「こどもの日」、最大のイベントでしたね。久しぶりに興奮しました。熱く語り合いましたよ。「左右(さう)レボリューション21」ですよ。画家にして革命家の内海信彦さんと元右翼の私の〈対決〉でした。
「新・新・新 新左翼!」「新・新・新 新右翼!」「woo〜左右REVOLUTION♪」というテーマ曲に乗って2人が登場。そして激突! 3時間近く、闘い、話しましたよ。なかなか内容の濃い対談になりました。
驚いたことに、聴衆は若者ばかり。「平均年齢は20才くらいかな」と内海さん。だって、コスモ生、予備校生、美大生が中心。超満員だ。椅子が足りなくて、座布団を出して、そこに座ってもらった。「80人はいたよ」「86人くらいだよ」と諸説乱れる。私が見たところでは、軽く、100人は超えてたと思った。左右の機関紙だったら、「350人の同志が結集した!」とぶち上げるところだ。
再度言うが、若者が多いのには驚いた。だって、こういう「政治的なテーマ」の話になると、聞きに来る人は、年輩の人ばかりだ。右翼、左翼、市民運動の集会は皆、そうだ。「世の中を変えよう!」「革命だ!」と言っても、〈若さ〉を感じない。若者はいない。そんな集会に若者を連れて行こうとしても、若者は行かない。自分の子供や孫を連れて行こうとしても、言うことを聞かない。信用がないんだ。
その点、学校はいい。予備校、専門学校は、そこにすでに若者がいる。集まっている。毎日が集会だ。そこで政治的な話をする。つまらなかったら、出て行く。面白かったら、他からもドッと集まってくる。
内海さんは、週に7校ほどで教えている。河合塾コスモ、美学校、駿台予備校などだ。だから、週に20時間以上も授業がある。じゃ、いつ本を読み、勉強するのだろう。と思ったら、「学校は1年のうち半分は休みですから」。その間に充電するのだ。そして、学校が始まると、生徒に放電。感電した生徒が熱烈なファンになる。どこの学校でも、「カリスマ・レフト講師」と呼ばれている。教室はどこも満員。「5時間続けて喋ったことがある」という。聞いている生徒も偉い。きっと、忍耐強い、寛容な大人になるよ。
休みの間だって忙しい。生徒を連れて、アウシュビッツやアメリカに行く。内容の濃い思想旅行だ。「去年はアウシュビッツに4回行った」と言う。その報告会に出たことがある。スライドで説明し、行ってきた生徒が報告する。報告も感想も、しっかりとしている。私なんかじゃ、とてもこんなに立派に報告できない。生徒の方が優秀だ。
海外研修だけでなく、休み中に、集中的に絵を描く。美学校や河合塾コスモの講師である前に、画家なんだ。アーチストだ。思想的な大胆な絵を描く。白馬にまたがった昭和天皇も出てくる。歴史の黄昏も出てくる。大浦信行さんの絵とも共通する歴史観・思想を感じる。
又、ボディ・ペインティングの第一人者だ。手だけで描くのではない。肉体全体を使って絵を描く。肉体をキャンバスにする。生徒を寝かせ、そこに粉状の絵の具をぶちまける。投げつける。その映像も紹介された。肉体労働だ。
昔、沖縄に行った時、黒田征太郎が筆を使わず、手だけで絵を描いていた。手のひら、肘を使って、描き、その上にさらに描く。どんどん絵が変わる。これがボディ・ペインティングかと思った。ところが内海さんのはさらに過激だ。
生徒の1人が言っていた。2月の寒い時に、裸で寝かされて、そこに色とりどりの粉を叩きつけられた。「『寒い』と言うな!『暑い』と言え!」と厳命され、生徒は、「暑い!暑い!」と叫びながら、失神したそうな。凄い。それも内海さんと〈何故か〉奥さんの2人で叩きつけたという。夫唱婦随だ。奥さんもアーチストなのか。でも、生徒の恐怖体験からは、なにやら連合赤軍の総括を連想してしまった。森恒夫と永田洋子が主導して、査問し、総括する。「“寒い”と言うな!“暑い”と言え!革命家としての精神が欠如している!」と言ってるようだ。
まぁ、実際は「リンチ」ではないが、それに近い。芸術家としての「厳しさ」なのだろう。
そうだ。この日は、「室内写生展」が行われていた。その記念イベントとして「左右REVOLUTION」なのだ。生徒の作品が展示されている。中島晴矢君の絵は何と10万円で売れたという。凄い。学生なのに、そんな値が付いたのか。「じゃ、2万円貸してくれ」と内海さんが言っていた。
又、女子の生徒の作品で、肉体に墨を塗って、それを作品にしたものもあった。魚だったら「魚拓」というのだろうが、これば「女拓」というのだろうか。画期的な作品だ。
では、トークの報告だ。
5月5日(火)、午後2時から始まった。場所は神田神保町。すずらん通りの「文房堂ギャラリー」だ。画材屋さんの4階のギャラリーだ。そこに展示されている。「美学校、内海信彦絵画表現研究室 室内写生展」なのだ。5月4日から9日まで展示されている。その2日目の5日に、記念イベントとしてトークが行われた。
2人のトークの前に、ライブとパフォーマンスがある。決して「前座」ではない。「こっちの方がメインだよ!」と私は思わず叫んでしまった。それほどの素晴らしいものだった。初め、内田輝氏のサックス演奏。それも即興演奏だ。横のスクリーンに、内海さんの作品が次々と映し出される。それを見ながら、即興で演奏する。凄い。実は、初め、何の映像か分からなかった。ベルリンの壁崩壊で、ドイツ市民が壁によじ登り、ハンマーで壊しているのかと思った。「そう見てくれてもいいんですよ」と内海さんは言うが、実際は、ボディ・ペインティングの〈現場〉だ。初めて見た。激しい、強烈だ。やはり、総括だ。きっと、旧い芸術に対する査問であり、総括なのだろう。
その後、内海さんと私のトークだ。じゃ、始めようとしたら、突然、大声で叫びながら突進してくる青年がいる。ヤバイ。暴漢か? 右翼テロリストか? でも、こうした修羅場には慣れてるので、落ち着いて見ていた。短刀で刺してきたら、合気道で闘えばいい。その辺の椅子を投げつけてもいい。いや、一番前にいる女の子を敵にぶつけて楯にしてもいい。楯の会だ。でも、「右翼のくせに女を楯に逃げるなんて卑怯だ」と言われるかもしれない。困ったな、と思ったら。「楯の会」だった。その暴漢が「楯の会」の制服を着てたのだ。アレッ?と思ったら、聴衆に向かって演説をする。「諸君はこのままでいいのか!」「自衛隊は巨大な武器庫になって、一体どこへ行くんだ!」と。おっ、三島じゃないか!
そうなんだ。中島晴矢君だ。中島君だが三島由紀夫だ。日の丸の鉢巻をして、楯の会の制服を着て、絶叫している。うーん、にている。「我々は4年待った。最後の1年は熱烈に待ったんだよ!」
そのうち奇妙なことを口走る。「あっ、お母さんダメ!」こんな所に来ちゃダメだよ、帰ってくれよ。こっちは一世一代の仕事なんだから」
駆けつけた母親を追い払っている。マザコンの三島に対する、ちょっとしたジョークだ。風刺も効いている。そして、自衛隊が立たないと見極めると、やおら正座して、「天皇陛下万歳」を唱えて自決する。壮絶だ。と書くと、まるっきり、「右翼パフォーマンス」だが、ところどころ、危ない台詞もあるし、危ないジョークもある。まァ、これ以上は書けん。でも、三島は、ユーモアの分かる、寛大な人だった。だから、何をやったっていいんだよ。刺されることはない。「面白いね」といってガハハハッと笑ってくれるだろうよ。
中島君は三島のビデオは何度も見て、研究したという。市ヶ谷での檄、東大全共闘との討論などだ。又、三島の出た映画も全て見ている。それだけ研究しだけあって、よく似ている。よく特徴をとらえている。
「今度は、市ヶ谷での決起の完全版をやればいいのに」と言った。三島がバルコニーで演説する。下からは自衛隊員が、野次を飛ばしている。「馬鹿野郎、下りてこい!」「ふざけんな!」と。中には石を投げた隊員もいたという。さらに、空には取材のヘリコプターの爆音が聞こえる。それらを全てやる。
「1人でやるんですか?」「そうだよ」「でも、それじゃ落語になっちゃいますよ。1人でいろんな人をやっちゃ」。うーん、まずいか。じゃ、客の中に「自衛隊役」「ヘリコプター役」を入れておいて、騒いでもらったらいい。何なら私も、「野次を飛ばす自衛隊員」を演ってもいい。
いや、それよりも、1人で別々に演じてビデオで合成したらいい。松尾貴史が「朝までなめてれば」でやったけど。田原総一朗、大島渚、野坂昭如、辻元清美などを別々に演じ、それを合成して、「激論」してるように仕上げた。あれは凄かった。それをやったらいいだろう。
あるいは、どこでもいいから突入して、バルコニーから演説する。それを実況中継してもいい。でも、捕まっちゃうかな。まァ、捕まってもいいだろう。いい体験だ。パフォーマーとして「ハク」が付くさ。
「ところで、自分の名前の由来を知ってる?」と聞いたら、知らないという。父親も教えてくれなかったという。だから教えてやった。中島晴矢の由来だ。1960年の山口二矢(おとや)の事件に父親はショックを受けた。社会党の浅沼委員長を日比谷公会堂で刺殺した。17才の少年だ。凄い少年だ。感動した父親は、「二矢」と名付けようとした。しかし、それでは余りに露骨だ。学校で苛められる。又、社会党の子供には、「委員長の仇!」と言って刺されるかもしれない。だから、父親だけが分かるように「晴矢」にした。
「じゃ、晴はどこから取ってきたんですか?」と晴矢君が聞く。それはだね、山口二矢の「辞世の歌」から取ったのだ。
〈国のため 神州男児は晴れやかに 微笑(ほほえ)み行かん 死出の旅路を〉
という辞世の歌だ。この「晴れやかに」から取った。「晴れやかな二矢になれ!」という父親の遺言だ。「父親はまだ生きてますよ」「そうか。ともかく父の願いだ」。
「エッ? 知らなかったなー。僕の名前には、そんな深い由来があったんですか」「そうなんだよ」「でも、どうして鈴木さんが知ってるんですか?」「まあ、まあ。秘密だ。世の中には、知らない方がいいこともあるんだ」と言葉を濁した。
それに、同じ年、1960年に死んだ東大生がいて、樺美智子という女子大生だ。安保反対で国会にデモに行き、機動隊に虐殺された。直後、彼女の遺稿集が出たが、その題名が『人知れず微笑(ほほ)えまん』だ。
微笑んで殺された樺美智子。微笑んでテロをやり、自決した山口二矢。1960年のキーワードは「微笑み」なんだ。だから、その後、何年か経って、キャンディーズは「微笑み返し」という歌をうたって、2人の霊を慰めたんだ。
この日は中島君の彼女も来ていた。中島君には勿体ないほどの美人だ。いつか結婚し、子供が出来たら「微笑」ちゃんと名付けたらいい。女の子の名前だね。男の子だったら、「苦笑」ちゃんにしたらいい(苦笑)。
あっ、いかんな。中島晴矢君の話だけで終わっちゃったよ。内海さんとの話だ。全く打ち合わせなしに、ぶっつけ本番でやった。でも、左右の革命家同士、すぐに話が核心に入る。スーッと入る。いきなり、2・26事件の磯部浅一の話になる。そして北一輝の話になる。生徒にも分かるように、解説を入れ、時代説明をやりながら進める。そうでないと、元活動家のオッサン同士の世界に入ってしまう。
内海さんは、中学生で北一輝を読み、三島由紀夫を読んだそうだ。そして右翼になる。凄いね。どうやって、中学で読めるんだろう。私なんて、中学生の時は秋田県の田舎にいて、日本に天皇がおることも知らなかった。自分が日本人だということも知らなかった。それなのに、内海さんは凄い。早熟な天才革命家だ。でも、高校になると、北や三島では飽き足らなくなる。そして、左翼の革命運動に入る。そのキッカケになったのが、早大国防部との〈遭遇〉だ。
高1の時、早大に行った。学生運動が盛んだ。左翼も多いし、右翼もいる。国防部があった。日学同がやっている。初代国防部部長は森田必勝だ。その後、「楯の会」に移り、三島と共に自決した人だ。その右翼の名門「国防部」に行った。そして学生と話をした。「じゃ、近くの喫茶店で話そう」と誘われた。
「早大の正門からまっすぐ行った左側でしょう」と私が言った。「そうです。そうです」。やっぱり。そこは喫茶店「ジュリアン」ですよ。日学同を指導した矢野さんという人が経営していた喫茶店だ。野心的な人で、スタンダールの『赤と黒』の主人公、ジュリアン・ソレルから取った名前だ。一階は普通の喫茶店だが、二階は、右翼学生のたまり場になっていた。一般学生をそこに連れてきてはオルグしていた。右翼学生はコーヒーはタダだった。わたしもよく、利用させてもらった。
「じゃ、そこに連れて行ってオルグしたのは森田必勝さんかも知れませんね」と内海さん。うん、その可能性は大きいね。歴史的なオルグだよ。他の右翼学生とも会って、話をした。そして、どうも右翼学生には「経済理論」がない。そう思ったという。高校1年生が早大の学生を相手にして論争し、論破したのだろう。恐るべき高校生だ。
早大国防部論破事件をキッカケとして、右翼高校生に訣別し、新左翼運動に入る。革命高校生の誕生だ。そして、高校2年の時(17才)が、三島事件だ。1970年だ。
私は、1970年の時は、27才だった。産経新聞の社員だった。ということは内海さんは、私よりちょうど10才若いのか。若くして革命運動に入り、どんどん進化し、今は、アーチストだ。カリスマ・レフト講師だ。
5月5日のトークでは、緊張感を持ちながらも、けっこう深い話をした。右と左のお互いの体験。そして、右や左の運動の現状。そして、こからどうするのか。そうした点について、腹蔵なく話し合った。内海さんは、さすがに〈深いな〉と何度も思った。
そうだ。三島由紀夫の「生まれ変わり」の中島君も、トークの横にいたのだ。司会なのだが、我々2人が勝手にどんどん喋っていく。まァ、それもいいもんだ。
驚いたことに、必死にメモをしている生徒が多い。教室で授業を受けてる時のクセだろう。でも、メモすることなんかあるのか。「家に帰って、親に見られないように」と言っちゃった。内海さんは、どこの学校でも、生徒をアジ(煽動)り、夜を徹して討論させたり、デモに連れて行ったりする。生徒の心を捉えるのがうまいのだ。
それに、外国にも研修旅行に連れて行く。内海さんが引率したのではないが、ドイツで逮捕された青年もいて、この日、報告していた。日本のアナーキストの人たちとドイツに行った。「G8反対闘争」だったという。ところが、デモをする前に逮捕。拘留された。「偉い!」「大したものだ!」と皆に拍手されていた。逮捕されて拍手なんて、あまりない。いいことだ。
内海さんとのトークの中味は、「どこかに発表したいですね」と言っていた。ぜひお願いしたい。
左右の運動にこだわり、そのお互いの活動家時代の話をし、さらに、そこを抜け出して、日本を、世界を考えた。そんな一日だった。
3時間近いトークが終わり、そのあと近所の居酒屋で二次会。楽しかったです。ご苦労さまでした。お世話になりました。
⑪今、発売中の『マンガ論争勃発2』です。私も長時間、喋ってます。6ページです。タイトルが殺気立ってますね。
「俺を殺しにくるのはいいが、放火はするな」。凄いですね。凄い覚悟を持ってるんですね。この人は。きっと、ヤケで、捨て鉢になってるんでしょう。
⑫駅で、たまたま見つけたポスターです。エスカレーターに乗っている親子です。子供がお母さんの手を握ってます。しっかり、つかまってます。それで、〈「つかまる」という安心〉
いいコピーだ。でも、左右の活動家は皆、瞬間的に思ったはずだ。
〈「捕(つか)まる」という不安〉
このポスターを見て、こう思う人の方が多いだろう。逃亡中の中核や革労協の人。日本赤軍の人。北朝鮮に亡命した人。逃亡し、潜伏しているオウム信者…と。
だったら、政治犯の人たちが、ガチャリと手錠をかけられた写真を掲載し、
〈「捕(つか)まる」という不安〉
と書いたらいい。不安を解消したいと、自首するかもしれない。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉