2009/07/06 鈴木邦男

小林よしのりさんの『天皇論』には〈全て〉がある!

①関心のない人も、『天皇論』を読み始めた

小林よしのり『天皇論』(小学館)
小林よしのり『天皇論』(小学館)

 不思議な現象だ。今まで天皇に関心も興味もなかった人達が、急に〈天皇〉と言い出した。小林よしのりさんの『天皇論』(小学館)効果だ。驚くべき力だ。影響力だ。又、「天皇制はいらない」「天皇制は差別の元兇だ」と言ってきた左翼の人々も、今やそんなことは言わない。「今の天皇陛下は素晴らしい」という。左翼だって認めざるを得ないのだ。「天皇制打倒!」などと言ったら、ますます孤立する。消える。だから、自分たちの(左翼という)「種の保存」のためにも、もう「天皇制打倒」は言えない。「天皇は憲法を守ると言った。最大の護憲派だ」「サイパンでは韓国人慰霊碑で黙祷した」と言う。「首相でもやらないことだ」と。自分たちの都合のいいように〈利用〉して、天皇は素晴らしいと言っている。でも、たとえ「方便」でも「仮面」でもいい。言ってるうちに〈本心〉になる。本人たちだって、方便と本心の区別がつかなくなる。いいことだ。
 これも小林さんの『天皇論』効果だ。かつての『戦争論』と同様に、いや、それ以上にタブーであり未踏の分野に踏み込んで、人々の蒙を啓いた。その功績は大きい。

 6月26日(金)、夜、「保坂展人を激励し共にたたかう集い」に出た。都市センターホテルだ。社民党の支援者だから左翼っぽい人が多い。「鈴木さんの考えには賛成です」と言う。そして一様に、付け加える。「天皇制の問題は分かりませんが」と。「でも、今の天皇はいい人だと思います。他の人ではとても出来ません」と言う。
 つまり、今の天皇は素晴らしい。それは認める。しかし、昭和天皇は戦争を起こしたし、過去の天皇制は認められない。そう言うのだ。それが、現在の左翼のレーゾン・デートル(存在理由)だと思っている。「最後の砦」と言ってもいい。
 「でも、戦争に一番反対したのは昭和天皇ですよ。最も平和を願っていたのが天皇です。それは小林よしのりさんの「天皇論」を読めば分かります。あれ1冊読めば十分です!」と言ってやった。「SAPIO」では時々読んでたという。だから、「今の天皇は素晴らしい」と思ったのだろう。小林さんの、まとまった『天皇論』を読んだら、又、衝撃を受けるだろう。

②40年前の「右派論客」たちに会った!

『天皇論』より
『天皇論』より

 この前の日、6月25日(木)、グランドアーク半蔵門に行った。「創刊12周年。『月刊日本』を叱咤激励する会」だ。よく頑張っている雑誌だ。主幹の南丘喜八郎氏、編集長の山浦嘉久氏は早大出身だ。私と同じ時代に、全共闘と闘った右派学生だった。その縁で、天野孝一郎氏や、海老原満雄氏など懐かしい人々にも会った。宮崎正弘氏にも会った。学生時代の話になった。「左翼とはよく、激論したよね。殴り合いもしたけど…」と、話をした。
 早大の右派学生といっても様々だ。日学同(日本学生同盟)があり、生学連(生長の家学生部)が中心になった全国学協があった。さらに、日本学生会議があり、国策研究会というサークルを持っていた。他に、土曜会、早稲田精神昂揚会などがあった。自民党や民社党の学生部もあり、原理研究会(統一教会)もいた。いろんな人々が集まり、「巨大な敵」全共闘と闘っていた。
 日学道が一番華々しかった。マスコミにも出た。ここの出身者が多数、三島由紀夫の「楯の会」に行った。三島事件の時、市ヶ谷に行った森田必勝、小川正洋は日学同の出身者だ。市ヶ谷に行ったもう2人、小賀正義、古賀浩靖は生学連だった。この日学同は、路線の違いで、途中で分裂する。自民党系の学生が出て行って、同じ「日学同」を名乗ったのだ。ややこしい。彼らは神田に本部を持ったので、「神田派」と呼ばれた。元々の日学同は「早稲田派」だ。
 勿論、右派学生運動の歴史では、「日学同(早稲田派)」しか記録に残ってない。私もそう書いてきた。しかし、今から考えると、「神田派」も長く頑張った。新聞を作り、集会、デモもやり…と。各大学で左翼とも戦った。この「神田派」の歴史についても、きちんと書く必要がある。そう思っている。

『天皇論』より
『天皇論』より

 この「月刊日本」のパーティで会った海老原満雄氏が、その「神田派」の初代委員長だった。この神田派は別称、「自由派」とか「自民派」「ハト派」とも言われていた。日学同の本流は、「早稲田派」「国粋派」「タカ派」とも呼ばれていた。しかし、「日学同は一つだ」と早稲田派の人はいっていた。お互いがお互いを認めていない。中国と台湾のようだった。
 この日、来ていた神田派の海老原満雄氏は、能力のある男だったし、勉強家だ。早大のキャンパスでよく全共闘と論争していた。話もうまかったし、理論家だった。ガチガチの右翼学生ではなく、自由、民主を愛する「反左翼」学生というタイプだった。日学同が分裂してからは、彼の名を取って、「海老天(えびてん)学同」などと揶揄されていた。誰が言ったのだろう。私だったのかもしれない。
 この「月刊日本」パーティには日学同「早稲田派」の宮崎正弘氏(現・評論家)も来ていた。そして、海老原氏とも話をしている。昔なら信じられない。組織を割った「裏切り者」だ。でも、そんな内ゲバも遠い昔だ。いいことだ。そのうち両派が共同で、「統一運動史」を作ってもいいだろう。画期的なことだ。「ここまでは一緒」「ここで分裂」と、分裂後は上に早稲田派、下に神田派の歴史を書いていく。面白いじゃないか。日本と中国でも歴史認識を共有し、統一教科書を作ろうという試みもあるのだし。
 この「月刊日本」のパーティでは、もう1人、とても懐かしい人に会った。国策研究会(日本学生会議)の天野孝一郎さんだ。早大時代は私の「お師匠さん」だった。だって、何でも知ってるし、早大右派学生の一番の「論客」だった。国策研は、他に影山さん、そして山浦氏らがいた。皆、凄い論客だ。それでいて武闘派だ。全共闘と一歩も引かず論争し、論破していた。喧嘩も強かった。とても僕らには出来なかった。
 たとえば、ストライキの時だ。僕らは、「ストは学生の本分に反する」「これは外部の左翼の指令でやってるのだ」と言って全共闘に噛みついた。考えてみれば幼い理屈だった。全共闘に勝てるわけはない。ところが国策研は、キャンパスに大きな立て看板を出した。そこには、「これは、瑕疵(かし)ある意志表示である!」と書かれていた。エッと思った。「瑕疵」って何だ。全く分からない。よく読むと、「キズ」とか「欠損」という意味らしい。つまり、全学生の意志を表してストに突入したというが、嘘だ。というのだ。クラス討論をし、そこで過半数を取り、それを学部に持ち寄り、意志決定したと全共闘は言ってるが、嘘だと言う。その嘘の過程を詳しく書き、立証する。
 他にもこうした立て看板を出していたし、それに文句を言う全共闘は迎え撃って堂々と論破していた。右派学生の中では、最も強い集団だった。私は、そこの天野さんからはよく教えてもらった。マルクス・レーニン主義について、その弱点について。共産党について。中国やソ連について。私よりも、ずっと上の人だと思っていた。(ところが実際は1歳下だった)。武闘派でもあり、「山にこもって1人で空手の練習をしてきた」などと言っていた。

③防衛論、憲法論では左翼に負けなかったが…

『天皇論』より
『天皇論』より

 早稲田の近くに「ジュリアン」という喫茶店があって、右派学生の溜まり場だった。そこに「一般学生」を連れ込んで、仲間にしようとした。大学では、毎日のように全共闘と論争する。時には殴り合いになる。それを遠巻きにして一般学生が見ている。「そうだ!」とか、「ナンセンス!」とか時々、野次を入れる。我々に好意的な人間は必ず目を付けて、喫茶店に誘い、話し合った。「オルグ」(勧誘)だ。そして仲間に入れた。後に、三島由紀夫と共に自決した森田必勝氏も、こうして仲間になった1人だ。

 喫茶店は早大大学院の矢野潤さんが経営していた。この人も理屈っぽい人で、私らはよく教えられた。又、矢野さんの友人で、玉沢徳一郞さん(後に国会議員になる)も来て、よく私らに教えてくれた。ミロバンディラスの本をテキストにして、世界情勢や反共理論について教えられた。「敵の思想も学び、論破するのだ!」と言われ、マルクス、レーニン、毛沢東、トロツキーなども読んだ。玉沢さんも凄かったが、私にとっては天野さんが一番の論客だと思った。明治維新の時、上野の山に立てこもって官軍と闘った彰義隊がいる。その隊長は天野という人だ。だから、私は、2人の天野さんを同一視して、尊敬し、仰いでいた。
 皆が集まって勉強するのは、勿論、「敵に勝つ」ためだった。そのための「武論武装」だった。つまり、「反共」の理論が中心だった。いかに共産主義は間違っているか。革命になったら大変だ。革命を起こした国はどうなっている。…といったことが多かった。それを武器にして全共闘と闘った。三島由紀夫、林房雄、福田恆存なども「武器」になった。
 防衛論、憲法論、反米論、領土論では全共闘に論争を仕掛けて、負けなかった。「アメリカに押しつけられた憲法でいいのか。日本の自立はどうした!」というと、周りの一般学生からも、そうだ、という声が上がる。北方領土、沖縄などの問題も、民族主義に訴えるから勝てる。東京裁判史観、YP体制打倒論にしても、そうだ。
 防衛論は右派学生の独壇場だった。全共闘と論争してる時、いきなり殴る。相手は殴りかかる。あるいは、逃げる。「ほら見ろ、そういう反応を示す。でも日本列島は足がないから逃げられない。闘うしかないだろう。自衛力は必要だ!」といって論破してしまう。随分と乱暴な理論だが、口と手が一緒になった「統合理論闘争」だ。

④学生時代、天皇論争では苦戦した

『天皇論』より
『天皇論』より

 今言ったように、憲法、防衛、領土、反米、反共、反革命…といったテーマは、こっちが「攻撃的」になれる。だから、闘いやすかった。時には乱闘に持ち込みながら、論争し、一歩も引かない。
 でも、一つだけ、ネックがあった。弱点があった。「天皇論」だった。これは「攻撃的」なテーマではない。昔の軍人のように、「貴様、不敬だ!」と言って殴って済むことではない。理論的に言わなくてはならない。憲法、防衛、領土…といったテーマは、失われたものを取り戻す闘いだ。アメリカやソ連に奪われたものを、取り戻すのだ。国家の「当然の権利」として取り戻すのだ。だから、闘い甲斐があるし、いくらでも「攻撃的」にやれる。
 ところが、天皇は、昔から続いていたものだ。敗戦でもなくならない。ずっとある。だから、全共闘からは、「過去の遺物だ」「反動だ」「差別の元兇だ」と批判される。途端にこっちのトーンも落ちる。「やりづらいテーマ」だった。「闘いにくいテーマだった。それに私は「生長の家出身」だ。宗教的な天皇論だ。自分では納得しても、他人に理解させるのは難しい。悩んだ。
 三島由紀夫は『文化防衛論』を書いた。我々は、これに飛びついた。しかし、レトリックが難しい。全共闘と闘う時の〈武器〉にはなりにくい。それに、この本は、本当は「天皇防衛論」だ。でも、そう書くのは憚られた。そう書くことで、「何だ、ただの反動か」「ただの保守か」と三島は思われたくなかった。そう思う。だから、自分は文化の面から書いて、天皇防衛の論理を書く、と思ったのだろう。
 又、三島には『反革命宣言』という本がある。「楯の会」初代学生長になる持丸博氏は言っていた。「保守、反動と思われたくないんですよ」「だから、三島さんらしいレトリックの中で天皇を取り上げている」と。それに、「反体制」「反権力」--と「反(アンチ)」は格好いい。だから、「反革命宣言」にしたんですよ、とも言っていた。

小林よしのりさん(一水会フォーラムで。08年11/10)
小林よしのりさん(一水会フォーラムで。08年11/10)

 林房雄は『大東亜戦争肯定論』を出した。人々にショックを与え、居直っている感じがした。でも、これで左翼とは戦えないな、と思った。特に天皇問題はそうだった。
 一部には、里見岸雄の『万世一系の天皇』や『天皇とプロレタリア』『国体に対する疑惑』などを読んでる人もいた。これは役に立った。昭和4年頃、左翼が強い時に、「天皇はむしろ、プロレタリアのためにあるんだ」「権力者や金持ちのために天皇はあるんじゃない!」と言ったからだ。今の我々と同じじゃないか、と思った。いわば、『反体制』的な存在として天皇を捉えられると思ったのだ。
 当時の右派学生は、やはり、コンプレックスがあったのだ。「保守」「反動」と思われたくない。我々だって、世の中を変えるのだ。「革新勢力」だ。血盟団、5.15事件、2.26事件を見てみろ。皆、〈革命〉じゃないか。我々だって、天皇を戴いた〈革命〉をやるのだ。そう思っていた。ところが戦前ならば、国民の全てが天皇を尊崇し、それは、「当然のこと」だった。
「我々は日本人である」という位に当然のことであり、前提条件だった。だから、どれだけ天皇を信じているか、どれだけ尊崇しているか、その〈忠誠〉競争だった。
 ところが、我々が学生運動をやっていた時は違う。その「当然」「前提条件」がない。特に、学生はそうだ。最も、進歩的だ。最も革命的な雰囲気の中にいる。
 そこで、どうやって、我々の「革新」「正しさ」を主張し、認めさせるか、悩んだ。天皇は必要だ。でも、どうやって証明するか、だ。中には、思いあぐんで、「スメラギ(天皇)・アナーキズム」と言い出す者もいる。天皇という一点は認めるが、それ以外は全てアナーキーでいい。〈反体制〉の天皇論だ。中には、「天皇よりヒトラーの方が好きだ」と口走って、批判される人間もいた。天皇論をめぐる「闘い方」には苦労した。

⑤「変革の拠点」としての天皇

小林よしのりさんと(08年11/10)
小林よしのりさんと(08年11/10)

 「終戦の時の天皇の決断」「マッカーサーと会って、自分の身はどうなってもいいから国民を救ってほしいと言った」という事実を言っても、なかなか納得してもらえなかった。今のテレビ討論と同じで、声の大きい人間、過激な人間が勝つ。「そんな人情論で逃げるのか!」「そんな事実はない!」と左翼は大声を上げる。冷静に天皇論を話す土壌がなかった。
 「正面」から闘えなければ、じゃ、側面から行くか。裏に回って闘うか。いろんなやり方が模索された。『愛国と米国』(平凡社新書)でも書いたが、「我々が護るのは“理念としての天皇”であり、“現実の天皇”ではない!」などと口走る学生もいた。又、北一輝、吉田松陰の天皇論を持ち出し、何とか、〈変革〉の側に天皇をもってこようとした。世の中を変える旗印としての天皇だ。そのことによって、自分たちの運動も〈変革〉運動だと思わせたかったのだろう。
 1972年に一水会をつくり、1975年8月に「レコンキスタ」(一水会機関紙)をつくった。その創刊号(75年8月号)に私は原稿を書いた。「保守の拠点か変革の原基か」というタイトルだった。天皇を「変革の原基」として捉えている。それは間違いではないが、多大な「思い入れ」をする「変革の原点」だったし、これからもそうあってほしいと。又、だからこそ我々は天皇制を支持するのだ、という気持ちもある。我々の運動は保守、反動ではない。だから天皇の「変革の原基」だという論理だ。今から考えると、天皇の「政治利用」かもしれないと思う。又、天皇を「そのまま」で見、支持しようという〈勇気〉がなかったのかもしれない。

 そのようなコンプレックスや、「天皇論」を書く上での悩み、迷い、逡巡があったことは事実だ。これは今頃になって、強く思う。
 さて、そこで、「月刊日本」のパーティだ。昔の右派学生仲間たちと、そんな話もした。
 「それにつけても、小林よしのりさんの『天皇論』は凄いよな」という話になった。
 「正面から堂々と天皇論をやっている。とても俺たちは出来なかった」…と。
 たしかに、我々は、左翼の「反天皇論」に対する「反論」としてやってきたような気がする。又、天皇並びに皇室の歴史を、そのまま見ることがなかった。そのまま伝えることがなかった。「変革の原基」として、一部分を大きく主張し、それで「天皇防衛の論理」にしようとした。明治維新の時の天皇、終戦の時の天皇…と、「一断面」だけを取り上げて、天皇論をやっていた。長く続いた、いわば〈保守〉の面を無視してきた。その部分では左翼に勝てないと思ったのだろう。勇気がなかった。
 その点、小林さんの天皇論は、違う。〈変革〉〈保守〉を超えて、天皇を見る。ありのまま見る。そして、長い皇室の歴史を書く。これは画期的な『天皇論』だ。小林さんは天皇論の入門書と謙遜するが、ここに〈全て〉がある。
 45年間、右翼運動をやってきて、天皇論を考え、苦闘してきたのに、たった1冊の本に負けた。凌駕された。

⑥小林さんの〈個人史〉も入っている

天野孝一郎氏(中央)、宮崎正弘氏(右)(6/25)
天野孝一郎氏(中央)、宮崎正弘氏(右)(6/25)

 又、この『天皇論』は小林さんの「個人史」もからめている。「君が代」を皆の前で歌えなかった。恥ずかしいし、保守・反動と思われるのも嫌だ。それが堂々と歌えるようになった。その体験を書く。又、皇居の一般参賀に行って、「天皇陛下万歳」を叫ぶ。これも全くの初体験だ。恥ずかしくて出来なかったことだ。それが出来た。自然に出来た。「万歳童貞」を捨てた!と表現している。我々には考えもつかなった表現だ。これを読んだ何万、何十万という人々が、「万歳童貞」を捨てるだろう。これは、もう「革命」だ。
 又、この本は、ぐじぐじとした暗雲を一挙に払ってくれた。これは、実にスッキリする。今、左翼の中で、「天皇制打倒!」などという声はない。少しはいるのかもしれないが、聞こえない。日本共産党だって、反対しない。認めている。私の会う左翼の人だって、「今の天皇陛下は立派だ」と言っている。「実録・連合赤軍」を撮った左翼の映画監督・若松孝二さんは、「天皇にもっともっと政府を叱ってほしい」と期待する。昔、若松さんは「明治天皇と日露大戦争」の助監督をやったのだ。その時の情念が戻ったのかもしれない。今度は、17才で死んだ右翼少年・山口二矢を撮りたいと言っている。
 今、左翼の「天皇制打倒論」はない。しかし、保守派の方に、陰湿な天皇批判がある。批判、反対とは言わない。あくまでも、「皇室は大切だ。皇室はずっと続いてほしい」と言う。その上で、「だからこそ、今の皇室が心配だ」と言う。「皇太子さまはおかしい」「雅子さまはおかしい」と批判する。中には「皇太子さまに諫言する」と言う人間まで出る。「雅子さまは反日的な勢力と繋がっている」などと口走る人もいる。でも、「皇室を護り、大切に思うが故だ」と言われると、右翼も攻撃できない。やり方が卑劣だ。むしろ、かつての左翼の「天皇制打倒」の方がマシだ。だって、「天皇制は差別の元兇だ」「憲法違反だ」とは言っても、「大きな論争」だった。制度論、政治論として論争を仕掛けてきた。決して、人格攻撃ではなかった。プライベートなことでの嫌がらせでもない。今の「尊皇」を気取った皇室批判は次元が低い。許せないと思っていた。私も時々書いたが、全く効果はない。反応もない。
 それが、小林さんの『天皇論』で、ものの見事に吹っ飛んだ。暗雲が吹き払われた。この本は皇室の方々も読んでるはずだ。きっとご安堵されていると思う。その点では、この本は、最近における最も忠なる本だ。そう言える。我々が必死にやってきた、いや、やろうとして出来なかった。それをやってくれた。皇室の方々も、ご安心だろう。我々も、感謝したい。
 『天皇論』の最後の方で、皇后さまのお言葉を引いて、小林さんは、こう言っている。

日学同(神田派)の海老原満雄氏と(6/25)
日学同(神田派)の海老原満雄氏と(6/25)
〈「皇室も時代と共に存在し、各時代、伝統を継承しつつも変化しつつ、今日にいたっていると思います。この変化の尺度を量れるのは、皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならないと考えています」
 平成6年、皇后陛下の誕生日のお言葉である。だとしたら、本来は天皇陛下や皇太子殿下が決めることだ。皇室祭祀は究極的に天皇御一人で成り立つものだから。
 そして将来、女系天皇が誕生するようなことになってもわしは失望しない。益々国民が天皇に注目し、敬愛を深め、かえって伝統が強化することだってあるかもしれない。そうなるように皇室の意義を子孫に我々が伝えてゆかねばらない〉

 小林さんは、ズバリと言う。その通りだと思う。ここに全てがあると思った。勇気のある正論だ。

⑦小林さんこそ里見岸雄の再来だよ

日学同(神田派)の海老原満雄氏と(6/25)
福島みずほさん(中央)、PANTAさん(6/26)

 また、小林さんは、里見岸雄の『天皇とは何か』を取り上げて紹介している。


〈戦前、戦後を通して活躍した国体学者・里見岸雄氏はこう述べている。
 「権威主義は、なるほど社会の進歩、個人の自主性の自覚にともない衰退するであろうが、人間が権威から解放されると信ずるのは、人間の本質を知らないからである。人間は、いかなる時代になろうとも権威から解放されることはない。権威は人間生活の支柱である」〉

 里見から多くのことを学んだ私としては、とても嬉しいし、ありがたい。小林さんは、さらに『天皇とプロレタリア』や『国体に対する疑惑』なども読んでいる。凄い。私は、「今こそ里見岸雄を」と思い、必死で紹介してきたつもりだが、効果はあまりなかった。でも、こうして小林さんが紹介してくれたんで、後、評価され、大いに読まれるようになるだろう。
 里見の『天皇とプロレタリア』は昭和4年に出て、大ベストセラーになり、百刷を重ねた。当時は、里見は〈社会現象〉だった。成瀬巳喜男監督の『放浪記』(林芙美子原作)という映画がある。林がセルロイド工場からの帰り道、本屋に寄って、本を1冊取り出す。その横には、里見岸雄の『万世一系の天皇』が置かれていた。心憎い演出だ。小道具だ。それだけ、当時は里見の本が売れていたし、社会現象になっていたのだ。このDVDはレンタルビデオ店にあるから、借りてみたらいいだろう。
 里見は「天皇論に革命を起こした人」だった。三島由紀夫も、里見の本に影響された。竹中労に言わせれば、「三島の『文化防衛論』の原典は里見だ」と言う。また、私も、里見になりたいと不遜にも思ったことがある。でも、なれなかった。小林さんの『天皇論』を読んで、あるいはこれが里見かと思った。天皇論に革命を起こした男は小林さんなんだ。それも、正々堂々と闘い、あらゆる迷い、暗雲を吹き飛ばしている。今まで誰も出来なかったことだ。

【だいありー】
日学同(神田派)の海老原満雄氏と(6/25)
福島みずほさん(中央)、PANTAさん(6/26)
  1. 6月29日(月)懺悔します。私は弱い人間でした。肉の誘惑に負けたのです。「肉体の快適さ」に負けたのです。だって、ついつい、クーラーをつけてしまったのです。「今年はクーラーは使わない!」「エコ大将でいく!」と固い決意をしてたのに。精神が肉体の欲望に負けたのです。学生時代は、クーラーも扇風機もなかったのに、そして、暑い中で、『世界の名著』や『世界の大思想』を読破してたのに。そんな強い私は、どこに行ったのでしょうか。
     意志の弱い私ですが、これから、クーラーは月に1回にします。では、「だいありー」です。夜7時、新宿の中村屋に行く。映画「靖国」の李監督と会う。木村三浩一水会代表と。「靖国」は今でも全国で自主上映会が行われ、13万人が見たそうだ。凄い。DVDにもなっている。これからの映画、そして日中関係について、いろいろと話し合う。そのあと、木村氏とゴールデン街へ。久しぶりだ。初めてだと思ったら、「10年前に阿部さんと来たわよ」と言われた。全く記憶がない。
  2. 6月30日(火)図書館で夕方まで勉強していた。夕方、打ち合わせ。
  3. 7月1日(水)午前中、原稿を書いていた。午後から取材。
  4. 7月2日(木)昼、打ち合わせ。3時、河合塾コスモ。「現代文要約」。5時、「基礎教養ゼミ」。今週は牧野剛先生の選んだ本を皆で読む。阿部謹也『西洋中世の男と女』(筑摩書房)だ。終わって、生徒たちと食事会。
  5. 7月3日(金)午後1時、ホテルニューオータニ。川内康範先生を偲ぶ会。川内先生は『月光仮面』などの原作者で、歌も書き、ヒット作を出している。憂国の士で、一水会でも講演してもらった。とてもお世話になった。88才だった。大勢の人が来ていた。
  6. 7月4日(土)~5日(日)地方で仕事。
【写真説明】

①小林よしのりさんの『天皇論』(小学館)です。1500円です。15万部も売れてるそうです。これで又、〈時代〉が変わるでしょう。

②〜⑤『天皇論』の中から。これだけ尊崇と愛情をもって天皇論を書いた人はいません。本の漫画に私も入ってました。光栄です。ちょっと過激な場面を描いて、「SPA!」から落とされた直後です。付箋を一杯はさんで熱心に読んだので、小林さんもビックリしてました。今回の『天皇論』は、もっと付箋をはさんでいます。

⑥去年11月10日、一水会フォーラムで小林さんが講演した時です。

⑦このフォーラムの時に。

⑧「月刊日本」の12周年パーティの時、早大の昔の仲間たちと再会しました。天野孝一郎さん(中央)は早大右派学生で早大第一の論客でした。又、宮崎正弘(日学同書記長)氏(右)は今は、評論家として大活躍中です。

⑨日学同(神田派)の代表だった海老原満雄氏と。論客だし、オルガナイザーでした。

⑩「保坂展人さんを激励し共にたたかう会」で。福島みずほ社民党党首、PANTAさんと。(6月26日)

⑪この二次会で。保坂さんを囲んで。PANTAさん、高取英さん(月蝕歌劇団)もいます。

⑫新宿・中村屋で。映画「靖国」の李監督と。右は木村三浩氏。(6月29日)。

【お知らせ】
李監督(中央)、木村三浩氏(右)と(6/29)
李監督(中央)、木村三浩氏(右)と(6/29)
  1. 今発売中の『情況』(7月号)は特集が「反貧困・連帯社会の創造」で、何と木村三浩氏(一水会代表)が書いてます。「『改革』という破壊で共同体と人心をズタズタにした経済マフィアに反撃の狼煙を!」。なかなか、いいです。読んでみて下さい。又、筆坂秀世さんも「新自由主義・貧困・共産党」を書いてます。『情況』にこの2人が登場するなんて、凄いです。信じられないですね。
     「鈴木さんも昔、『情況』に書いたんでしょう」と木村氏に言われた。そんなことがあったな、と調べてみた。『情況』昭和50年(1975年)6月臨時増刊号だ。34年も前だよ。『情況』は硬派の新左翼の雑誌だ。右の人間が書いたのは、この2回だけだと思う。34年前の私の原稿のタイトルは、こうだ。
     「幻想と神話の復権こそが
    =もしくは変革の原基としての天皇=」
    そうか。かなり、頑張って書いていた。この2ヵ月後、「レコンキスタ」(創刊号)に書いたのが、
    「保守の拠点か変革の原基か
    =氾濫する〈天皇論〉に何を見るか=」
    だったんだ。
  2. 7月11日(土)ポレポレ東中野で「台湾人生」上映後、昼12時から酒井充子監督とトークです。とてもいい映画で、「ここにこそ日本がある」と思いました。楽しみです。「台湾人生」は6月27日よりポレポレ東中野でモーニングショーです。
  3. 7月13日(月)何と、あの「金正日の料理人」藤本健二さんが一水会フォーラムに来ます! 7時、高田馬場サンルートホテルです。「後継者は三男の金正雲氏だ!」と発表した人だ。まさにその通りになった。藤本氏は金正日さんの料理人だった。そして金正雲さんとも仲がいい。凄い話が聞けるだろう。
  4. 7月15日(水)1時半、武蔵野公会堂。JR吉祥寺駅南口から徒歩5分です。三鷹事件についての集会です。「三鷹事件から60年。あらゆるえん罪を許さない集い」です。私も聞きに行こうと思ってます。
  5. 7月19日(日)1時、大阪御堂会館。和歌山カレー事件最高裁判決について、辛淑玉さんが語ります。「あの判決って、やっぱりヘン!」。安田弁護士も話します。私も挨拶します。
  6. 7月30日(木)蓮池透さんの『拉致』(かもがわ出版)の出版記念トークを三省堂本店(神保町)でやります。夕方6時半の予定です。蓮池さんと私です。詳細が決まりましたら、又、報告します。私も楽しみです。
  7. 8月2日(日)映画「靖国」の李監督の本が出来るそうです。『映画秘宝』でやった私との対談も入ってます。
  8. 8月4日(火)7時。阿佐ケ谷ロフト。ドイツ赤軍の流血の闘いを描いた衝撃の映画「バーダー・マインホフ」がこの夏、上映されますが、それを記念して、映画とトークの夕べです。ともかく凄い映画です。日本の赤軍にも影響を与えています。予告編も上映予定です。私もトークに参加します。
  9. 8月7日(金)〜9日(日)前進座で「銃口」(三浦綾子原作)が上演されます。「銃口」については、このHPでも紹介しました。感動的な物語です。私も見に行きたいと思ってます。
  10. 8月15日(土)昼、一水会フォーラム。いつもは夜ですが、この日だけ、終戦記念日特集で、特別に昼の2時からです。講師が何と、格闘家の前田日明さんです。ご期待下さい。この日は、夜は、ロフトで、前田さんたちが又、激しく訴えます。両方行ってもいいでしょう。
  11. 8月21日(金)〜23日(日)。劇団再生の主催で「見沢知廉生誕50年展」が行われる。「天皇ごっこ〜調律の帝国」の舞台化。そして、トークライブとして高木尋士氏と私の「死後に成長する命・言葉・人生」があります。お楽しみに。この日、50才で誕生した見沢氏は、これから、どんどん若くなって、さらに多くの可能性に挑戦するのでしょう。
     トークには、現在、映画『見沢知廉』を撮っている大浦信行監督も3回共、参加することになりました。ご期待下さい。見沢氏本人も特別出演するかもしれません。
  12. 9月8日(火)夜7時、阿佐ケ谷ロフト。「砂川事件」についての映画とトークです。私も出ます。
  13. 9月12日(土)午後2時。新潟県新発田市生涯学習センターで講演。「大杉栄と小林多喜二」です。
  14. 9月28日(月)午後7時、Parc自由学校で講演します。「天皇制と民主主義」です。 「Parc自由学校 2009」の受講案内のパンフレットが送られてきた。「連帯のための哲学=生きる場のことばと実践から」のコーナーで私は講義します。パンフレットには、私の「天皇と民主主義」の講義の紹介が書かれている。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉