2009/04/06 鈴木邦男

「読書と思想」が君の人生を変える

①夢野久作も悔しがってるよ

橋下徹大阪府知事と(3/27)

 劇団再生の「詞編・レプリカ少女譚」。よかったですね。素晴らしい舞台でした。初め、夢野久作の『ドグラ・マグラ』のような芝居かなと思った。平成の今、高木尋士が、『あの「ドグラ・マグラ」を読み解く』。そういう野望を秘めた芝居だと思った。
 しかし、違った。『ドグラ・マグラ』を超えてたね。あるいは、夢野久作が表現しようとした以上のことが、ここには出ている。「これこそが本当は俺が書きたかったことだ!チクショウ!」と夢野久作も悔しがっていることだろう。芝居を見ながら、夢野久作の叫びが聞こえてきた。
 芝居は3月28日(土)の夜、29日(日)の昼と夜(マチネーだ)、計3回上演された。3回とも満員だった。特に日曜の昼の部は立ち見が出るほどの超満員。観客は皆、「再生」の不思議な、そして、詩的、思想的な〈高木ワールド〉に酔っていた。そして、28日、29日の夜の部の始まる前、私はトークの部で出演した。高木尋士氏(劇団再生代表)と、「本と読書と表現」についてトークしたのだ。芝居に負けない、いい話をしようと考え、準備した。私も、本はかなり読んでいる。高木氏は私以上に読んでいる。でも、2人の「読書論」にする気はなかった。それでは芸がない。「なぜ、言葉は出来たのだろう」「言葉を使わなくても思索は可能なのか」。そういった言葉に関する原初的なテーマに向き合ってみよう。そう考えた。観客には理解してもらえなくても、それはいいだろう。芝居と同様、安易に妥協しない。「言語にとって美とは何か」を吉本隆明は昔、考えた。それに続く挑戦をしようと思った。

劇団再生の舞台から
劇団再生の舞台から

 そんこなことを考えながら新幹線に乗った。芝居の前の日、3月27日(金)の朝だ。「たかじんのそこまで言って委員会」に出るために、朝の新幹線に乗った。「たかじん」は天皇論がテーマで、西尾幹二さんたちとトークバトルがある。その準備もあるが、何故か、頭の中は次の日のトークのことで一杯だった。ボーッとしてたのだろう。その時、4人ほどの若い男たちがドドドーツと乗り込んできた。動きが素早い。機敏だ。サッと席を確保して座る。何気なくそっちを見たら、「あっ、鈴木さん!」と言われた。「あっ、橋下さん」。久しぶりだ。橋下徹大阪府知事だよ。じゃ他の3人は秘書か。SPか。
 「がんばってますね。凄いですね」と言った。「鈴木さん、今日は?」。「たかじんですよ。橋下さんの古巣の」と言った。そうだ。先月、「たかじん」に出たら、出演者が多くて、控え室は相部屋だった。宮崎哲弥さんと一緒だ。「僕と相部屋になる人は皆、出世するんですよ」と宮崎さんは言っていた。橋下さんが、ずっと一緒だったんだ。思い出して橋下さんにその話をした。「そうですか。嬉しいですね」と思い出話になった。
 橋下知事に、私の新しい本をあげた。『「蟹工船」を読み解く』だ。驚いていた。「もう、こっちまで来ちゃったんですか?」。ウーン、左翼になったわけじゃないんだけど。右翼の運動を通じて見た『蟹工船』ですね。それと、里見岸雄のことも書きたかったんですよ、と説明した。
 「じゃ、じっくり読ませて頂きます。又、ゆっくり会いましょう」と知事さん。いつも謙虚で、爽やかな知事さんだ。私も席について、振り返ったら、知事さんはノートパソコンを出して、もう仕事をしている。刺激されて私もノートパソコンを取り出して、芝居の前のトークについて考えた。

②「言葉」はどこから来たんだろう

劇団再生の舞台から
劇団再生の舞台から

 トークのテーマが、「本と読書と表現」だ。言葉はいつ出来たんだろう。何故、出来たんだろう。嬉しい時に言葉は生まれたのか。驚いた時か。求愛の時か。いや、「自己防衛」の為に生まれたのだろう。お互い、知らない人間同士が出会った時、「敵ではないですよ」と示す必要がある。初めは身振りで表現した。あるいは握手、あるいは祈り。つまり、この手には何ら武器を持ってませんよ、ということを〈証明〉したのだ。見せたのだ。その時、お互いに声を出し合った。それが言葉になった。そんなところだろう。それで言葉が生まれ、どんどん増えていった。
 それまでは、犬や猫と同じように人間も、ワンワンとかニャオニャオと鳴いていた。それが、言葉を発明することによって〈人間〉になった。そして言葉を通じて、〈考える〉ことが出来た。
 又、世界に対する不安もあった。見回しても、訳の分からないものばかりだ。巨大な土の塊が立っている。それが切れている。キラキラ光って、流れているものがある。いや、「流れる」という言葉もなかった時だ。とにかく、得体の知れないものが、立っている。流れている。歩いている。不安で不安で仕方がない。それで、覚えたての言葉で、レッテルを貼り付けた。これは山と名付けよう。これは谷だ。これは川だ。そして、周りの世界に万遍なく「言葉」のレッテルを貼った。そして安心して生活し始めた。
 つまり、人間は第2の「天地創造」をやったのだ。第一の「天地創造」は勿論、神だ。陸あれ。海あれ…と声をかけて、陸をつくり、海をつくった。〈世界〉をつくった。さらに神は人間をもつくった。しかし、人間は、神の使った言葉を知らない。そんなことを考えながらトークは進んだ。
 「そうですね。防衛本能から言葉は生まれたんでしょうね」と高木氏。神によってつくり出された人間。そして、この世界にポンと押し出された人間。しかし、不安で仕方がない。周りは不気味なものばかりだ。それで、「言葉」でレッテルを貼り付けた。これは山、これは海と。次には、私は「敵ではありませんよ」と宣言した。それが言葉だ。

高木尋士氏とトーク(3/28)
高木尋士氏とトーク(3/28)

 この芝居の舞台は病院だ。あっ、何気なく「芝居の舞台」と書いちゃった。じゃ、「舞台の舞台」でもいいのかな。ともかく、この芝居で取り上げている〈場所〉は、病院なんだ。精神的に病んでいる人が患者だ。そう思って〈安心〉して見ていると、患者の「言葉」はやけに理屈っぽい。思想的だ。「ドグラ・マグラ」の話が出てくるし、高橋和巳の話も出てくる。だったら、「正常」で、「思想的」なのは、舞台の方かもしれない。それ見ている我々の方が「患者」かもしれない。そういえば、政界の迷走も、理由なき犯罪も、週刊誌の暴走も…。こっちの〈世界〉の方が十分に病院的だ。
 さて、舞台だ。看護婦がいる。患者がいる。皆、思想的な言葉を吐く。高橋和巳の『悲の器』を思い出した。大学の教授が主人公だ。法律の専門家だ。その大先生の栄光と挫折が描かれている。難しい法律用語が出てくる。教授も難しい科白をはき、他の教授たちと難しい法律論争を展開する。家に帰ってまでも、難しい話をする。女中さん(当時は“お手伝いさん”のことをこう呼んだ)までも難しい話をする。難解な表現をする。「こんなのあるかよ」と思って読んだが、大学者にとっては、女中さんの「普通の言葉」の方が、かえって難解なのかもしれない。と、最近になって私は理解した。「『悲の器』を読み解く」だね。いつか書いてみたい。

③この院長は高木氏であり、私であり、皆だよ

劇団再生のメンバーと(3/29)
劇団再生のメンバーと(3/29)

 さて、高木氏の芝居だ。登場人物は、洒落た、でも結構、難解な科白を喋る。それを病院の院長は聞く。本好きの院長だ。腕はいいのに、本ばかり読んでるから、つい、〈現実〉を忘れたりする。そう、「劇団再生」代表の高木氏だ。あるいは、本好きの君たちだ。私でもある。
 高木氏は月に40冊も本を読んでいる。今度は「月1万ページ」のノルマにしようかな、と言っている。大変だ。杉浦民平は確か、その「月1万ページ」のノルマを自らに課して実行したという。「月に30キロ」のノルマでもいい。あるいは、自分の体重と同じだけ読む。というのもいいだろう。
 さて、「本好きの院長」だ。これは私だな、と思った。今でも、電車の中で本を読んでると、つい、乗り過ごしてしまう。でも、「愚かだ」とか、「しまった!」とは思わない。乗り過ごせるほど熱中させる本があることに感謝している。これは幸せだ。本の方が先だ。大事だ。どこに降りるか。そんな形而下的なことはどうでもいいのだ。
 目的駅に着いても、読むのをやめられない。いいとこなのに。中断したくない。そんな時は、駅のベンチで読み続ける。あっ、約束があったんだ。携帯で電話する。「今、電車の事故があって遅れてます。40分位遅れます」と言って、必死に読む。打ち合わせよりも、本を読む方が大事だ。

西尾幹二さんと(3/27)
西尾幹二さんと(3/27)

 産経新聞に勤めていた時も「読書人間」だった。1時間前には会社に着いて、地下の喫茶店でモーニング・サービスをとりながら本を読む。昼休みも1時間、びっちり本を読む。今と違い、いい本が一杯出ていた。各出版社から思想大系も出ていたし、文学全集も出ていた。貪り読んでたね。
 昼休みは外に行って1時間読むのだが、たまたま、部で1人になった時がある。よし、「昼休みだ」と、頭のモードを切り換えた、「昼休み」だから、私はもう「仕事場」にはいない。だから、自分の世界に入って読書していた。その時、電話が鳴った。でも、私は、「昼休み」だ。ここにはいない。電話なんか、勝手に鳴ればいい。
 たまりかねて、他の部の課長が飛んできて、出た。「おい。鈴木。いるんなら出ろよ!」と怒鳴られた。「でも、僕はいません。休みです。いるように見えても、本当はいないんです」と、懇切丁寧に説明したが、分かってもらえなかった。ああ、読書人は孤独だ。と思った。こんなことばかりしてるから、クビになるんでしょうな。
 しかし、よく怒鳴られていたな。産経では。でも、あまり、真面目に聞いてなかったな。どこ吹く風だった。この舞台の院長と同じだ。ある日、何かのことで叱られた。こってり叱られた。伝票を間違えたとか、遅刻したとか、そんな、どうでもいい事だ。それがこの地球の運行とどう関係がある。日本の政治とどう関係がある。小さなことで、コセコセする奴だ。この課長も。と思っていた。だから、神妙に聞くふりをして、頭を下げた。今朝、喫茶店で読んでいたバシュラールの本のことを考えていた。そのうち、眠くなったのだろう。コックリ、コックリやっちゃった。さあ、大変。課長は真っ赤になって怒りましたね。「何を興奮してるんだろう、この人は」と私は不思議そうに見てましたね。小さなことにはこだわらない。太か心のサラリーマンでしたね。「サラリーマン金太郎」と言われてました。(そんなことないか)。

④「純粋読書生活」を支えた思想全集

所功さんと(3/27)
所功さんと(3/27)

 その、「コックリコックリ事件」を見ていた隣りの部の女の子から「凄い。勇気ある!」と誉められた。「カッコいい。会社終わって飲みに行かない?」と誘われた。別に勇気じゃなくて、仕事に対する情熱の欠如ですよ。情熱は本にだけ向けとった。
 多分、「読書」が主なんでしょうね。生活の中で。これがご主人様で、それに仕えるために仕事、睡眠、食事があったんですね。特に、産経時代は、販売局と広告局だから、記事を書くわけでもなく、ものも書かない。(今とは違う)。当時は、書かないで、ただ「読んでいる」。それが4年間だ。
 だから、「純粋読書」の日々だ。ピュアーだった。そんな私を叱った課長は、「純粋読書批判」だ。そうだ。「純粋理性批判」という本があったな。カントだったよな。そんな本も読んどったな、当時は。

 「劇団再生」の舞台には、本がうず高く積まれていた。小山のようだ。三島由紀夫、野村秋介、見沢知廉などの本がある。文学書、哲学書もある。そして、最近購入した平凡社の全集がある。『世界教養全集』(全38巻)だ。それが全部揃って、山と積まれている。実は、これは私が寄贈した。舞台装置として、あった方がいいだろうと思ったからだ。思想的オブジェだ。
 この全集は、1960年代後半から70年代にかけて刊行されたものだ。当時、全巻読破した。産経の課長に怒鳴られながら読破した。そのうちの1冊、フレイザーの『悪魔の弁護人』を読み直したくて、ネットの古本で探した。あった。注文した。ところが、ネットオークションで、この「全38巻」が出ている。それも安かった。すぐに買った。たとえ、10万円でも買ったね。安い。それだけの価値はある。
 その全38巻を、高木氏の家に送ってもらった。私は読んだからもういい。中には、もう一度、読み返してみたいものもある。その時は、高木氏に借りればいい。又、刊行から40年経って、高木氏は、今、どう読むのか。それを聞いてもみたい。何なら、この全集をテーマにした芝居をやってもいいね。「世界教養全集殺人事件」とか。〈教養〉に取り憑かれ、〈教養〉に殺された哀れな中年男の物語ですよ。
 芝居が終わって、本の山を見た。乱雑に重なっている。日本の本も、世界の本もある。統一性はない。秩序もない。でも、山になり、さらに上を目指している。この「本の小山」、それ自身が私だ。と思った。舞台の左隅にこの「本の小山」がある。あるいはこの山が、芝居の〈主人公〉かもしれない。何も言わないが…。
 そうだ。「本が読者を選択する」という科白があった。いいなーと思った。人間は傲慢だよ。本屋に行って、棚を見て、「うん、これは面白そうだ」と手に取って、レジに行き、金を払う。一方的に読者が本を選択する。でも、その逆もあっていい。と、お芝居の中で言うんだ。ハッとしましたね。うん、これはいい。でも、「2人」の出会いはどこでするんだ。本屋か、ネットか。
 でも、私が「勝手に」「自由意志」で本を選んだと思っているが、本当は、本が私を選んでいるのかもしれない。きっとそうだろう。そういえば、本屋を歩いていると、「おい、鈴木、これを買いなよ」という声が聞こえる。ネットの古本屋でも、「ねえ、スーさん。私を買っておくれな」という声が聞こえ、つい申し込んでしまう。それで、ついつい金を使ってしまう。本との「出会い系サイト」で、やたらと金を使っている私です。

国体文化講演会二次会で(左から)笹井氏、鈴木、高森氏、河本氏、森氏(3/27)
国体文化講演会二次会で(左から)笹井氏、鈴木、高森氏、河本氏、森氏(3/27)

 舞台に山となった『世界教養全集』だが、見てると懐かしい。『魔法—その歴史と正体』『ロダンの言葉』『芸術の歴史』『キリスト者の告白』『三太郎の日記』『ファーブル昆虫記』『ビーグル号航海記』『哲学物語』『神秘な宇宙』『地球の起源』『微生物を追う人々』…などだ。自然科学の本が随分とある。うーん、こんな全集だったのか。タイトルは分かるが、今、読み直せと言われても大変だ。20代、30代だから、いろんな「思想全集」を読破できたんだ。若さゆえの「暴挙」でしたね。「暴走」でしたね。(こんな暴走ならばいいだろう。でも、体制内暴走だな。いかんのかな)。

 …と、いろんなことを考えましたよ。2日間、高木氏と、「読書」「表現」「言葉」について、必死に考えながら、私らも「表現」しました。いつか、このトークを本にしたいものですね。2日間のトークを終わって高木氏は言っておりました。

〈トークでは、多分、僕自身が一番楽しかったのではないかと思っています。お客様に対しても、何がしかの問題提起ができたと思っています。「言葉」というものを、「記号論」という立場から離れ、人間という個人との関係に置き換えていくということは、「言葉」を現代・近代という時代から切り離し、新しい観念を創造することではないかと思っています。その観念的創造は、とても険しい道だと常々実感しながらも、一歩一歩思考をまとめて行きたいと考えています〉

 「劇団再生」の皆さん、本当にお疲れさまでした。いい芝居を、いい夢を、見せて頂き、ありがとうございました。次は8月の「見沢知廉生誕50年祭」ですね。アッと驚く、サプライズも計画しているようです。トークには、映画「見沢知廉物語」を撮っている大浦監督も参加します。この舞台も、映画の中の劇中劇として登場する予定です。乞うご期待。

【だいありー】
「われらのインター」(第18号)
「われらのインター」(第18号)
  1. 3月30日(月)短期の連載をもう一つ頼まれて必死に書く。なんか、何日書いてばかりいる。いかんな、インプットがないのに、空疎にアウトプットばかりをしていると、頭の中の湖が枯渇するよ。勉強しなくっちゃ。平凡社の『世界教養全集』(全38巻)を又、読んでみるか。その次は中央公論社の『世界の名著』(全81巻)だ。そして河出の『世界の大思想』(全45巻)、講談社の『人類の知的遺産』(全80巻)だ。こんな厖大な全集を、20代〜30代に全部読んだんだよな、私は。今じゃ信じられん。よく体力があった。又、少しずつ挑戦してみっか。
     昼、雑誌の打ち合わせ。取材。そのあと4時、サンルートで木村三浩氏と打ち合わせ。
     6時から内幸町ホール。〈「月刊現代」休刊とジャーナリズムの未来を考えるシンポジウム〉。
     第1部は、「いまそこにあるジャーナリズムの危機」。田原総一朗さんの司会で、鎌田慧さん、魚住昭さん、佐藤優さんがパネラー。第2部は「ノンフィクションの過去、現在、そして未来」。重松清さん(作家)の司会で、佐野眞一さん、高山文彦さん、青木理さん、城戸久枝さん。白熱したトークで、勉強になった。
     重松清さん(作家)の小説は好きでよく読んでいる。読んでいて、目がウルウルする。「よりみちパンセ」の清水さんがいたので、重松さんを紹介してもらった。「あっ、鈴木さん。久しぶり」と重松さん。「前、ジャナ専の講演会で一緒でしたね」。そうだっけ。完全に忘れている。でもその時は、「田村」という名前でした、と言う。田村の名前でフリーのライターをしていたそうな。直木賞をとってからは、重松清一本でやっている。受賞の時は、重松清に、この田村さんがインタビューしたそうだ。つまり自分に自分がインタビューする。「これは面白かった」と編集プロダクションの椎野礼仁さんが言っていた。
  2. 3月31日(火)夕方まで必死で原稿を書いた。夕方、打ち合わせ。早く終わったので講道館へ。久しぶりに柔道の稽古。終わって、9時からポレポレ東中野でレイトショーを見る。港健二郎監督の長編ドキュメンタリー映画「荒木栄の歌が聞こえる」。いやー、いい映画でしたね。皆さんも見て下さい。1960年の三井三池闘争の時だ。労働者作曲家・荒木栄さんもクビを切られる。そこから映画は始まります。凄い闘争だったんだ。「全資本」と「全労働」の闘いだといわれた。その中で荒木栄さんは、あの闘いの名曲・不朽の歌「がんばろう」を作る。そして、全国の労働者、闘う人々に勇気を与えた。僕も大学生の時、学内でよく聞いてた。又、歌声喫茶で歌った。
     「沖縄を返せ」も、この人が作った歌なんだ。でも、若くして世を去った。1962年、38才の若さだった。本当に惜しい。その後の三井三池闘争、その後の「うたごえ運動」など、貴重な映像、資料も盛り沢山だ。
     映画館を出て、家に帰るまで、「がんばろう! 突き上げる空に くろがねの男のこぶしがある…」とつい、歌ってしまった。気分は、すっかり闘う労働者ですけん。
  3. 4月1日(水)この日の朝日新聞に赤報隊の記事が出ていた。
〈「検証・週刊新潮の「本社襲撃犯」本社取材〉の特集。32面を全面使って書いている。「放置できない虚報。訂正・謝罪を!」と迫っている。
 午後から新橋で取材。そのあと図書館。
  1. 4月2日(木)河合塾コスモの自習室で原稿を書いていた。夜6時半、文京シビックセンターの26階スカイホール。坪内隆彦著『アジア英雄伝—日本人なら知っておきたい25人の志士たち』(展転社)の出版記念会。発起人は伊達宗義氏、頭山興助氏。佐藤優さん(作家)、西村眞悟さん(国会議員)に会う。私らが子供の時、山川惣治の『少年王者』が大ブームだった。主人公が眞悟。もしかしてと思って西村眞悟さんに聞いたら、「うーん、それは分かりませんね」と言う。でも父親から、名前の由来を聞かなかったの。聞かなかったらしい。「でも、鈴木さんの話を聞くと、その“少年王者”から取ったのかもしれませんね」。「そうですよ。それしかありません」と私は断言した。西村さんの「名前の由来」を教えてあげた。森さん、花房さんなど久しぶりに会う。
     この本の著者、坪内氏は元日本経済新聞の記者。その後、フリーになって、今は「月刊日本」の編集長。勇気ある決断だ。私だったら、日経に入ったら、辞めないでしがみつくね。産経だって一生いようと思ったのに、ムリヤリ、クビにされた。クビになってなければ、今でもいたよな。
  2. 4月3日(金)午後から週刊誌の取材。夕方、対談。
  3. 4月4日(土)図書館に行く。調べてることが、なかなか分からん。夕方、「阿修羅展」を見る。
  4. 4月5日(日)前の日、徹夜で原稿を書いていた。眠い。
【今週の写真】

①新幹線でバッタリと橋下さんに会ったので撮りました。

②劇団再生の舞台です。又、その前の、高木尋士氏とのトークです。

③3月27日(金)大阪読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出た時、西尾幹二さんに会いました。又、所功さん(京都産業大学教授)とも、本当に久しぶりに会いました。

④3月27日(金)の夜、国体文化講演会に行きました。その後、講師の高森明勅さんらと二次会に。天皇論、防衛論の話をしました。

⑤国際労働総研が出している『われらのインター』に松崎明さんが「銀河蒼荘—野村秋介獄中句集にふれて」を連載しています。松崎さんはJR東労組の元会長です。その松崎さんが野村秋介さんの句に感動し、毎月、書いてます。驚きました。嬉しかったですね。

【お知らせ】
  1. 今日、4月6日(月)発売の「アエラ」(朝日新聞出版・4月13日号)に出ています。「現代の肖像」です。去年の10月から取材をされました。丸々6ヶ月です。ちょっと恥ずかしいですが、感動的です。よく調べよく取材しています。驚きです。私自身も知らない私の内面を抉り出しています。
  2. 3月30日(月)の集会で発売してましたが、『現代と私たち』(2009年3月号)が発売中です。「ノンフィクションの未来」が特集です。『現代』休刊に対するいろんな提言、意見が載ってます。(62人の「現代」)の中に、私も書いております。
  3. 『早稲田文学』(2009年春号)に、特集「教科書ってどんな? こくごへん」です。教科書で習い、今も心に残っている小説について書くのです。私は、小学校4年の時に読んだ。『くちびるに歌を』について書いた。感動的な話で、いつまでも覚えている。船が沈没し、一本の丸太に皆がつかまっている。もうダメだと思いながらも、若い女性のうたう歌に励まされて…という話だ。私も荒海に投げ出され、一本の丸太にしがみつきながら、生きてきたんですわ。「がんばろう!」と歌ってたんでしょうな。
  4. スパイから最近、電話がこない。組織のスパイをして公安に情報を流し金をもらっている。「危ないからやめろ!」と言ってんのに。とうとう消されたか。と思ってたら電話が。
     「大丈夫生きてますよ。寺脇さんの本に鈴木さんのこと出てましたよ」。それで買って読んだ。寺脇研さんの『百マス計算でバカになる』(光文社)だ。そうか。私も百マス計算でバカになり、仕方なく右翼になったんだ。「マスが百回だったら本当にアホになりますよ」と「オナニー関君」が言う。そのマスなの? でも、どっちのマスでもなかった。この本は。サブタイトルに「常識のウソを見抜く12講座」とある。「第4講・二者択一思考なら単純に生きられる」では私のことが大々的に取り上げられている。ありがとうございます。皆さんもぜひ読んでみて下さい。とてもいい本で、考えさせられました。
  5. 4月13日(月)7時、一水会フォーラム。筆坂秀世さん(元日本共産党政策委員長)が来ます!「私の日本共産党論」です。なかなか聞けない話です。ぜひ、いらして下さい。
  6. 5月5日(火)午後2時。神田文房堂ギャラリー。内海信彦氏との討論。「政治運動と芸術」についてです。
  7. 8月21日(金)〜23日(日)。劇団再生の主催で「見沢知廉生誕50年展」が行われる。「天皇ごっこ〜調律の帝国」の舞台化。そして、トークライブとして高木尋士氏と私の「死後に成長する命・言葉・人生」があります。お楽しみに。この日、50才で誕生した見沢氏は、これから、どんどん若くなって、さらに多くの可能性に挑戦するのでしょう。
     トークには、現在、映画『見沢知廉』を撮っている大浦信行監督も3回共、参加することになりました。ご期待下さい。見沢氏本人も特別出演するかもしれません。
  8. 9月28日(月)午後7時、Parc自由学校で講演します。「天皇制と民主主義」です。 「Parc自由学校 2009」の受講案内のパンフレットが送られてきた。「連帯のための哲学=生きる場のことばと実践から」のコーナーで私は講義します。パンフレットには、私の「天皇と民主主義」の講義の紹介が書かれている。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉