実感がわかない。ピンとこない。このHPが500回を超えたという。「そんな馬鹿な!」と思った。そんなに書いてはいない。せいぜい50回位だろうと思った。50回位なら書いた記憶がある。イラクのこと、北朝鮮のこと、フランス、ニューヨークに行ったこと。全集を読んだこと。それに時局的なことも書いた。思い出してみても50回位だ。それなのに、500回も書いたのか。と、呆然としている。
「じゃ、50年間も書いてきたのかな?」
「いや、10年間ですよ。1年は52週ですから、ざっと計算して、520回です」と管理人の成島氏は言う。
カウント上は520回だが、初期に数え間違いがあって、本当は、今週で522回なんだという。よく分からん。コンピューターが数え間違いをするんだろうか。ともかく、520回を超えたのは事実のようだ。
その「偉業」を讃え、8月5日(水)に「フィボナッチ」で、関口和広君が音頭をとってお祝いをしてくれた。別に、私の力ではない。私はただ、好き勝手に書いてきただけだ。それをレイアウトし、発信してくけたのは管理人だ。さらに、毎週書き込みをしてくれる関口君たちだ。それに、資料集めをしてくれた人々のおかげだ。ありがたい。その「お祝い」だ。「感謝の夕べ」だ。
10年前は、まだHPやブログはそんなになかった。宮崎学さんなど、ほんの少しだった。「だから、このHPは、新しい時代のハシリですよ」と関口君は言う。じゃ、我々は新しい闘いのパイオニアなんだ。IT維新の志士じゃんけ。
「じゃ、どうしてHPを立ち上げたんだろう?」と私は聞いた。「それは私が勧めたからですよ」と赤坂細子さんが胸を張る。元々、胸が出ているが、さらに張る。
「えっ、そうだったの」と聞き返した。
「だって、“俺達右翼には言論の場がない”って言ってたじゃない。だったら、HP作って、広く訴えたらいいじゃないの、と私が言ったのよ」
そうだったのか。そんな健気で、殊勝な動機だったのか。全く忘れていた。人に聞かないと自分の過去も分からない。じや、「鈴木邦男をぶっとばせ!」という自虐的な題も赤坂さんが付けたの? 「そうですよ。これはヒットしましたね」と又もや胸を張る。多分、いろいろ、案が出たのだろう。赤坂さんが冗談で、ポロリと言った。「それは面白い!」「目立つ!」と思って採用されたんだろう。
いや、「採用」なんてもんじゃないな。赤坂さんが勝手に考え、勝手に付けたのかもしれん。だって、HPやパソコンの仕組みは皆、分からない。だから赤坂さんが皆を引っ張って、リードしていったのだろう。
だから初代の管理人は赤坂さんだ。そう思っていたら、「いえ、私の部下にやらせました」と赤坂さん。早大生の部下だ。ペルソナ君といった。そうか、お世話になりました。そして2代目が赤坂さん。それから、成島君、そして、鈴木君(私ではない)。ファルコンさん、さらに又、成島氏。だから6代目なんだ。
でも、「鈴木邦男をぶっとばせ!」という自虐的で、投げやりなタイトルなのに、なぜ「今週の主張」なんだろう。真面目すぎる。これが「主張」かよ、と自分でも思う時があって恥ずかしい。妄想だけの時もあるし、いやらしい話の時もあるし、「今週の妄想」「今週の暴論」にした方がいいのかな。とも考えるが、変えるのには、決心がつかない。まぁ、このままで続くのでしょう。
さて、このHPは400字詰め原稿用紙にしたら、1回が20枚位だ。30枚の時もある。それが500回だから、20万枚(!)だ。凄い!驚きだ。
その厖大な分量の中から、2冊の本が出来た。
1冊は、『売国奴よ!』(廣済堂出版・1400円)だ。2001年11月に発行されている。サブタイトルは、「魂を売るべからず」。9年前だ。と言うことは、HP開設1年目にして、もう単行本になっているのだ。
本の帯には喜納昌吉さんの言葉が入っている。
「テロと報復、それは人類の無知によってもたらされた」
これは赤坂さんが全面的にやってくれた。どれを入れるか、どう変えるかなどを含めて、大変お世話になった。
もう1冊は、『愛国者の座標軸』(作品社・2600円)だ。2007年12月に発行されている。どれを入れるか選んでくれたのは、ジャナ専卒業生の岩崎君だ。お世話になりました。表紙は派手だ。私の写真がドーンと出ている。そして帯にはこう書かれている。
〈「日本一の愛国者」は、現代日本の争点をどのように見てきたか。過激でいながら人に優しい「新右翼のカリスマ」による現代の社会/政治状況を読み解くための基の書。入魂の評論集〉
ここには56篇が収められている。それも「時代別」に。2003年から始まっている。初期のものは『売国奴よ!』に収められているからだろう。こっちは10篇ほどだ。だから、計70篇ほどが本になっている。あとの430篇以上は、パソコンの中に眠っている。
今、2冊の本をパラパラとめくってみた。ビックリした。真面目だ。やはり、「今週の主張」だ。国を憂え、政治を、社会を論じている。
『売国奴よ!』は、憲法、国旗、国歌、ナショナリズムを正面から取り上げて論じている。アイヒマン裁判や、ロック版君が代の話も出ている。
「君が代はいろんなバージョンでいいでしょう」「平和とはじれったいものだ」「東條英機神社をつくれ」「少年時代の“君が代秘話”」「学生時代の“日の丸秘話”」…などがある。中には恥ずかしい話もある。「オーストラリアに学ぶ、新国歌誕生」「意外な日豪国歌の共通点」などもある。今、読んで見ても面白い。この頃に、国旗・国歌については全て言い尽くしていたんだ。そう思う。
2冊目の『愛国者の座標軸』は、苦労して作った本だ。選んだ岩崎君も大変だったと思う。他にも入れたいものがあったが、ページ数の関係で、泣く泣く切ったのも多い。「これは入れたかったんですが」と、「残念リスト」も見せてくれた。
この選んだものに、今の時点での「私の解説」を与える。解説というより、感想メモだ。これが結構きつかった。だから、分量も多くなった。上下二段組みで、340ページだ。
いろんなテーマについて書いている。国賊征伐隊の正体。イラク問題。ジェンキンスさん。松崎明さんと対談。日教組委員長と対談。見沢知廉氏の死。重信房子さんの判決。放火された。甦る赤報隊。「不敬」芝居と天の声。大正13年の「愛国的髪型」。アメリカでベアラさんと討論した。
…と盛り沢山だ。
では、後の440篇は何だろう。何について書いたんだろう。その時々の時局的な話もあるが、本についても多いと思う。映画や芝居についても書いてきたな。じゃ、それだけをまとめてもいい。でも、それじゃ、本にならないかな。
単発で、いろんな本について書いてきた。全集の話も多いので、それは、いつかまとめてみたい。『全集読みの快楽』でもいいし、『全集を読もう!』でもいいし。
全集を読むことによって、自分の関心が広がり、いろんな本を読んできた。「敵」の本、不愉快な人間の本も読んだ。「全集」だから、中にはつまんない本、反撥する本もある。でも、それによって鍛えられてきたと思う。
「全集」といっても、いろいろある。まず1人の人の全集があり、又、筑摩の「思想全集」のように、いろんな思想が入っているのがあり、両方から学んだ。 まず第一の方だ。「三島由紀夫全集」「太宰治全集」「森鴎外全集」「夏目漱石全集」「芥川龍之介全集」など、随分と読んだ。又、尾崎士郎の『人生劇場』、芹沢光治良の『人間の運命』など、長いものもある。中里介山の『大菩薩峠』もあったな。谷口雅春先生の『生命の実相』40巻もある。これは学生時代から、5回は読んでいる。
さらに第2の「思想全集」だ。「世界の名著」「世界の大思想」「人類の知的遺産」、そして筑摩書房の「思想全集」だ。近代、現代、戦後…とある。この中には大川周明も、幸徳秋水もいる。マルクス主義、アナーキズム、保守主義もあり、超国家主義もある。思想の〈宝庫〉だ。これを読めば日本の思想の全てが分かる。このシリーズについては、筑摩書房のPR誌『ちくま』で3回、連載した。
こうした『全集を読む』というタイトルで、HPをまとめるのもいいだろう。
というわけで、オワリ。いや、この項、終わり。次は又、本だ。この前の地震は恐かったですね。外にいると、「ゲッ、大変だ」と家のことが心配になります。「家のものたちは大丈夫か?」と思います。「家のもの」といっても人じゃない。本です。本棚が倒れているんじゃないか、本が飛び出して、みやま荘は崩れた本の山になってるのではないか。そんなことを心配するのです。又、地震が夜中ならば、本が崩れてきて、本の下敷きになったら大変だ。…と思うんです。でも、相手は本だ。いくら崩れ落ちても、彼らに殺されることはないだろう。そう思うんですね。本好きの私を彼らが殺すはずがない。
でも、いたんです。本に殺された人が。佐野眞一さんの名著に『誰が本を殺すのか』というのがありますが、最近の事件(本による圧死)は、まさに、「誰が本に殺されるのか」ですよね。亡くなった方はお気の毒ですし、不謹慎かもしれませんが、もう少し詳しく書いてみましょう。
この前の地震で、静岡市に住む女性が、本の下敷きになって死亡した。と産経新聞に出ていた。エッ、こんなことがあるのかと驚いた。きっと、スチールや木製の重い本棚が倒れてきて、それで頭を打ったりして死亡したんだろう、と思った。でも、胸を打って死亡したという。じゃ、本箱が胸に当たったのか。でも。
それで他の新聞を調べた。意外なことが分かった。どうも本箱はなかったようだ。部屋の中に、本がうずたかく積まれていて、それが崩れて死亡したという。じゃ、相当重い本なんだ。「広辞苑」とか「世界の名著」「世界の大思想」。あるいは大百科事典をうずたかく積み上げておくとか。これなら十分に、「兇器」になる。
この女性は千冊以上の本があったという。きっと、重くて、知的な本なんだ。そう思った。ところが、ミクシィでこのことを書いたら、サッカーファンのオタクに反論された。「いや、きっとこの千冊は漫画です」。そんな馬鹿な。漫画じゃ軽いから兇器にならへん。それに、「家には千冊の本があった」と新聞には出ていた。知的な勉強熱心な女性だと思う。今時、これだけ勉強している人はいない。今は、もう人々は本を読まない。そんな時勢に逆らって、本を読んでいる。立派だ。読書戦争で戦死したんだ。名誉の戦死だ。靖国神社に祀ってやるべきだ。
私はそう言ったのに、ミクトモは、「ちゃいまんねん。これは漫画です」と言う。失礼な。死者に対する冒涜だ。そう思った。ところが、中日新聞(8月13日)の記事をネットで見つけて、「アッ!」と思った。
〈静岡・震度6弱地震により、マンションの自室で崩れた本の下敷きになって死亡した静岡市駿河区、会社員池本美和さん(43)は、仕事熱心でサッカー好きの女性だった。漫画本を読むのが好きな一面もあった〉
ギョエ! 本当だ。じゃ、千冊の本は、漫画だったのか。なんだ。なんだ、なんて言っちゃダメか。でも、どうして、積んでおいたんだろう。そうか、立派な本箱を買って並べておくほどではないと思ったのか。じゃ、読んだのは捨てたらいいじゃないか。「でも、サッカーファンも漫画ファンも、集中してのめり込むんですよ。だから捨てられないんです」とミク友は言う。フーン、そんなものか。
それで、ただ、積み上げておく。それが千冊だ。そして、積み上げた本の方が崩れやすい。本箱の本は、なかなか崩れない。本の重みで、前に出るのを阻む。それに、スチールの本箱のそばだと、多分、寝る方も気をつける。ちょっと場所をズラすとか。ところが、積み上げた本だと、その点が、「大丈夫だろう」「これが崩れたって大したことはない」と甘く考える。それがイカンのだ。
さて、静岡市で本に殺された池本美和さん(43)の話だ。同じく、中日新聞からだ。
〈マンションの管理人は「数年前に一度、部屋に入ったが、漫画雑誌がいっぱいあった」と話していた〉
〈静岡県警によると、死亡した池本美和さんは、地震のあった11日の午前9時50分ころ、自室で本の下敷きになって死亡しているのを、心配して駆けつけた母親と同署員が発見した。
就寝中に被災したとみられ、体の上に本が高さ1メートルほども覆いかぶさり、顔も見えない状態だった。
死因は、胸腹部圧迫による窒息死。6畳のワンルームに1000冊以上の本があった。本は平積みにされたり、段ボールやプラスチックケースに入ったりしていたという〉
実は、本による圧死は、これだけでなく、地震の時には結構あるという。
〈今回の地震は、積み上げた大量の本が“兇器”に変わる恐ろしさがクローズアップされた。昨年6月の岩手・宮城内陸地震でも同様の死亡例がある。室内の安全対策が生死を分けた可能性もある〉
この岩手・宮城内陸地震で亡くなったのは仙台市青葉区の男性会社員(39才)で、本の下敷きになって窒息死した。部屋の壁際には天井まで本が積み重なっていたという。じゃ、これも漫画だったのだろうか。又、彼もサッカーファンだったのだろうか。ネットで調べてみたが、そこまでは書いてない。ただ、「事件」を報じる読売新聞(08年7月1日)が見つかった。
〈本500kgの下敷き。男性を災害死に認定…死者 13人目〉
という見出しだ。本に圧死されたのが13人目じゃない。1人だ。地震の死者が13人だ。この「読書家」は、地震による「災害死」かどうか。認定すべきかどうかで、迷っていたようだ。だから、1か月位経って「認定」された。
〈宮城県警は10日、岩手・宮城内陸地震が発生した先月14日に自宅アパートで本の下敷きになり死亡した仙台市青葉区二日町、会社員佐藤良行さん(37)の死因を窒息死と断定。これを受けた仙台市は、佐藤さんを同地震による災害死と認定した。地震による死者の13人目。
県警によると、先月14日午後9時ごろ、佐藤さんが積み上げていた大量の本の下敷きになって倒れているのを、訪ねてきた会社の同僚が発見。病院で死亡が確認された。県警は司法解剖で死因が認定できなかったため、組織検査をしていた。崩れた本の重さは500キロあったという〉
ウーン、「死因」が分からなかったというが、本で覆い隠されてたんだろう。犯人は本だ。でも、捜査員は「本位で死ぬかな?」と思い、「誰かが殺しておいて、偽装したのでは?」「第一発見者が怪しい…」とか、思ったんだろう。
でも500kgというのは相当だ。かなり重い本もあったんだろう。それを、天井まで積み上げていたという。
だから、本の沢山ある人は気をつけたらいい。高木尋士氏などは気をつけたらいい。本を積み上げるなら、せいぜい50センチ位にしたらいい。あとは本箱に入れるか。それも、本箱が倒れないように、うしろにストッパーをつけるとか。あるいは、地震で本が兇器になることを覚悟して。本人は押し入れで寝るとか(私は、そうしている)。
本箱もなく、一部屋しかない。そして本も捨てられないというあなた。仕方がない。究極の自衛策を伝授しよう。
まず畳の上に、本を並べる。隙間なく、ビッチリと並べる。そこに本を積み重ねる。だから、6畳なら、1メートル位に、ピッチリと、それも隙間なく、本を並べるのだ。6畳の部屋が1メートル、底上げされたと思えばいい。そこに板でも敷いて、そこに寝る。まあ、1メートルの高さのベッドに寝てると思えばいい。何なら、真ん中だけあけて、「掘りゴタツ」にしてもいい。うん、これはいいな。そうしたら、いくら地震でも、本が降ってくる危険性はない。
そうだ。本を平積みし、本の山の中で暮らしていた見沢知廉氏はどうだったんだろうか。心配だ。8月21日に阿佐ヶ谷ロフトで会うんで、聞いてみよう。
④「ハッピーバースディ・クニョニョン」と皆が歌ってくれました。それから、ケーキのローソクを吹き消すのです。肺活量がないので、フーフーと、5回やっても消えない。「じれったいわね!」とママさんが代わって、一気に吹き消しました。お世話になりました。
⑨⑩8月6日(木)、全日空ホテルで加藤紘一さんの「だだちゃ豆の会」が開かれました。鶴岡名物のだだちゃ豆(高級な枝豆です)を賞味する会です。会場に所狭しと、豆ばっかりです。だだちゃ豆の向こうで挨拶するのが加藤紘一さんです。
⑫新宿の「猫カフェ」に行って、荒んだ心を癒してもらいました。8月13日(木)です。「フラッシュをたいちゃダメ!」と猫が言うので、暗い写真になりました。私も猫になりました。でも新宿の猫は、皆、寝ている。愛想がない。サービスがない。その点、神保町の猫は、本を探して、読んでいる。読書家だ。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉