エッ、まさか。驚いた。信じられなかった。岩波ホールで、バッタリと村山富市さんに会ったのだ。「やあ、久しぶり」と言われた。一昨年の10月にも会った。それ以来だ。あの時は、社民党の人や同志が沢山いた。だから心配はない。でも、この日は、たった1人だ。ガードはない。大丈夫なんだろうか。右翼に会ったりしたら困るだろう。「村山は国賊だ!」と言ってる人もいるんだし。 首相経験者にはSPが付く。24時間付く。数人が付き、交替でガードする。首相経験者は、日本では10人以上いるだろう。それだけでも莫大な予算だ。でも村山さんは、「僕はいい」と断ったと聞いた。だから、この日も1人だった。偉い。
7月25日(土)、岩波ホールで会ったのだ。夕方5時半から7時半まで、羽田澄子監督の記録映画「嗚呼 満蒙開拓団」を見た。とてもいい映画だった。何とも、かわいそうだ。夢を求めて大陸に渡った人々の悲劇がリアルに描かれている。
7時半、映画が終わって、さて帰ろうかと思っていた時に、村山富市さんと会ったのだ。「あっ、久しぶり」と、覚えていてくれた。「いい映画でしたね」と言ったら、「貴重な映画だね。人も記憶も、どんどん失くなっていくからね。大事な仕事ですよ」。私は羽田監督の映画は随分と見ている。「歌舞伎役者・片岡仁左衛門」とか、「山中常盤」などだ。いい映画が多い。その話をした。そして、しばらく映画の話をした。「一昨日から上京してるんだが、これはぜひ見たかったんで」と言っていた。
社民党のパーティには私はよく出ている。福島みずほさん、保坂展人さん、辻元清美さんの出版パーティには、ほとんど出ている。土井たか子さん、阿部知子さんなどとも何度も話している。村山富市さんとも会っているし、挨拶している。しかし、キチンと話をしたのは一昨年の10月が初めてだ。
07年10月12日(金)、午後2時、永田町の憲政記念会館で、「故浅沼稲次郎委員長追悼集会」が開かれ、そこで会ったのだ。47年前(1960年)のこの日、浅沼委員長は17才の右翼少年・山口二矢によって刺殺された。社会党の凋落はこの日から始まる。
この追悼集会の時に、村山さんと話をした。浅沼さんの思い出を聞いた。そして、思い切って、「例の話」を聞いた。村山さんは、右翼の人から抗議されることが多い。ある時、自宅に右翼の人が来た。普通なら警察を呼ぶ。ところが、「じゃ、中で話そう」と言って、家に上げて、お茶を出し、じっくり話を聞いた。その態度に右翼も驚き、考えは違うものの、平和的に話し合い、帰ったという。かなり広く流布している「話」だ。5.15事件の時の犬養毅首相のようだ。青年将校に、ピストルを向けられても、「話せば分かる。まあ座れ」と言った。その犬養さんの態度と同じじゃないか。でも、このあとは違う。犬養さんは殺された。「問答無用」と言って、青年将校は殺したのだ。青年将校が去ったあとも、虫の息で「彼らを連れてこい。話して聞かせてやる」と言っていた。凄い人だと思う。
村山さんは、いわゆる「村山談話」や、自民との連立や、はたまた、安保、自衛隊を認めたことで批判もある。せっかく首相になったのだから、自爆覚悟で、社会党らしさを出したらよかったじゃないかと思う人もいる。私もそう思う。それで社会党が玉砕していれば、又、「再生」の可能性も大きく出たと思うのに。それは又、会った時に、ゆっくり聞いてみたい。右翼との「話」は、かなり大袈裟に伝わっているが、でも、村山さんならあり得るだろうと、思われている。伝えられている。そう思った。
先週のこのHPで、「信じられない人に会った」と書いたら、「見沢さんじゃないの?」と何人かから聞かれた。「それは来週のお楽しみに…」といって言葉を濁した。でも、今でも、見沢氏は生きてると思ってる人はいるんだ。足を折っただけで、本当は助かったと。だから、そのうち会えるだろう。8月21日〜23日の「生誕50年展」で会えるさ。
大浦信行監督の映画「見沢知廉」の撮影の時も言ったけど、いまだに私は、見沢氏の死を信じられない。信じたくない。肉体的、精神的にボロボロになっていたが、でも、「強い男」だと思っていた。絶対に「自殺」などする男じゃない。自殺など考えられなかった。今、思い出したが、亡くなる寸前、連日、夜中に電話があった。「脳の中を覗かれている」と言っていた。何を馬鹿なことをと私は一笑に付した。
「いや、鈴木さんが自分で書いてたじゃないですか。相手の考えていることが分かる機械が出来たって」。えっ?そんなこと言ったかな。彼は横浜に住んでいたが、近くに米軍の通信基地があって、巨大なアンテナがあり、そこから、日本人の考えてることを全部読み取っている。見沢氏はそう言う。
そう言えば、『公安警察の手口』(ちくま新書)を書いた時から、奇妙な電話や手紙が集中した。普通の主婦や、サラリーマンなのに、「尾行されている」「盗聴されている」と言う。「鈴木さんの本を読んで分かりました。犯人は公安です」と言う。おいおい、いくら何でも、そこまではやらんよ。政治運動をしてない人間にはやらんよ。そう言うと、「いや、まだ行動してないけど、私の脳の中を覗いているんです」と言う。何でも巨大な人工衛星があって、そこから、電波を発して、「考えていること」を盗んでいるという。「思考盗聴器」が使われているんです。と言う。こっちまで、おかしくなりそうだ。
でも。もしからしたら、あのことか。と思い当たったことがある。「脳波」を感知する装置が出来た。ということは前に書いた。見沢氏はそのことを言ってたのかもしれない。又、私の本を読んで電話をよこす人は、さらに、「その先」の社会を予見して私に訴えていたのかもしれない。激動する社会の中で、一番繊細で、ある種、病的な人々に、まずそれは感じられるのかもしれない。
6月30日付の「産経新聞」を見たら、驚いた。脳波を感知して動く車イスが発明されたという。手も足も使わない。声も出さない。頭の中で、「動け!」と念じるだけで動くのだ。
ここまで来たのか、とビックリした。脳波研究は、前は、寝た切りの人の意志を知る手段として開発された。寝た切りで、しゃべれない。口も手も動かせない。まばたきも出来ない。でも、脳波は動いている。それ感知して、その病人の〈意志〉を知るのだ。
手を少しでも動かせるのなら、質問に答えることは出来る。「イエスなら1回、握り返して」「ノーなら2回」と。手も足も動かせなくても、又、口も動かせなくてもまぶたが動くのなら、その
まばたきの回数で「イエス」「ノー」を伝え、〈会話〉することも出来る。
しかし、手も足も口も、目も、全てが動かせない時でも、脳がある。脳波の動きで、意志が伝達され、〈会話〉が成り立つ。これは凄いことだ。
車イスの話からしよう。産経新聞に出ている写真を見てほしい。研究者は、両手を上に上げている。手を使ってないことをアピールしているのだ。勿論、足も使っていない。アゴも使っていない。7月21日(火)。「志の輔らくご」を聞きに行った時、ホーキング青山さんに会った。この人は、車イスをアゴで操作している。この人は車イスの芸人だ。落語もやる。自分も大変なのに、人々を楽しませようと努力している。偉い人だ。
では、「脳波で動く車イス」の話だ。
〈トヨタ自動車は29日、独立行政法人の理化学研究所などと共同で、人が頭の中で考えるだけで、その脳波を感知して動く電動車イスを開発したと発表した。手による操作は一切不要で、高齢者の生活支援などに生かすことができる〉
凄い話だ。頭の中で考えたことで車イスを動かせる。又、会話も出来る。ということは、それを「盗聴」することも出来るのだ。見沢氏はそのことを言っていたのだろう。今は、いいこと尽くめだが、必ず、悪い方向に利用されるかもしれない。権力者が人民の考えを全て読み取り、コントロールすることも可能だ。そんな危険性を感じていたのかもしれない。
今は、そんな「危険」はないが…。では、どうやって脳波で車イスを動かすかだ。産経に戻る。
〈開発したシステムは5つの電極を装着した帽子をかぶり車イスに座る。自分の右手を動かすイメージを思い浮かべると、脳波の振幅の変化をセンサーが読み取り、搭載したパソコンが信号化して車イスに指示を出し、右方向に動く〉
じゃ何でも出来るかというと、違う。今のところは、左右の旋回と前進の3通りしか出来ない。でも、バックだろうが、何だろうが、すぐ出来るようになる。車イスだけでなく、ロボットでも成功している。ホンダが、脳波を感知して二足歩行ロボットを動かす技術を開発している。そうすると、リングの上で、ロボット同士が闘い、「格闘技世界一」を決めることも出来る。両方のセコンドが脳波でロボットを動かすのだ。セコンドの「脳波戦争」だ。
乗用車だって、手でハンドルを操作しなくても動く「夢の車」が登場するかもしれない。と産経ではまとめている。でも、こうなったら、ちょっと怖いな。手を使わなくていいんだから、楽だ。女の子を抱きながらだって運転出来る。でも、かえって事故が増えそうだ。
さて、これからが問題だ。我々は「考えた」ことを即、実行しているわけではない。「考える」ことだけなら、「いいこと」も「悪いこと」も考える。恥ずかしいこと、悪いことも考える。でも、それを即、「行動」には移さない。
向こうから母親に手を引かれて、ヨチヨチと子供が歩いてくる。こんな子供なら、回し蹴り一発でKO出来るな、と思う。そんなことしたら、死んじゃうかな。と、いろいろ考える。しかし、「実行」はしない。又、向こうから、プロポーションのいい美女が来る。「抱きつきたいな!」と思う。でも、「行動」には移さない。我々の日常生活はそうした「葛藤の連続」だ。こんなことばっかりだ。
それが、脳波を全て見られたら、恥ずかしい。こいつは、こんなことばっかり考えていたのか、と思われる。寝た切りの病人の脳波を見て、看護人が、「あ、水がほしいんだな」「あ、寝返りを打ちたいんだな」と分かって、それに応じてやる。その分にはいい。でも、「あっ、私の乳を吸いたいと言った!」「私を犯したいと思った!」と脳波を証拠にして、いきなり、殴られても困る。殴り所が悪くて、死んじゃったらどうする。
でも、「私は犯されるところだったんです。この脳波が証拠です。私は正当防衛です」と言われるだろう。妄想、空想ばかりしてる私なんて、とても病人になる資格はない。殺される。「脳波キャップ」をかぶせられたらもう終わりだ。「こんなことを考えてる」「許せん!」と抹殺されちゃう。過去の犯罪も全部、読み取られてしまう。大変だ。怖い。
こうなると、もう、「聖書」の世界になっちゃう。邪な目で女性を見たら、もう姦淫したことになる。心の中でいやらしいことを考えたら、姦淫だ。怖い。じゃ、いいことだけを考えよう。そうしたらいい社会になるのだろうか。人間は、まだまだ、その〈理想〉には達しないと思うけど。
まあ、でも、「夢の車」はいいかな。とも思う。これから免許更新も楽だ。苦手な「車庫入れ」も、「縦列駐車」もスーイスイだ。それに、つい面白がって、「飛べ!」なんて言いそうだ。そしたら飛ぶだろうな。あるいは、「襲え!」とか。そしたら、車に乗ってる人は皆、自爆テロ要員だよ。怖い。
②東京芸大で脳科学者の茂木健一郎さんに会いました。でも、これはちょっと前ですね。05年11月15日(木)です。写真を整理してたら出てきたので載せました。右端でおどけているのが、ニューヨーク在住のキュレーター・渡辺真也氏です。この時が初対面です。茂木さんが紹介してくれました。このあと、渡辺氏が、「鈴木さんをニューヨークに呼びたい。シンポジウムを開いて、ベアラさんたちと討論させたい」と言ってました。「とても無理だよ」と思っていたのですが、07年4月に実現しました。それもこれも、この日の出会いがあったからです。歴史に残る写真です。
④「和歌山カレー事件」の記者会見です。安田好弘弁護士と林健治さんです。7月22日(水)です。この前に、和歌山地裁に林眞須美さんの再審請求を出しました。朝6時の新幹線に乗り、10時6分に和歌山に着き、20分に再審請求。45分から記者会見。11時半まで。そして、12時の列車に飛び乗り、急いで帰京。5時からみやま荘で、大浦信行さんの映画「見沢知廉」の撮影でした。
⑩7月31日(金)姜尚中さんの本が発売になりました。凄い本です。売れるでしょう。「アエラ」ムックです。『姜流(かんりゅう)』(朝日新聞出版・1400円)です。姜尚中の全てが分かる本です。「姜尚中のOFFな一日」というDVDも附いてます。さすが「アエラ」ですね。総力を挙げて取り組み、作りました。その意欲が伝わってきます。半藤一利さんや佐藤優さんたちと対談しています。漱石やナショナリズムについて。
又、「私の姜尚中論」もいいですね。梁石日、中島岳志、宮崎学、田原総一朗、中條誠子、辻元清美、上野千鶴子、武隈喜一、そして私が書いてます。姜尚中の「決定版」です。歴史に残る本です。こんな記念すべき本に私も書かせてもらい光栄です。姜さんのことは、かなり知ってるつもりでしたが、知らないことも多かった、と痛感しました。力道山、大山倍達が好きで、大山には声をかけてもらい、握手してもらったといいます。又、「衝撃だった三島事件」なども、初めて知りました。新鮮な驚きでした。
⑪その『姜流』に載った私の文章です。〈「要は人間だ」と思わせてくれた人〉。写真は「アエラ」の「現代の肖像」に載った写真ですね。みやま荘で撮ったのです。だから、ジャージを着て、机に向かってます。 この写真を見て、大浦監督が、「じゃ、ぜひ、みやま荘で撮影を」となったのです。
⑬猫が本を探しています。やっと見つかって、取り出そうとしています。よく見ると、『猫と愛国心』という本です。私が4年前、ネットで買った貴重な本です。古い本ですが、3万円もしました。『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)を書く時に、参考にしました。この猫も、その本の価値を知っているのでしょう。7月25日(土)岩波ホールの帰りに見つけた「大古書展」のポスターです。
〈こう唱える著者の「ナショナリズム」や「愛国」は世間一般の右翼イメージを裏切るものだ。むろん異論反論もあろう。しかし著者の根底にあるのは、器の大きさに裏打ちされた、ある種の「美学」のような気がしてならない〉
さらに、こう結論づけています。
〈最も遅れているのは、右であれ左であれ、旧来の論壇の座標軸上でのポジション定めに汲々としている新世代の“賢い”論者たちかもしれない。サブカル化とタコツボ化が進む論壇の再編・再生に必要なのは、まさにそうした「美学」へのコミットメントではないのか〉
〈「自衛隊は日本の『現在』を護るのだ。過去と歴史観を護るのではない」と鈴木は説く。論文で日本の安全が脅かされる結果になったら、国を守る自衛隊員として本末転倒だと言いたかったのだろう。右も左も突き抜けた鈴木の真骨頂がこの本には詰まっている〉
〈思想家・太田竜氏の「革命」一代。 妄想家か辺境の擁護者か〉
よく調べているし、なかなかいい記事です。最後は私のコメントで結ばれていました。
〈70年代から交友を続けた新右翼の鈴木邦男氏は「日本の左翼を作った人で、しかもそこに満足せず、変化し続けた。中途半端な僕のずるさをしかられているみたいで恥ずかしい」としのんだ〉
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉