4月28日(火)、朝一番の新幹線で大阪に行きました。大阪拘置所で林眞須美さんに面会してきました。支援者の人、2人と一緒に車で向かいました。「これが最後の面会になるでしょう」と2人は言う。
4月21日(火)に最高裁は「和歌山毒カレー事件」で殺人罪などに問われた林眞須美さんの上告を棄却した。これで眞須美さんの死刑が確定した。「和歌山毒カレー事件を考える会」の代表として私も急遽、声明を出した。それは「考える会」のHPに載せた。マスコミからも取材があった。 翌、4月22日(水)の新聞は、どこも一面が「死刑確定」の記事で、大々的にトップで扱っていた。一、二審の時よりは、冷静に、そして、「これでいいのか」といった〈迷い〉〈疑問〉が目立った。動機、証拠もなしに死刑にしていいのか。そういう疑問があるのだ。
4月24日(金)大阪読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」の収録。北朝鮮問題の時のように、私だけが〈孤立〉して、皆にバッシングされるのかと覚悟して行った。ところが、三宅久之先生が、「確たる証拠もなく死刑にするのはおかしい!」と喝破。勝谷誠彦さんは、唯一に近い「物証」といわれる「最先端の装置・スプリング8」への疑問を提示し、「最先端と言われるのは、扱った側が少ないということだ。危ない」と言った。又、他のパネラーも、この最高裁判決に疑問を持つ人が多かった。
これには驚いた。辛口の人が多い中で、最高裁判決にはこれだけ批判、疑問が出たのだ。〈流れ〉は変わったと思った。しかし、一旦、最高裁判決が出た以上、よほどの「証拠」が出ない限り、再審は不可能だ。気が重い。だから、眞須美さんの夫の健治さんは週刊誌で、「犯人は他にいる」と言って、具体名を挙げている。あまり感心した方法ではないが、「自分たちで真犯人を挙げるしかないのか」と思い込ませ、追いつめた警察、最高裁判所が悪いのだ。「疑わしきは罰せず」の〈常識〉が通用しない国になってしまったのだ。それが怖い。
4月26日(日)「たかじん」の放映。「これはよかった。証拠もないのに死刑にするのはおかしい」という電話やメールが沢山あった。普段は、この問題に関心がない人も、「これは大変だ」と思ったようだ。石川県の布(ぬの)清信君(生長の家学生道場の後輩)も見たいといって電話をくれた。「裁判の危機ですよ」と言う。「カニコーの本にしろ、カレー事件への取り組みにしろ、鈴木さんの考えは一貫して、『生長の家』ですよ」と言われた。そうなのか。自分では気づかなかったが。
そして、4月28日(火)、又、大阪。眞須美さんへの面会だ。この一週間、ずっと「カレー事件」に関係した一週間だった。死刑が確定したので、眞須美さんとの面会は、多分、5月中旬位で終わりだ。その後は面会は一切、できなくなる。「最後に、この人たちに会いたい」という名簿が眞須美さんから出された。支援の事務局に来た。「そのトップに鈴木さんの名前があったのです」と言う。
でも、気が重い。予想されていた判決とはいえ、最高裁判決だ。これで死刑が確定し、「死刑囚」になった。ガックリ来てるだろうな。打ちひしがれているだろうな、と思った。何と言葉をかければいいのか。「頑張ってください」「必ず無罪は証明されます」と言っても、今の時点では、空々しい。「残念でしたね」「悔しいです」と無念の情を共有するしかないのか。酷だ。眞須美さんにとっても、面会に行く我々にとっても酷だ。
4月22日(水)の朝刊には、眞須美さんの言葉が載っていた。たとえば、「読売新聞」(4月22日)には…。
〈大阪拘置所に拘置されている林眞須美被告は21日、弁護団の小田幸児弁護士から判決内容を伝えられると、「無実なのに、国に殺されたくない」と語ったという。林被告は、少し落ち込んだ様子を見せた後、「無罪を勝ち取るために戦う。再審に向けて新たなスタートを切る」と再審の弁護も依頼したという。
保険金詐欺事件で有罪となり、刑を終えた林被告の夫(63)は、自宅で報道各社の取材に応じ、「こういう判断だと予期していた」と淡々と述べた〉
又、「東京新聞」(4月22日)でも、2人のコメントがさらに詳しく紹介されていた。
〈「私は殺人の犯人ではありません。毒カレー事件には全く関係していません。真犯人は別にいます」。林被告は判決後、弁護士を通じてコメントを出した。「裁判員制度でも私は死刑になるのでしょうか」と疑問を投げかけた〉
〈夫の林健治さん(63)は判決後、「これだけ疑問点があるのに、一、二審の判決をそのまま棒読みにしたような判決だ。人の生死の判断をするのにそれでいいのか」と批判した。 判決はテレビのニュース番組で知ったという。「覚悟はしていたが、眞須美がとてつもなく遠くにいってしまった気がした」と気落ちした口調で話した。
「これからは眞須美にとっての本当の闘いになる。これまではマスコミや支援者が面会に来てくれたが、死刑が確定したら刑務官の足音一つにおびえる日々になる」〉
最後の一言が重い。怖い。死刑が確定したら、いつ執行されてもおかしくない。その意味で、今日か、明日かと、不安に脅える。朝、刑務官の足音がして、自分の所でとまるのではないか。そして…。と、脅えるのだ。そのことを健治さんは言っている。法務大臣だって、まさか、こんな判決にハンコは押さないだろうとは思う。しかし、「決められた事は、粛々として行う」と言った法務大臣もいた。だから分からない。
では、勝谷誠彦さんの「最先端」発言だ。「たかじん」を見た人も、「勝谷さんの言う通りだ」と言ってる人が多かった。「週刊SPA!」(5月5日号)の「ニュースバカ一代」にも、このことを書いていた。90年の「足利事件」の再審の可能性が出てきたことに関連して書いていた。当時の「最先端」技術のDNA鑑定で無期になった人が、再鑑定の結果、DNA型が一致しない可能性が高く、再審の可能性も出てきた。最高裁で林さんに死刑判決が下された前日の報道だ。
「足利事件」について説明する。1990年5月、栃木県足利市で当時4歳の女児が殺害された事件で、「女児の下着に付着した体液と菅家利和受刑者(62)のDNA型が一致した」という鑑定結果が決め手となり、菅家受刑者は殺人罪で無期懲役が確定。しかし、弁護側は当時の鑑定は信用できないと再審請求。2つのDNA型が一致しない可能性が高く、再審の可能性も出てきた。
「最先端」装置だといって、それを〈絶対〉だとしてはならない。と勝谷氏は言う。さらに、カレー事件との関係で、こう言うのだ。
〈カレー事件で唯一のといっていい物証に近いものは林被告が持っている砒素とカレーの砒素が「世界最先端の装置であるスプリング8」で同じだとされたことだ。足利市の事件の時もDNA鑑定は当時の「最先端」の技術だった。「最先端」であるということは扱った例が少ないということだ。そしてより「最先端」が出てきた時に過去の結果が覆ることがあるということだ。足利市の例のように〉
そして、勝谷氏は言う。
〈足利市の事件の受刑者は無期懲役なので生きて再審の機会を掴んだ。しかし、林被告に下された判決は死刑である〉
林被告が死刑を執行されたあと、「最先端」装置で無罪となったらどうする。裁判員制度でそのことを予測して判決を下せるのか、と勝谷氏は迫る。その通りだ。
この「足利女児殺害事件」の影響は大きい。さらにさらに、こうしたことは起こる。これから裁判員制度も始まる。
「無罪かもしれない被告を死刑にする覚悟を、司法は一般人に求めるの?」と勝谷さんは言っている。その通りだ。
「たかじん」では、収録の終わった後、勝谷さんと、さらに詳しくカレー事件について話をした。有料ネット放送の「たかじんのそこまでやって委員会」だ。「言っても」が「やっても」になっている。ひと月、700円ほどで見れる。「たかじん」の出演者が、さらに過激に、詳しく、話をする。私はこの日、もう1本、収録した。「日教組について」だ。「面白かった」「右翼と日教組が闘う意味が分かった」…と、かなりのメールの反応があった。
では、林健治さんの衝撃の証言だ。「週刊現代」(5月9日号)だ。
〈眞須美被告の夫が名指し。カレー事件激白。「真犯人の名前」〉
だ。
和歌山の地元では、飲食店間で争いがあり、ライバル店を陥れるためにヒ素が混入されたのではないか、という。ヒ素は林家しか持ってないものではない。林家では昔、「白蟻駆除」の仕事をしていた。そのためにヒ素を持っていた。和歌山の他の家庭でも、害虫駆除、農薬としてヒ素は使われていた。又、和歌山といえば、ミカンが有名だが、ミカンを甘くするために、薄めたヒ素を散布していた。
ヒ素を持ってる人間は他に沢山おり、又、動機を持つ人間もいる、と健治さんは言う。そして、こう断言する。
〈そもそも、こんな大きな事件を動機もなくするヤツがおるかいな。ワシと眞須美は保険金詐欺のプロ。カネにならんことは一切、せんのや。8億円も詐欺したんやから、保険金詐欺のために、カレーにヒ素を入れたなら、死刑判決に何の文句もない。けど、カレーにヒ素を入れても何のメリットもない。一円にもならん〉
これは説得力がある。夫だけでなく、もう2人の知人にも、ヒ素を飲ませている。仲間内で相談し、保険金を騙し取るために、命をかけたのだ。しかし、ヒ素の扱いには慣れている。プロだ。死なないし、寝たきりにならない、ギリギリの量を飲んでいる。まさに、「保険金のプロ」だ。そして、計8億の金を手に入れた。全て、「金のために」やった。自分の身体を、命を危険にさらして、金をとった。それだけ金に執着していた。だからこそ、1円にもならない「カレー事件」を起こすはずがない。逮捕され、ぶち込まれては、せっかくの金を使うことも出来ない。保険金を騙し取るのだから、いい人ではない。でも、「だから人殺しをやった」と決めつけられてはたまらない。ちょっと考えたら、分かりそうなことだ。しかし裁判官も、「おかしい」とは思っても、一、二審を覆すほどの〈覚悟〉はなかったのだ。
健治さんは、眞須美さんから、毎日のように言われたという。
「10年もこんなところに入れられていると、頭がヘンになる。アンタ、何とかしてよ、何とかならんの?」
悲痛な叫びだ。実は、私のところにも、手紙が来ている。多い時は週に2、3通位ある。「やってないのに国に殺されるのか!」「助けて!」と。涙が出る。何も出来ない自分の無力が悔しい。
そして、最高裁判決だ。どれだけ落ち込んでいるだろう。そう思うと、気が重かった。だから、4月28日(火)、面会に行った時も、我々3人は、暗く、沈み込んでいた。午前9時に、新大阪に着いた。車で都島区の大阪拘置所に向かう。20分もかからずに着く。すぐ手続きをして、待つ。しかし、なかなか順番が来ない。いやな予感がする。1時間近く待たされ、やっと面会できた。何と言って慰めたらいいのか。どうやって励ましの言葉をかけたらいいのか。と悩んでいた。
ところが、救われた。眞須美さんは、明るい。元気だ。今から考えたら、我々のことを考えて、無理に、明るく振る舞ったのだろう。
「鈴木さん。遠いところをありがとう! 支援の会の代表になってもらってありがとう! 鈴木さんしかおらんのよ!」といきなり言われた。
「いつも手紙をもらいながら、何も出来ないですみません。自分で出来る限りのことはやってるつもりですが」と私は謝った。
隣りにいた支援者の人が、「おととい、テレビの“たかじん”に出て、鈴木さん、頑張ってましたわ」と言ってくれた。「そうですか。ありがとう。ありがとう」と、眞須美さんは明るい。「三宅久之先生も、“あの判決はおかしい”言うてましたよ」と、私もつい大阪弁で喋ってしまった。
「この前、鈴木さんの名を騙る記者に騙されたわ」と眞須美さんが言う。かなり、酷い書かれ方をしたと言ってた。それに眞須美の嫌いな記者を一緒に連れてきた。それが許せないという。でも、よく聞いてみると、私の紹介した記者だ。バランスをとって書いてくれると思ったのにな。眞須美さんを怒らせたらしい。「私が紹介したんです」「本当に、すみませんでした」と謝った。私も、信用できると思って、紹介したのにな。どうも、マズかったらしい。
それから、裁判の進め方などについて話し合う。再審請求をするので、その弁護士は今の人たちにやってもらう。その弁護士の事務局長に鈴木さんの名前を登録しておいてから、と言う。そうすると、これからも会えるらしい。(ただ、裁判所で認めるかどうか分からないが)
新聞、週刊誌には随分と酷いことを書かれ、「訴えようか」と言っていた。三浦和義さんのように、だ。今は、それよりも、どうしたら再審ができるかを考えた方がいい。そう言った。
「では、そろそろ」と隣りに座っていた刑務官が言う。まだ15分位しか経ってないのに、非情だ。ほとんど、眞須美さんが一方的に喋ってたな、と思った。そういえば、「慰めの言葉」を誰も言わなかったな、と気がついた「気を落とさないで」「落ち込まないで」なんて言う暇はなかった。そんなことを言う必要もなかった。一方的にまくし立てられた。
「これ、着とるで」と、上着を脱ぐと、アムネスティのTシャツを着ていた。支援者の1人は、アムネスティの人だ。だから、気を遣っているのだ。
ともかく、明るかった。元気だった。少なくとも、私らにはそう思えた。私らに心配かけまいと思って無理に元気に装っていたのだろう。涙ぐましい。早く冤罪が晴れることを祈るばかりだ。
5月に弁護士の会がある。7月19日(日)は大阪で「考える会」の集会をやるという。近くなったら又、報告しよう。
⑨4月23日(木)加藤紘一さんの出版記念会がありました。その時、もらった本です。『劇場政治の誤算』(角川oneテーマ21)です。なかなかいい本です。一気に読んでしまいました。どうやってこの日本を再生させるか。どうやって景気を回復させるか。具体的な提案を出しております。
⑪「胸だけ撮っていい? 顔は出さないから」と言ったら、「いいよ」と言うので撮りました。女の子なのにネクタイをしている。面白い。可愛いな、と思ったら、Tシャツに描かれた絵だった。だから、撮らせてもらった。「盗撮ではなかとよ」シリーズ(第2回)です。
「左右レボリューション21」
5月5日(火)(15:00〜17:30)
対 談 鈴木邦男×内海信彦
◎文房堂ギャラリー
千代田区神田神保町1−21−1 文房堂ビル4F
tel: 03-5282-7941(会場直通:会期中のみ使用可能)
tel: 03-3294-7200(ギャラリー事務所)
http://www.bumpodo.co.jp/
access
「神保町」駅
(東京メトロ半蔵門線、都営三田線、新宿線)A7出口徒歩3分
JR「御茶ノ水」駅 御茶ノ水橋口徒歩10分
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉