酷い判決だ。酷い裁判長だ。「証拠はない。動機もない。自白もない」。これなら無罪だよ。少なくとも、「疑わしきは罰せず」だ。でも、裁判長は無罪にする〈勇気〉がなかった。世間の空気に押され、遺族感情に押されて、一、二審を「追認」しただけだ。そして死刑判決だ。
和歌山毒カレー事件で4月21日(火)、林眞須美さんの死刑が確定した。最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は、一、二審を支持し、眞須美さんの上告を棄却した。
それにしても驚いた。最高裁の裁判長ともあろうものが、こんな杜撰な理由で、死刑判決するなんて。もっと、緻密な証明があると思ったが、酷い。はっきり言って小学生以下の文章だ。「だって他に怪しい人はいないじゃないか」「あんなことをやるのは眞須美被告しかいないよ」と言ってるだけだ。それに、「証拠も動機もないが、そんなことは大した問題じゃない」という。さらに、「こんな残酷なことをやりながら、全く反省がない。だから許せない」と言う。酷いね。
最高裁裁判長の言うことかね。だだっ子の理屈だ。「反省がないから死刑だ」というが、やってないんだ。「反省」のしようがない。やってなくても、しおらしくして、「こんなことで疑われる私が悪いのです。申し訳ありません。だから死刑にしてください」と言えばいいのか。奇妙な「判決文」だ。日本語としても全く論理が通ってない。裁判官も劣化した。と思った。
もしかしたら、これは「罠」か。「陰謀」か。「こんな裁判じゃ不安だろう」と国民に思わせ、隙(すき)を見せる。「だから裁判員制度が必要なんだよ」と思わせるためか。一瞬、そう思った。しかし、それはないだろう。「裁判員制度」をやるための「誘い水」としては余りに犠牲が大きすぎる。要するに、裁判官が全て劣化しているのだ。勇気がない。自分の信念がない。やっぱり「役人」なんだよ。動機はない。証拠はない。じゃ、状況証拠だけで死刑にしていいのか、と良心の疼きは感じたはずだ。だからといって、「無罪」にする勇気はない。「無罪」にしたら、マスコミや遺族、国民からどれだけ罵倒されるか分からない。それ以上に、自分の所属する司法界でたたかれる。叩かれるどころじゃない。自分の立場はなくなる。そんな「個人的不安」で、上告棄却したのだ。
いや、あえて、こんな杜撰な甘い文章を書いた、という評論家もいる。つまり、この理屈の「はっきりした証拠もない。動機もない。でも、これだけ疑われている人は死刑にしていいんだよ」と、裁判員制度の人々に「教える」ためだという。うーん、それもあるのかな。
何度も言うように、「証拠」はない。しかし、裁判長は言う。「状況証拠を総合すると、眞須美被告が犯人であることは合理的な疑いがない程度に証明されている」。これが裁判長の文章かよ。だったら、少しでも疑わしい人間は皆、死刑になってしまう。
又、「動機」もない。だが、裁判長は、「動機が未解明でも、犯人との認定を左右しない」という。動機もないのに犯行を犯す人はいない。動機があるからやるのだ。初めは、「街の人たちと仲が悪く、それを恨んでカレーにヒ素を入れたのではないか」と言われていたが、そんな事実はなかった。いくら調べても、「動機」はない。面倒だから、「動機はないかもしれないが、彼女がやったんだ。だって一番怪しいじゃないか」と言ってるようなもんだ。
又、眞須美さんは、一審では黙秘。二審の大阪高裁の法廷では一転して自ら無罪を訴えた。これは不自然だと思ったのだろう。「被告が突然、真相を吐露したとは考えられない」と一蹴し、死刑を支持した。
一審で黙秘したのは法廷戦術としては下手だったかもしれない。しかし、本人にしたら、全く身に覚えのないことで逮捕され、あきれて何も言う気になれなかったのだろう。馬鹿らしい。ありえない。という驚きの気持ちで、「こんな連中に付き合ってられるか」と思ったのに違いない。黙っていても、疑いは晴れる。そう、軽く考えていたのかもしれない。ところが、その態度が「ふてぶてしい」と思われた。又、「他に怪しい人間はいない」「やっぱり眞須美だろう」ということで、一審で死刑判決になった。
思ってもないことで、眞須美さんは慌てた。大変だ。黙っていたら殺されてしまう。そう思って二審では、喋り出した。でも、「その態度が豹変したのが不可解だ。やっぱり怪しい」となって、二審も死刑判決だ。言うこと為すことが全て、悪くとられる。かわいそうな話だ。
さらに、最高裁では、「この犯行は地域社会はもとより、社会一般に与えた衝撃も甚大で、卑劣で残忍だ。それに対して全く反省がない」という。だから死刑だ、と。文章も変だし、文法上も間違っている。初めから犯人と決めつけ、なぜ「自白しないのか」「動機を言ってみろ」と言う。やっていないのだから、動機はない。当然、自白もしない。そうすると、「態度が悪い」「反省の色がない」と言う。これじゃ、完全に中世の「魔女裁判」だよ。
魔女裁判では、地域で怪しい女性、評判の悪い女性、態度の悪い女性を捕まえて、「おまえは魔女だ」と決めつけ、拷問した。皆、冤罪だ。でも、拷問のきつさから、「自白」した。「はい、私は空を飛びました」「はい、私は子供を食べました」「はい、私は、人を殺しました」と。でも、これは「魔女」たちが考えたものではない。裁判官たちが考えたものだ。「お前はこんなことをしただろう」「こんなこともした」と具体的な「メニュー」があるんだ。裁判官たちの「妄想」だ。そんなマニュアルを作って、「被告」たちをそれに当てはめて、魔女にし、火あぶりにしたのだ。裁いた裁判官こそが本当は「魔女」だったのだ(男だから、魔男かな)。
中には、拷問のあまりの辛さに、こう叫ぶ者もいた。「はいはい、私は魔女です。何でも認めます。ところで私は何をやったんですか。教えてください。その通り自供しますから」。そうなんだ。カレー事件だってそうだ。「私は何をやったのか?」と聞きたいだろう。「お前はこういう犯罪をやったのだ」というのは裁判所の「作文」であり、「妄想」なのだ。だから、「やってもいないことで国家に殺されてはたまらない」と眞須美さんは叫んでいる。
私は去年、大阪拘置所にいる眞須美さんに面会した。それ以来、ずっと手紙のやりとりをしている。「やっていないのに殺人犯にされた。そして国家に殺されるのか」と毎回、書いている。悔しいだろう。かわいそうだ。何も出来ない我々が自分でも歯がゆい。
それに、遺族も問題だ。いや、遺族が悪いのではない。遺族への「取材の仕方」が悪いのだ。遺族は「判決は当然だ」と言う。「動機をちゃんと言ってほしかった」とも言う。やってないから動機もないのだ。それなのに判決を全て信じて、その上で言っている。さらに、記者会見に臨んだ遺族たちは、「再審請求などせずに、判決を受け入れてほしい」と訴えた。それも酷い話だ。やってない人間(あるいは容疑がはっきりしない人間)に対して、「早く死ね」と言っているのだ。そうなると遺族は「被害者」じゃなくて、「加害者」になってしまう。違うだろうか。
いや、遺族を責めているのではない。遺族としたら、「犯人は」は憎い。しかし、本当に犯人かどうか、分からないのだ。それなのに、「死刑判決が出たのだから、もう争わず、死んでくれ」は酷いだろう。勿論、その「根拠」を与えた裁判所が一番悪いのだが。そして、そんなことを言わせるマスコミが悪い。
眞須美さんや弁護団は、「いや、真犯人は他にいる」と言っている。具体的な名前も出ている。これも大変だ。自分の冤罪を晴らすためには「真犯人」を、自分で探すしかないのか。そう思い込ませ、追いつめる日本の警察・裁判所が悪い。本当は彼らがやることだ。容疑をかけられた人間は、自分のことだけを言えばいい。やってなければやってないと言えばいい。ところが、「他に怪しい人間はいない」と言うだけで、皆、捕まえられ、殺されるのか。これではたまらない。そうしたら、容疑者は、必死になって「あいつの方が怪しい」「あいつもおかしい」と苦し紛れに口走るよ。容疑者にそんなことをさせてはならない。
あくまでも、「疑わしきは罰せず」だ。僕らも高校の社会で習った常識だ。ところが、今回、証拠がなくても、動機がなくても、自白がなくても、「疑わしき」は全て「罰している」。恐ろしい話ではないか。
「でも、彼女が一番怪しいんでしょう」「カレーのそばにいたんでしょう」と、一般の人は言う。それに、林さん夫妻は過去、「保険金詐欺」をやってきた。それが一番心証が悪いのだ。「ほら見ろ、悪い人じゃないか。詐欺をする人間だ。だから人殺しもするんだ」と思う。マスコミ報道も悪い。眞須美さんが、マスコミに向かってホースで水をまいてる場面ばかり流す。何十回、何百回も、まるで、毎日、水をかけているようだ。それに、「ふてぶてしい」「素直じゃない」と言う。確かにそんな印象を与える。又、金のために保険金詐欺をした。とても、「いい人」ではない。「悪党」だろう。だからといって、「殺人もやったに違いない」とはならない。 それは、人間観察が甘いのだ。裁判官もその点は「ウブ」だ。「シロウト」だ。自分たちは、子供の頃から、優秀で、エリートで、この階段を登りつめた。だから、犯罪者を何十人も裁いても、本当のところで、彼らの(心情)が分からない。
これは眞須美さんの夫の林健治さんが言っていた。「金のために保険金詐欺をした」といわれた。「金のために何でもやる」といわれた。でも、だからこそ、金にもならない毒カレー事件などやるはずがないでしょう、と言う。これには説得力がある。しかし、犯罪などしたことのない裁判官には、犯罪者の心理が分からない。犯罪の襞が分からない。
又、ヒ素は殺虫剤、などとして、使ってる家庭が他にもいくつもある。眞須美さんの家では以前、「白アリ駆除」の仕事をしていて、それに使うヒ素があったのだ。それで、眞須美さんが「一番怪しい」となった。又、(保険金詐欺)にはヒ素も使われている。彼らはヒ素を扱うプロだ。
だからこそ、眞須美さんではない。万が一、住民の人と不和で、思い知らせようと考えたら、ほんのちょっとだけ毒を入れておく。そんな「さじ加減」が分かる。ところが、カレーには大量のヒ素が入れられた。どんな被害が出るかも知らなかった。ヒ素を扱ったことのない、「シロウト」がやったことだろう。誰かが誰かを恨み、入れた。腹を下す位だと思ったのか、あるいは、食中毒と思わせるか。「シロウト」の考えそうなことだ。
そしてあんな大事件になった。今さら、怖くて名乗り出れない。それが「真犯人」の今の状況だ。
それに、大事なことがある。この事件は平成10年に起こっている。カレーを食べた4人が死亡、63人がヒ素中毒となった。あと5年で「時効」になる。「真犯人」にとっては時効だ。そうすると、金に困って、「実は私が本当の実行犯だ」と出てくるかもしれない。週刊誌が大金を出すなら、出てくるだろう。警察でも調べる。犯人しか分からないことも詳しく知っている。はっきりした動機もある。証拠も差し出す。正真正銘の真犯人だ。でも、時効だから逮捕はできない。そうしたら、眞須美さんを釈放するしかない。
本当は、今すぐ真犯人に出てきてほしい。名乗りを上げてほしい。弁護側もそう望んでいる。しかし、(死刑)を覚悟して、出てくるかどうか。でも、真犯人を捕まえるのは警察の仕事だろう。「いや、これ以上に疑わしい人間はいない」「皆が、眞須美が犯人だと言って納得してるのだ。何も、又、騒ぎを起こさなくても」と思っているのだろう。
でも、確実なのは、5年後、「時効」になったらカレー事件の真犯人は名乗り出る。その時は、週刊誌が「誘い」をかけたらいい。「名乗り出たら1千万出す」と。そして、4週連続で「告白文」を載せる。さらに、まとめて本にする。勿論、「週刊新潮」に載せるんですよ。赤報隊の誤報の「罪ほろぼし」だ。これで、「週刊新潮」も、やっと信用を取り戻せる。その時、金に困っているだろう、真犯人も大金を手に入れられる。そして眞須美さんは救出される。
でも、これは、最後のギリギリのことだ。その前に、「裁判員制度」がある。僕はこの制度には反対だが、でも、もしかしたら、これがいい方向に働くかもしれない。だって、新聞の報道を見ても、一審、二審の時とは明らかに違う。「こいつしかいない」「毒婦だ!」「悪党だ!」と前は書いていたのに、今回は、「これでいいのか?」という戸惑いがある。識者のコメントだって、「当然だ」という人と共に、必ず、「これはおかしい」という人も載せている。「証拠はない」「動機はない」。それで死刑にしていいのかな、という迷いがあり、戸惑いがあるのだ。
裁判員制度で、「死刑」にして、後で真犯人が現れたら、裁判員は「殺人者」になってしまう。
今回の最高裁の裁判官たちも皆そうだ。「殺人者」になる。真犯人は必ず見つかる。その時は、釈放された眞須美さんは、自分に「死刑」を下した裁判官全員を訴えたらいい。「殺人罪」あるいは「殺人未遂罪」で訴えたらいい。証拠もなしに、本当に殺そうとしたのだから。「眞須美の逆襲」が始まるよ。
昔、羽仁五郎は言っていた。「100人の犯人を逃がしても、1人の冤罪を出してはいけない」。凄い言葉だと思った。極論だが、真理だ。でも、100人は多すぎると思うけど、まァ、どんなことをしても、冤罪だけは出すなということだ。裁判官としては最も心してほしい言葉だ。ところで、羽仁五郎はこの言葉をどこで言ったのだろう。多分、『都市の論理』じゃないのかな。あるいは岩波新書の『ミケランジェロ』かな。と思って、ネットの古本屋で調べて買った。ところが驚いたことに、『都市の論理』(上・下)も『ミケランジェロ』も、「1円」なのだ。3冊とも1円だ。羽仁五郎も、「忘れられた思想家」だ。かわいそうに。だったら、30年経ったら、私の本なんて、定価が「マイナス」になるかもしれん。羽仁五郎が1円なら私は、「マイナス500円」だな。「買ってくれた人には500円あげます」。悔しいな。それほどしてまで、捨ててしまいたい本なのか。
ところで、例の「100人の犯人を…」の言葉にはまだ出会っていない。羽仁の本を読んでるが見つからん。そんな時、アメリカ人に教えられた。知らない外人だ。今、「CSI」というアメリカのテレビ映画を見ている。「科学捜査班」と訳すらしい。
100巻以上あるが、TSUTAYAで借りて90巻まで見た。犯罪の勉強のために、全て見ておかなくてはと思っている。ノルマとしてみている。そうしたら、ある事件で弁護士が叫ぶ。「我が国の誇るべき伝統としてこういう言葉があります。100人の犯人を逃がしても1人の冤罪を出してはいけない」。ゲッ、アメリカにあった言葉かよ。それを羽仁五郎が使ったのか。まさか逆じゃないだろうな。羽仁五郎の1円の本をアメリカ人の脚本家が読んで、それで、「CSI」に使った。ウーン、謎が謎を呼ぶ事件だ。弁護士さんに聞いてみよう。それに、裁判の基本として、「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」といわれる。今の日本では全く忘れ去られた「裁判の常識」だけど。でも、この言葉は一体、誰が言ったのだろう。裁判員制度を「発明」した人か。あるいは「聖書」の言葉なのか。調べてみよう。
⑨足が可愛いので、つい盗撮しました。ちゃいまんねん。学校に行ったら、変わった靴下をはいてる子がいた。「ユーレイなんです」。「でも、ユーレイには足がないんだろう」「そこが、いいんです」。面白いんで、「写真、撮っていい?」と言ったら、「いいよ」。それで写メしました。
⑩「早稲田文学」(春号)に、私は、「小学校で習った思い出の文学」として、山本有三編著の『くちびるに歌を持て』について書きました。表紙には、私のイラストが。みやま荘で鉄道模型で遊んでいます。しかし、私の趣味をよく知ってますね。盗撮されたのかな?
「左右レボリューション21」
5月5日(火)(15:00〜17:30)
対 談 鈴木邦男×内海信彦
◎文房堂ギャラリー
千代田区神田神保町1−21−1 文房堂ビル4F
tel: 03-5282-7941(会場直通:会期中のみ使用可能)
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〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉