか太古からの「万有進化の実況」を追いながら人へと変わっていく。母親の胎内で、胎児は魚の形だが、次に爬虫類の形になり、猿の形を通り過ぎ、そして人間の形となる。
この位のことは皆、知ってるだろうが、夢野久作はさらに言う。その成長の間に胎児は夢を見るのだと。先祖の単細胞生物時代の生き残りをかけた壮絶な生存競争の記憶という夢を。そして、先祖の記憶に追い立てられて、その細胞は母親の胎内で恐れおののくがごとく、刻々とその姿を変える。
そうか。我々は胎児の時に、意識的にそういう大きな戦いを生きてきたのだ。そして、「太古からの進化」を追体験し、やっと〈人類〉にたどりつく。その〈人類〉になった時、胎児は又、夢を見る。人類になってから我々の祖先がやってきた悪業の数々を見ることになる。私利私欲にまみれ、悪辣な方法でこの世に生き残ってきた自分の先祖の記憶だ。マンモスと戦っていた時代。縄文時代。戦国時代。そうした時代を通して、犯し、殺してきた残虐な歴史だ。胎児はそれを見る。スクリーンに映し出された映画のように、それを見る。そして、胎児はその夢を見終わるまで、ピクピクと母親の胎内で怯(おび)え続けるのだ。
その祖先の精神心理は、人の三十兆といわれる細胞のひとつひとつに刻まれ、子孫に受け継がれていく。だから我々は気づくだろう。その細胞のひとつひとつが意志を持ち、驚くべき霊力を放ちつつ自分たちを構成していることを。人の記憶や意志は脳髄だけにあるのではなく、全身に行き渡っている。我々の人格は、祖先の記憶が集まり構成され、形成されたものに過ぎないのだ。夢野久作はそう言うのだ。だから、臓器移植された場合、「前の持ち主」の記憶がそのまま残っている。新しい持ち主を苦しめることはよくある。又、戦国時代に生きていた武士の〈記憶〉が突然、甦り、大量殺人をやったりする。戦争で、暴力、殺人が大量発生するのは、「似た状況」を与えられることによって、戦国時代の〈記憶〉が呼びおこされるからだ。恐ろしいことだ。
ちょっと殺伐とした話が続いたので、爽やかな話をしよう。「胎児の夢」を育むのも水ならば、この世の人間に、「新たな生命」を与えるのも水だ。胎児の夢を断ち切り、新しい世の中をつくるためにも、「生命の水」をそそぐ必要がある。悪夢を癒し、目覚めさせるのも「水」なのだ。
ここで、「水五訓」を紹介しよう。樋口武男『熱湯経営』(文春新書)に出ていたのだ。「水五訓」は、曹洞宗大本山・永平寺の管長からいただいた言葉だという。以下の言葉だ。
「水五訓」
なかなかいいね。我々は水から生まれ、そして、今も水なのだ。その水の特性を生かして生きたらいいのだ。そう言ってるようだ。
この本を書いた樋口武男だが、経済界では有名人なんだ。奇跡の経営者だ。1938年兵庫県生まれだから、今、71才か。関西学院大卒。はじめ、無意識にこの本を手にとった。『熱湯経営』というから、お風呂やさんかと思った。銭湯で成功した人か。あるいは、背中を流す女の子のいるお風呂とか。でも、本のサブタイトルは「大組織病に勝つ」になっている。組織論だろう。経営論だろう。そう思って買った。
この人は、1963年、大和ハウス工業に入社する。実力もあった。よく働いた。グングン出世して、89年、常務取締役。91年、専務取締役になる。ところが、93年、子会社に飛ばされる。大和団地(株)代表取締役になる。「これで、もう終わりだ」と思ったらしい。子会社に飛ばされて、本社に戻って来た人はいない。しかし、樋口は頑張った。「水五訓」で頑張った。「水」の力だ。そして何と、2001年、大和ハウス工業(株)代表取締役として復帰した。それから数々の改革を打ち出す。
03年3月期に、2100億円の特別損失を一括処理。創業以来初の赤字決算の後はV字回復を遂げる。06年3月期には住宅業界トップの座についた。凄いね。こういう人に日本の経済対策をやってもらったらいい。読んでいて、「今」に通じると思った。だって、どんなに不況で苦しくてもリストラをやってはダメだと言っている。今の経営者どもに聞かせてあげたい。樋口は言っている。
〈リストラを始めたらさいご、社員の士気は下がり、優秀な社員から辞めていく〉
そうか!と思った。いつクビにになるか分からんと思ったら、優秀な人間がドッと辞める。「ダメな社員」を切って、やる気のある人間だけで仕事をさせようと思っても、逆効果になるという。今の経営者はその位のことも分からんのだ。樋口はさらに言う。最も苦しい時で、どうしてもリストラするしかない。そう悩んでいた時だ。
〈リストラしなくても、組織に活を入れるだけで、おのずと血の入れ替えができるのである。「雇用が冷えている今こそ絶好のチャンスだ。ヘッドハンティングもどんどんやれ。これから先は毎年百人採用せい」と私は言った。その翌年、またバブル組十人が出ていって、そこでぴたりと止んだ。その月、ほぼ同数の、目の光のちがう新人社員を迎えた〉
なるほど。たいした経営者だ。樋口は、「リーダーの品性」4ヶ条を書いている。
1.公平公正
2.無私
3.ロマン
4.使命感
そして、「かきくけこ」を忘れるな、と言う。昔、経営は「ほうれんそうだ」と言う人がいた。殺人事件は「あいうえお」の法則で起こると言った評論家もいた。日本人はこうした語呂合わせが好きだ。覚えやすいからだろう。「左翼は山で、右翼は海だ」と言う人もいる。でも、こうしたやり方は、物事を簡略化し、時として物事の本質を見失わせることになる。でも、樋口の「かきくけこ」は違う。なるほど、と思った。不屈の経営者、奇跡を起こした経営者だからこそ言える。あなた達も、この「かきくけこ」を実行したら、人生で「奇跡」を起こせるのだ。では終わり。又、来週。えっ?「かきくけこ」は何かって? そんなこと自分で考えろよ。あるいは、本屋に行って樋口の本を買えよ。その位の努力もしないで、〈結果〉だけを得ようとする根性が私は嫌いだ。ネット世代の悪い癖だ。と思うが、サービスで教えてやっか。「かきくけこ」とは「感動。興味。工夫。健康。恋」だ。分かったか。終わり。えーい、ついでだ。説明部分も紹介してやろう。
か=感動。感動がすりへったら、人間ダメになる。ものごとに感動するみずみずしい心を持ちたい。
き=興味。若者たちの風俗、流行でも、くだらないとソッポを向いてると、こちらが老いこむばかりである。社会の新しい波、新しい事物につねに好奇心をもちつづけたい。
く=工夫。創意工夫である。頭を使え。何事もこれでいいと思ったらオシマイだ。常識にとらわれず、現状を打破する思い切った工夫を欠かさないこと。
け=健康管理。オーナーは「人間、病気をすると気が弱くなるから、気ィつけよ」と言われた。健康な心はすこやかなからだに宿るともいう。攻めの経営には健康が欠かせない。
こ=恋。私の口から「恋」という言葉が出たのて、満座の爆笑を買ってしまったが、これは、「ときめき」の恋である。もちろん異性にときめいてもいいが、芸術や文化にときめく心を失いたくない。
いいですね。芸術や文化や読書。そして左右の変革運動にときめいて下さいな。
〈ノンフィクションの将来を憂う。「月刊現代」休刊に執筆陣が冊子やシンポ〉
この冊子は「現代と私たち」と題したもので、30日に発売される。岡留安則、永江朗氏らが書いている。私の原稿の一部も紹介されていた。
〈一水会顧問の鈴木邦男氏はこうなったら原点に戻るしかないといい、「同人誌から始めたらいい」「自分で金を出して、発言の場を確保する。そこからスタートしたらいい」と提案する〉
②3月14日(土)、代々木の全理連ビルで、「無実の奥西さんを死刑台から救おう!」集会に行きました。「名張毒ぶどう酒事件」の真相に迫る集会でした。やくみつるさん(漫画家)も講師で話してました。初めて会いました。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉