ギクッ!とした。「これは、俺のことか」と思ったのだ。だって、「偽ナショナリストを見抜け!」と、サブタイトルに書かれていたからだ。だから怖くて読めなかった。申し訳ないが、しばらく放置していた。
月に20冊位、本が送られてくる。出版社や著者からだ。ありがたい。全部読んでいる。それと図書館で月に20冊、借りている。だから、月に40冊は「無料」で本を読んでいる。他に、自分で本屋で買ったり、ネットで申し込んで買う本が月に30冊位ある。だったら月に70冊読んでるのか。と思われるかもしれないが違う。そうは行かない。読み切れなくて後回しにしたり、図書館に返すのが遅れたり、買っても「積んどく」になったり…と。私の読書戦争は苦戦しちょる。
そんな時に、送られてきたのが「偽ナショナリストを見抜け!」だ。てっきり、自分が見抜かれ、批判され、糾弾されてるのだと思った。自虐チックな私だ。どうせ私は、「偽愛国者」ですよ。「偽ナショナリスト」ですよ。と自嘲した。「偽」と言われることには慣れている。私こそ本物の「偽者」だ!と思った。
ところが、この本、気になって仕方がない。ある日、勇気を奮い起こして読んだ。月末になって、読書ノルマが達成できないので、その辺の本を7冊ほど鞄に詰め込んで、「ロイヤルホスト」に行った。そこで読んだのだ。
アッ!と思った。こりゃ、凄い本だ。私への批判、糾弾じゃない。むしろ擁護してくれてる。いやいや、私のことじゃない。日本の本当の「保守主義」とは何か、について真剣に論じている。その真剣さ、ひたむきさ、国を思う情に打たれた。そして、この本で取り上げていたが、林健太郎の主張に驚いた。昔の保守主義者は凄い!今の連中とは違う、と思った。それで、林健太郎の本も買って、今、読んでいる。
そうか。本を紹介するのが遅れた。送ってもらった本は、西岡朗さんの『平成保守主義の真贋』(早稲田出版・1200円)だ。「偽ナショナリストを見抜け!」と挑発的なサブタイトルが付いている。だから、てっきり私が批判されてると勘違いした。それに、書いたのはきっと若い人だと思った。若さにまかせて、過激な本を書いたのだろうと思った。
ところが著者プロフィールを見ると、1930年生まれとある。じゃ、79才なのか。それにしては、文章が若い。力がある。1954年、大阪市大文学部歴史学科卒。防衛庁防衛研究所研究部長。ボン大学客員教授など歴任。とある。凄い人なんだ。
3冊の著者が紹介されている。『現代のシビリアン・コントロール』(知識社)。『尊王史観のすすめ』(日本図書刊行会)。『日本の保守主義者の真偽を問う』(悠飛社)。皆、面白そうだ。読んでみよう。
この本の帯には、こう書かれている。
〈偽ナショナリストとはいかなる者か?近代化された日本人の原型「明治人」の倫理観に根差す美徳とは何か。純正の保守的日本人とはいかにあるべきかを論じ、本当の意味でのナショナリズムを追求する〉
なかなか、奥深い本のようだ。でも、私などは「偽ナショナリスト」だろうな、と思っていた。いいさ、偽者で。と思っていたら、帯の裏には、こう書かれていた。
〈昭和天皇をなおざりにする者は、日本のナショナリストとしてありえない!〉
おっ!と思った。その通りだ。「イギなーし!」と思わず叫んだ。昭和天皇の平和の願いを踏みにじって、戦争は行われた。それは私も『愛国の昭和』や『愛国と米国』で書いた。かなり執拗に考えてみた。昭和天皇だけでなく、今の天皇を「平和憲法にからめとられた」と批判したり、皇太子さまに「諫言する」などということを大学教授が書いている。おかしいと思う。又、「私は天皇制を支持している」「皇室を大切に思っている」といって、「だからこそ言いたい」と誹謗中傷する。いやな人たちだと思っていた。それで「愛国者」気取りだ。天皇をなおざりにし、批判しながら、「皇室を大切にする」はないだろう。
『愛国と米国』でも考えたが、国民の「愛国心」は時として、集団的狂気になり、天皇の理性すらも超える。特に、軍人の「愛国心」はすぐに天皇を超える。天皇のお言葉に従うよりも、さらに「その一歩」先を読んで行動する。「小さな忠」ではなく、「大きな忠」で行動する。そう言えば格好はいいが、実は、天皇を無視し、天皇に反対して行動を起こすことだ。開戦もそうだったし、中国への侵略もそうだった。三国同盟だってそうだ。暴走する愛国心だ。
さらに、この「暴走する愛国心」は、それ以外の人々を全て排除する。「非国民」「反日的」といって抹殺・排除する。「愛国者」の思い上がりだ。この本の著者・西岡朗さんは、こうした異常事態こそが、まさに「国家危機」だという。
〈しかし、愛国心を議論する場合に持ち出す“国家の危機”というものは、愛国心がそれに触発されてかき立てられる程度のものとしては、外国による侵略の危機以上のものと考えるべきであろう〉
うーん、凄いことを言う。私なんて、とてもそこまで断定する勇気はないな。と思っていたら、次に私のことが書いてあった。
〈いずれにせよ、ここで問題なのは、「『愛』という普遍的な装いをしながら、実は、対立・憎悪を煽る時に一番よく使われる」という鈴木邦男氏の指摘のとおり、これが相手国への憎悪を煽ることによって愛国心をかきたてようとしていることで、これには疑問を抱かずにはいられない。邪道の上塗りではないか。国のために何かをしたいという気持ちを呼び起こすために、人びとの憎悪を煽る。そのような“国”がこの国であるということになるわけで、そんな国に誇りを持とうといっているのである〉
私ごときを取り上げてもらい、ありがたい。さらにその次を読み進めると、林健太郎のことが出ている。これには驚いた。衝撃を受けた。やはり、林は凄いと痛感した。学生時代に、随分と話を聞き、本を読んでいた。しかし、ここまで思いきったことを言っていたのか。知らなかった。思い上がった「自尊史観」を林は徹底的に批判している。今もそうだが、保守派の多くは、あの戦争を、「やむをえなかった」という。むしろ、正義の戦争で、あの戦争のおかげでアジアの国々は独立できた。それにより、米英の植民地主義を打ち破った…と言う。
天皇のご意志を踏みにじって開戦したのに、その軍部の暴走は全て「認める」。それが「愛国心」だと思っている。少しでも批判すると、「日本の歴史を認めないのか」「国家への愛がないのか!」と罵倒する。「反日だ!」「非国民だ!」と言う。その勢いに押されて、人々は何も言わない。静かになる。
しかし、林健太郎は、本当の愛国者だ。こうした「ニセ保守」がまかり通る風潮に我慢がならなかった。
〈林は、「ヨーロッパ諸国は既に広大な植民地を支配していたではないか。それなのに日本の他のアジア諸国への進出だけを悪いと言うのは不公平であり、自国の歴史に対する自虐的な態度である」という主張は明らかに正しくないという。これはもっともな議論のようだが、「実は事件の起こされた『時代』性というものを全然無視しているところに重大な欠陥がある」というのである〉
この「時代」性という言葉にハッと思った。そうなのか、と。「既にヨーロッパがやってるんだ。日本がやってもいいだろう」「日本だけがなぜ非難されるのだ」と言う。私だって、そう思って、左翼と闘ったことがある。しかし、それは違うと林は言うのだ。林は元東大学長であり、全共闘とは命を賭けて闘った。その辺のヤワな保守派とは違う。だから、「あの戦争はやむを得なかった」「他に手段がなかった」などと、ズサンなことは言わない。キチンと戦争批判をする。私は、それを読んで、納得した。
林健太郎は「文藝春秋」(1986年10月号)で、「教科書問題を考える」と題する論文を発表した。23年前だ。ここで「歴史認識」の話をする。今、読んでも、これだけのことを書ける人はいない。今の保守派とは全く違う。世界を見る目が違う。覚悟が違うと思った。だから、この論文は、人に頼んで大宅文庫に行ってコピーしてもらった。素晴らしい警世の大論文だ。出来たら、これを全部紹介したい位だ。しかし、分量の関係でそうもいかない。幸い、西岡朗さんが、適確に要約しているので、それを紹介したい。ちょっと長いが、よく読んでもらいたい。
〈20世紀の国際政治には明らかに一つの進歩があった。それは、人びとは国際間の紛争の解決は武力に訴えることなく、世界各国は協力して平和の維持に尽くすべきであるという認識を固めたことである。その具体的手段として顕著なものが、国際連盟の成立、不戦条約の締結である〉
〈世界史はこのように、第一次世界大戦の後から現代という新しい時代に入っているのであって、現代の歴史は共通の価値基準をもって判断すべきもである〉
〈日本史についてえば、第一次大戦後の新しい傾向に即した歩みを始めていたが、この方向を力によって圧殺したのが軍部であった。この圧迫の下で形成された政治体制は、ドイツのナチスのそれとは著しく性質を異にするが、自由と民主主義という二十世紀の進歩に対する正面からの反対であることにおいては共通であった〉
〈そして対外侵略と国際連盟からの脱退においては、日本がその先鞭をつけた〉
〈真珠湾攻撃に始まる戦争について、それが日本にとって自衛のための戦争であったと正当化できない。「日本が止めどなく侵略を続ければ」、それを阻止しようとする動きが起こるのは当然で、日本が他民族を支配するのは正当で、他民族がこれに反対するのは不当だとはいえない。それに対する対抗措置がとられるであろうことは既にはっきりと予知されていた〉
〈ことの是非の問題を離れても、経済力においてはるかに勝るアメリカに対して戦争を仕掛けて勝つと考えるのは、驚くべき知力の低さである。また緒戦の戦闘に勝てば向こうが和平を申し込んでくると考えるのも甚だしく無知である。政治指導者の場合、無知は罪悪に他ならない。そしてこのような知力の低さをもって、今日の歴史認識の基準とするのは明らかにまちがいである〉
〈日本の戦争への途は決して「歴史の必然」だったのではなく、日本人が一致して望んだものでもなかった。軍部勢力の跳梁に反対した人びとの行動は、国民の良心と良識を代表していたのであって、その中心には天皇の存在があったのである〉
〈当時の超国家主義を推進した人びとは、ドイツのナチズムに共鳴し、戦争末期にはソ連共産主義に異常な関心を示していて、日本民族の文化的伝統は少しも受け継がれていなかった。かえってその伝統は、彼らに反対した人びとの中に生きていたのである〉
驚いた。林健太郎は凄いと思った。「真正・保守」の歴史家だ。今の浮わついた保守主義者とは違う。日本を愛し、日本を憂うるが故に、これだけのことをズバリと言う。日本の間違ったこと、失敗には目をつむり、いい点だけを探し出すのは〈歴史〉ではない。失敗は失敗として認め、それでもこの日本を愛する。それが本当の愛国心だろう。
林の文章は衝撃的だ。昔、読んでいたはずだ。それなのに今、こんなに衝撃を受けるのは、私自身も、感性が鈍磨して、大勢に流されているからだろう。「間違った点があっても、今さら言うな。日本はよく頑張った」「あれだけ巨大な敵と戦ったんだ。よくやったと言ってやれよ」と、つい思ってしまう。「あの時は仕方なかった。時代の流れだよ」…と認めてしまう。
でも、そんな怠惰なことではダメだと林は叱る。あれは「自衛のための戦争」ではなかった。あんな戦争をやった人間は「驚くべき知力の低さだ」と。又、あれは「歴史の必然」ではない、と。今、こんなことを言ったら、「非国民だ」「反日だ」と言われかねない。それだけ、さらに「知力の低さ」が進んでいるのだ。「歴史の必然」として認め、それで考えることをやめたら、今後、同じような状況になったら、又、戦争をやる。それしかない。そして、又、「歴史の必然」だと言うだろう。これでは歴史から何も学んでないことだ。愚かだ。
又、私らは、間違った判断でも、国が戦争に突入したんだから、賛成・協力するのは当然だと思いがちだ。でも、その人たちが日本文化の伝統を受け継いでいたのかと林は反問する。浮わついた気持ちで、時局に乗った人が多かった。むしろ、ナチズム、戦争に反対した人々に日本文化を守ろうという動きがあったという。その中心が天皇だという。それなのに天皇の平和の心を踏みにじって開戦し、戦った。あげくの果ては特攻、玉砕だ。そして「一億玉砕」などと言う。日本を滅ぼそうとするのだ。それが、どうして愛国心なのだろう。天皇を無視して、それで愛国者なのか。冗談ではない。
林のこの論文は23年前に「文藝春秋」に書かれたものだ。しかし、今のどの論文よりも、「新しい」。そして大きな問題提起になっている。
他にも林の本は今、手に入る。たとえば、『昭和史と私』(文春文庫)だ。それと、『歴史からの警告』(中公文庫)だ。他にもある。私も今、読み返している。ぜひ、読んでほしい。真正・保守の大歴史家の謦咳に接してほしい。そして、大歴史家の覚悟を学んでほしい。
全共闘運動が激しかった時、林健太郎は東大文学部長だった。断固として闘った。林は、「右翼!」「反動!」「タカ派!」と言われていた。1968年の東大紛争では、文学部長として全共闘の学生に8日間にわたって監禁され、団交を行った。学生の要求を全部拒否し、剛直な姿勢を貫き通した。今なら、絶対にありえない。1時間位、監禁されただけで、警察を呼ぶ。いや、人命が大事だと、警察も勝手に乱入し、「奪還」するだろう。しかし、林は、救援も拒否した。そして、8日間、闘い抜いた。今の保守派にはこんなこと出来る人は1人もいない。林は若い時は、マルクス主義の運動をやった。又、戦争にも行った。そして、転向してからは、左翼から、「タカ派」と言われた。根性が違う。覚悟が違う。学生相手に、全く妥協しないで8日間だ。外から救援しようという動きもあった。三島由紀夫も日本刀を持って奪還しようと思ったほどだ。しかし、林は、1人で耐えた。この姿勢には敵である全共闘も感動し、「凄い」と言っていた。
こういう人の言う、「戦争批判」だからこそ、説得力がある。大勢に流される人間とは違う。林健太郎は、大正2年(1913年)東京生まれ。2004年8月10日、亡くなっている。91才だった。作家の林望は甥だ。
昭和33年に竹山道雄、高坂正顕らと「日本文化フォーラム」を結成した。その後の評論活動は現実主義の立場から時流を批判する立場を貫き、マルクス主義や進歩的文化人を批判し、左派からはタカ派と称された。
東大闘争時は、全共闘と徹底的に闘った。当時の加藤一郎学長代行(のち学長)を支え、加藤氏の後、1973年から1977年まで第20代東大学長になった。4年間にわたり学園紛争収拾と東京大学の立て直しに尽力した。又、1983参議院議員として、1期6年務めた。
今、この林の経歴は、「ウィキペディア」を見ながら書いている。厖大な著書も紹介されているので、ネットで注文して読んだらいいだろう。この「ウィキペディア」の他に、猪野健治編『右翼民族派総覧』(二十一世紀書院)を参照した。この中の、「右翼民族派人物事典」第二章「思想的影響を与えている人々」の中に出ている。正確な取り上げ方だ。この本は平成2年に出版された。林は2004年(平成16年)に亡くなった。だから、「影響を与えている人々」と現在形で書かれている。私も、もっともっと会って話を聞きたかった。残念だ。これから、林の本を読んで、勉強してみたい。その契機を与えてくれた『平成保守主義の真贋』と、その著者の西岡朗さんに感謝したい。これを読まなければ、〈日本の宝〉を忘れたままだった。
〈今なお知られざる戦争の記憶。
戦後60年、初めて出会った日本人と現地の人々との稀有の交流の記録〉
まさにそうだ。私は著者の大野さんから詳しく聞いた。質問もした。中国での様子、戦争についての記憶などについて、いろいろ聞く。本の著者にレクチャーしてもらった感じだ。貴重な発見もあったし、考えさせられることも多かった。近いうちに、詳しく書こう。いい本だ。林健太郎の本もそうだが、大野さんの本も、戦争、平和、中国…について考えるいいテキストだ。ぜひ読んで、考えてほしい。
この日は7時半から河合塾コスモの会議。夜12時頃まで。長い。家の遠い人、名古屋から来てる人は途中で帰る。私も、「家が遠いから帰りたい。電車がなくなる」と言ったら、「東中野だろう。歩いても帰れる」と言われた。学校は新宿だ。今度は、「子供が待ってるから」と言ったら、「いないくせに」。それで、深夜、タクシーで帰った。
②林健太郎『昭和史と私』(文春文庫)です。「二・二六事件と昭和天皇の決断」「太平洋戦争と私の召集」など興味深かったです。又、「東大紛争百七十三時間の軟禁」など、例の事件も詳しく書かれています。他にも厖大な著書があります。今読んでも、「新しい」し、衝撃的です。
⑤佐伯紅緒さんの『かれ、ときどき、テロリスト』(イースト・プレス・1429円)です。絶賛発売中です。一気に読めます。凄い小説です。
〈1冊の本がきっかけで出会った「かれ」は、懲役10年の殺人犯だった…!出会うはずのないふたりの、スリリングな恋愛エンターテイメント小説〉
主人公は皆が知っている人です。見沢知廉氏です。今年、生誕50年です。不思議な出会いも、恋も、革命も、右翼も、左翼も、殺人も…。〈全て〉が混沌として、ここにはあります。
素晴らし本です。きっと三島賞を取るでしょう。
⑨産経新聞に時々出ている広告だ。いつも気になって仕方がない。〈活力・体力・気力。「強力すっぽん」で充実〉と書かれている。すっぽんの広告だ。かわいそうだ。すっぽんが。私は、すっぽんを殺してまで元気になろうとは思わない。でも、今、「思想」の違いは問わない。問題なのは、左の「すっぽんで元気になった人々」だ。産経新聞が載せるのだから嘘ではない。中でも92才の人だ。その部分を拡大して載せよう。東京都在住・山田茂さんだ。
〈ガールフレンド3人と、バラ色の楽しい日々!〉
フーン、「茶飲み友達」がいるんだろう。80か90のお婆ちゃんが3人。だったら、皆いるさ。老人ホームでも、ゲートボールの仲間でも、いるだろう。5人でも10人でもいるだろうよ。
と思ったが違う。これは、「すっぽん」の広告なのだ。精力のつく、すっぽんだ。そこに出ている92才だ。決して、枯れた「茶飲み友達」ではない。「ガールフレンド」と言っている。だから、すっぽんに相応しい濃密な日々だ。あえて、「バラ色」と言っている。90才同士が茶を飲むのは「バラ色」とは言わん。「薄墨色」だ。じゃ、何なんだ、これは。92才で愛欲の日々なのか。私は取材したい。といって、電話して聞くのも変だし。「右翼が嫌がらせをしてる」と思われても困る。誰か、マスコミ人が聞いてくれよ。謎だ。今のところ、私にとっての「最大の謎」だ。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉